「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

独り言~ミステリ通読とCDの注文~

2009年01月31日 | 独り言

ミステリの本場「イギリス」で、こういう笑い話があるという。

ある女性が裁判所に夫との離婚を申し立てた。

「夫のどういうところが不満なんですか?」と裁判長が聞いた。
「ときどき浮気をし、おまけに、私に暴力をふるうこともあります。」
「その程度のことで離婚するというのはどんなもんでしょう。」裁判長はこう言って離婚を認めてくれません。

ところが、女性が
「それに、夫はわたしが推理小説を読んでいるとすぐ真犯人の名前を暴露するんです」
それを聞いた裁判長は即座に言った。「それは重大だ。離婚を認めます」(笑)

このように、洋の東西を問わず、推理小説の結末は絶対に明かしてはいけないこととされているので感想を記すときでも「ネタバレ」がないように配慮するのは常識だ。

この2~3日、内田康夫氏の
「名探偵浅見光彦シリーズ」をかかりっきりで読んでみた。今更読み始めるのはおかしいくらいの人気作品だが、あまりにポピュラーすぎて自分には盲点となっていた作品。

先般、「萩原朔太郎の亡霊」(内田康夫)を読んでみて意外と面白かったので、原作者のスタイルが自分の好みに合っているかもとつい手にとってみたのだが読み出すとつい面白さに引きずり込まれて朝から晩まで読書三昧となった。

                  

「贄門島」(にえもんとう)(上巻、下巻)、「化生の海」の3冊でいずれも単行本で結構分厚く、読み上げるのに相当時間がかかった。

小説の設定によるとルポライターで素人の探偵にすぎない「浅見光彦」だが、名家の出身で、兄が警察庁の刑事局長の要職にあるとなっており、公権力を要所要所で事件解決の推進役にしているところが痛快であり、ストレス解消にもなる。例えていえば「水戸黄門の印籠」みたいな役割を果たしているといっていい。


「贄門島」は房総半島の近くのある離れ島を舞台にして、島に古くから伝わる因習が背景となって展開される殺人事件で闇の部分が明らかになるにつれ第三国まで絡んだ大掛かりな仕掛けとなっている。

やや展開が偶然性に左右されているとはいえ、めまぐるしく進んでいく快調なテンポと謎解きがとにかく読者を飽きさせない。このシリーズが長く人気を保っているのも分かる気がする。

「化生の海」もなかなかの佳作で、北海道で娘が大学に通うために金策に走り回っていた父親が遠く石川県の加賀市の沖合いで漂流死体となって発見される事件で、松前舟の歴史、かって捨て子だった被害者のルーツを探る重要なカギとなる福岡県津屋崎産の人形など日本各地が舞台となる中、一人の人間の哀感を感じさせるストーリーについホロリとさせられる。

結末の犯人像がややあっけないが、事件解決に至るまでの展開に読者をつかんで離さない力がある。

両作品とも、歴史的な背景を手を抜くことなくていねいに描写しているのがいい。

さて、ようやく読了し夕食が済んでくつろいでいたところに
オーディオ仲間から久しぶりに電話があった。耳寄りな情報だとおっしゃる。

興味津々で「何ですか」とお伺いすると「デ・ヴィートって女流ヴァイオリニスト知ってる?」。まだ彼女の演奏は聴いたことがないが名前は聞いている。「ヴィトー」とも聞く。たしか自分の大好きな「ジネット・ヌヴー」が活躍していた頃のヴァイオリニストである。年代で言えば1940~50年代。

そのデ・ヴィートが弾いたブラームスのヴァイオリン協奏曲がつい最近発売されたという。これまで放送局がずっと秘蔵していたもので
「初出」、指揮はあのフリッチャイだという。

「HMVで”クラシック~デ・ヴィート”の検索で一発で出てくるよ、ただしこの盤はモノラル録音でステレオではないので自分は買わない」と仲間。

オペラ「魔笛」のように深読みしすぎて「モーツァルトとは相性がいまいち」の感がある指揮者の
フリッチャイだがベートーヴェン、ブラームスといったところならまず間違いない音楽だろうと思わせるものがたしかにある。またモノラル録音であろうと演奏さえ気に入れば自分は一向に構わない、録音の良し悪しはそれほど極端ではない限り大きな支障にはならない。

HMVのホームページを開ける前に、「デ・ヴィート」で検索してみると出てきた。

「ジョコンダ・デ・ヴィート」(1907~1994)イタリアの女流ヴァイオリニストとある。「ジョコンダ」とはどこかで聞いた名前?そうだ、ダ・ヴィンチの有名な名画「モナリザ」のモデルの名前が「ジョコンダ夫人」だ。

ともあれ、早速HMVで検索。あった、あった「デ・ヴィート演奏~フリッチャイ指揮」のコンビでブラームスのヴァイオリン協奏曲。2009年1月16日発売とある。もちろん輸入盤。カートに入れる前にまずウィッシュリストに放り込んで、ほかを物色するとその下の方に何と「デ・ヴィート演奏~フルトヴェングラー指揮」のこれまたブラームスのヴァイオリン協奏曲があるではないか!

これはさすがに黙って見過ごす手はない、これもウィッシュリストへ。そして最後にヒラリー・ハーン弾くことのやっぱりブラちゃんのヴァイオリン協奏曲も追加。結局3枚セットで「購入手続きGO]をクリック。

「あんたも(ブラームスのヴァイオリン協奏曲が)好きだねえ~」と、どこからかため息混じりの声が聞こえてきそう。

その後、HMVから「発送予定日は3月1日のメール」が入ってきたがいずれのCDとも発売日がそれほど昔ではないのに1ヶ月も待たなくてはいけないなんてどうなっているんだろうか。


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音楽談義~女流ヴァイオリニスト「ジネット・ヌヴー」の魅力♯2~

2009年01月20日 | 音楽談義

クラシックのCDを購入するときに欲しいという意欲を刺激するのは、曲目、演奏者、そして録音(音質)といったところ。

そして、聴いてみた結果は自分の場合およそ次のような色分けになる。

1 録音(音質)はいまひとつだが非常にお気に入りの演奏

2 あまりいい演奏とは思わないが録音はいい

もちろん、なかには「いい演奏」と「いい録音」が両立しているCDもあることはあるが極めて珍しいし、むしろ「ダメ演奏」「ダメ録音」のダブルパンチの方が多い。

このうち今でもよく聴いているCDといえば1に偏っていて、2を聴くのはたまにオーディオのテスト用として使用するときぐらい。

つまり「録音は少々悪くても演奏に価値が見出せればそれでいい」というのが自分のポリシーだが、人によっては所有しているCDはすべて「いい演奏」であり「いい録音」ばかりと感じている人があっても、ちっとも不思議ではなく、そういう人は本当にうらやましい。

