「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

独り言~年間ブログ・ベストランキング~

2008年12月31日 | 独り言

「1日は長いが1年が過ぎるのは早い」という名言(迷言?)を吐いたかっての職場の先輩がいたが今年も、はや大晦日を迎えてしまった。

2006年10月にブログを立ち上げてから約2年2ヵ月あまり、この1年間皆様には”こまめ”にご覧いただき大変ありがとうございました。

とはいっても、開始当初は張り切って毎日更新していたものの、そのうち自分なりに疲れないペースを覚えてしまいおよそ2~3日に一回の割合で記事の投稿を続けている今日この頃。

もちろん自分の理想は「毎日更新」なのだが持ち前の手抜き、サボリ癖が出てきて丁度折り合ったところが2~3日に1回のペースというわけ。

しかし、こんなペ-スでもやっぱり励みになるのは自分の記事に対する訪問者数。つまりどれだけの方がご覧になってくれたかという数値で、ご存知のとおりパスワードを打ち込んで画面を表示させると日毎の記事に対するアクセス数が翌日の早朝3時ごろには「アクセス解析」として分かる仕組みになっており、記事に対する閲覧数さえもがページごとに表示される。

当然、投稿記事にも出来・不出来がつきまとうが(もちろん不出来の方が多いが!)「これは結構うまく仕上がったのでアクセス数が多いだろう」なんて自信を持っていた記事が意外と少なかったり、逆にあまり自信の持てない記事が(アクセス数が)多かったりして自分の認識と世の中の反応とのズレを肌身で感じるときがあって「フーン、そんなものかなあ~」と自分にとって勉強というか意識改革になるというのがブログのいいところ。

因みにこの1年を振り返って、訪問者数の多かった順から日付と該当記事のタイトルを1日に限っての瞬間風速ということで整理してみた。なお、アクセス解析の保存期間は3ヶ月だが記事に対するアクセス数はここ2~3ヶ月がピークなので年間を通した数値として取り扱っても構わないと思う。

 11月 7日 訪問者数396 「釣り紀行♯35・36~今年はちょっとおかしい~」 

 12月22日 訪問者数376 「釣り紀行♯40~ハイテク下着「ヒートテック」~

 12月12日 訪問者数362 「釣り紀行♯39~爆釣、こんなに釣れていいの~」

 11月11日 訪問者数342 「釣り紀行♯37~想い出の釣り場~」

 11月26日 訪問者数289 「釣り紀行♯38~久しぶりの大漁と痛恨のバラシ

 12月 8日 訪問者数249 「女流ピアニスト内田光子さんへの賛美」

 11月17日 訪問者数246 「クラシック愛好家のご来訪」

 12月13日 訪問者数245 「読書コーナー~濫読(らんどく)~」

 12月25日 訪問者数231 「趣味同士の三角関係」

10 11月29日 訪問者数220 「長寿遺伝子を鍛える」

こうやって見てみると、「釣り紀行」がベスト5まで独占しており圧倒的にアクセス数が多い。やはり頭の中でいろいろと小理屈を”ひねくりまわした”抽象的な記事よりも、実際の体験にもとづいたシンプルな内容の方に人気があるんだなあと改めて思い知らされた。

結局のところ
「リアリティーが大切」というわけで、自分にとってこれは新鮮な発見だった。そういえばオーディオでさえも、「原音(定義はいろいろだが)=リアリティー」にいかに近づけるかが一貫したテーマなので納得できるところだが、映画や文学などいろんな分野でもこれは通用する話だと思う。

それにしても一応は
「音楽&オーディオ」を標榜(ひょうぼう)しているブログなのにこの分野はやっぱりマイナー、しかも個人的な感性にまつわる話なので他人に「押し売り」してもしようがないし表現するにもどうも難しくて、はがゆい思いをすることがたびたび。

そもそも音楽とは「音符=♪」で表現されるものであって言葉では表現できないものだとある程度自分に言い聞かせているものの自らの表現力不足も手伝っていろいろと考えさせられる。

まあ、今のところアクセス数からみると「主客転倒」気味だが自分の書きたいことを自由に投稿できるのがブログなので気の赴くままに適度にいろんなジャンルを織り交ぜながら当分の間この表題とスタイルで続けていってみよう。

ところで、話は変わって「音楽ブログランキング」(以下「ランキング」)について。

今年の2月から応募したこの「ランキング」では日が浅いにもにもかかわらず常時ベスト10内をキープ中。これも皆様のご好意(クリック)のおかげ。

  


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釣り紀行♯41~「ウーン、悔し~い」~

2008年12月28日 | 釣り紀行

と   き       2008.12.27、快晴、海上風やや少なし

と こ ろ       S市O島

釣り時間       10時20分~15時30分

           大潮(満潮12時前後)

釣   果       チダイ、小あじ20匹前後

前回(12/19)の釣行でわずかクロ1匹と惨敗を喫したので、以後その理由を考える毎日が続いた。仕掛けとかエサの選択にミスはないと思うので結局、原因は海水温が急激に冷え込み、魚が暖かいところを求めて海底へと奥深く引き篭もったせいだと結論。

よし、それでは釣り場所を変えて水深の深いところをウキ下を深くした仕掛けで狙ってみようと27日に再度釣行してみた。娘が正月休みで大阪から帰省するので新鮮な魚を食べさせてやりたいとの親心を兼ねての雪辱戦。

当日は朝から快晴で風もそれほど強くなく冬場の釣りにはもってこいの天候。出発は7時30分とやや遅め。太陽でしばらく海水温があったまる方がいいとの皮算用。

馴染みの釣具店によってマキエを調達しフェリーが発着する港近くの「活き魚店」にまず寄ってみた。丁度開店時刻が9時30分ピタリだったが入り口にはすでにかなりのお客の人だかり。安くて取立ての地元魚の販売ということで評判がいいのだろう。


開店と同時にお目当てのモイカの売り場に一目散で駆けつけた。「あった、あった、しかし高い!」正月前ということで足元を見透かされたのだろう。ちょっとひるんだが、わずか数匹しか販売されておらずやっぱり貴重品、「まあ仕方がないか」ということで1杯2000円なり。普通のイカが300円なので7倍弱の値段。

しかし、釣りをする前から釣果に自信が持てなくて「モイカ」を買い求める自分の弱気さかげんに思わず苦笑い。(しかし、結果的にはこれが正解となった!帰る頃にはすでに品切れ間違いなし。)

10時発のフェリーにクルマごと駆け込んで、いつもの釣り場に着いたのが10時15分。平日のいつもは人っ子一人いない釣り場なのに今日は既にクルマが3台も駐車していた。福岡ナンバーが2台、北九州ナンバーが1台といずれも県外から。

今日は土曜日で大概の会社が冬休みということ、そして遠くからなので「泊り込みだな」と思った。釣れそうにない穴場の自分の釣り場にも1人が竿を振っていた。「釣れますかあ~」「いやあ、アジのちっこいのばかり」「どちらからですか」「北九州から泊り込みでやってきました」。「なーるほど」。そのほか、3人の若者たちが波止の内側で釣っていた。「チヌ釣りですか」と声を掛けたところ、あまり返事がよろしくない。

「フン、そんなところで釣っても釣れるもんかい」と鼻でせせら笑って防波堤の一番奥の突端までてくてく歩いて釣り座を構えてみた。ここが水深が一番深いと思う場所。太陽が照って、風も無く波も穏やかでああ気持ちがいいなあと心に余裕があるのもひとときのことだった。とにかく釣れない。

前回の反省にもとづいてウキ下を5m近くとって深場を狙うも、チダイと小あじが食いつくばかりでどうしようもない。やっぱり計算どおりにはいかないなあと慨嘆。

時間にして4時間ほどが経過しただろうか、時刻の方も14時30分頃となっていい加減だれてきたところに内側で釣っていた3人の連中から”がやがや”と声が聞こえてきた。チラッと厳しい(?)視線を投げかけてみると竿が弓なりになっている。何とチヌが喰いついたらしい!

