「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「素数」へのこだわり

2013年05月12日 | 独り言

こまめに図書館通い(4か所)を続けていると「雑学大好き」人間にとってピッタリの本に出くわすのが楽しみの一つ。

10日(金)に隣町の図書館で見つけたのが「日本人の総疑問」(2012・12・刊)。

                

盛り沢山の質疑応答の中から特に興味を引かれたのが「なぜご祝儀は奇数がよいとされるのか?」

その答えは次のとおり。

「結婚祝いや入学祝を包むときに。いつも悩まされるのがその金額だろう。結婚祝いなら新郎新婦との関係や披露宴の内容、年齢によってずいぶん違ってくる。

ただし、いくら包むにしても共通しているのが奇数へのこだわりである。2万円、4万円より、1万円、3万円の方が縁起がいいとされる。

特に結婚祝いでは、偶数は「割れる」にも通じると、敬遠されている。このように、偶数よりも奇数にこだわるのは中国思想の影響である。

中国では昔から、陰陽の考えが基本になっており、奇数には、陽、明、表などのイメージがあるとされる。つまり積極的な面をあらわし、めでたい数字とされている。七五三の祝い、三々九度、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句など行事や祝い事も、奇数にちなんでいる。

これに対して、偶数は陰となり、陽の当たらない数字とされた。この考えが日本にも伝わり、祝いの席では偶数を避けるようになったのである。」

まことにごもっともな答えだが、個人的には「縁起の良し悪し」だけではどうも説明がつかないように思う。

たとえば、身内や知人の葬儀に列席するときに「ご香典」を包むわけだが、4千円とか6千円とかの偶数を包む人は先ずいないはず。たとえば比較的近い縁者の場合なら3万円、ご近所などの知人の場合などは3千円、5千円といったところだろう。

葬儀とは亡くなった人を弔う儀式だからけっして縁起がいいとはいえないのに、ここでも奇数が用いられているので、これは上記の答えでは解釈できない。はたしてどう考えればいいのだろうか。

そこで、出てくるのが「素数」という概念である。


周知のとおり、「素数」とは「自分以外の数字でこれ以上割ることが出来ない数字」のことで、具体的には2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31・・・・・とアトランダムにずっと続いていく。ちなみに、2という数字は偶数では唯一の素数である。

この素数は若い数字では頻繁に出現するが数字の桁数が大きくなるにつれてまばらにしか出てこない。その出現する順番の法則を解明しようとしたのが、いまだに数学界最大の難問とされる「リーマン予想」である。

素数は「数の原子」とも呼ばれている。原子がはたして貴重かどうかは見解が分かれるところだろうが、モノの本質に行き着くという点では疑いを容れない。たとえば2、4、6などの偶数に比べて3、5、7の方が値打ちのある数字にみえないだろうか。

ちなみに自分の誕生日は3月7日。3と7は素数だし、膨大な数の精子の競争を経て奇跡的に生まれてきたわけなので、縁起をかついで日常生活では可能な範囲で「素数」を大切にすることにしている。

たとえば、まことに他愛ない話だが運動ジムでエアロバイクを漕ぐときの負荷は53、あるいは調子のいい時は59という素数を選択する、オーディオのスピーカーは3系統、真空管アンプの台数はすべて三極管7台にするといった具合。そういえば愛してやまないJBLの中域用ドライバーの型番は「375」(笑)。

とにかく考えてみると私たちの身の回りは四六時中、数字に取り囲まれているが皆さんもやむなく何らかの数字を選択しなければならない局面に至ったときは、「数の原子=素数」を頭の片隅に置かれたらいかがだろうか。

本書には、ほかにもたくさんの興味ある雑学があった。かいつまんでいくつか紹介すると。

「日本の地名は、なぜ漢字二文字が多いのか?」これに対して、

「いまから1300年ほど前に、地名は二字にせよという命令が国から下り、その名残である」

「会社に出す手紙はなぜ“御中”と書くのか?」これに対して、

『返信用のはがきや封筒にはよく「〇〇会社 行(宛)」と、印刷してあるが、そういう場合はその行(宛)を消して「御中」に直すのが常識である。なぜかというと、これは御社へ手紙を出すのですが、担当者などのお名前が分かりませんので、会社の中のどなたかにお出ししますという意味である。』

最後に「とてもヒマそうな古書店がつぶれないのはどうして?」これに対して、

「古書店にはふつうそれほどお客が入って繁盛しているとは思えないが、そうつぶれることもなく営業を続けている。いったいなぜだろう?実を言うと、古書店は店頭で売っている古書の売り上げで喰っているわけではない。売り上げの多くは研究機関や学者、作家らから注文があったときに、何十冊、何百冊もの本を持ち込み相当な額の商いを成立させているのだ。昔、作家の司馬遼太郎氏が歴史小説を書くとき、トラックで運ぶほどの古書を買い集め、古書の相場が動いたという話は有名だ。」


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