振り返ってみると1980年からCDの時代となりデジタル録音が始まったが、自分が聴き慣れ、親しんだ指揮者、演奏家といえばそれ以前のアナログ録音時代に集中している。

指揮者でいえばフルトヴェングラー、トスカニーニ、イッセルシュテット、クリュイタンス、クレンペラー、そして演奏家でいえばヴァイオリニストの
ジネット・ヌヴー、グリュミオー、オイストラフ、ピアニストではリパッティ、バックハウス、ルービンシュタインといったところなので懐古趣味といわれても仕方がないが当時の録音だからそもそも優秀なものはまずないといっていい。しかし、蛇足だが1940年代~1950年代がクラシック音楽の黄金時代として指揮者、演奏者の宝庫になっているのは間違いない。


自分のレパートリーに現代の奏者が入れば優秀な録音が間違いなく保証されるのでこの上なくハッピーだが今のところ「内田光子」さんぐらいしか思い浮かばない。

とりわけ、現代はヴァイオリニストがやや枯渇気味なので是非飛びっきりの存在が出現してほしい。先日NHKの深夜のBS2で「北京ヴァイオリン」を放映していたがヴァイオリンという楽器の音色の魅力に改めて惚れ惚れした。

さて女流ヴァイオリニスト「ジネット・ヌヴー」はこれまでのブログでも再三再四取り上げているが「演奏はいいが録音が悪い」の典型で、なにぶんにも1940年代と随分昔の演奏なので食わず嫌いの人が結構いるのではあるまいか。

試しにその認知度を計ろうとネットを検索してみたところ、やっぱり知る人ぞ知る、ホームページやブログで絶賛また絶賛。

たとえば無断で引用させてもらうが次のとおり。(主として
「サロン・ド・ソークラテース」さんから引用。因みにこの個人のサイトは極めてレベルが高くヌヴーファンには必見です~。ほかにも、リパッティやカペー弦楽四重奏団など古典音楽家たちがズラリと記載)

ヌヴーが30歳で事故死(飛行機墜落)していなかったら1950年代から1970年代にかけてのヴァイオリニストの序列はおろか、ヴァイオリン音楽のあり方も大きく変わっていたかもしれない。

ヴァイオリンには女性奏者が多いがハイフェッツやオイストラフに伍する巨星は輩出されていない。ヴァニャフスキ国際コンクールで大差でヌヴー(優勝)に完敗を喫したオイストラフ(第二位)は「悪魔のような才能」と妻宛の手紙に書いた。ヌヴーこそ男勝りの気性で彼らを凌ぐことが出来た筈の唯一のヴァイオリニストだった。

以上のとおりで因みに、五味康祐氏の名著「西方の音」(1969年刊)の中の記述(248頁)に「ヌヴーの急逝以来、僕らは第一級のヴァイオリニストを持たない」とある。当然オイストラフ、ハイフェッツなどが著名だった頃の話で、今でこそ両者は巨匠の名をほしいままにしているが、当時はそれほどの位置づけではなかったことが推察される。

いずれにしても、
「ジネット・ヌヴー」は単に録音が悪いといって捨て去るのは実に惜しいヴァイオリニストと思うのでくどいようだが、まだ聴いてない方は機会があれば是非一聴されることをお薦めしたい。




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読書コーナー~本格ミステリ・フラッシュ・バック

2009年01月18日 | 読書コーナー

面白いミステリを手軽に、かつ効率的に読みたいとなるとどうしても紹介本が欠かせない。

「本格ミステリ・フラッシュ・バック」(2008.12、東京創元社)
    

本書はフラッシュ・バックとあるように、1957年~1987年に発刊された過去の日本の本格ミステリについて簡単な”あらすじ”と書評を加えた本で、著者は7人のミステリ専門家たち。

当時出版されたミステリがほとんど網羅されているといっていいが、なかなか的確な書評で信頼するに足る内容(と思う)。そこで、まだ自分が読んでいない本で書評が概ね「Good」だったものをピックアップして図書館からまとめて借りてきた。

「萩原朔太郎の亡霊」            内田 康夫  (徳間書店)
「りら荘事件」                 鮎川 哲也  (創元推理文庫)
「七人の証人」                西村京太郎  (講談社文庫)
「倫敦(ロンドン)暗殺塔           高橋 克彦  (講談社文庫)
「訃報は午後2時に届く」          夏樹 静子   (文春文庫)
「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」    高木 彬光   (光文社)
「破戒裁判」                  高木 彬光   (光文社)
「霧に溶ける」                 笹沢 左保   (春陽文庫)

いずれも古典とも言うべき作品ばかりで評価も定まっておりそれほどハズレがないだろうとの読みがズバリ的中。とりあえず5冊ほど一気呵成に読んでみたのでその読後感想を記載。音楽と違って本の方は人によって評価がそれほど大きく違わないように思う。

☆☆☆☆   「萩原朔太郎の亡霊」      

「浅見光彦シリーズ」で有名な著者だが、これはごく初期の作品。ミステリの紹介ではトリックを明かすような内容は「ご法度」(ごはっと)なのでごく手短に述べるが、復讐劇に見せかけた連続殺人の裏側に実は親子の断絶が遠因だったというのが真相で、途中からおおよその真犯人の見当がついたがなかなかの力作。萩原朔太郎のいくつかの詩に因んで殺人が展開されることもあって文学的な香りが全編に漂うのも捨てがたい。

☆☆☆☆   「りら荘事件」          

芸術家の卵である大学生たちが夏季休暇を過ごす避暑地の「りら荘」で起きる仲間内での連続殺人。死体の傍らに犯人が順番に置いていくスペードのトランプに大きな意味が隠されていることが最後に明かされるが思わず「うまい!」と唸ってしまった。惜しいことに犯人の動機がやや弱いし事件の現実性にも乏しいが、純粋に謎解きだけを楽しめばいい本で最後にすべての謎の種明かしでもまったく論理的に矛盾はない。

☆☆☆☆☆   「七人の証人」         

例によって「十津川警部シリーズ」の一編。帰宅途中を襲われ誘拐された「十津川警部」が目が覚めたのは奇怪な無人島。そこにはある町の殺人事件の現場となった一部分がそっくり再現されていた。そして次々に誘拐されてきたのはその殺人事件の目撃者として証人になった7人。そこは無実の罪をきせられ獄中死した息子の父親が仕組んだ真相究明のための狂気の舞台だったという筋書き。一つひとつの自信に満ち溢れた証言が、突き詰めていくと自己都合にすぎず、あやふやな記憶に左右されたものだったという展開。なかなか読ませるが最後に明かされる真犯人の動機が単純でやや弱すぎる。

☆☆☆☆☆    「倫敦(ロンドン)暗殺塔」      

著者のデビュー作「写楽殺人事件」は歴代の江戸川乱歩賞受賞作の中でも5指に入るほどの大傑作だったという。たしかに自分が読んだ限りでも謎の浮世絵師「写楽」の正体追求と殺人事件の解明とがうまく絡み合って未だに記憶に鮮明に残る作品。