タモ網で掬うのを見届けたが45cmクラスとの声がちらほら。

「ウーン、悔し~い」、この波止場では「人後に落ちないベテランだ」との自負心がガタガタと音をたてて崩れてしまった。

「え~、こんな内側の潮がまるっきり動かないところでチヌが釣れるの~」。これだから冬場の釣りは分からない。暖かいところを求めてチヌが波の穏やかな内湾の海底にじっと身を潜めていたらしい。

「もう恥も外聞もなし」、さっそく、3人の若者たちとずっと離れたところでひっそりと自分も内側に移動して釣り糸をたらしてみる。マキエを撒きに撒いたが1時間ほど粘ってみてもダメだった。

しかし、よく考えてみると3人の若者たちが少なくとも10時~14時30分頃まで粘ってやっと1匹あたるくらいだからそう簡単に釣れるはずはないのでこれはちと虫がよすぎるだろう。

納竿は15時30分。「このお返しは絶対してやる」と心に誓いあれこれと次回に向けて作戦を練りながらも、すごすごと尻尾を巻いて退散した今回の釣行だった。


                                              モイカ




 


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番組試聴コーナー~女流ヴァイオリニスト諏訪内晶子さん~

2008年12月22日 | 番組視聴コーナー

1990年のチャイコフスキー国際コンクールで史上最年少で優勝した女流ヴァイオリニストの「諏訪内晶子(すわない あきこ)さん(1972年~)。

当時の優勝の模様をビデオに録画した記憶があるが深紅のドレスが見事な演奏に花を添えていたのが強く印象に残っている。

3歳のときからヴァイオリンを習い始め国内のコンクールを総ナメにして新人の登竜門として最後の栄冠を勝ち取ったものだが、とにかく才色兼備とはこういう人のことではないかと思うほど。

以前にもこのブログで取り上げたことのある著書
「ヴァイオリンと翔る」は音楽の道に深くまい進するヴァイオリニストの悩みと克服に至る過程を克明に描き、単なる自己修飾のきれいごとに終っておらず音楽に対する深い敬意と洞察に包まれた本だった。

        「ヴァイオリンと翔ける」(2000年、NHK出版協会刊) →  

その彼女がテレビに登場したのを久しぶりに観た。

と    き    2008年12月13日(土)  10時~翌日の2時

チャンネル    NHKBSハイビジョン103チャンネル

番 組 名    ウィ-クエンドシアター「NHK音楽祭2008」
          ヴァイオリン 諏訪内晶子
          指揮者    ウラディミール・アシュケナージ
          管弦楽    フィルハーモニア管弦楽団

       

一見して、当時と比べて「ちょっと痩せたな~」という印象。そういえば、つい最近の新聞の週刊誌の広告見出しでスキャンダラスな記事が掲載されていた。

さすがに(週刊誌を)購入してまで中身を見る気はしなかったが、結婚して一児(長男)をもうけたものの、ハズバンドが前ダイエーオーナーの中内氏の身内と仲良くなり、夫婦仲がうまくいっていないという趣旨の見出しだった(と思う)。

「火の無いところに煙は立たない」という諺があるが、ファンのひとりとしてどうか事実であって欲しくないと願うもの。ヨーロッパを中心に活躍している彼女には、雑音のない環境でもっと国際的なヴァイオリニストとして活躍してもらいたいし、それだけの資質にも十分恵まれていると個人的に思っている。

今回の曲目
「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」の演奏も、音楽性豊かといえば月並みな表現になってしまうがピアニッシモの美しさが抜群で思わず聴き惚れた。

シベリウスが37歳のとき、いわば創作の絶頂期にあたるこの作品は北欧風のリリシズムに満ち溢れた名曲で自分の愛聴盤にもなっており次のようにいろんな演奏者のCD盤を所有しているがこれらの中でもトップクラスに位置づけできる勢い。

 ジネット・ヌヴー   カミラ・ウィックス   ヤッシャ・ハイフェッツ  ダヴィド・オイストラフ(2枚)  サルヴァトーレ・アッカルド

また、今回バックアップしたフィルハーモニア管弦楽団は創立1945年のイギリスのオーケストラでもちろんベルリンフィルとかウィーンフィルには及ぶべくもないがこの演奏ならCD盤を購入してもいいとさえ思った。

演奏後、テレビ解説者によると彼女の弾いているヴァイオリンは1714年製ストラディバリウスで愛称「ドルフィン」(イルカ)と呼ばれているという。ヴァイオリンの裏側の板の表面の模様が「イルカ」の姿に似ており、「イルカ」が飛び跳ねるような勢いのいい音に特徴があって、かってはあの名人ハイフェッツが弾いていた逸品だそうで道理でいい音がすると思った。

しかし、同じヴァイオリンでも奏者や弓などが変わればまた違った音色が出るとされており、その要因を前述の「ヴァイオリンと翔る」の中に諏訪内さんが次のように記載している。

 どのような弦を張るか
G、D、A、Eの4本の弦のうちたった1本の違いで全体の音色が一変する。さらに4本の弦すべてが同一メーカーがいいとも限らない。

2 弓との相性
弦と本体とに相性があるようにヴァイオリンと弓との間にも相性がある。

 顎当てや肩当てにどのような素材を使用するか

 楽器と弾き手との関係
奏者の体型、骨格、指の大きさ、太さ、柔らかさ、本人の感性など

今回の演奏は名器「ドルフィン」により諏訪内さんなりの音色を思う存分楽しませてもらったが彼女はまだ30代後半、もっと伸びしろがあると思うので順調に年輪が深まれば今後一流オーケストラとの協演が続々と実現し世界でもトップクラスのヴァイオリニストになる予感が大いにする。

日本人として超一流のレベルにある音楽家はまずピアニストの内田光子さん、そしてそれに続くのは、おそらく諏訪内さんではなかろうか。


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釣り紀行♯40~ハイテク下着「ヒートテック」~

2008年12月20日 | 釣り紀行

と     き      2008年12月19日(金)、晴れ、海上やや風あり

と  こ  ろ      S市O島~Y半島F波止

釣 り 時間      8時20分~12時30分(O島)
             13時50分~15時30分(F波止)

