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これは今日の夕方、「阿賀野川堤防」の上からの「飯豊山」の様子です。
あの白い峰の向こうは、山形県それに福島県です。
今日は、朝からTVで「東日本大震災3.11特集」番組を、ずーっと見続けてしまいました。
立ち直ろうとする現地の人々の様子に、何度も涙しました。
また、多くのボランティアの方々の活躍やご苦労を思って、頭が下がります。
私は何もしてあげることができなかった、無力感と後ろめたさを感じていました。
文政11年(1828)11月12日午前8時、新潟県三条市を震源とする「三条大地震」が起きました。
当時の「三条」はほとんど壊滅状態となりました。
そのとき「良寛さま」は何人かの親しい方に見舞状を出されました。
その中に「しかし災難に逢時節には災難に逢がよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、
是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と書かれました。
災難防止、災難予防、減災の工夫など数々の工夫や努力は当然のことながら、一度噛みしめてみるべき
言葉ではないかとおもっていますが、いかがでしょうか。
それに引き替え、「原発事故と災害」はまことに看過できることではありません。
いまにして思えば、あまりに「自然のパワー(地震津波、核エネルギー)」を見損なっていた知識や技術の浅はかさを、
いやと言うほど知らされました。「想定外」とはなんたることでしょう。
このことは、人の無知であること、人の愚かさを表している何ものでもありません。謙虚さが足りませんでした。
ふたたび「良寛さま」の辞世の歌とも言われている
「形見とて何残すらん春は花 夏ほととぎす あきはもみぢ葉」があります。
「原発」は、未来に何を残すことができるのでしょうか。
このへんで、むなしい廃墟と隣り合わせの繁栄ではなく、花を愛でる心づくりこそ目指すべきではないでしょうか。
どうも、あたらしい豊かさの「スケール」がほしいですね。
す。
TVを観ながら眼が潤むこと数え切れないことでした。
世界に人間の驕りを知らしめたような感じがします。
銃による殺し合いが未だ堪える気配もなく、過信と傲慢による不遜が世界に蔓延しているとしかいえないですね。
10年以上前に原発見学に参加したことがあります。
在職中、高圧ボイラを管理していた時期がありまた。
最新・最高のボイラといわれていましたが、蒸気漏洩の恐怖を何度も経験して対処に追われたものでした。
「原発は放射能漏れなど、最大限の配慮をしていますので安全です!」と担当者が自信をもって言ったのです。
「機械装置や圧力容器に安全はない!放射能の恐怖は原爆で知り尽くしている国民です!」
「原発は必要悪です!」と発言したので、会場はすっかり白けてしまいました。
数十万トンタンカーのボイラどころでないモンスター爆弾は人間の驕りに反省を促すことを恐れました。
3.11は私にとって悲しい一日でした。
避難していた息子家族もどうにか日常に戻ったので私も安堵しています。
久しぶりに良寛様の東屋を訪ねたいものです(^o^)
私を始め多くの方も「安全神話」を疑わなかったですね。あまりに素朴すぎました。
すべてがうまくいっても運転30年、廃炉30年でしょうか。放射性廃棄物は他の所での保管は無理でしょうから、原発敷地内と言うことになりましょう。ならば、ほぼ永久的に人の住める場所とはならないわけでしょう。
世界各国で原発建設です。まさに、子孫に残す負の遺産の増産ではないでしょうか。
「いわき」での息子さん家族も落ち着かれたとか、よかったですね。
それにしても、今回の災害で、みなさんの「ふるさとへの思い」がいかに強いものであるかを改めて知りました。「郷土愛」なのでしょうか。