20日のお彼岸の中日(春分の日)は、予期せぬ「なごり雪」で、家の中で過ごしてしまいました。
その翌日21日の午前、私は長岡市和島島崎の菩提寺「隆泉寺」に、お墓参りをしてきました。
いつ来ても、なんとなくうれしくなる「お墓参り」なのです。
ご先祖へのお参りであることの他に、ここには「良寛さまのお墓」もあるのです。
そして、いつもいつも代わり映えのしない「良寛さまゆかりの写真」などを撮っています。
今年も、同じことでした。そしてなんとなく満たされてしまっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/48/a413f4119745fb3cb395386100755dc0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f6/cb66a79481670b074c00a48802048d9d.jpg)
訪れるたびに、「良寛さまの銅像やお墓」を撮っています。
「禅宗のお坊さん」であった良寛さまのお墓が「浄土真宗のお寺」にあるというのも、何と言うかいい感じに思われます。
たぶん、最後まで良寛さまを面倒見られた「木村家」の菩提寺にお墓があると言うことでしょう。
おそらくそのことは、良寛さまも「お願いします」ということであったろうと思います。
「良寛さま」というのは、そういう「おおらかな、とらわれのない人柄」であったと思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/00/50d2240d96ab25fc88ee5daebfa9b610.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/16/0c1ef888b2e22d1abdd14dce21d8bd45.jpg)
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境内には戊辰戦争の戦火を逃れた「経蔵」が残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/4a/61815accd8ebf36c18e94ab331bd71d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/5b/6994e0b93cd4fb06b29e492481255800.jpg)
お墓参りの後先に必ず通る「木村家」の裏を通る道、そこに「良寛さま」が最晩年を過ごされた「終焉の地」の碑があります。
ここには「貞心尼と語り明かした」庵があったのだ、そう思うと胸に迫るものがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/38/4be56493422ab0c43b4b1e3a1f5166f0.jpg)
その翌日21日の午前、私は長岡市和島島崎の菩提寺「隆泉寺」に、お墓参りをしてきました。
いつ来ても、なんとなくうれしくなる「お墓参り」なのです。
ご先祖へのお参りであることの他に、ここには「良寛さまのお墓」もあるのです。
そして、いつもいつも代わり映えのしない「良寛さまゆかりの写真」などを撮っています。
今年も、同じことでした。そしてなんとなく満たされてしまっています。
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訪れるたびに、「良寛さまの銅像やお墓」を撮っています。
「禅宗のお坊さん」であった良寛さまのお墓が「浄土真宗のお寺」にあるというのも、何と言うかいい感じに思われます。
たぶん、最後まで良寛さまを面倒見られた「木村家」の菩提寺にお墓があると言うことでしょう。
おそらくそのことは、良寛さまも「お願いします」ということであったろうと思います。
「良寛さま」というのは、そういう「おおらかな、とらわれのない人柄」であったと思っています。
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境内には戊辰戦争の戦火を逃れた「経蔵」が残っています。
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お墓参りの後先に必ず通る「木村家」の裏を通る道、そこに「良寛さま」が最晩年を過ごされた「終焉の地」の碑があります。
ここには「貞心尼と語り明かした」庵があったのだ、そう思うと胸に迫るものがあります。
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