「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

陽の当たることが少ない楽器「ヴィオラ」

2013年05月19日 | 音楽談義

数日前のブログに掲載したように、ピアノソナタ8番(モーツァルト)を6名の演奏者ごとに集中的に聴いてみたところ、改めて相性の良さを痛感して、このところ聴いているのはもっぱらモーツァルトばかり。

振り返ってみると、40年来、彼の音楽を愛好してきたが、どんな名曲でもしょっちゅう聴いていると倦んでくるのは否めない。したがって、周期的に彼の音楽に疎遠になったり、密着したりを繰り返してきたが、現在は熱愛中といったところ。

どうか、このまま当分、冷めないでほしい(笑)。

さて、ピアノ・ソナタをひと通り聴き終わると、次は弦楽器系に移ってヴァイオリン協奏曲(1番~5番)をじっくりと聴き、そして比類なき名曲とされている「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(K.364)に行き着いた。            

解説を「名盤鑑定百科~モーツァルト編~」(吉井亜彦)から引用させてもらおう。(抜粋)

「この作品は永遠の生命を得た傑作として愛聴され続けてきている。独奏ヴァイオリンとヴィオラのためにかかれているが、この両独奏楽器のどちらかが主とか従になることなく整然としたバランスのもとに固有の持ち味がいかんなく発揮されている。

全体の構成も実にしっかりしている。三つの楽章がいずれも他にもたれかかることなく自立していて、それぞれがたいへん魅力的。その上で全体は何気ないひと息のような自然な流動感を保っている。水も漏らさぬ緻密な構成力といっていいだろう。書法も目を見張るばかりの充実ぶり。

独奏楽器とオーケストラとの協調も少しも力まずになされており、これ以外は考えられないほどである。転調の手法も効果満点。このように鮮やかに駆使できるのはモーツァルトの独壇場で、彼に匹敵できるのはシューベルトがいるだけだろう。

この曲が作られたのはモーツァルト23歳のとき。我が国の基準でいうなら大学を出たばかりの若者が、このような驚くべき傑作をかくとは~。」

以上、手放しの絶賛ぶりだが掛け値なしにそう思う。

この曲目は現在、「五嶋みどり&今井信子」と「パールマン&ズーカーマン」の二つの盤を持っている。後者は3か月ほど前に購入した「モーツァルト全集」(55枚組)のうちの1枚。

          

いずれ劣らぬ名演だと思うが、あえてどちらかと問われれば「五嶋みどりコンビ」を採る。

比較的ゆったりとしたテンポのうちに張り詰めた緊張感とモーツァルトらしい伸びやかさがほどよく調和して気持ちがいい。「(録音を振り返って)これほど気持ちを浮き立たせてくれたセッションはこれまで数えるほどしかない」(五嶋みどり)というのも充分頷けるほど。

さらに、この曲の特徴として挙げられるのが、日頃から伴奏に徹して滅多に陽の当たることが少ない楽器「ヴィオラ」が活躍していること。

その辺はさすがにモーツァルトで、それなりの仕掛けをちゃんと講じている。

「ヴィオラに独奏楽器としての華やかさを持たせるために、スコルダツゥ-ラ(「調子はずれ」の意味)と呼ばれる調弦法を指定していて、弦の張りを強めて半音高く、変ホ長調(ヴィオラ・パートはもともとニ長調)に調弦するようにしている。これにより、ヴィオラが特別な輝きと良く通る響きをもたらしている。」(CDライナーノート)

                            

ネットから画像を拾ってみたが、ヴァイオリン(左)よりも一回り大きいものの、チェロよりもぐっと小さく、何となく中途半端な大きさのヴィオラ。

基音(倍音を含まない楽器の音域)を見ても、チェロはおよそ80~900ヘルツ、ヴァイオリンはおよそ200~3000ヘルツ、そしてヴィオラはおよそ150ヘルツ~1500ヘルツだから、音域の上でも中途半端な存在を象徴している。

まるで、重厚で落ち着いた長男(チェロ)と華麗・優美でやんちゃな弟(ヴァイオリン)に挟まれて、自らの個性を発揮できず悶々としている次男みたいな印象を受ける。

その可哀想なヴィオラが珍しく独奏楽器としてヴァイオリンに伍して生き生きと躍動しているのが「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」というわけである。

ヴィオラの魅力に溢れたこの曲を、まだ聴いたことがない方は是非ご一聴をお薦めしたい。

 


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