「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ああ、忙しい!

2013年01月31日 | 独り言

昨日(30日)は朝から真冬とは思えないほどの「小春日和」で、つい活動的になって何かと忙しい一日だった。

2年前に狭心症のためカテーテル手術で心臓血管にステントを入れたのだが、その後はかなり激しい運動をしても何ら異常は見られず、今のところ快調そのものだが、1年に1度くらいは専門病院で本格的に診てもらおうと朝一で出かけたところ、「レントゲン」「心電図」「心エコー」「トレッドミル」(運動負荷検査)が必要だが、今日はトレッドミルが満員なので再度1週間後の2月6日(水)に来て欲しいとのこと。

予約もなしに押しかけたので、当然ありうる事態で潔く了解して、帰宅しかけたところオーディオ仲間のAさんから電話。かねてから「オーディオ実験」のため我が家に来ていただくよう依頼していたのだが、本日はお仕事がお休みとかでようやく実現の運びに。

何しろ「駄耳」なので一人だけの実験ではまことに心もとなく(笑)、わざわざ来ていただいて本当にありがたい。

今回の実験はSPユニット「AXIOM80」について。

現在、WE300B真空管アンプ(モノ×2)によって、ローカットをおよそ200ヘルツ前後、ハイカットを「ムンドルフ」の0抵抗コイルによって1万ヘルツ程度にして鳴らしており、ツィーター(JBLー075)も同じアンプに接続して鳴らしている。

今回はこのツィーター用に別途専属の真空管アンプを接続して鳴らしてみようというわけである。

これで、200ヘルツ以下の低音域にはトランジスターアンプ、中高音域の「AXIOM80」にはWE300Bアンプ、そして075には2A3真空管アンプとなって、3ウェイのSPユニットごとに専用のアンプを準備するというマルチアンプシステムとなる。それぞれ(ユニットごとに)独自に音量調整が出来るので音の自由度が飛躍的に高まるところが大きなメリット。

その結果、Aさんから「明らかに高音域の伸びが顕著に感じられてバランスが良くなりました」にホット一息。

最後にツィーターのローカットの数値の細かな調整に入って、結局オイル・コンデンサー(ウェスタン製1.0μF)+マイカ・コンデンサー2個に落ち着いた。

        

試聴後、Aさんから「ヴァイオリンの再生にかけてはAXIOM80の右に出るスピーカーはありません。とにかくヴィヴィッドで艶があって音の諧調が非常に分かりやすくて素晴らしいです。金属のダイアフラムでは到底この音は出せそうにありません。」と激賞していただいたが、管楽器の再生についてはホーンスピーカーに一歩譲ると個人的には思っている。

そこで、我が家ではJBL3ウェイシステムの出番となるのだが、こちらの方はD130ウーファーと375ドライバー(16Ω)の繋がりがどうもイマイチで課題が残されている。もっとも、完璧に鳴ってくれると楽しみがなくなるのでオーディオは7~8割方の完成度に留めておくのが一番いいと秘かに思っているのだが(笑)。

さて、午前中に「音の実験」は一段落して午後からは県立図書館に出かけた。予約していた内田康夫さんの「萩殺人事件」の取り置き期限が31日に迫っていたのであっさり流すわけにはいかない。私見だが内田さんの近年の作品はやや精彩に欠けるように思うが、この本はどうだろうか。

折角なのでほかにもいろんな本を借りてきた。平日の水曜日はどうやら穴場のようで興味のある新刊本が目白押し。

          

この中でとりあえず、15時ぐらいから「モーツァルト、遊びの空間」(中堂高志著)にざっと目を通してみたが、最終章の「河上徹太郎のモーツァルト」に大いに共感を覚えた。

「昭和21年に発表された小林秀雄の”モオツァルト”
は現在に至るまで、なぜか日本人のモーツァルト感の一大典型のように考えられているが、全体的に器楽曲への片寄りが見られる。その一方、小林の生涯の友人だった”河上徹太郎”のモーツァルト論には圧倒的にオペラへの傾倒が見られ、両者の相剋が顕著だが、この点に関して両者の話し合いが行われた気配はない。」

たしかに小林さんの「モオツァルト」は名著には違いないが、その中でオペラにいっさい触れてないのがこれまで個人的に大いに不満だった。オペラこそモーツァルトの真髄といえるものであり、これに言及しないとはどうも片手落ちのような気がしてしかたがなかった。

その点、「ドン・ジョバンニ」の評論を書いた河上さんは「小林さんがオペラをシンフォニーの下位に置いたことに対して表面上受け入れ難く、逆にオペラをシンフォニーよりも上位に置く」と明言してある。

モーツァルトの音楽を全体的な観点からとらえた場合、たしかにこの心情はよく分かる。モーツァルトへの傾倒度を計るリトマス試験紙にあたるものは「彼のオペラを好むか否かしかない」との思いはここ30年ほど変わらない。

残りの本のうち「チャイナ・インベイジョン」は日本の自衛隊基地の近くの土地を買い漁った中国が尖閣諸島をダミーにして戦争をしかけるという話。フィクションとはいえ実際に北海道あたりの原野を中国人が購入しているというから現実味を帯びた怖いお話。

それから映画好きでちょっとした俳優でもあった三島由紀夫の本も面白そうだ。


 


格安の小型スピーカー

2013年01月29日 | 独り言

「巳年」といえば我が家にとっては金運への期待が高まる年、滑り出し早々幸先のいいスタートを切っている。

あまり「お金」を前面に出し過ぎるとちょっと品位が下がるが(笑)、「オーディオとお金」は切っても切れない縁があるのでここはひとつ許していただいて、前回に続いて「お買い得品」の第二弾を紹介させてもらおう。

☆ 格安の小型スピーカー

社会生活が希薄になって、他人と面会する機会が少なくなると、ついおろそかになるのが「身だしなみ」でとりわけ「散髪」。

とかくズボラになって、今では自宅でカミさんから切ってもらうことが多くなった。お金もさることながら、時間の節約という点からも重宝している。な~に、もう「見てくれ」はどうだっていいんだから(笑)。

以前、名画「ローマの休日」の主役だった「グレゴリー・ペック」の自伝をテレビで観ていたら、晩年に自宅の庭で娘さんから散髪をしてもらっていたシーンが印象的だったが、年齢がいくとどこのご家庭でも似たり寄ったりかもしれない。

それはともかくまあ、いくらなんでも虎刈りばかりでは収まりがつかなくなるので、ときには専門家の手で散髪してもらい、「標準型」に修正してもらっているわけだが、つい先日のこと、その散髪が済んで隣の「リサイクルショップ」にたまたま立ち寄ったところ、店頭に小型スピーカー(ケンウッド)が沢山のガラクタと一緒に展示してあった。

付けられた値段を見てビックリ。ペアで何と300円!

          

画像では分かりづらいので実寸を記載すると15センチ(横)×25(縦)×20(奥行)。


似たサイズの小型スピーカーとしては40年以上も前に購入したフォステクス(当時フォスター)の10センチ口径のフルレンジが実にいい音で鳴っていたのだが、昨年の8月に新たな転勤先の福岡でマンション住まいしている娘に引き取られていったのでスペアが丁度欲しかったところだった。

もちろん、使途は鑑賞用ではなくてアンプが故障したときのテスト用に使うつもり。ノイズの有無の確認や過大入力などで壊れても構わないという目的にピッタリの代物。

外観がそれほど荒れてもいないし、もしかすると掘り出し物かと、乗り気になってレジにスピーカーを持って行ったところ、「実際にテストしていませんので鳴るかどうか分かりませんが、それでいいですか」と念を押された。値段が値段だけに、「はい、いいですよ」。

鳴らないときは、どうせハンダ付けの不良ぐらいだろうから、ためらうことなく分解してやろうという腹積もり。

自宅に戻って、さっそくテスト開始。付属している”ちゃち”なSPコードを真空管アンプ「PX25シングル」に繋いで鳴らしてみたところ、澄んだ音でスピーカーの真中に綺麗に音楽が定位した。

オ~ッ、なかなかいいじゃない!これはとても300円の音ではない(笑)。まるで盆栽の世界みたいだがこれはこれで音楽の世界に浸るのも悪くはない。

つい、以前観たテレビ番組を思い出してしまった。

「建物探訪」という長寿番組があって、斬新な設計による新築の建物を紹介する内容だが、ごくまれにオーディオ好きのご主人が登場されることがあって、その時は地元で「第九を歌う会」の事務局長をされていた方で、「これがオーディオルームです」と映し出されたのを拝見させてもらった。

6畳ほどの書斎に机があって、その机の上の両端に今回購入したほどの大きさのスピーカーが載せてあり、真中には小さな真空管アンプが置いてあった。

「エ~ッ、マンション住まいや家庭の事情で大きな音を出せない方はこういうシステムで聴いているケースもあるのか」と想像もしなかった世界に驚いて認識を新たにしたことだった。