            小潮(満潮12時前後)

釣     果      クロ1匹(520g) 、アジ60匹前後(25cm程度15匹)
 
       
    クロ         計測520g         アジ           モイカ 

今年は早くも11月から寒が来て、師走になると一転して暖かくなったかと思えば急に寒くなったりで寒暖の差が結構大きい。全国的にインフルエンザの流行も例年より早いみたいで体温調節にもなかなか神経を使う。

取りわけ、真冬、海上の寒風吹きさらしの真っ只中での釣りでは防寒着にひときわ気を配る。何といっても遊びごと程度で風邪を引くのは愚の骨頂なんだから。

ただし、釣りの場合頻繁に動き回るので厚着さえすればいいというものでもなく身動きがしやすいものが一番なので薄着のくせに暖かいとくればいうことなし。

タイミングよく釣行前日の18日朝刊の地元紙に「快適ハイテク下着」という見出しで特集が組んであった。「薄く軽く暖かい」下着があれば冬場の釣りにはもってこいなので興味深く読んだ。

記事によると、ユニクロの
「ヒートテック」が大ヒット中という。同社と「東レ」が共同開発したもので繊維の形状を工夫することで体から発散される水蒸気を熱に変え、逃がさずに保温する。昨シーズンの売り上げは2千万枚と日本人の6人に1人が購入した計算。日頃確かな製品の釣り糸でお世話になっている「東レ」がかんでいればおそらく間違いないだろう。

根が信じ込みやすい性質(たち)なので早速その日のうちにクルマで15分ほどのユニクロ店に駆けつけてヒートテック アンダーウェアの「ロングタイツ」と「クルーネックT(9分袖)」を購入した。「よし、これで今年の冬場の防寒は万全だぞ~」。

釣行当日、起き抜けの寝ぼけ眼(まなこ)で早速「ヒートテック」を身にまとった。肌触りが良くて軽く、特に「ロングタイツ」が実に快適。やはり人間は「頭寒足熱」に限る。素早く朝食の支度にかかってお昼用の海苔巻きのおにぎりまですべて自分で準備。

出発は6時20分で九州ではこの時刻は真っ暗闇。以下前回と同様に高速経由でS市の釣具店に寄ってマキエを調達し、7時45分のフェリーに乗った。相変わらず誰もいないおなじみの防波堤に着いたのが8時ごろ。結構風が強いが「ヒートテック」のおかげで冷たいのは顔だけで、首から下はいうことなし。

この場所では2回連続大漁だったので、今回も「釣るぞ~」と始めたのはいいのだが、そうは問屋がおろさなかった。釣れるのはアジばっかり。それも型のいいのは4匹に1匹程度であとは”手の平”サイズ前後の小物。

釣りに短気は禁物、コツコツとマキエを続けながらいつかはクロが喰ってくると、とにかく忍の一字。前々回が39匹、前回が31匹釣れたのだから今回も辛抱すればそのうち喰ってくると思っていたのだが結局甘かった。

4時間過ぎても相変わらずアジばかりが喰ってきてクロは皆無。これだから釣りは分からない。特に冬場の釣りはやはり難しい。おそらく、この2~3日の急激な海水温の低下でクロが引き篭もったのだろう。

とうとう”しびれ”を切らして場所変えすることにした。いくらアジが釣れても本命のクロが釣れなくてはどうしようもない。マキエもまだ3割程度残っている。

釣り道具を片付け、持参のブラシで釣った後をきれいに掃いてから13時発のフェリーにようやく間に合った。到着後、港近くの 活き魚店に寄ってみると運よく
”モイカ”があった。

この
”モイカ”別府ではまずどんなお店でも手に入らない貴重品でフグと並んで冬の味覚の王様。今日はどうやら釣果がアジだけになりそうな気配なんで奮発して1匹1000円で購入(写真一番右側)。刺身がとにかく絶品なので、これで今晩と明日の酒の肴が確保できたと心の中まで暖かくなった。単純!

「もう釣れなくてもいいや、マキエだけでもばら撒いてみるか」と気楽な気分になって久しぶりにY半島のF波止に寄ってみた。ここは夏から秋にかけてクロを釣りまくった場所である。当時は滅多に釣り人がいなかったのに、今日は5~6人の釣り人があちこちにいた。

仕方がないので、邪魔にならないように潮の流れが悪くて一番釣れそうにない岸よりの場所に位置を定めて、仕掛けを整える前にまずマキエを2~3投。まだエサ取りがやってこないので海底までマキエが十分届いたはず。

そこでやおら、ウキ下2mの仕掛けを第一投。愛用のウキの釣り研
「ど遠投」(負荷2B)がスッと水中に消しこんだ。素早く竿を立てると思いがけず強烈な締め込み。こいつは幸先がいい!

やっと手前まで引き寄せたものの、軟竿のがまかつ「プレシード」(6.3m)を使っていたのでとてもブリ上げは難しく久しぶりにタモ網の出番。難なく入れて、引き上げた。場所変え成功、それも一投目から来るなんて!今日のハイライトだった。

よし、「バンバン釣るぞ」と張り切ってみたものの、それからは大漁のエサ取りのお出ましで思うような釣りができなかった。結局この場所では釣果はこの1匹だけに終わった。これまでの大漁に慣れた身では今日の釣果は淋しい限りだが、冬場はまあこんなものだろう。期待する方がおかしい、これまでの認識を変えねばと自分に言い聞かせた。

納竿は15時30分。少しばかり残ったマキエは大分からやって来たというお隣の老人夫婦にさしあげて、あとは自宅まで快走。

到着は17時で留守番をしていた92歳の母が首を長くして待っていた。





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番組視聴コーナー~女性指揮者「西本智美」さん~

2008年12月16日 | 番組視聴コーナー

ずっと以前のブログで「女性指揮者が育たないのはなぜ」というテーマについて書いたことがあり、そのときに参考にさせてもらったのが女流ピアニストでエッセイストでもある「青柳いずみこ」さんの次の著作。

 「ピアニストは指先で考える」(2007.6.5 中央公論新社刊)   

この本の中に次のようなくだりがある。重複するが紹介させてもらおう。

『指揮者希望のある女性(ピアニスト)が知り合いの管楽器奏者に(指揮者になるための進路を)相談したところ、
「ダメ、ダメ、あんたには胸に余計なものがついている、そんなものを”ゆさゆさ”させられた日にゃ男どもは気が散ってしょうがない、やめとき、やめとき」』という逸話。

女性指揮者の弱点(?)というか、どうしようもない性差についてまことに言い得て妙で思わず吹き出してしまったが、その後に「西本智美さんなどは宝塚の男っぽいカッコイイスーツに身を包み全然
”ゆさゆさ”させていないように見えるが・・・」という著者のコメントがあった。