本書は、注目のその第2作目で明治初期の文明開化の時代にロンドンを舞台にして起きた連続殺人事件が題材。井上馨や伊藤博文など明治の元勲たちが登場する壮大な仕掛けの歴史ミステリだが前半の滑り出しは読ませるものの途中からやや腰砕けの感あり。

舞台が大きすぎるせいもあって登場人物の人間像が真犯人も含めていまひとつ彫りが浅いし事件の真相も何か物足りない。トリック重視の展開ではないのでその点こそ肝心なのだが・・・。それにしても事件の発端となる維新時の会津での戦いは日本人同士なのにあんな鬼畜にも劣る所業があったのだろうか。史実か否かむしろそちらの方が印象に残った。

☆☆☆☆☆     「訃報は午後二時に届く」     

ゴルフ場経営をめぐる利権のからみで社長、副社長の連続殺人事件が発生。容疑者はゴルフ場造成に伴う代金の支払いを迫る造園会社の社長。そして容疑者の失踪から偽装自殺、逃亡へと展開。やがて留守宅を守る妻のもとに容疑者の「死後切断」(後に科学的に鑑定された)の「小指」が速達小包で午後2時に届く。

うーん、一言でいって非常に面白い。頁を開く手を休めるのがもったいないくらい。アリバイのトリックが巧妙だし、犯人の意外性もあるし、恋愛をからませたストーリーの展開力も読者を飽きさせない。

とりわけ著者が女性であるだけに女性の心理描写が丹念に描かれている。とにかく容疑者の「死後切断の小指」のトリックが明かされる巻末の3行にはすっかり兜を脱ぎました。週間読売が昭和60年に実施した「作者の自選する自作ミステリ」のアンケートで著者自身が本書を自選作に挙げていたというほどの快作である。


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音楽談義~ラヴェルの「優雅で感傷的なワルツ」~

2009年01月16日 | 音楽談義

昨日15日(木)の午後、92歳の母のために歯医者さんが初めて来てくれた。週3回の割合で通っているデイケア施設が紹介してくれたもので自宅で治療してくれるなんて便利のいい世の中になったもので本当にありがたい。

ずっと昔につくった入れ歯の噛みあわせがいまいちで、本人にしてみれば歳も歳だし、もう先も長くないのでと半分諦めており治療にあまり乗り気ではなかったが子供の立場からするとそのまま放っておくわけにもいかない。

結局、歯科医師、歯科衛生士2名の3人がかりで診てもらった結果、入れ歯を引っかけていた歯が取れていたので改めて作り直すということに。

そういうわけで朝からあちこち出歩くわけにもいかず、午前中は最近購入したCDを集中的に試聴にあてようと思ったがCDトランスポートの周りに以前聴いてそのままにしたCD盤が山積みになっているのでそちらの方を先に片付けることにした。

もともと整理整頓がたいへん苦手なタイプ。一番思い当たるのがいったん引っ張り出して利用したものをきちんと元の場所に戻さないという悪癖。いわゆる無精者というわけで”カミさん”からも「もっときれいに片付けてください」としょっちゅう尻を叩かれている。

特にひどいのが書斎兼オーディオ・ルーム。

それほど広くもない部屋に本や雑誌、コピーした資料などが散乱気味のうえに追い討ちをかけるようにオーディオ関係部品、たとえば真空管、コンデンサー、端子類や”ハンダごて”などの小物類が続々、おまけに竿、釣り糸、ウキまでもがあちこちに。

しかし、何といっても一番の難物なのが前述したようにCDの整理。これまで一応粗削りながらもジャンルごとにCD収納ケースを準備しているものの、聴いた後にちゃんと元の位置に戻さないため混沌とした状況になっている。

オーディオ仲間は例外なくいつお伺いしてもCDがきちんと整理整頓されており自分も見習わなくてはと思うのだがこればっかりはいくら気をつけてもなかなか改まらない。

よし、分かりやすいように整理しようと一念発起。クラシック、ジャズ、ポピュラー、歌謡曲とジャンルごとに分類していた収納ケースをこれまでの失敗に懲りてクラシックを主体に次のように作曲家ごとに分類し直すことにした。

「モーツァルト/オペラ・ソナタ」「べートーヴェン/ブラームス」「ショパン/ドビュッシー/マーラー/シベリウス」「モーツァルト/ピアノ協奏曲ほか」「バロック」といった具合。

                  

パソコンで作曲家名を大きく印刷して収納ケースの表の部分にバッチリと貼り付けた(上記の一番右の写真)。これで取り出すときも戻すときも随分便利になりそう。

一般的には数段重ねの大きな収納ケースを利用されている方が多いようだが自分の場合、中域用スピーカーの「アキシオム80」からの音の跳ね返りが気になるので、なるべく
背丈の低いCD収納ケースを使用しているところ。(一番左の写真)。特にCDのプラスティック・ケースは1枚くらいでは問題にならないが、これがまとまると結構な表面積となり音の響きに悪さをする(と思う)のが気になる。

ともあれ2時間ほどかけて詰め替えし、ジャズなどは部屋の片隅にある丈の高い木製ケースにまとめて放り込み、ようやく一段落、とりあえず見場が良くなったので試聴に移った。

まずは指揮者のフルトヴェングラーがこよなく愛していた曲目というラヴェルの
「優雅で感傷的なワルツ」。指揮者はマルティノンで演奏はパリ管弦楽団。8枚のCDのうち6枚目。トラック番号9~16で8節に分かれ全体で16分ほどの小曲。

親しみやすい旋律も別になく、こんな音楽のどこがいいんだろうという印象がしたが、よく聴いているうちに何だか「いろんな色彩で描かれた絵画」を見ているような感じがしてきた。

これはこれで悪くない。音楽は耳で聴くものとは分かりきった話だが聴いているうちに眼前にさまざまな色彩が髣髴と浮かび上がってくるような感覚を覚えたのはこれが初めて。
まるで一つひとつの楽器の音色が色彩になっているようで、これはまさに驚きの世界!