もちろんオーディオ・システムは何でもありなので、ご本人が納得していれば傍からあれこれ言う必要はないし、大型スピーカーが必ずしもいい音を出すとは限らないのも十分承知している。たしかにツボにハマったときは凄いが、録音状態が違うソースによっては無残な音になったりするし、当たりはずれが多くてむしろ、鳴らすのに苦労するケースが多いのも現実。

したがって小型スピーカーの無難でまとまりのいい点は十分心得ているつもりだが、博打大好き人間の自分にとっては”大化け”する可能性が少ない分、ちょっと淋しい。

これに関連するが、やや小振りのスピーカーを使って近接試聴(ニアフィールドリスニング)の良さに触れた本を、つい最近図書館から借りてきて読んだばかり。

                   

「和田博巳」さん(オーディオ評論家?)という方がオーディオ専門誌「ステレオサウンド」に1998年から2011年まで寄稿されたエッセイを取りまとめたもので、興味深く拝読させてもらったが、オーディオに対する情熱、ジャズに対する愛情には感心した。

たとえば267頁の「音を良くする極意」では「音楽をどのくらい好きか、どれほど愛しているかということではないかと。音楽の知識が豊富で、かつたくさん音楽を聴いている、これがオーディオ装置からいい音を引き出すために最も大切なことだと思う」には、同感。

ただし、あえて言わせてもらうと全体的にクラシックにあまり触れてないのがちょっと残念だった。

「クラシックへの愛情を抜きにしては語れないオーディオ論」、たとえば「五味康祐」さんの「西方の音」や「瀬川冬樹」さん(いずれも故人)の文章を熟読玩味した経験を持つ人間にとって、それ以降のオーディオ論は押しなべて「音キチ」の域を出ていないように思うがどうだろうか。

オーディオの世界において、声が大きくてアウトプットが巧みな人たちは圧倒的にジャズ・ファンに偏っている気がして仕方がない。その一方、クラシック・ファンのオーディオ・マニアも結構いるはずなのに、そういう方々は「インプット型」というか、どうも声が”か細くて”引っ込み思案タイプが多いようだ。

どうやら思慮深くて奥床しい人が多いのかな(笑)。

 


「今年はツイてる!」~その1~

2013年01月26日 | 独り言

ご存じのとおり今年は十二年に一回巡ってくる巳年」。

うちのカミさんによると、昔から「蛇の夢」を見るときまって実際に金銭的な得をするという。そこで我が家では「蛇」に関することは縁起がいい象徴として全員歓迎ムード。

元旦に近くの神社にお参りに行ったとき、「今年は巳年なのでなにとぞ儲かることが多々ありますように!」と願をかけた(笑)ところ、さっそく効験あらたかに、新年早々「お得な買い物」として次々に実現をみたのでそれをいくつか紹介してみよう。

まず一つ目がこれ。


☆ モーツァルトのCDセット55枚を破格値で購入

前々回のブログ「モーツァルトのホトホンせれなード事件」で、あまりに個人的なことで恐縮しつつも、今は亡き母を偲んだところ、日頃から奈良方面に足を向けて寝られないほどお世話になっているMさんから、以前お願いしておいたプリアンプの回路図とともに
今日のブログで、母を想い出してしまいました。もう少し、帰省の回数を多くしておくべきだったと今頃になって反省しております。」とのメールが届いた。

「お母さんのことを想い出させて申し訳なかった。せめて罪滅ぼしになれば」と、「名曲”ポストホルン”(モーツァルト)を試聴してみませんか」と、お誘いしたところ「お申し出は多としますが指揮者のネヴィル・マリナーとシャルル・デュトワさんとはどうも波長が合いませんので遠慮しておきます。ちなみにポストホルンは手元のモーツァルト111全集に入っています。」とのこと。

「エッ、モーツァルト111全集とはいったい何ぞや?」と、すぐにググってみると次のとおり。

モーツァルトの名曲を、名門ドイツ・グラモフォン&アルヒーフ・レーベルの名演ばかりで収録した、モーツァルトをとことん味わい尽くすことができる55枚組ボックスです。DG111 のシーリーズと同様の立方体紙製外箱の中にオリジナル・デザインの紙ジャケットに1枚ずつのCDを封入。140ページのブックレットには録音セッション写真なども多数掲載された仕様です。外箱の青地に銀色の星模様のデザインは、「魔笛」の夜の女王をイメージしたものです。

【CD1】『交響曲第25, 26, 29番』~ピノック&イングリッシュ・コンサート(1990年録音)
【CD2】『交響曲第28, 31, 33, 34番』~レヴァイン&ウィーン・フィル(1985年録音)
【CD3】『交響曲第32, 35, 36番』~カラヤン&ベルリン・フィル(1976~1977年録音)
【CD4】『交響曲第38, 39番』~ピノック&イングリッシュ・コンサート(1993~1994年録音)
【CD5】『交響曲第40, 41番』『「イドメネオ」よりバレエ音楽』~ミンコフスキ&ルーヴル宮音楽隊(2005年録音)
【CD6】『ピアノ協奏曲第17, 21, 6番』~ゲザ・アンダ&ザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミカ(1961~1962年録音)
【CD7】『ピアノ協奏曲第27, 10*番』~エミール・ギレリス, エレナ・ギレリス*, ベーム&ウィーン・フィル(1973年録音)
【CD8】『ピアノ協奏曲第23, 19番』~ポリーニ, ベーム&ウィーン・フィル(1976年録音)
【CD9】『ピアノ協奏曲第20, 24番』~ビルソン, ガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1986&1988年録音)
【CD10】『ピアノ協奏曲第14, 26番』~ピリス, アバド&ウィーン・フィル(1992&1990年録音) 

【CD11】『ヴァイオリン協奏曲第3, 4, 5番』~パールマン, レヴァイン&ウィーン・フィル(1982年録音)
【CD12】『協奏交響曲K.364』『コンチェルトーネK.190』~パールマン, ズカーマン, メータ&イスラエル・フィル(1982年録音)
【CD13】『クラリネット協奏曲』『ホルン協奏曲第1, 4番』~チャールズ・ナイディック(Cl), デイヴィッド・ジョリー(Hr), オルフェウス室内管弦楽団(1987年録音)
【CD14】『ホルン協奏曲第2, 3番』『オーボエ協奏曲』『ファゴット協奏曲』~ウィリアム・パーヴィス(Hr), ランダル・ウォルフガング(Ob), フランク・モレッリ(Fg), オルフェウス室内管弦楽団(1987年録音)
【CD15】『フルート協奏曲第1番』『アンダンテ K.315』『フルートとハープのための協奏曲』~スーザン・パルマ(Fl), ナンシー・アレン(Hp), オルフェウス室内管弦楽団(1988年録音)
【CD16~17】『セレナード第10, 11, 12番』『ディヴェルティメント第14番』~オルフェウス室内管弦楽団(1985~1990年録音)
【CD18】『ディヴェルティメント第17番』『セレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」』~カラヤン&ベルリン・フィル(1987,1983年録音)
【CD19】『セレナード第7番「ハフナー」』『フリーメイソンのための葬送音楽』~ベーム&ベルリン・フィル(1972, 1979年録音)
【CD20】『セレナード第9番「ポストホルン」』『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』~レヴァイン&ウィーン・フィル(1982年録音)
【CD21~23】『弦楽四重奏曲第14~19番』~ハーゲン四重奏団(1995~2000年録音)
【CD24】『弦楽五重奏曲K.515*』『ディヴェルティメントK.563』~アマデウス弦楽四重奏団, セシル・アロノヴィッツ(Va)*(1967, 1982年録音)
【CD25】『弦楽五重奏曲K.516&593』』~アマデウス弦楽四重奏団, セシル・アロノヴィッツ(Va)(1957年録音)
【CD26】『フルート四重奏曲第1番』『オーボエ四重奏曲』『ホルン五重奏曲』『クラリネット五重奏曲』~アンドレアス・ブラウ(Fl), ローター・コッホ(Ob), ゲルト・ザイフェルト(Hr), ジェルヴァーズ・ドゥ・ペイエ(Cl), アマデウス弦楽四重奏団(1969~1977年録音)
【CD27】『管楽とピアノのための五重奏曲』~ジェームズ・レヴァイン(P), アンサンブル・ウィーン=ベルリン(1986年録音)、『ケーゲルシュタット・トリオ』~ジェームズ・レヴァイン(P), カール・ライスター(Cl), ヴォルフラム・クリスト(Va)(1991年録音)、『アダージョとロンドK.617』~アンサンブル・ウィーン=ベルリン(1990年録音)
【CD28】『ピアノ四重奏曲第1, 2番』~フォーレ・クヮルテット(2005年録音) 【CD29】『ヴァイオリン・ソナタ第25, 28, 34, 35番』~オーギュスタン・デュメイ(Vn), マリア・ジョアオ・ピリス(P)(1990, 1991年録音)
【CD30】『ヴァイオリン・ソナタ第40, 41, 42番』~パールマン(Vn)&バレンボイム(P)(1990年録音)
【CD31】『ピアノ・ソナタ第8, 12, 15』~マリア・ジョアオ・ピリス(P)(1989~1990年録音)