そのときに「フーン、女性指揮者が全然いないかと思っていたら
「西本智美」(にしもとともみ)さんという人がいるんだなあ~」と何気なしに記憶の片隅に留めていたところ、つい先日、テレビ番組のチェックをしている中、ふとその名前が目にとまった。

期    日   2008年12月13日(土)午後10時~10時30分

チャンネル    BSデジタル181「BSフジ」 

番 組 名    「辰巳琢郎のワイン番組」
指揮者の西本智美とワイントーク展開

都会と違って地方では「西本智美」さんなる指揮者を実際に拝見する機会はまずないといっていいし、少なくともごくごく限られている。どういう人かしらんと興味しんしんで早速番組予約。

そして、録画した番組を観たのが15日の月曜日。

                 

「辰巳琢郎」も随分と”締まり”のない顔つきになったなあと思いながら(自分のことはさておいて!)見ていると「西本智美」さんが颯爽とテーブルを前にして立っておられた。「オッ、なかなか”いける”じゃん!しかし気が強くて冷たそう」というのが第一印象。

もっとも、指揮者というのはただ指揮棒を振ればいいというものではなくて楽団員への管理能力が問われる大変な仕事。

これも以前のブログに取り上げたが長いことNHK交響楽団の指揮者だった岩城宏之さん(1932~2006)の著作「いじめの風景」によると、音楽芸術の世界でさえも「指揮者=管理職」、「オーケストラ=部下」という構図が成り立ち「叱り方の難しさ」や「逆に楽団員からいじめられる指揮者の実例」などが紹介されていたが、やはり女性指揮者であっても「男勝りの部分」も必要とされるのは当然。

番組中の西本さんによると自分の性格を「思いっきりがいい、竹を割ったようなといいつつも、意外と中からモチが出てくるといったような”しつこさ”がある」との自己分析だがさもありなんと思う。

日本には年間わずか3ヶ月ほどしか居ないとの話だったが、古今東西、名を成した女性指揮者をまず見聞したことがないので今後の活躍が大いに興味あるところ。

なお、この際だから彼女についてネット情報を漁ってみた。

まず
「ウィキペディア」から。

1971年生まれで大阪市出身。大阪音楽大学作曲科卒業。国立サンクトペテルブルク音楽院に留学。28歳のデビューから37歳までロシアを拠点に活躍。指揮台での美しい姿から公演チケットがバックアップステージ側から売れてゆくという。

阪急宝塚線で大学へ通っていた頃は宝塚音楽学校の生徒たちから上級生と間違われよく挨拶をされていた。

たしかにあのルックスと身長167.5cmと女性にしては長身なので「男役」と間違われても仕方がないところ。

なお、スキャンダラスな記事もちらほら。個人のブログの記事なので真偽の程は確かめようがないが、2007年夏季の「週刊朝日」に「西本智美の虚飾」との見出しで記事が掲載されたという。(未確認)

中身は、同性に対する性的嫌がらせ、虚言、経歴詐称などだったそうだが、どうせ有名税のひとつだろうし個人的な問題がどうあろうと指揮者の本分は指揮棒を振って芸術の本質に迫ること。

一度西本さんが指揮する音楽を聴いて女性指揮者としてのセンスを探ってみたいもの。

 


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読書コーナー~濫読(らんどく)その2~

2008年12月15日 | 読書コーナー

日間の車検を終えて、無事(?)戻ってきた我が愛車。

乗車年数9年、走行距離18万5千kmというのは普通のクルマに比べるとやや”度が過ぎている”とはいえ、所要経費が37万円というのは
いくらなんでもひど過ぎる!

明細書を片手にじっくりディーラーと交渉。

内訳は車検分が15万円。これは法定費用も含まれているし、まあこんなもの。問題は残る特別整備費用22万円でこの分については改めて24~25日にかけての作業となる。

10万kmごとに交換するタイミングベルトに伴ってクランク・シャフト、ベルト・テンショナー、ウォーター・ポンプなど舌を噛みそうな名前の部品の取替え、あとはスパーク・プラグとイグニッション・コイルの交換、さらにショック・アブソーバー1本の交換などが占めている。

これらの部品が走行にどう影響があるのかあまりよく分からないが何せ運転中は常に事故の危険性と裏腹の状況で半分は命を預けているといってもいいクルマだし、遠距離を乗りこなして釣りに行った先で故障でもされるとまったくのお手上げ状態、そういう不安もつい頭の中をよぎる。

やっぱり、仕方がないか。
「よし、あと9万km乗るぞ~」と決心して結局全体で2万円程まけさせて手を打った。

さて、「ノー・カー・デイ」ということで始めた「濫読シリーズ」も「その2」については結局3冊の本に終わった。12日だけで終わる予定が司馬遼太郎さんの力作で分厚い「空海の風景」を読み耽ってしまいおかげで13日にまで食い込んでしまった。分量としては「空海の風景」だけで3冊分はある感じ。

それでは読んだ順番に。

 白昼の悪魔(アガサ・クリスティ作 早川書房)   

ミステリの女王アガサ・クりスティにはそれこそ膨大な作品群があるがそのうちでもAランクに位置づけされる作品ということで読んでみた。

風光明媚な避暑地の孤島で滞在中の魅力的な元女優が殺害され、たまたま居合わせた名探偵ポアロが殺人のトリックを見破って犯人を見つけ出すという筋書き。

トリック、犯人の意外性(特に共犯者)が鮮やかで「Aランク分類」に納得だが、クリスティの作品に共通して見られる関係者への尋問が延々と続きそのスタイルがやや古くさくて少々退屈した。1941年に発表された作品なので仕方がないがもっと快調なテンポが欲しいところ。

 偽のデュー警部(ピーター・ラヴゼイ作 早川書房)   

「新海外ミステリ・ガイド」(2008年10月20日、仁賀克雄著)が選んだ「ベスト100」に食い込んでいる作品で、おまけに年間最優秀のミステリに贈られる英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞(1983年)とくれば、面白くないはずはないと思うのが当たり前でワクワクして読み始めたがそれがどうもいまいち。

そのうち、きっと手に汗握るような展開になると自分を励ましながら読み続けるも登場人物がやたらに多くて途中で誰が誰やら分からなくなったりで散々。とうとう最後まで期待ハズレのまま苦痛のうちに読み終えた。まあ、こういうこともある。自分の読解力だってけっして十全ではないのだから。

 「空海の風景」(司馬遼太郎全集第39巻 文藝春秋)   

高校時代の同窓生でオーディオ仲間のO部君がかねて推奨していた本でずっと以前から気にはなっていたが、やっと”ヤル気モード”になった勢いで手にとってみた。ただし、こんなに有名で上質な本を今頃になって読むというのもちょっと”ズレテ”いるのかもしれない。

