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柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

安曇野IC

2012年10月11日 | 旅行など
 私たちの「老連秋葉写真クラブ」では、この時期毎年1泊の撮影旅行です。

 今年は、長野県「安曇野のわさび田」と「蓼科方面(横谷渓谷、白駒の池)」や「八千穂高原」がポイントです。
多少費用は嵩んでも、安全、ゆとり、に配慮したプランとなりました。

 9日(火)朝8時、新津駅西口を新潟交通「サロン付きバス」がスタート。総勢17名、ガイドさん付きです。
新津スマートICより磐越道に入り、北陸道、上信越道、長野自動車道と走りました。

 「米山サービスエリア」から、「柏崎刈羽原子力発電所」を望遠しました。
原子力発電を必要としない、そんな時代がきてくれないものか、などと思っています。


 「姨捨サービスエリア」から「善光寺平」の様子です。
新潟平野って「千曲川」が運んでくれた堆積物で生まれているわけだろうから、母なる川なのだよなあ、そんな感慨がよぎりました。


 つい最近、「豊科IC」から「安曇野IC」と名称が変わった「安曇野IC」で降りて、「大王わさび農場」に着きました。
到着は、ちょうどお昼時でしたので準備されていた「わさび味の定食」でした。
わっぱ飯や豆腐など、わさびの風味でとてもおいしくて満足できました。


 何度訪ねて来ても、素敵な風景ですね。






 わさび農場のあちこちを撮りまくって、心地よく疲れた体に「わさび味アイス最中」は最高でした。

 再び「安曇野IC」から、「諏訪IC」、そして「横谷峡」にある宿に向かいました。
夕食前に横谷峡「乙女滝」撮影に挑戦が予定されていました。

夕日が佐渡に沈む

2012年03月22日 | 旅行など
 「瀬波温泉」の宿に落ち着くと、部屋からは日本海が一望できました。
海面がキラキラとまぶしく輝いていました。

 じつは、2泊した「寺泊」では日中はまあまあのお天気だったのですが、
夕方になると水平線に厚い雲が出現して「夕日」を撮る事はできませんでした。

 今日は夕日が撮れるかも知れない。ちょっと肌寒かったのですが、外に出て撮影体勢を整え待機しました。






 太陽がぐんぐんと沈んでいきました。
あれ!またもや厚い雲に邪魔をされるかなと思いきや、なんとそれは「佐渡島」のシルエットでした。
いやー、ここではこの時期、夕日が佐渡島に沈むんだあ!こんな夕日ってはじめてでした。






 夕日が佐渡に隠れてしまいました。残照を期待したのですが、残念ながら期待外れでした。


 部屋に引き上げるとき、ロビーに飾られた「お雛さま」に気づきました。
そういえば、ここ「村上市」では「お人形さままつり」で、市内の商店などの店先に、見事なお雛さまを見ることができます。


 でも、今回はたっぷり遊び保養もできました。明日は我が家に一直線と予定しました。

小さな旅のはじまり1

2012年03月18日 | 旅行など
 15日の朝は寺泊の「ホテル飛鳥」で目ざめました。

 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいました。
汚れのめだつガラス戸越に、朝日を入れて写真を一枚、見事なゴーストも表現のうちなどと負け惜しみです。
今日はどこに行こうか、と考えながら「バイキングの朝食」を楽しみました。


 まずは、走り始めながら「国上山」の麓を通過、久しぶりの「弥彦神社」をめざしました。












 我が家には、ちょっとこのところ「お弥彦さま」にお願い是ありでしたので、念が通じるようにお賽銭もはずみました。

 さて、ここまで来たのですからと言うことで、一度寺泊に戻り海岸通りを「出雲崎」に向かいました。

荘内への撮影旅5

2011年07月24日 | 旅行など
 私たち「秋葉写真クラブ」の撮影旅も最後のメインスポット「酒田・相馬楼」に到着です。

 やはり、このところ世間の様子は違っていました。「頑張れ東北日本」ですね。
シニアながら、ささやかな散財でせめてもの元気をお届けできたら、そんな風にも思いました。
なにしろ、どこに行っても極端に人影がすくないのですから。

 ここ「相馬楼」では、その日、お客は私ども12名だけでした。
さいわい、いつもでしたらごった返している内部も、
「相馬楼」ならではの風情をお庭、お部屋とふんだんに撮影させていただきました。















 昼食をいただいて、一休み。わくわくしながら「酒田舞娘」さんの登場を待ちました。
いつもでしたら、撮影ポジション確保に必死なのです。私の過去2回のここでの経験がありました。
今日はどうでしょう。12名のメンバーだけの撮影会となっていましたから。
それぞれが準備したレンズの長短で、それぞれがベストのポジションをしめることができたようでした。