 【CD32】『ピアノ・ソナタ第3, 10, 13番』『アダージョK540』『ロンド K.485&511』~ホロヴィッツ(P)(1985~1988年録音)
【CD33】『ピアノ・ソナタ第11, 14番』『幻想曲K.397&475』~グルダ(P)(1980~1982年録音)
【CD34】『2台のピアノのためのソナタK.448&497』『アンダンテと5つの変奏曲K.501』『幻想曲K.608』~クリストフ・エッシェンバッハ&ユストゥス・フランツ(P)(1972~1973年録音)
【CD35】『戴冠ミサ曲K.317』『証聖者の盛儀晩課K.339』『踊れ、喜べ、幸いなる魂』~バーバラ・ボニー(Sp), ピノック&イングリッシュ・コンサート&合唱団(1993年録音)
【CD36】『アヴェ・ヴェルム・コルプス』『踊れ、喜べ、幸いなる魂』『ミサ曲ハ短調K.427(バイヤー版)』~アリーン・オジェー(Sp), バーンスタイン&バイエルン放送交響楽団&合唱団(1990年録音)
【CD37】『レクィエムK.626』『葬送音楽「受難カンタータ」K.42』『「ヴェスペレK.339」より「ラウダーテ・ドミノ」』~アバド&ベルリン・フィル(1999年録音)
【CD38】『ああ、私には分かっていた…ああ、私の見えない所へ姿を消してK.272』『この胸に、お願いだから来て…天があなたを私に返す時K.374』『大いなる魂と高貴な心はK.578』『『葬送音楽「受難カンタータ」K.42より』『私は行く、しかしどこへK.583』『私のうるわしい恋人よ、さようなら…とどまって下さい、ああいとしい人よK.528』『哀れな私、どこにいるの…ああ、口を聞いているのは私でなくK.369』~グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S), ヴィルフリード・ベッチャー(指揮) ウィーン交響楽団(1966年録音)
【CD39~41】『歌劇「クレタの王イドメネオ」K.366』~ガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ, モンテヴェルディ合唱団, シルヴィア・マクネアー(Sp), アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Ms), アントニー・ロルフ・ジョンソン(T)他 (1990年録音)
【CD42~43】『歌劇「後宮からの逃走」K.384』~カール・ベーム(指揮), ドレスデン・シュターツカペレ, アリーン・オジェー(Sp), ペーター・シュライアー(T), クルト・モル(Bs)(1973年録音)
【CD44~46】『歌劇「フィガロの結婚」K.492』~アーノンクール(指揮), ウィーン・フィル, イルデブラント・ダルカンジェロ(Br), アンナ・ネトレプコ(Sp), ドロテア・レシュマン(Sp), ボー・スコウフス(Br), クリスティーネ・シェーファー(Sp),(2006年ライヴ録音)
【CD47~49】『歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527』~アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団, サイモン・キーンリサイド(Br), マッティ・サルミネン(Bs), ブリン・ターフェル(Bs), イルデブランド・ダルカンジェロ(Bs)他,(1997年録音)
【CD50~52】『歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」K.588』~レヴァイン&ウィーン・フィル, キリ・テ・カナワ(Sp), トーマス・ハンプソン(Br), フェルッチョ・フルラネット(Bs)他,(1988年録音)
【CD53~54】『歌劇「魔笛」K.620』~カール・ベーム&ベルリン・フィル, ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br), フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ロバータ・ピータース(Sp), フランツ・クラス(Bs)他, (1964年録音)
【CD55】『音楽の冗談K.522』『コントルダンスK.587, 534, 535, 610, 607』『6つのドイツ舞曲K.567』『ガリマティアス・ムジクムK.32』『行進曲K.335』『ドイツ舞曲K.611』『3つのドイツ舞曲K.605』~オルフェウス室内管弦楽団(1989年録音)

 「以上 最後が111曲目 魔笛 です。 CD55はボーナス盤です。」とあった。

ちょっと、長くなってしつこいようだが、あえて55枚のCDを逐一紹介させてもらった。

なぜなら、ご覧のとおり日頃滅多に聴く機会のない曲目、たとえば交響曲では「20番台後半~30番台前半」、オペラでは「クレタの王イドメネオ」「後宮からの逃走」などが含まれているのが大いに興味を引いたから。

人類史上、あり得べからざる天才モーツァルトの凄いところは10代の頃に作った作品と最晩年(35歳)に作曲された作品の出来具合に隔たりがないことで、たとえば「K.136のデヴェルティメント」と「K・620の魔笛」とは”モーツァルトらしさ”において年齢の差をほとんど感じさせない。

つい最近も「クラシカジャパン」(CS放送)でトン・コープマン指揮の「モテット、踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」(K・165)という小品に痛く胸を打たれたばかり。まったく汲めども汲めども尽きない泉のような作曲家である。

したがって、モーツァルトの初期の頃からの全作品をいずれ、それこそ舐め回すように(笑)聴きまくって、隠された名曲を発見してやろうと思っていたのでこの全集はまさに”渡りに船”だった。

しかも、その値段ときたら何と破格値の9800円とのことで、1枚が200円足らずとは驚いた。Mさんの情報提供に大いに感謝である。飛びつくように注文したのは言うまでもないが、幸い在庫があって24日の午前中に到着した。

        

「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなることだ」と、天才物理学者アインシュタインはいみじくも述懐したが、当時よりも、もっと「いい演奏と音」でモーツァルトの生涯に亘る作品にじっくり親しめるなんて、これこそ現代人として享受できる「最高の贅沢」ではなかろうか。

なお、あと2点ほどある「お買い得品」の紹介については次回ということで。



「無難な音」「魅力的な音」そして「正しい音」

2013年01月24日 | オーディオ談義

つい先日、我が家に試聴にお見えになったオーディオ仲間のAさんから次のような言葉をいただいた。

「魅力的な音というのは絶対に”野太い音”ですね。以前聴いたWEー205D真空管のプッシュプル・アンプの音が忘れられません。まるで実像が眼前でリアルに再現されたような印象を受けました。205Dは最近、中国製の復刻版が出ていますので是非試してみたいですねえ。」

おそらく我が家の音が反面教師となったのだろうが、何気なしに呟かれたAさんの言葉にオーディオへの飽くなき探究心を垣間見た気がして印象深かった。「野太い音」の定義については、これまでのお付き合いを通して感覚的に分かるのであえてお訊ねしなかった。
                              

目標とする「音」のイメージは個人ごとに様々なんだろうが、Aさんの場合、「野太い音」という明確な指針があるのでオーディオに対する座標軸がブレないのは大きなメリットだろう。

自分の場合、少しでも「好みの音」を得ようと暇にまかせて毎日、余念がないところだが、どちらかといえば「今よりももっと良い音を」というタイプなので、いわばノンポリ派に分類され、非常に寄り道が多いのもそのせいかなと思っている。その分、いろんな過程を楽しめるという見方もあるわけだが(笑)。

現在、「オーディオ生活」を営んでいくうえで便宜上自分なりに勝手に位置付けている「音」の分類としては「無難な音」「魅力的な音」そして「正しい音」に振り分けている。

「無難な音=音楽鑑賞をするうえでそれほど違和感を感じない
音」

「魅力的な音=聴いていて振るいつきたくなるようないい音」

そして、「正しい音」

デジタル時代になってからのオーディオ装置は平準化が進み、今やどこのご家庭でも「無難な音」を確保しているのはまず間違いないが、これがワンランク・アップして「魅力的な音」を実現するとなると、通り一遍の努力ではなかなか難しいように思う。

「正しい音」というのは、ずっと以前のブログに記したことがあるが、あれからもう随分年数も経っていることだし、改めて掲載させていただこう。

その昔、「オーディオ・テクネ」というオーディオメーカーが専門誌に
「原音に近づく正しい音とは」と題して記載していたもの。

 
ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる

 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える

 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない

 
小さな音でも明瞭度が下がらない

 スピーカーの近くでも離れた後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない。音は波紋である

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない

 視聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる

 長時間聴いても疲れない、連室でも音が邪魔にならない

以上のとおりだが、音響に対する専門的な知識があるわけでもなし、そのまま鵜呑みにするのはどうかとも思うが、これまでのオーディオ経験を通じて、思い当たる節が多いし、取り分け
「音は波紋である」は当たり前のことだが日頃つい忘れがちな事柄。

たとえば
2000人ほどを収容する大ホールで弾かれたストラディヴァリ(ヴァイオリン)の音が客席の奥まで伝わるのは音がきれいな形の波紋を描いているからで、直接音とホールの壁に当たって跳ね返った間接音とがうまく重なり合って(ハモって)響いていくのに対し、ダメなヴァイオリンの音がなぜ伝わらないのかといえば楽器から出される波紋がいびつな形なので直接音と間接音とがうまく重なり合わず途中で打ち消しあっているからだと「素人考え」で思うのだがどうだろうか。