読後感を一言でいえば
「手に余るほどのズッシリとした重量感」という表現になるのだろうか。

本書の表題をことさらに「風景」とした由来を次のとおり著者が述べている(353頁)。

真言宗の開祖、空海(774~835:平安初期)が生きていた時代があまりにも遠いため、どうしてもその人物像についての現実感が乏しくなる。
そこで空海という人物の声容を少しでもなま身の感覚でつかもうと彼に因んだ風景を次々に想像していくことで少しでもその一部が現われはしまいかということから「風景」としたとのこと。

ということで本書の内容のうち空海の言動に関する描写は端的に言えば著者(司馬遼太郎)のまったくの想像の産物となっているといえ、これを受け止める読者側からすると著者が提供した空海の人物像がどれだけ真に迫っているかということになるのだろう。

しかし、その点はさすがに司馬さんで膨大な資料を駆使して裏づけとなる綿密な考証には少しもゆるぎがないところ。

空海を異能の天才として位置づけ、遣唐使の一員として入唐してからの八面六臂の活躍や帰国後の最澄(天台宗の開祖)との確執が生き生きと描かれる。その生々しい人間臭さは1200年前の時代を一気に現代に蘇らせるような迫力がある。

宗教家であり思想家である「空海」を決して偶像視せず、「空海に終生つきまとう
うさん臭さは、彼が人間の世の中を緩急自在に操作する才質をしたたかに持っていたことと無縁でない」とその人物像を裸にして身近な存在にしているところが全編を通じての本書の特色といってよい。

また、「日本三筆」の一人として名筆家の空海の書風が「唐に居たときと現在とでは違う」と嵯峨天皇から指摘されたときに、「日本のような小さな入れ物(国)にあるときにはどうしても書体が違ってくるものです」と言い放つところがいかにも天衣無縫の空海らしいエピソード。

結局「どんな偉人でも所詮は同じ人間に変わりはなし、そして人間の本質というものはいつの時代でも変わらないのだなあ~」というのが単純かつ率直な感想。

 


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読書コ-ナー~濫読(らんどく)~

2008年12月12日 | 読書コーナー

12月11日から12日にかけての2日間はとうとうやってきた二年に一度のクルマの車検。

何しろ
乗車年数9年、走行距離18万5千kmで4回目の車検という代物で全体の見積額が破格の37万円にビックリ仰天。しかし買い換えるよりは”まし”のようでまあ、仕方ないか。と、いってもまだカミさんに報告していないが渋面が目に浮かぶよう。

いずれにしても日課の運動ジムにも行けないし、まったく動きが取れない。代車という手もあるがこの歳になって慣れない車を運転するのも億劫なので丁重にお断り。

仕方がないのでこの2日間は朝から晩まで
”読書オンリー”と決心。それも濫読。ご存知のとおりこれは手当たり次第に読むということだが、「広辞苑」には、乱読と濫読と二通りの漢字が記載されている。自分は濫読の語感のほうが好み。

詰めてみると「濫」は「あふれる、度が過ぎる、むやみやたら」という意味がある。一方「乱」の方は「みだれる」というわけで、やっぱり
「度が過ぎる」というニュアンスが好きなのである。

それでは、とりあえず11日の読書から。ただし、(内容が)やや堅過ぎる(?)ようなので興味のない方はどうかここまでに。 

「日本の書物への感謝」(2008年10月31日、岩波書店刊) 

著者の「四方田 犬彦」(よもた いぬひこ)氏は現在明治学院大学教授で文学関係の著書多数。完璧な学究畑の方。

盛り沢山の古典が並べられていたが自分の興味は149~158頁にかけての
「徒然草(つれづれぐさ)」(吉田兼好)の解説に集中。

中世の二大エッセイストとして知られる鴨長明の「方丈記」との比較から説き起こされるが「徒然草」の特色とは次の三点。(要約)

 緻密に構築された論理の見せる美しさであり、反語であり、読者への挑発

 「迫り来る死」という主題に対して読者を閉口させかねないほどの執拗な反復

 巧みに設(しつら)えられた「自己韜晦」(じことうかい)

「韜晦」(とうかい)とは近年めったに見聞しない言葉。「韜」とは包む意、「晦」とはくらます意。転じて自分の才能、地位などをつつみかくすこと、形跡をくらましかくすこと。(広辞苑)

たとえば徒然草の「自己韜晦」はまず有名な冒頭の「つれづれなるままに~、そこはかとなく書きつくれば~」から既に始まっているという。

何となれば徒然草は「そこはかとなく」綴られた書物なんかではけっしてなく、構成している243段もの断章が綿密に順序を考慮し周到な編集作業を経ていることは瞭然としているのだ。

そして、この「自己韜晦」が行き着くところに
「よき細工は、少し鈍き刀を使う」という有名な警句が生まれる。これは真の自己よりも世間的なペルソナ(印象、顔?)を一段低いところに設置することで、たとえば「上臈は下臈に成り、智者は愚者に成り、徳人は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり」とある。

つまり、
社会的に低位置にある者へ密かに身を窶(やつ)すことのダンディズム。

以下、自分なりの受け止め方だが、なるほど「徒然草」の真髄はこのダンディズム理解することにあったのかとようやく悟った次第。

”オレが、オレが”というあからさまな上昇志向の”今の世の中の風潮”とは随分違う!

こういう「徒然草」の世界に大いに心惹かれるわけだが、一方では本書が執筆されたのは1330年頃だから約700年前のことになるがその内容と真価がいずれ古典として世の評価に耐えうるものになるという兼好法師の並々ならぬ
「意欲と自信と読み」が(文章の)行間にみなぎっていると感じられるのは一体どうしたことだろう。

果たしてこれが
”究極の教養”というものの成せる業なのか、それとも現世の存在をあっさりと捨て去って後世の存在に期待を寄せた覚悟の結果なのだろうか?

いずれにしても、700年もの長い歳月を生きながらえてきた「古典」の持つ不変の生命力に改めて畏敬の念を抱くところ。

最後に、「徒然草」の中でも
とりわけ美しい一節(文中)とされている兼好法師の死生観で締めくくろう。

「死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」

「人は死を覚悟するというとき、大概は死が前方から近づいてくると思い込んでしまい、対決するかのように肩を怒らせ、目を凝らして遠方を眺めている。だが死は実のところ、背後から突然に襲いかかってくるものなのだ。干潟に立って遠くを観察している者は、いつしか足元にまで潮が満ちていることに気がつかない。死はそんなふうに人を訪れる。」(引用)

アトランダムに読んだ本を次々に簡単に紹介していく”つもり”がいざ書き始めてみるとさすがに「徒然草」、つい入れ込んで大部分を割いてしまった。しかしこれは「目からウロコ」みたいな解説書だった。あとの本は手短に。
 

 「健康」という病(2000年6月21日、集英社新書) → 

著者の米山公啓(よねやま きみひろ)氏は神経内科の医師。

「医学には専門分野に固執するなどの弊害とか欠点が多いし、医学的な健康は患者を何ら満足させるものではない。健康であることの答えは人の生き方にあり、いたずらに健康情報に振り回されずに自分の満足する健康論を自分で見つけることが大切」といった内容。
いやあ、ごもっともです。