 鮮やかな「朱色」が相馬楼らしい華やぎを演出しています。
みなさん、それぞれに満足されたようでした。
新潟への帰路となり、バスのなかで残り物の「ビールにお酒」が配られました。
皆さん、気持ちよくおやすみしながら、無事「新津」に到着できました。

荘内への撮影旅4

2011年07月23日 | 旅行など
 私たち「秋葉写真クラブ」の面々は、羽黒山麓の「大塚坊」を出発、酒田に向けて走りました。

 メンバーのみなさんも何度か訪れている、ここ「山居倉庫」に到着。
明治時代の建物ながら、合理的な設計によるこの「米倉」は、今でも現役であるようです。
それに、何とも「絵になる」と言うことではないでしょうか。

 政治の街・鶴岡、そして経済の街・酒田でしょうか。酒田を代表する建造物だと思います。
お米を運んだであろう川船も展示されていました。「紅花」がまさに花を添えて居ました。











荘内への撮影旅3

2011年07月22日 | 旅行など
 羽黒山宿坊での朝は早起きでした。
3人の仲間と連れだって午前5時前には羽黒山門前「手向(とうげ)」の宿坊街を散策しました。

 街通りは静かそのものでした。お空の雲も見事です。家々には縄の印が飾られていますが、何なのかを聞きそびれていました。




 やがて、夕べのミーティングでおすすめのあった「黄金堂(こがねどう)」を発見。
今日の撮影開始でした。












 私たちは、撮影から帰ると坊のご主人から「お祓い」をしていただきました。
朝食も済み、それなりにお土産を仕入れたりして、いよいよ出発でした。
私は「ビャクダンのお線香」をひと箱、お土産にしました。

荘内への撮影旅2

2011年07月21日 | 旅行など
 昨日は日本海側、新潟県各地で今年の最高気温を記録しました。
特に「三条市38.4度」で気温が国内最高という記録が出ました。台風6号接近によるフェーン現象でした。  

 私は、午後から公民館での集い「トーク水曜会」でした。テーマは「我が家の節電対策」でした。
いろんな方の実践報告はとても参考になりました。TVの完全電源切り、電気ポットの不使用など多くの内容がでました。
 我が家の実践結果は6月分で昨年比93%、7月分で88%でした。8月分が本番ですがどうなることでしょう。
 また、夜は「シニア大学同期会の納涼会」が「新潟市東映ホテル」でありました。これらで、なんとか生き延びることができました。

 最近は暑くて、日中はパソコンの部屋(2階)は室温が高くなり、その使用がほぼできませんでした。
節電への配慮もありエアコン使用を極力控えました。そのためBLOGへの投稿も厳しいものとなっていました。
でも、台風一過、今朝ほどは少しはしのぎやすくなりました。


 前回の続き「羽黒山神社」からを紹介してみます。

 ちょうど、羽黒山神社の広場では、子供達による「子供みこし」の出発の準備が行われていました。




 私たち撮影隊は「国宝五重塔」に向かったのですが、なにしろ階段ですが相当な下りです。
残念ながら「神橋」までの方が半数でした。引き返すときの登りを心配されたようです。
残りのメンバーが何とか「五重塔」に到着できました。いわば、本日のメインの被写体ではありました。



 引き返してバスで羽黒山頂上の駐車場へ移動。
「三神合祭殿(羽黒山、月山、湯殿山)」には、ばっちりとお参りしました。
忙しそうな巫女さんに特にモデルをお願いしました。気持ちよく応じていただけたのですが、こちらは手が震えていました。






 今宵の宿は「宿坊・大塚坊」です。
坊のご主人(神主さん)、女将さんに歓待を受けました。
おいしい「精進料理」、大量のお神酒、食後の「出羽三山」をDVDで勉強もしました。
それでも、みなさんお疲れの様子、夜の9時前には就寝となったようです。

荘内への撮影旅1

2011年07月18日 | 旅行など
 「秋葉区写真クラブ(老連)」は、7月14日(木)には山形県「鶴岡市」、翌15日(金)には「酒田市」での撮影会でした。

 新潟交通の小型観光バスで、一人一シート占有の贅沢旅行でした。カメラなどの機材をすぐ脇に置けるというのは、
とても都合がいいものです。先生も入れて総勢12名でした。

 日東道高速で北上です。鶴岡に到着して「荘内物産館」で、早くも昼食です。


 城下町鶴岡では、まず「庄内藩・藩校跡」の「致道博物館」にはいりました。
「旧西田川郡役所」「湯殿山山麓の田麦俣の民家」などが移設されていました。
それに「藩主酒井氏の庭園」です。昔は借景として「鳥海山」が見られたそうです。
暑さもきわまれりという状態の中で、和服のご婦人がおいでになり、ショットに入っていただくことができました。
一気に爽やかな風情が演出できたのではないでしょうか。






