(前回からの続きです)
主催者発表による今回のSPレコード試聴会のテーマを再掲してみると、
1 エジソン蝋管に始まる(長い)オーディオの歴史の中で、(音質的に)過去に何を捨てて何を追加してきたのか?
2 最良の状態で再生するSP音源は現在のデジタル音源全盛時代でも充分オーディオ的に通用するのか?
3 最新のオーディオ機器では再生されない実体感のある世界を現出できるのか?
の3点となる。
「今さら、SPレコードなんて雑音だらけで帯域も狭いし、それにステレオじゃないんだから聴けたもんじゃないよ」というのが、大方のオーディオマニアのご意見だろうが、そもそもSPレコードの音に対する姿勢と評価はマニアによって随分異なるように思う。
その分かつポイントは「周波数レンジ」に対する考え方にある。
人間が聴くことのできる周波数帯域は周知のとおり、20~2万ヘルツとされており、この範囲を再生装置からきっちり出したいと思うのがマニアの常というものだが、中にはレンジ以外の要素、たとえば音の力強さや佇まいなどを重視して「実在感のある音」をことさら優先するタイプがいてもちっとも不思議ではない。
いわば後者のタイプがSPレコード派ということだろうが、今回、こうして本格的な再生システムで聴くSPレコードの音はやはり格別のものがあった。
データ上では周波数帯域やSN比などにおいてCDに適うはずがないのに、実際に聴いてみると会場全体の空気が震え、肌で直接感じるような臨場感はとてもCDの及ぶところではなかった。とりわけツィーターもないのにヌケが良くて、厚くて生々しい中高音には惚れ惚れした。
こういう音を聴かされると、「周波数レンジとはいったい何ぞや?」という気にさせられるから不思議。自分の知っている範囲で言わせてもらうと「レンジを追い続けてもきりがない」と、早々に見切りをつけて他の要素にこだわるマニアは極めてハイレベルの人たちに限られている。
ただし、今回の試聴会の曲目は1部、2部合わせて全体で23曲だったが、その内訳はボーカルが18曲、あとは単独楽器がほとんどで、オーケストラなどの大編成の音をどう再生できるのかという課題は残る。
スピーカー1個による再生に適したソースがほとんどというわけなので、まあ、選曲が意識的かどうかは別にしてSPレコードに最も適しているのはボーカルなのだろう。
まるで目の前に歌手が立って唄っているような錯覚をするほどの生々しさはとても忘れ難かった。また、肝心の針音があまり気にならなかったのはいったいどうして?
カートリッジ(ダイア&サファイア針)、EMTのプレーヤー、マッキンのプリとパワーアンプ、SPユニットすべての相性が良かったのだろうか。それとも、あまりに生々しい音過ぎて目立たなかっただけなのだろうか。
なお、この日はゲストとして「テイチク」の録音担当だった方が奈良から遠路はるばるお越しになっており、終わり際に往年の大スターたちのエピソードを披露されていた。
「石原裕次郎は吹き込みのときに、脇のテーブルにビールを3本置くのが常だった。それも銘柄指定でキ〇ン。先ず1本をラッパ飲みして完全に空けてから1曲目を吹き込む。それから、2本目以降はコップに移して随時飲みながら吹き込んでいく。3本目ともなると、もう吹き込み不可能な状態になることが多かった。当時のギャラは(吹き込み)1回あたり20万円で大学出の初任給が1万7千円の時代です。吹き込みが終わった後でよく飲みに連れていってもらいました。」
石原裕次郎といえば中高年齢層にとって永遠の大スターで、もう亡くなってから相当経つが、現在ではどのくらいの方々の記憶に残っているのだろうか?また、歌手の田端義夫がギターを持っていないと唄えず、ギターがないときはスコップでもいいという話には大いに笑えた。
それから、試聴会が終わった後で会場元となったお寺のご住職さんの、別棟のオーディオシステムを拝見させていただいた。
実際に映像を観るときは次のとおり自動的にスクリーンが上がる仕組みになっている。
システムはアルテックの「A4」だとお伺いした。
一度でいいからこういうシステムで「クラシカジャパン」(CS放送)を観てみたい!
なお、最後にアンケート調査があったので「次回から有料にしてはいかがですか」と、提案しておいた。
試聴者は全体でたかだか30名程度だったが、オーディオ機器の運搬や会場の設営、資料作製などスタッフの方々のご労苦を偲びながら、金銭的な補償なんて問題外だろうが試聴させていただいた感謝の気持ちをせめて何らかの形で表したいところ。