なお、「正しい音」を得るために、これらの項目群に対して順番に個別に撃破すればいいのだろうが、そうはいかないところがつらいところで、たとえば、ひとつの項目が実現できなければその他の項目も総じて同じレベルに留まってしまうという厳しい現実が待っている。

主観的な存在としての「魅力的な音」と客観的な存在としての「正しい音」が一致すれば理想なのだろうが、つまるところ自分さえ良しとなればいい世界なのであまり神経質になる必要がないと言われればそれまでの話だが。

最後に、いくらノンポリ派の自分でも日頃聴いている音に何がしかのプライオリティ(優先権)を設けていることだけは申し添えておこう

それは、装置全体の音が澄んでいて柔らかい雰囲気で楽器の音色がそのまま素直に表現されているような音。それに音像に奥行き感があること。彫りの深さとでも言うべきか。それぞれの楽器の前後の位置関係が明瞭に分かればこの上なし。」

はてさて、完璧に実現できるのはいつのことやら(笑)。


モーツァルトの「ホトホンせれなード」事件

2013年01月22日 | 音楽談義

作家の村上春樹さんが書いた文章の中に次のような一節がある。

「死んだ人や動物に対して、僕らがしてあげられるほとんど唯一のことは忘れないで覚えておいてあげることです」。

いつも気に入った言葉や文章に出会うと「備忘録」に記しているが、これはその中でも筆頭候補。

一昨年の9月に94歳11か月で逝った母のことを今でもときどき憶い出す。享年としては、まあ不足はないし十分生きたはずなのに、いろんな方の話を伺うと「生きているうちにああしてあげればよかった、こうしてやればよかった」と、年齢には関係なく子供というものは親のこととなるといつも後悔するものらしい。

昨日も、午後自宅近くを小雨交じりの中で散歩していると、何とはなしに母のことが偲ばれてふと思い出したのがモーツァルトの「ホトホンせれなード」事件。

経緯を記してみよう。

もう10年以上も前のことで、何時のことか定かではないがNHKのBSハイの深夜番組でオペラを放映していた。長大なオペラの場合、3分程度の幕間休憩というのがあり、そのときに間奏曲として演奏されている曲目が実によかった。

こんこんと尽きせぬ泉が湧き出てくるようなごく自然な楽想で、これは絶対にモーツァルトの作品だと確信したが、如何せん曲名が分からない。

普通はそのまま聞き流して忘却の彼方になるのだが、あまりに強烈に印象に残ったので地元のNHK放送局に、放送があった時間帯をもとに問い合わせてみたところ、当然、すぐに曲名が判明するわけでもなく、ご親切にも「後日、返答します」ということになった。

当時は仕事に追われる毎日で家を留守にすることが多かったが、NHKからの回答を受けてくれたのが同居中の老母である。

「NHKから電話があったよ」と、帰宅後に母からメモを渡され、そこに書いてあったのが「モーツァルト ホトホンセレナーど」。

「ウ~ン、ホトホンとはありえない言葉だ。これではちょっと分からないなあ!」と、慨嘆しつつ、もうはっきり覚えていないが、きっと自分で再度NHKに問い合わせたことだろう。

そして、ようやく具体的に判明した曲名が「セレナード第9番ニ長調 K.320 ポストホルン」。

          

急いでネヴィル・マリナー指揮のCDを購入して聴いてみたところ、気に入った間奏曲に該当する部分は、同セレナードの第3楽章「Concertante(Andannte grazioso)」(9.02分間)だった。

「モーツァルトの音楽、ここに極まれり」と、胸を打たれるほどの素晴らしいメロディで、これを聴くと「ホッ」として、心痛、愁いなどあらゆるマイナスの心理状態をはるかに超越させてくれる心境になる。音楽の効用はいろいろあるんだろうが、気を鎮めてくれるのが一番である。

昨日は、散歩から帰るとすぐに母の憶い出とともにこのCDをずっと聴き耽った。当時の(母の)不自由な手で書かれた金釘流の文字も今となってはたいへん懐かしい宝物。よくぞ捨てずにこれまで保管しておいたものだと我ながら感心(笑)。

それにしても我が家の「AXIOM80」は絶好調の極みである。「ほんまに”ええ音”やなあ!」

最後に、冒頭の話に戻って人間はすべて生命に限りあるが、自分が逝った後に身内を除いてどれだけ人の記憶に残っているかと考えると何だか儚くなる。このブログだって遅かれ早かれ店仕舞いのときがきっとやってくる。

せめて、「そういえば、昔、音楽やオーディオに関して随分、独りよがりのことを書いてた奴がいたなあ~」と、思い出してくれる人が一人でもいてくれたら本望だが、はたして?(笑)

 


話題あれこれ

2013年01月19日 | 独り言

どうやらオーディオも一段落したことだしと、17日(木)は朝から図書館に足を運んだ。

予約していた図書が2冊あり「準備が出来ました」のメールが届いたので受け取りに行ったわけだが、折り返しそのまま引き返すのも芸がないので、かねて気になっていた「文芸春秋1月号」を書架から抜き出して読み耽った。

新聞広告で見たのだが、前中国大使だった「丹羽宇一郎」(にわ ういちろう)さんの手記がお目当てである。

「尖閣に始まり尖閣で終わった2年4カ月の在任中、大使時代に見た日中関係の実相をお伝えしたいと思います。」とのこと。

丹羽さんは伊藤忠商事の会長や政府の公職を歴任された方だが、個人的に10年以上も前から注目しており、いろんな著作を読んだり
言動を仄聞する限り、非常に完成度の高い人物で心から畏敬の念を抱いている。周知のとおり民主党の岡田さんが外相のとき、初の民間人大使として抜擢された経緯がある。

手記の内容は全体的に当たり障りのない内容で、大使を辞任されてからまだ日も浅くあまり生々しいことについては遠慮されている様子が伺えた。

以前、朝日新聞に投稿された記事も読んだことがあるが「尖閣問題の発端は石原前東京都知事による買収問題にあるが、領土問題は国の専管事項なので君は黙っていなさいと、なぜ時の首相である野田さんがはっきり言えないのか」と憤ってあり、その通りだと思った。

野田さん云々というよりも、人脈も含めてこの辺が民主党そのものの限界だったのかもしれない。

ついでにパラパラと文芸春秋を読んでいると、後半に「中村勘三郎」が食道がんの手術による後遺症で亡くなったことについて、ここぞとばかり”がん”手術反対論者の「近藤 誠」氏(医師)が寄稿されていた。

この方が以前からガンに関して語っていることの中核は、「手術は危険、ほとんどのがんに抗がん剤は効かない、がん検診は百害あって一利もない、がんという病名を本人に知らせるべき、という4点」だが、その趣旨に沿って放射線治療をしておけば中村勘三郎ももっと命を永らえたのにという内容だった。

今や国民の二人に一人が”がん”に罹る時代と言われているが、いざ自分がその身になったときに外科手術を受けるか、放射線治療にするか、そのまま放置するか、慎重な決断が求められるところ。おおコワ!

ところで、中村勘三郎で思い出したが去る12月の初旬、朝食のときにテレビのニュース速報でテロップが流れだしたので一瞬、箸を止めて画面を見入ったところ、何と「同人」の死去のニュース。「な~んだ、歌舞伎役者が死んだくらいでニュース速報?」と、いささか驚いた。たしかに、まだお若いし、伝統芸能の普及に果たした功績も多大だったのだろうし、お気の毒ではあるが。

つい先日の「大島 渚」の死去のときにもカミさんによるとニュース速報が流れたようで、はたして芸能関係者が亡くなったことを国民が1分1秒でも早く知ったところで何かメリットはあるんだろうかと、ふと疑問に思った。地震とか大事故ならいざ知らず~。

こういう考えを持つ自分の方が、はたしておかしいのかな?

ところで冒頭に戻って図書館で借りてきた2冊を、この2日間に亘って読み上げた。

           

いずれもミステリー。

☆ 「特捜部Q~Pからのメッセージ~」

舞台はコペンハーゲン警察。「特捜部Q」とは未解決事件を専門に扱う部署のこと。物語の発端は海辺に流れ着いたボトルメールの謎。ボトルから取り出された手紙には血でかかれたような「助けて」との悲痛な叫びが。書き手の名前の頭文字はP。だが、手紙の損傷が激しく、内容の完全な判読は難航した。Pはどうやら誘拐されたようだが、過去の記録には該当する事件は見当たらない・・・・。北欧を代表するミステリ賞「ガラスの鍵」賞に輝く著者の最高傑作!