気になったので作曲家「ラヴェル」をネットで検索。

モーリス・ラヴェル(1875~1937)。
手短に表現すると、「オーケストレーションの天才」「管弦楽の魔術師」で、ドビュッシーと同じ印象派に属する(やや微妙な色分けがあるようだが)とある。

道理でと思った。

フルトヴェングラーは演奏会のプログラムに入ってもいないのに、ベルリンフィルの楽団員にしょっちゅうこの曲目を演奏させていたという。

その理由というのはラヴェルの音楽を愛していたからと言われているが、むしろそれよりも「オーケストレーション」の妙味を通じて指揮者と楽団員との呼吸(いき)を合わせていたのでなかろうかなんて思ったりした。

もちろんこれは勝手な憶測に過ぎないし、それほどの大した事柄でもないが、とにかくこれからラヴェルの音楽の楽しみ方が垣間見えた感じがしたのはなかなかの収穫。

もう一つの試聴盤は「バロック・マスター・ピーシズ」で61枚入りのCDボックス。はじめに、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」。演奏はレオンハルトのチェンバロ。

ピアノ演奏の方ではグレン・グールドを聴き慣れておりチェンバロは初めてだが、録音は優秀だしレオンハルトも名の通った奏者で演奏に不足はなかった。

続いて、コレルリの「合奏協奏曲作品6」、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」、ヴィヴァルディの「ヴァイオリン協奏曲」などを聴いた。

いずれも昔のレコード演奏を焼き直したものではなく、デジタル録音による鮮明な音質だったが、時折、曲目によってはやや潤いや奥行き感に乏しく、いかにもデジタルコピーですといった印象がしないでもない。それにCDによって録音レベルがまちまちでボリュームの調整幅がかなり大きい。

しかし、なにせ61枚で5000円台だからこれで十分。


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音楽談義~「冬篭りの中での収穫」~

2009年01月14日 | 音楽談義

ここ2~3日の猛烈な寒波で道路の積雪・凍結が南国九州でも相次いでいる。

釣りに行きたいのはヤマヤマだが、途中に峠みたいなところがあって周囲の地形から朝晩の道路凍結は必至の状勢、行きも帰りも道中に不安を抱えるとなると折角の釣りも楽しくなくなるのでやむなく「冬篭り」(ふゆごもり)。

そうこうするうちに先日HMVに注文していたCDが届いた。

       
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1 「マルティノン/ラヴェル&ドビュッシー管弦楽作品集」
  先日のブログで紹介したように、巨匠フルトヴェングラーが愛していたというラヴェ  
  ルの「優雅で感傷的なワルツ」が収録されている8枚組のCD。ドビュッシーが4枚
  ラヴェルが4枚といった構成。
  指揮者はマルティノン、この人のCDは初めてで「マルティノンWho?」といったと  
  ころだが、これは当方のとんだ認識不足でフランス音楽の指揮にかけては第一
  人者とのこと。
  二人の作曲家についてこれまで親しんできた曲目といえばラヴェルについては
  「ボレロ」、ドビュッシーについては前奏曲集(ピアノ)ぐらいなので全作品に親しむ
  のには丁度いい機会。

2 「バロック・マスター・ピーシズ」(ボックス型)
  HMVお得意の「抱き合わせ価格で安くなる」につられてを本命にして2~4はお  
  まけの附録みたいに購入したものだがそれにしてもこの
は安かった。
  61枚のCDが入っていて、価格は5,742円。何と1枚あたり94円になる計算。
  コピー用のCD1枚の値段よりも安いのだからまったくどうなっているんだろう。
  内訳はバッハ22枚、ヘンデル7枚、ヴィヴァルディ4枚ほかいろいろ。
  有名なベルゴレージの「スターバト・マーテル」が収録されているし、コレルリの
  「合奏協奏曲集作品6」も収録されているのがもうけもの。演奏のほうがどうかは
  分からないがまあ、この価格なら欲を言ってもキリがなく全体を聞き流すには十
  分。それにしても1980年当時の出始めた頃とは違ってCDが随分と安くなった
  のには本当に驚く。

3 「フルトヴェングラー指揮、ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)、ブラームスのヴ
  ァイオリン協奏曲」
  1949年の録音だから音質についてはおよその想像がつくところ。しかし、ヌヴー
  の例もあることだし、自分の場合はやはり音楽は音質で聴くよりもハートで聴くの
  が性にあっている。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうかと興味津々。

4 「コリン・デイヴィス指揮、アルトゥール・グリュミオー(ヴァイオリン)、ブラームスの
  ヴァイオリン協奏曲」
  「あんたも好きだねー」と言われそうだがこの名曲については執念深くあらゆる名
  演の可能性を確保したい気持ちを常に持っている。モーツァルトのヴァイオリン協
  奏曲で至高の音楽を響かせたグリュミオーとデイヴィスのコンビがブラームスで
  はどんな演奏になるんだろうか。

≪試聴結果≫

は後日のお楽しみということで、についてじっくりと聴いてみた。以下はもちろんあくまでも個人的な感想です。

まず
だがドッシリとして緊張感に満ちた管弦楽の響きは紛れもなくフルトヴェングラーの独壇場。音質も1949年の録音にしては上出来で、もちろんモノラルだが十分聴ける。しかし、惜しいことにメニューインのヴァイオリンがいまいち線が細くて力強さに乏しい。堂々としたオーケストラの重厚な響きに圧倒されてどうも太刀打ちできていない感じ。
途中から早々と見切りをつけてしまい、自然の成り行きで「もしフルトヴェングラー指揮のもとでジネット・ヌヴーが弾けばどんなに素晴らしい演奏になるんだろうか」などと考えてしまった。

次にだがこれはとびっきりのいい演奏だと思った。
スケール感たっぷりのもとで指揮者とオーケストラとヴァイオリン奏者の三位一体となった演奏もいいが、やはり
グリュミオーのヴァイオリンの音色が出色。とにかく美しい!

優雅で抒情味があって優しい。クライマックスへの盛り上がりもたっぷりで久しぶりに感涙。1971年の録音だからアナログ録音のせいかセパレーションなんかがいまひとつだが演奏の出来が遥かに上回っている。

もしかすると自分の中で既に神格化の域に達している
「ジネット・ヌヴー」の演奏を上回っているかもと心配(?)になって、急いでヌヴー盤(イッセルシュテット指揮)を引っ張り出して聴き比べてみた。

しかし、残念と言うべきか、安心と言うべきか、さすがのグリュミオーでさえもヌヴーにはまだまだ及ばないとの感を深くした。こうやって比較してみて改めてヌヴーの偉大さに感じ入るばかりで、何よりも演奏に「音楽の魂が燃焼している」感があって人の肺腑を抉ってくるような趣がある。

レコード音楽の生き字引として「盤鬼」と称された「西条卓夫」氏(故人)の表現ではないがやはりブラームスのヴァイオリン協奏曲は「ヌヴーにトドメをさす」。

とはいってもグリュミオー盤も手持ちのオイストラフ盤やハイフェッツ盤よりも上位に置いてもいいと思うほどの好演。「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」がお気に入りの方には一度聴いてみてはとお薦めしたくなるような盤。カップリングされているブルッフのヴァイオリン協奏曲第一番もいい。

このCDは音楽評論家などのランキングでもまったくのノーマークであまり期待せずに附録同然で購入したのに・・・。しかも価格がたったの千円。これだから人が何と言おうとCDは聴いてみないと分からない。