☆ 秀吉神話をくつがえす(2007年9月20日、講談社現代新書)

著者の藤田達生(ふじた たつお)氏は日本中世史を専門とする三重大学教育学部教授。

真実の秀吉の姿とは、自らの権力欲のために非常な謀略でライバルたちを次々に蹴落としていった策士で、本能寺の変をあらかじめ想定していた可能性すら否定できない。権力を手中にしてからも刃向かう者に対して残虐行為を行い、民衆に対しても過酷な圧制をしく独裁者だった。
いやあ、綿密なご研究ご苦労さまです。

逆転検死官(2003年2月20日、山崎光夫著、新潮社刊)→ 

本書に登場する主人公、芹沢常行(せりざわ つねゆき)氏は警視庁に勤務していた時代に3000体という空前絶後の変死体の検死に係わった人物。本書はそのうち特異な検死と事件をつまびらかにしたノンフィクション。

ミステリ好きには”こたえられない”本で面白かった。

たとえば、完全犯罪を目論んで小学6年生の子供が河原で溺れ死んだと見せかけた事件。実は離婚した母親が愛人
(農業に従事)とぐるになって邪魔になった子供(保険をかけていた)を自宅の風呂場で溺死させてから河原に放置したもので、風呂の水は事前に同じ川の水を農業用の散水タンクで採取してきたものだったというスゴイ落ち。これは立派にミステリのトリックに使える!

いやあ、まさに
「事実は小説よりも奇なり」といったところ。

以上、11日の読書についてはこの辺でオシマイ。

 


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オーディオ談義~「ワディア170iトランスポート」のその後~

2008年12月11日 | オーディオ談義

10月中旬に「ワディア170iトランスポート」(以下「170」)を購入してようやく2ヵ月が経過、その間我が家にお見えになったオーディオ愛好家(5名)から次々に音質を否定されてしまった可哀想な「170」。

「iPodをオーディオの核として利用する画期的製品」だがネットなどでも毀誉褒貶みたいで、「ライブ録音を聴くと響きが少ないのですぐに売り払った」なんて乱暴な記事も散見するところ。

我が家の「170」も同じ運命をたどるかと思いきや、これがどっこい
”しぶとく”生き残っている。

最近になってに次のとおり改良(?)を加えて、”もがいて”みた。

                 
             1                2               3

 電源トランスの挿入
「170」は理由は定かではないが「電源トランス」が入っていない。今どきの電気製品で電源トランスが入っていないとは驚きだが、おそらく6万円という低価格のためコスト上の制約だろうと想像はつく。そこで電源コードを切断して途中に電源トランスを”かまして”みた。こうすることでいろんなノイズが乗った通常の電源ラインからノイズをカットする効果が期待される。ただし効果がないときはすぐに元の状態に戻せる。

 電源コード間のハンダ付け
電源コード間の抜き差しできる接続箇所を直接ハンダ付けして接点を少なくした。

 筐体に重しをかけた
非常に軽い筐体が共振を起こしている可能性があるので鉛などの重しをかけてみた。同時に下面がペラペラの1枚なので縁を避けて内側に木のインシュレーターを3点支持で設置

以上、”虎穴に入らずんば虎子を得ず”、いずれもメーカーが聞いたら眉をひそめるような話ばかりで、万一故障したときはとても保障がきかないリスクが当然のごとくあるので自分限りの処置、よほどの覚悟がないと絶対に真似は不可である。

しかし、これで何だか音質が良くなったような気がするのだから不思議。
なお、「170」はドックの交換でいろんな種類の「iPod」が差し込めるようになっているが自分は今のところハード・ディスク(HDD)に録音するタイプの「iPodクラシック160GB」を使用している。

ところが、違う機種の「iPodナノ」では「フラッシュ・メモリー」形式の録音になっているのでこちらの方が音質がいいとの情報が入った。そのうち購入して試してみるつもりだが、調べてみると「ナノ16GB」と「ナノ32GB」の2種類あるようだ。

また、あるオーディオ関連会社では独自に「170」の改造を請け負っているという。具体的な中身は機器内部の「クロック」の取替え、接続端子の入れ替え、コンデンサーの変更などでお値段の方がなんと23万円。本体価格が「6万円」なのに改造費が「23万円」とはどういうこと?

しかし、音質が段違いに良くなるのであればチャレンジするだけの値打ちがあると思う。それほどまでに「170」の性能は可能性を秘めているし取り扱いも便利がいい。


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釣り紀行♯39~爆釣、こんなに釣れていいの~

2008年12月05日 | 釣り紀行

NHKのBSハイ「にっぽん釣りの旅」は毎週欠かさず観ている番組だが、11月27日の「北の大地でニジマスの誘惑~大岡 玲(おおおか・あきら)・北海道富良野市~」(再放送)では68cmの大きなニジマスが釣れたのに驚いた。一度でいいからこのくらいの大物を釣りたいなあ~。

                  

そして、この番組に登場した作家の大岡 玲氏(「表層生活」で芥川賞を受賞)が釣りの醍醐味について、大要次のように語っていたのが印象に残った。

「野生の魚と対峙してその物凄いパワーと圧力を感じた瞬間、パーッとアタマが真っ白になってしまって、その瞬間に言葉というものに汚されている文明的な自分がスポーンと飛んでいく、
”私自身が言葉でなくなる”、自分にとって釣りの快楽を一言で表現すればこれに尽きる」。

さすがに作家、独特の表現でもって”釣りの醍醐味”を語っているのに感心するが、さて自分ならどう表現しようかと思っても、これが30年以上も釣りをやっているのになかなか浮かんでこない。

何しろ、”新しい魚はおいしい”という”食い気半分”の不純な動機で釣っているのが実状だから釣った魚をきちんとリリースする大岡さんとは「釣りの品格」がどだい違っているようだ。それにしても大岡さんの作品を一度読んでみたくなった。

閑話休題。

釣り紀行♯39~爆釣、こんなに釣れていいの~

と   き    2008年12月4日(木)、晴れのちくもり、海上微風

と こ ろ    S市O島

釣り時間    8時15分~13時30分 

潮        小潮(満潮13時前後)

釣   果    クロ31匹(手の平~足の裏クラス)、アジ43匹(20~25cm)

                  

前回(11月21日金曜日)の大漁で味をしめてほぼ同じ条件下での釣行となった。場所、時間帯、潮の具合などがまったく一緒で違うのは外気温だけ。とにかく12月にしては非常に暖かい日となった。

相変わらず誰一人いない釣り場の防波堤に到着したのが8時ごろ。

さて、潮の動きが少ない小潮のときは釣れないという定説があるものの、この場所ではあまり通用しないみたい。とにかく、釣り開始からウキ下3mの仕掛けにアジの入れ喰いでそれも防波堤からの釣りにしては型がよかった。前回のマキエを食べて太ったのかもしれないがサイズが一回り大きくなったようで竿が結構しなって引き味もいい。