なかなか触れ込みはいいのだが、さてどれどれと読み進んでいくうちに北欧のミステリーが持つ独特の雰囲気に惹き込まれていく。コナン・ドイル(シャーロック・ホームズ)に始まるイギリスのミステリーのようなスマートさも欲しい気がするが、これは好き好きだろう。しかし、濃厚な人間関係やセ〇〇ス描写がかなりどぎついのは相変わらず。

全体を読み終わっての感想だが、たしかに読ませるものがあるが中身の方はだいぶ水増しされた感じ。とにかく寄り道が多すぎる。この程度の内容なら半分程度の分量に圧縮出来るはずだ。

☆ 「汚れちまった道」

待望の内田康夫さんの新作である。浅見光彦シリーズは軽く100冊を超えているが、99%は読んでいる自信がある。このシリーズは謎解き云々というよりも、文章が読みやすくて、ほのぼのとした味わいのもとに爽やかな読後感に浸れるところがいい。

ミステリーの鉄則の一つとして「犯人は筋書きの始めの方から登場しなくてはならない」というのがあるが、このシリーズは途中とか後半でいきなり犯人が登場したりするので厳密に言えば娯楽小説に近いといえる。

しかし、近年の作品は往年の時期と比べて少し密度が薄くなっている傾向が伺われるので、いささか懸念しながら読み進んだが真中あたりくらいから運びがやや冗長に流れていきだしたのでやっぱり不安が現実のものに。

全体を読み終わっての感想だが、残念なことに「内田さん、老いたり」の感は否めない。

連作の「萩殺人事件」も予約しているので、今度はこれに期待することにしよう。

ところで、長いこと療養していた横山秀夫さんの最新作「64」が凄い人気だ。ネットで予約したところ、何と順番が36番目。これではとても待てない。よくても1年後以降になるだろう。

よし、娘に購入させるとするか(笑)。


マニアが音をいじりたくなるとき

2013年01月17日 | オーディオ談義

ときどき、オーディオマニアが”音をいじりたくなるとき”というのはどういうケースがあるんだろうと考えることがある。

 音楽を聴いていて耳障りな音が聞える時があったりして鑑賞に集中できない。音質に対してはっきりと不満があるとき。

これは、当たり前のこととして次のケースはどうだろう。

 音質に対して特段の不満はないが、どこかを”いじる”ことでもっと「好みの音」になるかもしれないと思うとき。

つまり、音質に対して欲張りというか貪欲というべきか。実を言うと、自分は圧倒的に2のケースである。

周知のとおり音楽は耳で聴くというよりも脳で情報処理をしつつ鑑賞しているわけだが、脳は単純性やマンネリズムを嫌う性質があり、いつも同じ音ばかりを聴いていると飽きてくるのも事実である。

とはいえ、次のような考え方もある。

作家の村上春樹さんは作家になる前はジャズ喫茶を経営するほどのジャズ好きで、中古レコード屋を巡るのが今でも大好きで、当然のごとくオーディオにも無関心ではいられないはずだが、この点に関して以前のステレオサウンド誌のインタビュー記事で次のような趣旨の回答をされていた。

「ずっと長い間、同じシステムの音で聴いてきましたのでその音が我が家の試聴時のメルクマール(指標)になっています。そりゃあ、いろんな機会に我が家よりももっと”いい音”を聴いたりすることがありますが、それで(我が家の)システムを替えようとまでは思いません。」

ちなみに、村上さんのシステムは古いJBLの3ウェイシステムで、アンプはアキュフェーズだったと記憶している。下世話的な発想だが、あれだけのベストセラー作家だから印税で懐はたっぷりのはずで、広い部屋を準備し豪華なシステムを購入するくらい造作もないことだろう。

とにかく、これも一つの見識だと思うし、むしろ、これが正常なのかもしれない。まあ、執筆作業に忙しくて暇がないし面倒くさいというのもあるかもしれないが。

「音楽とオーディオ」の両方を天秤にかけたとすると、人によって傾き方がそれぞれ違うわけだが、村上さんの場合はきっと音楽の方に圧倒的なウェイトがかかっているに違いあるまい。ところが、我が家の場合、両者の比重はせいぜい五分五分か、むしろ近年ではオーディオの方にかなりのウェイトがかかっていることを潔く認めなくてはならない。

随分、前置きが長くなってしまった。日頃からあまりにシステムの構成をクルクル変えていると、「お前はしょっちゅう音をいじっているなあ」と、言われるのがつらくて、ついこういう言い訳が必要になってくる(笑)。

前回のブログに記載したとおり新しいプリアンプの導入でオーディオ・マインドに久しぶりに火がついてしまった。現状の音質に取り立てて不満はないしむしろいい方向に推移しているのだが、”もっと”という欲はなかなか収まらない。

な~に、時間はたっぷりあることだし、悪けりゃ元に戻せばいいだけの話なんだから。

16日(水)は運動ジムの定休日なので朝一に近所の周回程度のウォーキングに留めてから、ずっと実験にかかりっきり。

今回は、これまで椅子代わりに使っていたスーパーウーファー(以下、「スーパー」)をおよそ2年ぶりくらいに導入してみた。

       

愛用している「AXIOM80」に新プリアンプを接続
 したことにより、音が心持ち豊かになったので、ウーファー3発のうち、上の2発だけを鳴らすことにして、その代わりに低音部の充実を図るため、「スーパー」を導入したもの。

写真でご覧のとおりだが、右側の「スーパー」の上に別のSP(リチャードアレンのフルレンジ)を載せるなんてと、顰蹙を買いそうだが、両者を同時に鳴らすことはないので念のため。

また、なぜ3発から2発にしたか、もう一つの理由は、これまで、ウーファー3発を「ケンウッドの0「1-A」(トランジスター・アンプ改)で鳴らしていたのだが、SPユニットのインピーダンスが理論上「2.7Ω(8Ω÷3)」となり、これではアンプの負担が大き過ぎるので以前から「4Ω(8÷2)」にしたかったというのもある。

いろんなソースを試聴しながら、「スーパー」の「ハイカット」の周波数とボリュームの位置を調整するのに半日ほどかかったが、ようやくそこそこ満足のいける音になった。「スーパーは出来るだけ控えめに」が使いこなしのコツのような気がする。

ウーファーが2発になったことによりボックスの共振が抑えられて、神経質な「AXIOM80」もご機嫌が一段と良くなった気がするが、はたして。

体調のいい日、悪い日を含めてしばらくこれで聴いてみることにしよう~。


ボリュームの性能と音質

2013年01月15日 | オーディオ談義

前回のブログで登載したように、知人のご厚意で譲っていただいたプリアンプの導入で、機器同士、たとえばプリアンプとパワーアンプの組み合わせの範囲が一気に広がり、このところ朝から晩までいろんな「音の実験」を夢中になってやっている。

とにかくこのプリアンプの可能性には大いに痺れている。今のところ、2系統の出力のうち1系統はJBLの3ウェイシステムの低域用(D130ユニット:口径38センチ)アンプに接続し、もう1系統は「AXIOM80」用の「WE300Bシングル」(モノ×2台)に繋いでいる。

もっとも、駄耳による試聴では心もとないので(笑)、土曜日の午前中にオーディオ仲間のAさんに来てもらって一緒に聴いていただいたところ、「いい音ですねえ。立体的に鳴っていますね。これまで聴いた中で最高の音になってます。どこをどう変えたんですか?」

「いやあ、今回は従来の(パッシブ)アッテネーターに替えて新しいプリアンプを導入しただけですよ。」

そこで、しげしげとプリアンプをご覧になって「凄いボリュームが使われてますね!」

       

上記は前回のブログにも掲載したプリアンプの全景写真だが、右側下部の黒い抵抗が沢山使ってある筒状のボリュームがご指摘のあったもので、最高級とされるデイルの巻線抵抗を使った非常に凝ったツクリである。ボリュームの可変位置ごとに1個の抵抗だけが働く仕組みになっているとのこと。プリアンプを実際に製作される方なら、このボリュームの凄さがお分かりになることだろう。

        

「ボリュームでこんなに音が変わるとは!」と、改めて驚かれていたが、Aさんはボリュームが音質に与える影響に極めて神経質な方で、通常のボリュームでは飽き足らず、トランス式のボリュームを愛用されているのですぐに目敏く気が付かれたのだろう。

今さらながら、元の持ち主のこだわりと慧眼による選択に感謝だが、今回改造を依頼したMさん(奈良)により「左右電源の分離」「動作点の見直しによるプレート電流の増加」「デカップリングコンデンサーの追加」「信号の流れを考慮したアース回路の見直し」などの総合力の賜物であることは言うまでもない。

しかしながら、今回改めてボリューム機能について深く考えさせられた。

ボリュームの弊害については大概のオーディオマニアなら分かっているはずで、我が家でも必要ない限り出来るだけ使用しないことにしてきた。まず真空管のパワーアンプ5台のうち3台は、購入時にボリューム機能が付いていたが、残らず削除処分にした。パワーアンプにボリュームを付けたままにしておくなんて「許せない!」(笑)。