とにかく、ひょんなことからグリュミオーの好演に接し、さらに「ジネット・ヌヴー」の魅力が再確認できたのは「冬篭り」の中での大きな収穫だった。


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読書コーナー~「人生に二度読む本」Ⅱ~

2009年01月12日 | 読書コーナー

若いときに読んだ本でも、人生経験を経て再度読むと新たな発見に出会う本がある。本好きの方にはきっと思い当たる節があるに違いない。

「人生に二度読む本」(講談社刊:2005.2.20)      

城山三郎氏と平岩外四氏という稀代の読書家2名により、「あらすじ→対談→作者解説」のスタイルで12冊の名作を紹介した本である。

城山三郎氏:1927年生、直木賞受賞、「落日燃ゆ」「毎日が日曜日」など著書多数

平岩外四氏:1914年生、元経団連会長、国内外で活躍、蔵書3万冊以上

いずれも故人。

夏目漱石「こころ」、アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」、太宰治「人間失格」、フランツ・カフカ「変身」、中島敦「山月記・李陵」、ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」、大岡昇平「野火」、ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの市民」、ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」、リチャード・バック「かもめのジョナサン」、吉村昭「間宮林蔵」、シャーウッド・アンダーソン「ワインズバーグ・オハイオ」

とにかく、ご両名の豊かな人生経験、読書経験、博識に裏付けられた書評が実に面白く興味深かった。これは是非読んでみなければという気にさせられるから不思議だ。

たとえば、「老人と海」は若い頃に一度読んで放り出していたのだが、城山氏が「この年齢でしか書けない作品で感激して読んだ。棺桶に入れたい一冊」、平岩氏が「非常に完成度が高い素晴らしい小説」と絶賛されているので、いずれ読んでみたい。

また、ジョイスの「ダブリンの市民」に関係した番組がつい先日のテレビでも放映されていた。

期    日    2009年1月1日~2日  19時~20時54分

チャンネル     BSハイビジョン「BS-i」

番 組 名     「一読永劫」~ベストセラー作家が選ぶ名作の風景~

一夜と二夜に分けての放映で読書好きにはたまらないほどゾクゾクしてくるような番組で売れっ子作家がお気に入り、あるいは衝撃を受けた作品の舞台となったゆかりの地を訪ねるというもの。
ちなみに、
第一夜 → 高樹のぶ子が上海へ(「上海游記」芥川龍之介作の舞台)
        石田衣良が長崎の軍艦島へ(「コイン・ロッカー・ベイビーズ」村上龍)
        佐伯泰英、スペインの闘牛場(「アポロンの島」小川国夫)※仮想
        ☆「あさのあつこ」が山形県鶴岡市へ(「蝉しぐれ」藤沢周平)


第二夜 → 桜庭一樹がアイルランドのダブリンへ      
                            ジェイムズ・ジョイス「ダブリンの市民」
        小林雅彦がニューヨークへ(「アメリカ」カフカ)
        山本一力が浅草へ(「必殺仕掛人藤枝梅安」池波正太郎)
        楡周平が北京の紫禁城へ(「蒼穹の昴」(浅田次郎)

故郷のダブリンを脱出したにもかかわらず終生ダブリンを題材にして作品を書き続けたジョイスの心理解剖とアイルランド人の文学愛好を髣髴とさせる内容で全体的にも非常に見ごたえのある番組だった。BS-i(106チャンネル)はこの番組に限らず「クラシック音楽の名店探訪」など興味のある番組を放映してくれるので民放の中ではダントツのお気に入り。


なお本書の内容に戻るが、後半に平岩さんの読書好きに因んで
さりげないエピソードが紹介されている。

1980年代に日米間の貿易摩擦の折衝に伴い、平岩氏が財界代表としてアメリカ側との交渉の席でアメリカの販売努力が足りない例の一つとしてジョイスの「ユリシーズ」の原書をアメリカから取り寄せて読まれたことを披瀝したところ「日本の財界人があの難解なユリシーズを原書で読んでいる」にびっくりしてしまって、それまでワアワア言っていたアメリカ側の出席者(経営者、政治家、官僚等)たちがシーンとなって黙り込んでしまったそうだ。(現場に居合わせた城山氏の言による)。

読書が少なくとも教養の一端を顕す万国共通の尺度という好例のようだが近年の政界、財界人で平岩さんみたいな読書好きの話はあまり聞かない。あまつさえ、「未曾有」「踏襲」「有無」とかの漢字を読み違える漫画好きの政治家がどこかにいるというがこれもご愛嬌かなあ~。

                   


 

 


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番組視聴コーナー~年末のNHKーBSハイの音楽番組♯2~

2009年01月10日 | 番組視聴コーナー

NHkにはいろんなクラシック番組があるがその中でも楽しみにしているのが年間を通じて開催されている「NHK音楽祭」。

そのうち、”魅惑のヴァイオリン、魂のコンチェルト”と銘打ち4人の将来性豊かな若手ヴァイオリニストたちだけを収録した特集番組が次のとおりあった。

期    日       2008年12月31日(水)

時    間       8時~11時

チャンネル        NHKBSハイー103

出 演 者        1 庄司 沙矢香
                 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲

              2 サラ・チャン
                 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲一番
         
              3 ジュリアン・ラクリン
                 ブラームス ヴァイオリン協奏曲

              4 諏訪内 晶子
                 シベリウス ヴァイオリン協奏曲

       
       1            2              3             4

大晦日の午前中の3時間、1年間の締めくくりにふさわしく4名のヴァイオリンの競演をみっちりと聴かせてもらった。

こうして一挙に聴き比べができるのもよかったが、同時に二つのヴァイオリンの比較、つまり
「ストラディヴァリウス」の奏者が庄司さんと諏訪内さんといずれも日本人、そして「ガルネリ」の奏者がサラ・チャンとジュリアン・ラクリンという外国人との音色の比較にも興味が持てた。

自分ごときの素人が4人の演奏についてとやかく批評できる資格もないしその立場
にもないが、そこはブログの世界、お許しを頂いてひとつ率直に感想を記してみる。

☆ 庄司 沙耶香

ずっと以前のブログでも取り上げたがベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」を聴いたときと同じ印象だった。残念なことにどうも演奏の中にのめり込めないというかじっくりと腰をすえて集中して聴く気になれないのはどうしてだろう。

自分だけかもしれないが、たとえて言えば演奏中にもかかわらずつい手近にある本を取って読みながら聴きたくなる演奏といえばいい過ぎかなあ~。まだまだ全体的に庄司さんならではの個性が鮮明に出されるに至っていないのが残念。

☆ サラ・チャン

初めて聴くヴァイオリニストだったが思わぬ収穫。本人の演奏前のコメントに「歌うように演奏したい」とあったがまさに”歌っている”というのがピッタリくる演奏。ピアニストのグレン・グールド(故人)が小さい頃に音楽家の母親から「歌うように演奏しなさい」と特訓を受けた話を思わず想い出した。やっぱり「音楽は歌心がないと」と思う。