ところが、肝心のクロがさっぱり釣れない、つい2週間前の前回はこの場所で39匹釣り上げたのだから”いない”はずはない。”おかしいなあ”と首をひねりながら2時間ほど経ってから、とうとう別の竿でウキ下50cmの仕掛けを投じてみた。

ところがなんとその仕掛けにクロが喰ってきた。どうやら海水温の上昇とともにクロも深場から海水面近くに上がってきていたらしい。

それからはクロ、アジが
”こんなに釣れていいの”と思うくらいの爆釣。釣りにとって厄介な風もほとんど無くて、マキエを正確なポイントに打ち込みエサと同調させるのも楽だった。

地元の漁師さんが通りがかりに「型のいいアジが釣れてるなあ」、「いいえ、それほどでもないですよ~」。釣り人が沢山釣るのを見て喜ぶ漁師はまずいない。

この場所では2回連続の大漁でクロの型がいまいちだが確実に釣果が見込めるのがいい。もっと冷え込むと待望のチヌ(黒鯛)もきっと出てくるはず。それにこれから北西の季節風が強くなる時期だがこの場所は風裏にあたるので釣りやすいのもいい。

これから本格的な冬のシーズンに入るが今年は楽しめそう。

マキエが切れたのが13時30分頃で丁度14時発のフェリーに間に合った。「モイカ」があればと港近くの活き魚店を覗いてみたが売り切れだった。

チヌが釣れたら自分への褒美に高速道で帰ろうと思っていたが、釣れなかったので一般道で帰ったところ数年前に自分が捕まった同じ場所で「スピード違反取り締まり」をやっていた。レーダーの設置が丁度上り坂を過ぎて下り坂を降りきった場所なのでスピードが出やすく、まずどんなクルマでもご用心といったところ。

別に交通安全上危険な場所でもないと思うが、××もあまり”あこぎ”なことを続けて点数稼ぎをやっていると反感をかって”協力者が減っていきますよ”とアドバイスしておこう。


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読書コーナー~新海外ミステリ・ガイド~

2008年12月04日 | 読書コーナー

最近、オーディオの話題が多いのでたまには目先を変えて今回は”「ミステリ」の面白い本紹介”。興味のない人はここまでに。

「オーディオ」、「釣り」をやって面白そうな「テレビ番組」をちょくちょく観るとなると、どうしても時間が足りず好みの「ミステリ」を探すのに”出来るだけ効率的に”という要素が加味される。

したがって、必然的にガイド本を重宝しているが「夜明けの睡魔」に続いてピッタリの本が見つかった。

「新海外ミステリ・ガイド」(2008・10.20論創社刊) → 

著者の「仁賀克雄」(じんか・かつお)氏は大のミステリ・ファンでその読書量は果てしなく、しかも自分と好みがかなり似通っているので安心して推薦本を読めそう。

1936年横浜生まれ、早稲田大学第一商学部卒、ワセダ・ミステリ・クラブ創立者とくれば、年齢、経歴ともに十分。

まず興味があったのは、「アガサ・クリスティ」、「エラリー・クィーン」、「ジョン・ディクスン・カー」といったミステリ界の大御所たちの膨大な作品群(長編ミステリ)の採点簿。

A→傑作、B→佳作、C→普通作に分けてある。大概読んだつもりだが、改めて自分のライブラリーを整理する意味でAランクの作品だけをピックアップさせてもらった。

 アガサ・クリスティ
アクロイド殺し、オリエント急行の殺人、三幕の殺人、メソポタミヤの殺人、ABC殺人事件、ナイルに死す、そして誰もいなくなった、愛国殺人、白昼の悪魔、ゼロ時間へ、予告殺人、ポケットにライ麦を

「白昼の悪魔」は未読だが評判も高いので日頃からそれとなく探しているのだがどうしても見つからない。

 エラリー・クィーン
オランダ靴の秘密、Xの悲劇、Yの悲劇、ギリシャ棺の秘密、エジプト十字架の秘密、チャイナ・オレンジの秘密、災厄の町

 ジョン・ディクスン・カー
帽子収集狂事件、プレーグ・コートの殺人、白い僧院の殺人、三つの棺、赤後家の殺人、火刑法廷、曲がった蝶番、ユダの窓、読者よ欺かるるなかれ、皇帝のかぎ煙草入れ

そして一番参考になるのが巻末の「私の選んだ海外ミステリ・ベスト100」。以下すべて年代順。

 本格ミステリ
樽、赤毛のレッドメイン家、グリーン家殺人事件、Yの悲劇、学寮祭の夜、火刑法廷、試行錯誤、ある詩人への挽歌、そして誰もいなくなった、時の娘、赤い霧

 トリッキー・プロット・ミステリ
アクロイド殺し、被害者を探せ!、殺人交叉点、消された時間、シンデレラの罠、殺人症候群

 警察・司法ミステリ
首吊り判事、はなれわざ、死人はスキーをしない、ウッドストック行最終バス、夢果つる町、偽のデュー警部、皮膚の下の頭蓋骨、骨と沈黙、検屍官、エレナのために


 ユーモア・ミステリ
スィート・ホーム殺人事件、切断、スカイ・ジャック、シャーロック・ホムズ氏の素敵な冒険、クリスマスのフロスト

 私立探偵小説(ハードボイルド)
マルタの墓、長いお別れ、やとわれた男、ウイチャリー家の女、酔いどれの誇り、約束の地、沈黙のセールスマン、八百万の死にざま、小年の荒野、ネオン・レイン、暑い十字架、暗く聖なる夜

 サスペンス・スリラー
幻の女、喪服のランデブー、死の接吻、影の顔、二人の妻を持つ男、わらの女、ギャラウェイ事件、ロウフィールド館の惨劇、逃げるアヒル、ホッグ連続殺人、薔薇の名前、レッド・ドラゴン、長く孤独な狙撃、千尋の闇、ブラック・ダリア、悪魔が目を閉じるまで、理由、女彫刻家、夏草の記憶、魔術師

 スパイ小説
ディミトリオスの棺、「テンンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」、消されかけた男、針の眼、ベルリン・ゲーム

 冒険小説
ナヴァロンの要塞、深夜プラス1、ジャッカルの日、鷲は舞い降りた、シャドー81、暗殺者、樹海戦線、極大射程

 シリーズ・ミステリ
シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、ブラウン神父、メグレ警部、ペリイ・メイスン、迷宮課事件簿、007/ジェイムズ・ボンド、87分署警察、競馬(ディック・フランシス)、マルティン・ベック、クルト・ヴァランダー

☆ モダン・ホラー
ローズマリーの赤ちゃん、呪われた町、暗い森の少女、ザ・キープ、髑髏島の惨劇


 ショート・ミステリ
世界短編傑作集(江戸川乱歩編)、あなたに似た人、特別料理、うまい犯罪・しゃれた殺人、九マイルは遠すぎる、ママは何でも知っている、エドガー賞全集

以上、すべて読んでいるわけではないが定評のある作品がズラリと並び非常にオーソドックスな選定で大いにうなづける。上記の中からさらに自分の記憶に鮮明に残っているお薦め本は次のとおり。