したがって、現在使っているボリューム機能はDAコンバーターとプリアンプ3台だけ。

現在使用中のDAコンバーター(ワディア27ixVer3.0)はデジタルボリュームが付いているが、何せ古い製品なので、今ではもっと優れたボリュームがきっとあるはずだが、精密なデジタル機器の内部に組み込まれているのでさすがに改造というわけにはいかないのが残念。

プリアンプ3台のうち、今回の1台を除いて残り2台は普通のボリュームだが、これらを同じ仕様のボリュームにするともっと凄い音になるかもしれないと、ちょっと食指が動く。

近年、我が家のオーディオは「もう、あまり”いじる”ところはない」と思っていたが、ボリューム機能の見直しという新たな楽しみが加わったのはうれしくなる。

まったく、「オーディオ」ってのは”キリ”がないなあ(笑)。


改造して戻ってきたプリアンプ

2013年01月12日 | オーディオ談義

ずっと以前に「プリアンプはもう要らない?」(2010・6・22)との記事を登載したことがある。

ブログなんて哀れなもので、およそ1回読み切りであとは消え去るのみの運命だが、この記事は珍しくいまだに閲覧が続いていて毎日40件程度をウロウロしている。これは「ちあきなおみはなぜ歌わない」と同じレベルのロングランのヒット作(笑)。

これは察するに、この頁を読んだ方が興味を引かれてとりあえず「お気に入り」に登録し、以降このブログを見るときにアクセスの手段として使っているのだろう。

この記事の大意は、「CDが普及してレコードを聴かなくなったのでプリアンプの機能はアッテネーターで間に合う。したがってプリアンプは不要だ」という趣旨だった。共感された方が多かったのだろう。

ところがである。「君子豹変す」と言うとおこがましいが、今ではシステムの中に2台のプリアンプ(いずれも真空管式)を駆使しており、この記事は現状とそぐわなくなったため、ちょっと気が引ける存在となっている。まあ「・・・要らない」と疑問符をつけているところに免じて許していただこう(笑)。

どうも長くブログを続けていると以前の記事と随分矛盾した内容になったりしてときどき困ってしまうが、その時、その瞬間に思ったことを書いているのでどうか悪しからず。

さて、なぜプリアンプを使う心境になったのかといえば、実際に試してみてアッテネーターに比べ中高域部分で耳に心地よいフワっとした上質のふくらみが感じられるからで、音質に対して能動的に働きかけてくれるところが気に入った。まあ、それだけ上質のプリアンプが手に入ったというわけだが、それも非常に安価に。

2台とも入力1系統、出力は2系統でセレクタースイッチやトーンコントロ-ル、バランス調整などのツマミはいっさいなし。使ってある真空管もミニチュア管の2本だけという超シンプルな回路で図体ももちろん小さくて使い勝手が抜群。

以前、名器とされる「マランツ7」(復刻版)を持っていたが、音質自体は気に入っていたもののレコードを聴かなくなったし、図体が比較的大きいし、12AX7(真空管)を6本も使ってあったり、トーンやバランスコントロールもあったりなので2年ほど前にあっさり知人に譲ってしまった。

この2台のプリアンプは「マランツ7」と比較していっさい音質に遜色がないと断言できるので安心して使っている。1台はリチャードアレンのフルレンジSPユニットに使用し、残る1台は「JBL3ウェイシステム」と「AXIOM80」の2系統のシステムの中域用に向けている。つまり、JBLの「375」ドライーバーと「AXIOM80」という我が家のシステムの生命線で大活躍中。

しかし、低域用には音量調整用として相変わらず「アッテネーター」を使用していたのでいずれ上質のプリアンプを手に入れたいと思っていたところ、何という神様の思し召しか、12月中旬に知人のご厚意で「真空管式のプリアンプ」を譲っていただくことになった。

10年ほど前に自作したものの、音出しをする前にアキュフェーズの「デジタルプリアンプ」を購入され、もはや使い道がないとのことで、それなら「ありがたく使わせてください」と欣喜雀躍。「お金は要りません。有効に使っていただければ結構です。」とのことで、今どきの「世知辛い世の中」でまるで「憩いのオアシス」みたいな方である。

拝見したところレコードに必要なフォノイコラーザーはなし、真空管6DJ8(ECC88)を2本使ったシンプルな構成で、使ってある部品も高級品ばかりでまさに夢に描いた理想のプリアンプ。ただし、入力が4系統、出力が1系統なので、この辺の改造をしていただくためお馴染みのMさん(奈良)に連絡の上引き受けてもらった。

そして、改造が済んで戻ってきたのが1月9日(水)のこと。すぐに今まで使ってきたアッテネーターを外してプリアンプに繋ぎかえて試聴。

           

「マランツ7」を使っていたときの記憶に低音域にプリアンプを使うと「ボワ~ン」といったふくらみが過剰になって、量感はともかく分解能の点で懸念していたのだが、見事に締まった音が出てきたのには驚いた。

真空管のプリにトランジスターのパワーアンプ(ケンウッド「01-A」改)の異質の組み合わせも、これなら十分合格。

これでしばらくいろんな実験がやれそうである。たとえば、このプアリアンプを低域だけに使うのではなく「375」や「AXIOM80」用の中高域に使うことも十分考えられる。

ただし、自分は「駄耳」なので知人に来ていただき一緒に試聴してもらって、どちらがいいかご意見を伺うことにしよう(笑)。


図書館めぐり

2013年01月10日 | 読書コーナー

年末に借りてきた本を、返却期限がオーバーして督促が来ないうちに早めに返しに行こうと8日(火)~9日にわたって4か所の図書館を巡ってきた。

まず、いつも近刊本が手に入りやすい穴場的存在の鄙びたH図書館で借りてきたのが次の5冊。

        

☆ 「太平洋のレアアース泥が日本を救う」(2012・8・1 PHP新書刊)

これでも人並みの愛国者なので、近年「南鳥島」の近くで巨大鉱床(レアアース泥)が発見されたというニュースには本当にうれしくなった。本書によると日本再生の切り札となる「夢の泥」だそうだ。

ハイテク産業に欠かせないレアアースだが周知のとおり中国が独占的に所有しており、何か気にくわないことが起こるとすぐに、輸出制限をしてくるので、その都度イマイマシイ思いをしてきたのだがこれでようやく解放される気分になった。

ただし、最近のニュースによると各国ともレアアースの代替品も含めて購入の多角化が進展し、中国のレアアースの禁輸措置も実効性が失われてきており、そのため産業自体が斜陽化しているとのことで「ザマアミロ」。

これから本書をじっくり読んでみることにしよう。

☆ 「火車」(かしゃ)(宮部みゆき著)

年末に帰省した娘が持っていた「東西ミステリーベスト100」で歴代の5位(国内編)にランクされていたので、一つ読んでみるかと「火車」を借りてみた。近作の「ソロモンの偽証」も随分評判がいいようだが、上中下巻と3冊もあるので、読み尽くすとなるとよほどの覚悟が必要になる。

彼女の著作は「蒲生邸事件」、「模倣犯」を読んだが、後者は前半に比べて後半がちょっと雑だった。一般的にミステリーを読んでいつも思うのだが、前半は作者の意気込みが伝わってきて勢いがいいが、肝心の後半部分になってくると空回りして息切れしてくる作品が実に多い。

はたして「火車」はどうだろうか。

☆ 「知っておきたい電力の疑問100」(2012.8.15 )

オーディオマニアがいつもお世話になっているのが電力である。何と言っても電力無くしてオーディオは語れないが、機器それぞれの電源の取り方によって音質が大きく左右されるのも事実なので電源対策はユメユメおろそかにできないところ。

さて、深夜に音楽を聴いて「どうしてこんなに音がいいんだろう」と、心から感動し、”夢よ再び”と翌日の朝に同じ音楽を聴いてみると、サッパリ音の透明感が失われて前夜の感動が少しも蘇ってこないという経験をお持ちの方が結構あるのではあるまいか。

自分は何度もそういう経験をしてきた一人だが、その原因として「どうも深夜の電力は昼間の電力とは違うのではないか」という思いを捨てきれない一人。たとえば電力需要が多い昼間は98V程度の供給にとどまり、夜間になって正規の100V供給になって機器が本来の能力を発揮するとか。
もちろん、深夜は室外も含めて周囲の環境のSN比も違うということもあるのだろうが。

本書を読んで、その辺が解明されるといいのだが、はたして。

☆ 「氷の秒針」(2012・6・24 大門剛明著)

ミステリー作家の「大門剛明」の著作は、これまでひととおり読んできた。2009年「雪冤」で横溝正史ミステリー大賞&テレビ東京賞をダブル受賞した新進気鋭の作家である。

1974年生まれだからまだ40歳に達していないのにこれだけの筆力だから今後が楽しみ~。

それはそうと、略歴を見ると「龍谷大学文学部卒」とあるが、総じてミステリー作家は有名大学を出ていないところに興味を引かれる。

ほかにも2011年の江戸川乱歩賞受賞作「よろずのことに気をつけよ」で圧倒的な筆力を見せつけた「川瀬七緒」は文化服装学院服装科卒業である。

その原因の一つとして、たとえば有名大学は概ね入試科目が多岐にわたっており総合点が良くないと合格が難しいが、国語だけとかの文筆の才能だけに限って言えば、有名大学の合格者よりもそれ以外の大学出身者の方が才能に恵まれた人材が比較的多いことが伺える。

これはミステリー作家だけに限らず、文学全般にわたっての作家にも通用しそうだ。

人間の隠された能力は大学のブランドだけでは到底推し量れないことをいつも痛感する。

☆ 「おやすみラフマニノフ」(2010・10・26)

たまには音楽の本でも読んでみるかと書架から手に取ってみた。ラフマニノフはあの有名な「パガニーニの主題による狂詩曲」の妙なるメロディーが耳に焼き付いていて、まあ、好みの作曲家ではある。

ところが、この本は何とミステリーだった!