 次に「カトリック教会・天主堂」に到着です。
協会内部の撮影なども許可していただき、厳粛な面持ちで真剣に撮影をしました。






 この後「羽黒山神社」に行き、今宵は「宿坊・大塚坊」に宿泊となります。

湯殿山参拝

2011年06月10日 | 旅行など
 丁度一週間前になります。
「湯殿山」を信仰をしている私の兄貴夫婦を、私はドライバーとしてその参拝支援をしてきました。
なんと今年は20回目の記念すべき参拝でした。

 湯殿山は、その大鳥居から先は神域となっていて撮影などは禁止です。
お祓いをしていただき、ご神体である湯の山にも登りました。20回目が無事すんだので、ホットしました。


 参籠所のある近辺には、まだまだ残雪たっぷりでした。
この後、下山をして「湯野浜温泉」の宿で、一夜を過ごしました。まあ、昔ながらの参拝の旅でもありました。






 翌日は、近くの「加茂水族館」で「あしかの芸」や「くらげの遊泳」を楽しみました。


 「月山」には雪解けが遅く道路が通じていませんでした。
せっかくのことですから、「羽黒神社、月山神社、湯殿山神社」を同時に参拝できる「出羽三山神社」に詣でてみました。


 昔の人は「お伊勢参り」など、実はけっこう旅を楽しんだであろう「旅の文化」をもっていたようです。
このことは、あんがい世界共通の「聖地巡礼」などであるのかもしれませんね。
どこぞの首相も、身を退かせた後には、残っている「札所めぐり」をしたい、などともおっしゃっていましたね。

みちのく5人旅(6)

2011年05月22日 | 旅行など
 13日(金曜日)、この日は日本海側のルートを通り、一路新潟へと帰ることになっていました。

 後生掛温泉をスタートして、一応は「田沢湖」まで走りました。しかし、まるで人のいない田沢湖でした。
角館でおいしいコーヒーをいただいている間に、雨もやみました。

 さっそく町中に飛び出してみました。
名残の桜も咲いていました。「角館の女(ひと)」にカメラ目線をいただきました。
新緑にツツジや椿の花などが黒塀に映えていました。角館ならではの美しさでした。












 「帰心矢のごとし」です。おいしかった「稲庭のうどん」でエネルギーをいただいて、走りに走りました。
途中、「象潟」で休憩して「九十九島の絶景」を道の駅の最上階展望台で鑑賞できました。

 ようやく日も傾く頃、新潟県に入り「日本海東北道」に乗りました。
高速道の両側に広がる広大な水田、まさに水が張られて光を反射している景観は、壮観で美しいものでした。
たぶん日本広しといえども、ここ新潟の平野に及ぶところはないでしょう。
このような景観を見たことは、驚きでもあり、誇らしくも思えました。
新潟ってすばらしいなあ!無事に帰ってきたときの偽らざる感想でした。

 たいへん長い間、おつきあいいただきお読みいただいたようですね。
ほんとに、ほんとにありがとうございました。いつかまた、旅に出たいものと思っています。よろしくです。

みちのく5人旅(5)

2011年05月21日 | 旅行など
 私たち五人衆は、「十和田湖」湖畔での昼食をすませ、「八幡平」直下の駐車場をめざして出発しました。

 途中から「田沢湖」方面から「八幡平アスピーテライン」に入りました。
高度がどんどん上がります。道路の両脇の積雪も、まだまだ多く残っていました。見晴らしが抜群になってきました。


 高度1500mを超える「八幡平山頂」直下の「八幡平パークサービスセンター」に到着。
このなだらかな丘のような山が「八幡平」で、山頂(1613m)はすぐ先になります。
2年前、家内と二人で山頂まで行ったことのある懐かしい風景でした。


 反対側に目をやれば「秀峰・岩手山」がベールで頂を隠していました。


 いよいよここからは、ちょっと引き返して、今宵の宿に向かうことにしました。
残雪がまだたっぷりです。道路の雪の壁や山肌に見える樹木などに、春の日ざしや青空が映えて幻想的でした。








 今宵の宿「後生掛温泉」に到着です。
冬と春が同居していて、湯煙にけぶるここ「後生掛温泉」は、地熱で床暖房の湯治場でもありました。




 この温泉場の名物は「泥風呂」、木箱に入り首だけ出してはいる「蒸風呂」などです。
どちらも試しに入って見ました。「泥風呂」が結構よかったかなと言うところです。
美肌によいというので、お風呂の泥を持ち帰る人がいるそうで、「泥の持ち出し禁止」とありました。

 この温泉のすぐ近くに「後生掛自然研究路」があり、小一時間ほどで回れるのですが、
どなたも行きましょう!という声が出なかったのは、やはり疲れていたのでしょうね。
さいわい、私の足の爪の痛みは忘れているほどでした。よかったです。

みちのく5人旅(4)