番組解説者の諸石氏も「存在感が豊かで圧倒的。オペラ歌手、プリマドンナの芸術ともいうべきで、演奏全体が骨太で輝かしく太陽を背負って演奏している」と外交辞令もあるのだろうが感想を述べていた。

とにかく、小さなミスなんかにこだわらずにおおらかに乗り越えていく印象で演奏全体に躍動感があふれており非常に豊かな将来性を感じさせた。

☆ ジュリアン・ラクリン

この4人の中では唯一の男性で番組の解説によると国際的にも最も著名な印象を受けたが、実演の方は期待したほどではなかった。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は大好きでジネット・ヌヴーをはじめオイストラフなど名ヴァイオリニストたちの演奏を随分と聴きこんできたが、この曲の演奏には自分なりの
”こだわり”というか判定基準を持っている。

それは第一楽章の序奏で哀愁を感じさせるオーボエの旋律のもとオーケストラの全合奏が勢いを高めてゆき、満を持して独奏ヴァイオリンが情熱的に登場してから約5分間ほどの箇所。

自分は、ここでいつも魂が震え、こみ上げてくるものを感じて思わず目頭が熱くなってしまう。これまでで、もっとも涙の量が多かったのはもちろんヌヴーの演奏、そして、もし目頭が熱くならないときはその演奏は自分の感性に合わないということですぐさま廃棄処分の運命にある。これは、どんな大ヴァイオリニストにも適用していて例外はない。

そういう意味ではこのラクリンの演奏にはちっとも感銘を受けず、涙の”な”の字も出てこなかった。これからも自分にはまったく縁のないヴァイオリニストになりそう。

☆ 諏訪内 晶子

12月中旬の「NHK音楽祭」での演奏の焼き直しで、もう既に昨年末のブログで取り上げたところ。そのときの好感度とこうやって4人同時に聴き比べた場合とでは今回の方がややマイナスの印象。とにかく手放しで絶賛というには何がしかの抵抗感を覚える。

何と言ったらいいのか自分の乏しい表現力にイヤ気がさすが、あえて表現すると演奏が生真面目すぎて融通がきかない感じ・・・。何だか庄司さんの演奏と一脈相通じるものがあるように思う。

もう少し演奏全体に伸び伸びと歌っているような躍動感が欲しいなあ~。

 


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オーディオ談義~新しい理論によるスピーカー登場~

2009年01月08日 | オーディオ談義

昨年の年末に久しぶりにオーディオ専門誌を購入してみた。

専門誌といってもいろいろあるが、そのうちの「季刊・オーディオアクセサリー」~2008 WINTER 131~(音元出版)という本。

主な中身は「オーディオ銘機賞2009発表」とあって、昨年登場したオーディオ機器あるいは今後ベストセラー、ロングセラーが予想される機器についてオーディオ評論家10名、販売店9名の合わせて19名の審査委員の合議制によって選出とある。

ひと昔前には、この種の本をせっせと読んでいたのだが近年は「もう、だまされないぞ」という猜疑心のもと、やや依怙地になって書店での「立ち読み」すら遠ざけていたのだが、日進月歩の時代にあまり取り残されてもと久しぶりに手にとって見る気になったもの。

よく考えてみると、自分が現在使っている機器はずっとずっと昔の製品ばかり。たとえば中高域用スピーカーの「アキシオム80」は1950年代の製品だし、アンプの真空管のWE300Bもそう、比較的新しいデジタル機器のワディアのDAコンバーター(27ixVer3.0)だって購入してから既に10年以上にもなる。

別に古い製品だけを愛する懐古趣味にこだわっているわけでもないのだが、自然に音楽に浸れる音づくりを目指してきた結果が以上のような選択となったものの、もちろん予算的な制約の支配下にあるのは当然で、「値段の割りに音がいい」(主観的なものだが・・)というのが第一基準。

オーディオ機器はとにかく値段が高すぎる。ちょっと音質のいいものになると法外の値段になるがこれは昔からそう。マイナーな趣味人相手なので大量生産がきかないなんて理屈は何とかならないものだろうか。

たとえば別のオーディオ季刊誌「ステレオ・サウンド」なんか見てみると、相変わらず外国製のオーディオ機器、それも500万円ぐらいは当たり前のような高級機器群がズラリと紹介してあるが所詮、当方はそういうものとは「縁なき衆生」である。

欲しいことは欲しいがそういう機器はどこかの金持ちさんにお任せしようというわけで、「宝くじ」でも当たらなければとても無理。昨年末の「年末ジャンボ」では自分、カミさん、娘でお金を出し合って購入した(○○○枚)もののやっぱりダメだった~。

話は戻って、とにかくまったく新しい発想の機器はないかということでページをめくっていくと、何とそれがあったのである。

                        

名前は「エヴァヌイ・シグネイチャー(evanui signature)」(以下「エヴァヌイ」)というスピーカー。

上記右の写真だが、まるで骨董品の大きな陶器みたいでたいへん変わった形。
もちろん形ばかりではなく、理論も機能もユニークというか画期的である。そっくり「受け売り」でざっと紹介してみるが、決してメーカーや雑誌社の宣伝の片棒をかつぐつもりは毛頭なく、単なる興味本位の結果に過ぎないので念のため。

≪SPEC≫

方      式 : シングルユニット、ショートバックロードホーン
ユ ニ ッ ト  : 8cmFDMドライバー(漆塗りマグネシウム振動板、
エッジレス、
           ダンパーレス
インピーダンス : 6Ω
周 波 数特性 : 50Hz~30KHz
能      率 : 87dB(2.83V/1m)
定 格 入 力 : 50W
瞬間最大入力 : 100W
サ  イ  ズ  : 1380H×600W×680Dmm
質     量  : 約70Kg
取 り 扱 い  : ViV laboratory

スピーカーはユニットからキャビネットまで実にさまざまの種類があるが理想がフルレンジであることは論をまたないところ。
「ユニット1個で人間の可聴帯域(20Hz~2万Hzといったところ)をきちんと再生できればそれが一番いい」というのが昔からいわれてきたことだが、残念なことに小口径の場合には低音が出ない、それかといって大口径にした場合には高域特性が劣化するというのが現実的な問題。

そこで、一般的にはしかたなく可聴帯域を分割して2ウェイとか3ウェイなどにして複数のユニットを使っているわけだが、自分の場合もやむなく3ウェイにしていて低域、中域、高域のクロスを300Hzと1万Hz前後にして一応手をうってはいるが、そのクロス付近の音のブレンド具合がなかなか微妙なところがあって、ソースの録音状況によっては透明感の欠如とか、あるいは複数ユニットのせいで音像定位の不自然さを感じるときがたびたびで、いわゆる我慢の世界である。