「秋の演奏会を控え、第一ヴァイオリンの首席奏者である音大生の晶は初音とともに、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。しかし、完全密室で保管されていた、時価2億円のチェロ、ストラディヴァリウスが盗まれる。脅迫状も届き、晶は心身ともに追い詰められていく。

さらに彼らの身に不可解な事件が次々と起こり・・・・・。メンバーたちは果たして無事に演奏会を迎えることが出来るのか。ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」がコンサート・ホールに響くとき、驚愕の真実が明かされる。」

さて、額面通りに本当に面白ければいいのだが・・・・。

以上、この調子で外にも3つの図書館から借りてきた本を順次紹介するつもりだったが幸い、この辺で紙面が尽きたようで(笑)。

 


長時間聴いても疲れない音

2013年01月08日 | オーディオ談義

それほど広くもないスペース(6m×7m)に3系統のシステムがひしめきあっている我が家のオーディオルーム。

音響面では明らかにマイナスなのだろうが、目先が変わっていろいろ楽しめるというプラス面もあって功罪相半ばするといったところだろう。

機械モノは毎日通電してやる方がいいと聞いているので各システムをまんべんなく使用するように心がけているが、それぞれに捨てがたい味があってどのシステムがベストとはなかなか決め難いが、今のところ一番視聴時間が多くて健闘しているのがSPユニットのリチャード・アレン「ニューゴールデン8」(口径20センチ)を使ったフルレンジ・システム。

          

このシステムは極めてシンプルな構成である。

テレビチューナー(RCA出力アウト) → プリアンプ → パワーアンプ(真空管2A3シングル) → SPユニット(自作のボックス入り)というだけなのだが、実に音のバランスが良くて聴きやすいし、しかもコストが非常に安く仕上がっている。

プリアンプは中国製のものをオークションで格安で落札して、Mさん(奈良県)に改造していただいたもので、手持ちの余っていたシーメンスのコンデンサーを音声回路の一部に使ってもらったことで飛躍的に音質が向上した。ボリュームコントロールだけ付属の極めてシンプルな回路で真空管式タイプであり、お馴染みの「12AU7」と「12AX7」が1本づつ使われている。

このシステム全体の特徴は、何といっても3ウェイなどの構成のときに必要悪として使われるネットワークを使っていない(チャンデバだって同罪である!)ことにあり、さらにデジタル信号をアナログ信号に変換するDAコンバーターを使っていないところにもあるが、そのせいか音が自然で何時間聴いても少しも耳(脳)が疲れない。

オーディオシステムの音質の評価基準は、それこそキリがないほどあって個人の好みの差によって優先順位がクルクル変わるわけだが、我が家の場合「長時間聴いても疲れない音」というのが上位にくるのはたしかである。

近年、人生のステージによって好む音が変わってくることを痛切に実感している。

現役の方々は、とにかく仕事が忙しくてオーディオに割ける時間もなく(以前の自分がそうだった!)、たまに聴くときは刺激が欲しくてメリハリの利いた音を愛好するものだが、現在の自分のように家に居りさえすれば年中機器のスイッチを入れっぱなしの状態だと「身構える必要がなく、しかも聴き疲れしない音」が実に身近になって重宝する存在となっている。

何度も書いてきたが「魚釣りはフナ釣りに始まって、フナ釣りに終わる」という名言があるが、オーディオも「フルレンジに始まって、フルレンジに終わる」のも、あながち的外れではないような気がする。

誰もが経験することだろうが、はじめの頃に聴き始めたフルレンジを含めたシンプルなシステムにあき足らなくなって、2ウェイ、3ウェイなどと複雑な構成へ発展していくのがオーディオの常道ともいえるわけだが、こ
こでおよそ40年以上ずっと(オーディオの)迷路を彷徨しつづけてきた経験者から一言。

素性のいいフルレンジ・ユニットを持っておられる方は、いきなり廃棄したりせずに大切に保管しておくといずれ役に立つ時がきっと来ますぞ~(笑)。

 


物言わぬは腹ふくるるわざなり

2013年01月06日 | 独り言

金銭がらみの個人的な話を題材にしたような話はけっして品のいいことではないし、なかには眉をひそめる向きもあるだろうが、目下の関心事をありのままに書き記すのが我がブログのモットーなのでこの際、大目に見ていただこう。

ほら、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」(「徒然草」)とあって、「悩みや言いたいことを胸にしまいこんで我慢していると精神衛生によくない」という言葉もあることだし~。

「エコノミー=節約」 → 「エコノミクス=経済=経世済民=世をいとなみ民をすくう」 → 「アベノミクス」とは、誰が名付けたか知らないがうまい表現だと思う。

11月中旬に自民党の安倍総裁が金融緩和を提唱してから、円安がすごい勢いで進行している。昨日(5日)には88円台にまでなって、自動車などの輸出関連産業はきっと喜んでいるに違いない。あのトヨタ自動車は1円下がっただけで350億円の儲けになるというからすさまじい。

しかし、日産のカルロス・ゴーン社長は元々「1ドル=100円」あたりが「中立的な領域」と言っているので、単に振れ過ぎた振り子が戻っている状況なのかもしれない。

ところで、実は我が輩もトヨタの350億円とは月とスッポンだが、ひそかにその恩恵にあずかっているひとりである。

数年前に非常にささやかな退職金の一部を割いて「ドル建て債」を購入させられた。株式も含めて「紙切れ」同然のものに投資するのはあまり趣味ではないが、カミさんの仕事がらみで否応なく付き合わされた次第。

「まさか、あのアメリカが破産することはないでしょう。そうなったらもう世界は終わりよ。」のカミさんの甘言に「それもそうだな」と、つい乗せられてしまった。

10年満期の年利4.4%の複利計算で、当時は「1ドル=114円」の時代だった。満期時には元本の1.5倍になるという、まことに期待に満ちた机上の計算だったが、周知のとおりあの「リーマンショック」でドルが大暴落。

一時は円が1ドル当たり75円までになってしまい、まったく「取らぬ狸の皮算用」になってしまった。満期時に受け取るはずのドルの額は既に分かっているが、ちょうど「1ドル=75円」のときが損益分岐点となる計算。

当時、さらに「1ドル=50円台」になるとまで、無責任なことを言っていた経済評論家もいたりして、大いに悲観したものだった。結果的にウソをついた経済評論家は流言蜚語の罪で懲役刑にしろ(笑)。

「まあ、元本が減らないだけ”いい”とするか、銀行に預けておいてもあの低金利だしなあ」と、自分を慰めていたところ、このところの急上昇でウハウハ状態。

何せ1ドルに対して円が10円上がると、プリウス1台分がタダになる計算なのでけっしてバカにならないし、新年早々からご機嫌なのもお分かりいただけようというもの。

近年のアメリカは国内の不景気をドル安で乗り切ろうと金融緩和による輸出振興策をとっているので、このところの円安に対して(アメリカ政府が)何らかの不快感を示すはずだが、ネットでは今のところ表だった反応らしきものは無いとあった。

安全保障上、完全にアメリカの保護下にある日本は政治・経済全般にわたって(アメリカ政府の)鼻息を伺わなければならないのがつらいところだが、アメリカのエネルギー事情が国内に膨大に眠っているシェールガス・オイルの新技法による採掘によって好転し、そのうちエネルギー大国になると喧伝されているのでその余裕が成せるわざだろうか?