2011年05月20日 | 旅行など
 この日(12日)、早朝撮影、朝風呂、朝食とすませた我々一行でした。
私は、宿の女将さんにお願いして宿泊客用のゴム草履をいただきました。これで足の親指への圧迫痛を防ごうという魂胆でした。

 いよいよ「蔦温泉」を出発して、程なくブナの樹間から桜のあでやかな色が見え隠れしていました。
車から飛び降りて、それっとばかりにカメラをひっさげて、みんなで林の中に突入です。
ところが「ゴム草履」ばきの私は、足がゴム草履の上で踊り出して滑り、でこぼこの林地の中では思うように歩けませんでした。
せめてと、望遠レンズでお茶を濁さざるを得ませんでした。


 これから「十和田湖」を目指します、途中「奥入瀬渓流」に再度の挑戦です。
私はゴム草履を断念して、軽登山靴に履き替えました。
足首の所をきつく縛り、足が靴の中で遊ばないようにしました。山道の下山の時の要領でした。これがよかったようです。
なんとか指の痛みを意識することが少なくなりました。














 十和田湖では、ほとんど人を見かけることはありませんでした。震災などで自粛状態の日本のせいでしょうか。
それにしても湖畔の「乙女の像」の乙女二人は、なんと逞しいことでしょうか。
TVなどに登場する細身のタレントたちとは比べようがないくらい、魅力的で健康的でした。
「高村光太郎」に乾杯です。

みちのく5人旅(3)

2011年05月19日 | 旅行など
 この日(12日)早朝、身支度を調えて朝食前の撮影となりました。
宿の周辺には、いくつもの湖沼があり遊歩道があります。その中の「蔦沼」を目指しました。
 
 前日夕方の蔦沼撮影には、私は足指の痛みで参加できませんでした。
今朝は何が何でも参加しようと相変わらず痛いのを我慢しながら、ゆっくり歩きました。
すぐに新緑に身も心も染まってしまいました。


















 蔦沼には、私たちの他にもカメラマンが数人いました。「ハッセルブラッド6*6版」を覗かせていただきました。
いやー、みなさんそれぞれに至福の時を楽しんでおいでのようでした。
ちなみに、私ども五人は、EOS5DmarkII二人、D3s、D200など、それに私のD700でした。

みちのく5人旅(2)

2011年05月18日 | 旅行など
 私たち「PHOTOグループF」の初日の宿は、その名もずばり「蔦温泉」でした。
明治の文人・大町桂月ゆかりの地でもありました。
宿の周辺はブナの新緑に、私たちの体まで溶け込んでしまいそうでした。水芭蕉も盛りでした。








 私たちの部屋から温泉に入るには、なんと80段近い階段を下りることになります。
この階段の上り下りを何度も繰り返しました。
帳場の雰囲気もなかなかいいものでした。湯船の底から温泉が湧いているようで、気持ちのいい最高の泉質でした。




 その夜は足指の爪の回復を願いつつ、早めの就寝となりました。明朝は「蔦沼」撮影に出かける予定です。

みちのく5人旅(1)

2011年05月16日 | 旅行など
 私たち「PHOTOグループF」は、かねてからの計画通り11日(水曜日)の早朝、まず磐越道へと入りました。
「ホンダステップワゴン」は五人分の撮影機材を満載して、五人のメンバーを乗せて快調に走りました。

 「磐梯山SA]で小休憩、東北自動車道に乗り換えて、ドライバーは若手3人が交代しながら500kmあまりを走りました。
「十和田湖」が見下ろせる「発荷峠」展望台に到着。ちょっと欲を言えば「光」がほしい状態でした。




 やがて道は、十和田湖から流れ出る「奥入瀬渓流」に入りました。
まさに多くの写真で拝見していた、あの風景、あの流れが目の前でした。いいポイントで車を止めます。
 しかし、
皮肉にも、私はこの日軽登山靴でしたが、痛めてしまっていた右足親指の爪に激痛が走りました。
他の方は思い思いのポイントにいち早く移動するなかで、私はかろうじてたどり着いたポイントから動くことができませんでした。

 それでも「NDフィルター」装着した高倍率レンズを、伸ばしたり縮めたりして構図を変えたりして夢中でシャッターを切りました。
初めての渓流の表現でした。興奮しないではおれませんでした。










 あきらめきれない気持ちを切り替えて、今宵の宿、「秘湯の宿・蔦温泉」に落ち着きました。
とてもかわいい「たぬきチャン」が部屋の窓の所まで、歓迎の挨拶に来てくれました。

 宿に落ち着いた皆さんは、すぐ近くにある「蔦沼」まで撮影に出かけました。
私は歩行が苦しくて、ひとりで温泉につかり「足の爪の治療」をしていました。

 結局、3度も温泉に入ってしまいました。あしたは親指の爪も痛みが取れるでしょうか。