フルレンジにするとそういう悩みからまったく解放されるというわけで、「シンプル・イズ・ベスト」にこだわって推し進めるとすれば技術的には、
 大口径のユニットで低域特性を確保した上で高域特性を改善する
2 中口径のユニットで低域~高域特性をそこそこに確保する
 小口径のユニットで高域特性を確保した上で低域特性を改善する
と三つのアプローチがあるが、まず
が一番現実的。

この「エヴァヌイ」はまさにそのやり方で、振動板のサイズをわずか8cmにしたうえで、低域特性を確保する手段として振動の制約要因になるダンパーやエッジなどのサスペンションを取り除き、そのかわりに「特殊な液体」を使って無制限にそれを振動させるという画期的な方法を用いている。

それにキャビネットも実にユニーク。樽型スピーカーに似た形でバックロードホーンも兼ねている。

まったく新しい理論によるハイエンドスピーカーの誕生である。開発者は日本人だそうで秋元浩一郎さんという人。

最後に本誌の試聴結果を引用しておこう。

初めて聴く人は、これが本当にわずか8cmのフルレンジかと疑うに違いない。しかし、確かにそうなのである。そして低域から高域までレスポンスとエネルギーにまったく不足がない。実に滑らかな音調は、スピーカーの一つの理想を指し示している。この方向は絶対に正しい。驚異的なユニットが出現したものである。

以上のようにベタ褒めだが、残念なことに価格もいい。1台210万円ということでどっちみち2台いるから420万円!

どうせ買える身分ではないが、あえて言わせてもらうと最大のネックは「オーケストラのファンダメンタルな部分の再生」だと思うので、いかほどの量感と解像力なのか一度試聴してみたいもの。


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釣り紀行♯42~2009年初釣り~

2009年01月04日 | 釣り紀行

と   き   2009年1月3日(土)、快晴、海上微風

と こ ろ   S市O島

釣り時間   8時50分~15時30分

       小潮(満潮12時前後)

釣   果   メジナ(クロ)1匹、アジ35匹

     良型(30cm前後)のアジが数匹 →  

昨年末の釣行で2回連続の惨敗を喫したので、捲土重来(けんどちょうらい)を期していろいろと作戦計画を練ってみた。

まず「1場所2エサ」のたとえどおり釣り場所の変更。いつも行く釣り場所は、マキエの撒きすぎのため小あじの寄り付きが激しすぎる。今回はまるっきり場所を代えて1kmほど離れた隣の波止場にする。

次にマキエの配合にもひと工夫して「チヌ麦」を加えることにした。これはチヌの好物のコーンや麦、カキがら等がブレンドされておりタナに早く届くので集魚効果が高いとされている。

当日は朝6時30分に出発。天気は晴れの予報なのに空には真っ黒な雲が立ち込めまだ暗闇の中、一瞬大丈夫かなと空を見上げる。

しかし、近年の天気予報はまず外れることがないのでむしろ強風の方が心配とクルマに乗り込む。交通量も少なく快調にすっ飛ばして、予約していたマキエを調達し8時15分発のフェリーにピタリと間に合った。

当てにしていた波止場には予想通り誰もいなかったが100mほど沖の一文字波止には既に5人ほどが上礁していた。今日は年明け早々の釣り日和、人が多くなりそうな予感。

早速、タナを4mほどにした仕掛けを作ってまず第一投。波も穏やかでウキが見やすい。すかさず愛用のウキ「ど遠投」が沈み込んだので竿を立てると何とアジが食いついた。それもあまり型がよくない。最初に食いつく魚でおよその見当はつく。今日こそは大物を釣るぞと意気込んでいたものの、「あ~あ、ここもアジの大群かあ」とがっかり。

仕方がない、せめて2時間くらいは粘ってみようと釣ってみたが案の定でアジのオンパレード。そのうち、地元に住んでいるという年の頃40歳前後の釣り人が話しかけてきた。人懐っこい人で、いろいろと波止情報を教えてくれた。

大晦日にこの場所で50cmのチヌを釣り上げたという。タナは竿1本半だから7m前後、時刻は夕方とのこと。

やっぱりチヌは日暮れ時になってようやく警戒心が解けるようで天気のいい昼間は望み薄のようだ。とにかく、この波止では間断なくアジが釣れるがアジばかり釣ってもしようがないので第二候補としていた波止へ場所替えをすることにした。移動時間はクルマで10分程度だが竿などを仕舞い込むのが面倒。しかし、手間を惜しんでいてはいい釣りは出来ない。

この島のいいところは、至る所に足場のいい波止があって釣りが出来ることだが、フェリー代金が高いのだけが玉に傷なんて。

次の波止では3人ほどの釣り人がいた。長い波止なので割り込むスペースは十分にある。「釣れますかあ」と訊ねてみると「クロの小さいのが数匹程度」とのこと。

アジ以外の獲物があればオンの字なので、早速波止の中ほどに釣り座を構えた。ウキ下は竿1本から開始。とにかく冬場は魚がマキエに狂って浮いてくることがないのでタナ取りには物凄く神経を使う。

この深仕掛けを投じたところ早速ウキに反応があった。ガツンと手ごたえがあって結構引きが強くなかなか上がってこない。一瞬、メジナ(クロ)かなと思わせる引きだったが、寄せてみると特大サイズのアジだった。こんな大きなサイズのアジは初めてで「よし、波止釣りでこのサイズなら文句なし」と満足。

しかし、そのうち段々とサイズが小さくなっていったのでもっとタナを深くして竿1本半ぐらいにしたところまた大きめのアジが食ってきた。冬場の釣りではマキエを沢山撒けばいいというわけでもないようで、海底近くでエサにありつければ魚は動かないで居食いをするようだ。やっぱりマキエの撒き方は難しい。

そのうち、クロも1匹かかったのでスワと色めきたったが1回限りの話であとはまったく音沙汰なし。

段々と帰りのフェリー(16時:1時間おき)の時刻も迫ってきたので納竿は15時30分。残ったマキエは隣の釣り人へ。熊本からやってきたそうで徹夜で釣るという熱心な人。そういえば熊本ナンバーのセルシオが駐車していたがあの中で眠るんだろうかと余計な心配を。

自宅到着は17時30分で全員食事をしないで待っていてくれた。昼間に立ち寄ったお店ではこのサイズよりももっと小さいアジが2匹で800円もしていたと娘が言う。正月は魚の値段が跳ね上がるので、もしかすると今日の釣りは元がとれたかも。


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番組視聴コーナー~年末のNHKーBSハイの音楽番組♯1~

2009年01月02日 | 番組視聴コーナー

年末のテレビ番組は1年間を振り返っての豪華な特集が多いのでまず目が離せない。CDを聴くよりももっぱらHDDによりクラシック番組の録画にせっせといそしんだ。

 ベルリン・フィルのジルヴェスターコンサート2006(再)