Yの悲劇、そして誰もいなくなった、時の娘、幻の女、わらの女、夏草の記憶、シャドー81といったところ。

しんしんと冷え込む真冬の季節、室内で暖をとりながら静かに面白いミステリを読み耽るのも一興と思うがいかが。

 


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オーディオ談義~3人のオーディオ愛好家のご来訪~

2008年12月02日 | オーディオ談義

約1週間遅れの報告となったが、11月24日(休日)はまさにオーディオに明け暮れた1日だった。

午前中は大分市のN松さん宅でオーディオ試聴。その顛末は11月26日付けのブログ
「オーディオ訪問記」に記載。

そして午後は県外から3名のお客さんが誘い合わせて来てくれた。

そのうち小郡市のN村さんは10月中旬にお見えになったので2回目、ほかの2名の方はともに初めてのご来訪で、うち太宰府市のF島さんは既に顔見知りで今年の2月に湯布院のA永さんと二人で訪問した経緯がある。あのときのタンノイ・オートグラフの音は今でも耳に焼き付いている。今回は旧知のN村さんの電話による偶然のお誘いに応じてクルマに便乗された由。

また残るT代さんは佐賀県在住でN村さんと懇意にされており見るからにオーディオ歴が長そうな方で年末恒例の「第九」の合唱練習にも参加されている音楽好きの方。

あいにくの肌寒い小雨交じりの天気の中、すぐに霧がかかって速度制限が適用される高速道を縫ってようやく到着されたのが15時30分頃。

時間もあまりないのでご挨拶や説明もそこそこに試聴へ。

持参されたCD盤のうち
「ちあきなおみ大全集」(2枚セット)の中からいくつかピックアップ。彼女に対するオーディオ愛好家の根強い人気を確認した思いがしたが、まったく自分も同類項なのでその”歌唱力”にうなづくばかり。

次に取り出されたのが「’91宝塚歌劇全主題歌集」。シリーズものだそうだがT代さんによるとこの’91年盤が一番いいとのこと。「花夢幻」(一路真輝)、「花白蘭」(紫苑ゆう)、「心の白ばら」(天海祐希)など、往年のスターたちの競演。「やっぱり宝塚には華やかさと夢と希望があるなあ~」。人間いくつになっても若さを失わず夢を追いたいもの。

次に一転してクラシックで「佐渡 裕(指揮)、新日本フィルハーモニー」によるベートーヴェンの「第九」4楽章。最近、ソロや室内楽を聴くことが多いので本格的なオーケストラは久しぶりだが、鳴り出した途端に思わず「オヤッ」と思った明らかに低域不足。なんだか衆人環視の中、裸で突然舞台に放り出されたみたいで身の置き所がない感じ。

ジャズではまるで低音不足を感じなかったのに・・・。やっぱりオーケストラの本格的な再生は別格。

これほどのオーディオ愛好家たちだから、皆、口に出さないだけですぐに感付かれたと思う。しばらく聴いた後こちらの窮地を察したかのようにT代さんが4楽章はもういいので3楽章(緩徐楽章)にというご要望。これだと低域不足が比較的目立たない、「やっぱりそうか」と納得。

あとは自分の手持ちのジャズやヴァイオリン、ピアノの曲などを聴いてもらったが、そのうちN村さんが「自分は音質に低域とか高域とかの充実感を求めていない、ただ”音楽として聴けるかどうかがポイント”なんだ」といった趣旨のことをおっしゃった。

電気回路を通したオーディオ装置からは生演奏の音は絶対に出せっこないが、せめて近づけたいと日夜アタマを悩ませているのがオーディオ愛好家だが、その一つの回答がここにあるような気がする。さすがに長年の音楽愛好家らしい深遠な言葉だと思ったが、これは考えようによっては慰めてもらった意味合いが強いかもしれない。

いずれにしても、「総まとめ」ではどうにか「”合格ラインスレスレ”の低空飛行」といったところだろう。

あとは帰られる間際になって、スピーカーのセッティングが話題となりF島さんやT代さんからウーファーの向け方やツィーター(高域:JBL075)の位置などが論議となった。

そして、後日F島さんから届いたのがセッテイングに関する次のメール。

「英国の香りのする穏やかな音」「ヴァイオリン・ソロとボーカルが絶品」「音の鮮度と広がりに驚いた」との前置きのもとに「改善」に向けての要点が率直に記載されていた。おそらく、(こちらの受け取り様によっては礼を失するので)出そうか出すまいかと随分迷われたと思う。

1 左右のスピーカーの位置が離れすぎるため、現在の音が中抜け気味になっている。もっとアキシオム80(以下「80」)を内側に寄せる。

 わずかに「80」の余韻、ホーツトーンが不足している。スピーカー周りには何も置かない方がいい。ツィーターの075は「80」の上に置いて縦のラインで位相を揃えるべき。

 「第九」の4楽章では低域の厚みが不足していた。(※やっぱり!)せめてスーパーウーファーを「80」の真下に持ってくる。

 スピーカーの真ん中にきちんとした音場をつくりたい。ボーカルのCDを参考にしながら「80」とツィーターの角度を内側に向けてど真ん中から音が聴こえてくるようにする。

以上、タンノイ・オートグラフのセッティングに散々苦労されたノウハウが随所に生かされているのだろうとすぐに察しがついた。

これらのご指摘は大変ありがたいことで、もちろん試してみない手はない。実際にやってみても部屋の条件(定在波など)で音が確実に良くなる保証はないがダメなときはすぐに手作業で元の状態に戻せるようなことばかり。「善は急げ」とばかり早速、午後にセッテイングに取り掛かった。時間にして1時間ほどかかっただろうか。結果は次の写真のとおり。 

                →     
           11月24日時点              11月27日現在   
             
折角なのでこの際、F島さんのご指摘と合わせて杵築市のM崎さんから以前にもらっていた”気になる点”も考慮に入れてトライしてみた。

その”気になる点”とはウーファーJBL130Aと「80」との帯域のつながりがうまくいっていないこと。要するに130Aから出る音がでしゃばりすぎて「80」の音に「重なり過ぎ」という指摘。

そこで思い切って130Aの前に分厚い吸音材(40cm×60cm)をぶら下げてみた。タンノイ・ウェストミンスターのサランネットのカバーの中なので外からは見えないが、これが思いのほか功を奏したようでこれで明らかに干渉が少なくなり、低域のボリュームを思い切って上げられ随分と音の厚みが増した。

全体的なバランスも良くなり、いいことだらけのようだがしばらく様子を見たほうが良さそう。その日のコンディションによって左右される「体調」と「音質の判定」とが密接に関係している以上、性急な結果を求めるのは浅はかだろうし、何事にもプラス面とマイナス面とがつきまとうのはこの世の慣わし。

しかし、オーディオはこうやって「いろんな人の意見によって動きが生じて少しずつ前進していくのだなあ~」としばし感慨に耽ったところ。


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