このエネルギー事情の明るい展望も「強いドル」回帰への好材料である。

とにかく「アベノミクス」によって円安傾向になってくれたのは実にありがたい。いつぞやのブログで、自民党凋落の原因となったA級戦犯は安倍氏であり、今回の総裁選に立候補したものの「果たして大丈夫かいな」と、悪口を書いたがまったくその不安を裏切る好スタートである。

衆議院の任期は4年なので少なくともあと3年以上は自民党政権だろう。我がドル建て債券の満期もあと3年余りの辛抱だ。

どうか安倍さん、これからもこの勢いで突っ走ってくれえ~(笑)。


オーディオの「決まりごと」には忠実に

2013年01月03日 | オーディオ談義

昨年の7月から視聴しているクラシック専門放送「クラシカジャパン」(CSデジタル)。

月の初めに送付されてきた1か月分のプログラムのうち、気に入りそうな番組をチェックして予約録画している。今年も元旦から「とりあえず予約 → 録画 → 実際に視聴 → 気に入った演奏だけ保存」の繰り返し。

しかし、唯一の不満が画質はまあまあのところ、音質がもう一つ。

中高域部分に不足はないがどうも200ヘルツ以下の帯域が弱い。肝心の力強さと分厚さが感じられない。このファンダメンタルな響きが充実していなければ、たとえばワーグナーの音楽を聴いて、あの「背筋がゾクゾクする感じ」が味わえない。これは非常に味気ないことこの上なし。

はるか宇宙から送られてくる電波を小さなパラボラアンテナで拾ってありきたりのチューナーで音にするのだから仕方がないと半ばあきらめていた。

ところが、ある対策によってこの不満が完全とは言わないまでも見事に払拭されたのである。

以下、経緯を記してみよう。煎じ詰めれば前回のブログにも記したようにオーディオにはすべて「決まりごと」があることに由来する話。

今さらの話だが、オーディオとは「物理学の法則」と「人間の感性」とのコラボレーションで成り立っている。こ
れまで我が家はどちらかといえば、メーカーの指示なんかほとんど無視して、もう分かっているといわんばかりに、「感性優先」でやってきたわけだが、今回のMさんのメールは初心に戻って「物理学=基本=決まり事」はきちんと押さえたうえで感性を発揮して応用しようという謙虚な気持ちにさせてくれた。

まず、真っ先に思い浮かんだのが愛用しているDAコンバーター(ワディア27ixVer3.0、以下「27」)のボリュームの使い方。

         

この「27」にはデジタルボリュームがついており、プリアンプなしでも使用できるようになっている。目盛が「0~100」となっていて、1dbが2目盛になっている。現用のシステムには「27」の出力を4分配し、低域用としてそのうちの1系統をアッテネーターを経由してアンプと接続している。

取扱い説明書には、「27」にアッテネーターやプリアンプを接続するときはボリュームを最大限の100まで上げることとあったが、そのうち、すっかり忘れてしまい、聴取位置から音量の調整をリモコンで遠隔操作出来る便利性を優先して、「27」のボリューム目盛を60程度にし、アッテネーターの固定目盛を5時の位置にしてこれまで聴いてきた。

たとえば、ソースにも録音レベルの高いものから低い物まで千差万別でジャズの「サキコロ」などを聴くときには、遠隔操作で「27」のボリュームを90目盛程度に上げていたというわけ。

そこで、今回「決まりごとには忠実に」をモットーに、まず「27」のボリュームを最大の「100」にして、アッテネーターのボリュームを絞り込んで3時の位置にして聴いてみたところ、低域の目方がグ~ンと見違えるほど増えた。いやあ、これには驚いた!

CDを聴いてみても悩みの種だったJBLの3ウェイシステムの「D130ウーファー」と「375ドライバー」の繋がりに不自然なところがまったく感じられなくなった。原因はここにあった
のか!あ~、良かった。

音の入り口部分で十分な電圧を確保しておくことの重要性を今さらながら認識。これまで「27」を10年以上使ってきたのに、今ごろこんな初歩的なミスに気付くなんて、まったく、バカに付ける薬なし~(笑)。


一年の計は元旦にあり

2013年01月01日 | 独り言

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしく~。

「一年の計は元旦にあり」

元旦に(ブログを)投稿するのは、気持ちの区切りがついてやはり清々しい思いがする。はたして今年がどういう一年になるのか、どうか健康で心穏やかに過ごせますように~。

年頭に当たり、今年の目標を思いつくままに記してみた。

1 オーディオ

現在三系統あるシステムのうち、SPユニット「AXIOM80」と「リチャードアレンの口径20センチのフルレンジ」は言うことなしの状態でこれ以上いじる必要なし。調子に乗って、あれこれ”いじり回す”と罰が当たりそうなので止めておくことにする。

問題はJBLの3ウェイ・マルチアンプ・システムで、低音域(D130:ハイカット200ヘルツ)と中音域(375ドライバー:ローカット300ヘルツ)の繋がりがどうもうまくいかない。375に2441用のダイアフラムを取り付けているのでそのせいもあるのだろう。

とにかく、音質的には一番重要で目立つ帯域なので何とかしたいところ。アンプの交換やコイルの挿入などを計画中。

現在、知人のご厚意でいただいたプリアンプの改造をMさん(奈良)にお願いしているので、戻ってきたらすぐに取り掛かる予定。

ちなみに、Mさんからご参考までにとJBLユニットの使い方についてノウハウが記載されているホームページの紹介があった。興味のある方はご覧あれ。

http://www.e-staff-net.com/yomoyama/jbl_install_technic/jbl_install_technic.html

前段だけ紹介しておくと、

「時間を超えて未だに絶大な人気を誇るJBLのユニット群。まさに名器の名を欲しいままにしてきたと言っても過言ではないでしょう。しかし、肝心の使いこなしとなると「?」と思う事が多々あります。 

JBLは非常にシステマティックに各ユニットを構成するメーカーです。一つのキャビネットに数種類のユニットを組み合わせてラインナップを充実させてきたのです。おのずと各コンポーネントには、組み合わせについて「決まり事」があるのです。例えばクロスオーバー周波数がxxxHzだからといって勝手にネットワークを自作してもJBL本来のサウンドが得られる事はまずありません。 

初期のJBLユニットには製品の中に、この「決まり事」を解説した取扱説明書が付属されていました。この説明書に従って各ユニットを接続する事によって「最低限」の「理想的なJBLサウンド」が約束されていたのです。以下は、その取扱説明書の抜粋です。もしも初めて御覧になる方は改めてJBLの先進性・合理性に驚かれる事でしょう。また、ベテランの方にとってはもう一度基本に戻ってみるきっかけになるかもしれません。」 以下略~。

これを読んでみたら、我が家におけるあまりの自分勝手な使いっぷりに、思わず赤面(笑)。

2 読書

今年も大好きな「ミステリー」をじゃんじゃん読むぞ~。

さて、この29日に帰省してきた娘が「お父さん、これを読んでみて。凄く面白かったよ。」と渡されたのが「容疑者Xの献身」(東野圭吾)。

ちなみに娘はオヤジに似て大のミステリーファンである。東野圭吾は最近では「白銀ジャック」などを読んだが人物像の彫り込みがちょっと弱いところがあって、イマイチの感があったのだが、本書は滅茶苦茶に面白かった。トリックも抜群だし犯人像の心理もよく描けている。なんだ、東野は~。やればできるじゃないか!

おかげで大晦日は朝から読書にかかりっきりで、一日で読み上げた。1年最後の日になってこの年最大の収穫を得ようとはまさか思わなかった。しかし、カミさんは「本ばかり読んでないで少しは家の手伝いをして」と、ご機嫌斜め。

まあ、いっか。

また、娘が同時に持ち帰ってきた本に「東西ミステリーベスト100」(1月4日号)があって、(娘の)お墨付きが5位にランクインされている宮部みゆきの「火車」(かしゃ)。ちなみに、1位から4位までを上げておくと順に「獄門島」「虚無への供物」「占星術殺人事件」「ドグラ・マグラ」である。

                     

宮部みゆきの本は図書館に溢れているので購入するほどのこともなし、年明け早々に借りることにしよう。

3 ブログ

ブログを始めてから速いもので7年目に突入しているが、さすがにこのところちょっと疲れてきた。以前は一度書いた記事をみっちり時間をかけて校正していたのだが、今では面倒くさくなって書きなぐりの連続。

それでもアクセス数は減るどころか、逆に増加しているのがどうも解せない。内容はともかく、何か書いておけばいいのかな?「質と量」とは比例するのか、それとも反比例するのか、どうもよく分からないところがある。

たとえば次から次に新作を出す多作の作家なのにむしろ作品の質が上がる例もある。まあ、継続が何と言っても一番大切なんだろう。

ちなみに、これまで1年ごとに1日のアクセス数が100件(IP)ほど増えてきた。つまり、ブログ開始後1年目が100件、2年目が200件・・・・。さすがに6年目に入ると、500件台で終始。

この辺がブログの内容と当方の筆力それに、オーディオという極めてマイナーな趣味の限界かなあと思っていたところ、この半年ばかり心境の変化でコマメに1日おきの更新を続けたところ、何と現在ではときどき600件を軽く超える状況になってきた。

こうなると、1日当たり700件への欲が出てくる。人間の欲望は果てし無い!

ところで、人気度の一つの目安となるランキングにも応募しているのだが、これはどうも当てにならない。アクセス数が600件なのに、ランキングの(1日当たりの)得票数はせいぜい、いい時で200ポイント程度。単純計算だと「600ー200=400」なので、400人がランキングのバナーへのクリックをサボっていることになる。