放映期日    12月30日(火)  0時~1時35分

チャンネル   NHKーBSハイ2

出 演 者   サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー

演奏曲目    「交響詩ドン・ファン」(リヒャルト・シュトラウス作曲)
          「ピアノ協奏曲20番」(モーツァルト作曲)
          ピアノ演奏  内田光子

             
                                               CD盤

世界最高峰のオーケストラ「ベルリンフィル」と内田光子さんの組み合わせによる「モーツァルトのピアノ協奏曲20番」、モーツァルトイヤー(生誕250年)記念の締めくくりだそうで、これは絶対に見逃す手はない。ただし、まるっきりの深夜放送でこちらはもちろん「白川夜船」なので録画予約。

明けて早速視聴。「交響詩・・」の方は興味がないので早送りして「ピアノ協奏曲」を頭だし。

まったく期待にたがわぬ演奏だった。やっぱりベルリンフィルは凄いと思った。とにかく整然として乱れがないというのが第一印象。管楽器の音が空中に浮遊する感覚がたまらない。個人的な意見を言わせてもらうと弦の響きそのものはウィーンフィルが好きだが管楽器は絶対ベルリンのほうが好み。

それ以上に素晴らしいと思ったのが内田さんのピアノ演奏。超一流のオーケストラに対しておめず臆せず、自然に水が流れるように見事に調和させながら、むしろリードしてオケを引っ張っていくような趣がある堂々とした演奏。「世界の内田」を再認識した。

2006年のライブの再放送だが、当時はまったく気がつかず今頃になって録画できるなんて実にラッキー。NHKさんどうもありがとう。

この20番はジェフリー・テイト指揮により彼女が弾いたCD盤(21番とのカップリング)を持っているが両方の演奏ともに甲乙つけがたい感じだがむしろオケがいいだけにこちらの番組の方がいいかも。

ただし、DVDにコピーすると音が悪くなりそうなので、このままHDDで保存することにした。同様にずっと以前の「セリーヌ・ディオン」「サラ・ブライトマン」のライブもHDDに保存中だがこれらはいずれDVDに移管させよう。


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独り言~2008年セの首位打者「内川聖一」~

2009年01月01日 | 独り言

たいへんローカルな話だが大晦日の地元新聞朝刊に、九州各県(9紙)の運動部長、運動担当者と共同通信社により2008年の「九州・沖縄スポーツ10大ニュース」が掲載されていた。

1位は「北京5輪での九州勢の活躍」。バトミントン女子ダブルスで末綱(大分県出身)・前田組の4位入賞や金メダルを獲得した女子ソフトボールではエースだった上野由岐子選手(福岡県出身)などの活躍。

以下、2位にはサッカーJ1で大分トリニータの快進撃、そして5位にはプロ野球ソフトバンクの王監督の引退、さらに7位には
「内川が初の首位打者」とあった。

「内川聖一」。プロ野球「横浜」の外野手でプロ8年目の油の乗り切った26歳。

これまで日本プロ野球における右打者のシーズン最高打率は1999年、同じ横浜のロバート・ローズが記録した3割6分9厘だったが、今年、セ・リーグの首位打者に輝いた内川はこの記録を9厘も塗り替えた。

3割7分8厘、打率に加え、安打数(189本)、得点圏打率4割4分9厘も今季リーグ最高、プロ入り8年目の打撃開眼である。

大分県出身で父親が高校野球の監督をしていたことから大分工業高校を経て2000年、ドラフト1位で横浜に入団。

甲子園には出場できなかったが、高校通算43本塁打をマークし、打率も本人によると「4割くらい」と当時から超高校級で地元では注目の的だった。

しかし、入団してから数年間は鳴かず飛ばず雌伏の期間がしばらく続いたが2006年ごろから常時スタメンに名を連ねるようになり順調に成長したものの殻を打ち破るまでには至らなかった。

それが昨季は一気に大変身、一体その理由は何だろうか?

以下、本人のコメントが続くが「打撃の真髄」に深くかかわってくる話で随分と興味深く拝見させてもらった。以下紹介してみよう。

「今年に入って(ボールをとらえる)ポイントを後ろに下げました。キャンプ中毎日スローボールを投げてもらって引き付けて打つ練習をしたんです。マシンの速いボールだったら勢いで打てるんですが、人が投げる緩いボールは右足に体重を乗せ、引き付けておいて一気に爆発させないと強いボールは打てない。それを意識して練習しました。」

ーーポイントを後ろに下げ、打つコツを摑んだ瞬間は?

「昨年の初スタメンが4月9日のジャイアンツ戦でした。ピッチャーは左の内海哲也。彼はチェンジアップを低めに集めて勝負するピッチャーなんです。いつもなら引っかけるところを、浮いたチェンジアップをしっかり待って左中間のフェンスにライナーでぶつけた。その時ですね、”コツを摑んだなァ”と感じたのは・・・・」

ーーそれにしても驚くべき打率です。昔、”打撃の神様”と呼ばれた川上哲治さんが「ボールが止って見える」と語ったことがありますが、そんな感じですか?

「春先、調子がよかったときにはそれに近い感覚がありました。ほら戦争映画なんか観ていると相手に向かって機関銃を構え、カーソルがピピピッと合っていく、あんな感じなんですよ。しかも、自分が合わせているのではなく、ボールの方からカーソルに入ってきて、焦点がピタッと合う。”これは打たなきゃ損だろう”という感じでバットが自然に出てくる。面白い感覚を味わうことが出来ました。逆に打たなくていいボールは、ボールの方でカーソルから外れていってくれる。不思議な体験でした。」

ーーそうした感覚は長続きしない?

「そうですね。”こういう感覚ってすごいな、面白いな”と感じた瞬間には、もうなくなっていました。思うのですが、バッティングって(コツを)摑んで放し、放しては摑む、その繰り返しだと思うんです。いい結果を残すためには摑んでいる時間をなるべく長く保たなければならない。自分の中で大事にしたい感覚を見つけることが出来たのが昨年の最大の収穫だったと思っています。」

以上のようなコメントだったが、これまで長い間疑問だった野球選手のバッティングの好不調の波の状態について、内川選手が「目からウロコが落ちる」みたいに実に的確な表現で解説してくれた。

「打たせまい」とピッチャーが投じたボールが「打ってやろう」とするバッターの手元に届くまでわずか1秒にも満たない中での真剣勝負、さぞや瞬間的な感覚が大いにモノをいう世界なのだろう。

しかし、誰もが緩いボールを打つ練習をしても打撃開眼とはいかないので、これは内川選手の資質、才能、努力のたまものだろう。

なお、本人によると高校時代から代表と名のつくユニホームには一度も袖を通したたことがなかったが、このたび第二回WBC(今年3月に開催)の候補選手として堂々とリストアップされた。

「日の丸を背負った立場で野球が出来る」と大いに張り切っているので、地元出身、これからの活躍に大いに声援しようっと。


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