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柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

湯殿山にお参り

2010年10月16日 | 旅行など
 ここのところ、毎年秋も深まってくるころ山形県の「湯殿山奥の院」への参拝をしています。
兄貴夫婦と私ども夫婦で、私がドライバーということになっています。今年はこの月曜日(11日)の朝6時に出発しました。

 午前10には霧にけぶる「湯殿山神社」に到着。「奥の院」でお祓いを受け、湯の流れ落ちるご神体にも登りました。
     

 その後、山形道、東北自動車道、磐越道と走りました。連休最後の日と言うことで、あちこちで渋滞に会いましたが、無事会津若松で下りました。
何と言っても高速代金¥1,000というのは魅力でした。その夜は「東山温泉」に泊まりました。窓から「会津若松市街」が素敵に見えました。


 翌日(12日)は、どこを通って帰ろうかと贅沢な悩みをしましたが、秋色濃厚であろう「桧枝岐」から「奥只見湖」に抜ける道を選びました。

 途中「塔のへつり」によりましたが、家内は初めてだと言うことで大喜びでした。


 さらに、昨年「シニア写真クラブ」の撮影会で訪れたことのある「屏風岩」を通過しました。
     

 さて、いよいよ「桧枝岐」から尾瀬沼への入り口「御池」あたりに差し掛かると、全山紅葉でした。
あわてて撮った写真のほとんどが「手振れ」で、情けない写真ばかりだったのは、まことに無念でした。
やはり、三脚を使ってじっくり撮らなければだめですね。まあ、今回は撮影が目的ではないから、などと自分の腕の悪さを棚に上げておきました。


 いよいよ新潟県に入りました。
ダム湖の複雑に出入りする尾根と谷に沿って走る道は、とにかくめちゃくちゃなカーブの連続です。
ドライバーはシートにしっかりホールドされているので、問題ありませんでしたが、後ろのシートにいた人は具合が悪くなったようでした。

 いくら走ってもダム湖から抜けられませんでした。ようやく抜けた後、さらに「枝折峠」は、さすがにもう気力的に無理でした。
そこで、ショートカット「長い電源開発のトンネル」を走りました。抜け出ると、そこは「大湯温泉街」でした。
全員一致でもう一泊となってしまったのです。まあ、これも「湯殿山参拝のご利益」ではないかと、みんなの意見が一致しました。

美ヶ原へ(2)

2010年09月27日 | 旅行など
 昨夜は、標高およそ1,000mの「蓼科クライネYH」が宿でした。
夜は、星空撮影も考えたのですが、満月に近く空が明る過ぎました。
そこで、二人の同好の士には初のユースホステル・ライフを満喫していただきました。

 翌朝、朝食前に外に出てみると、「YH」の庭や近所はお花畑、さらに朝日が差し込んでいました。
急遽、お花の撮影会となりました。この時期、やはり主役は「コスモス」でした。














 私たちは、ゆっくり朝食を済ませ、白樺湖経由で「ビーナスライン」そして「美ヶ原」を目指すことにしました。

美ヶ原へ(1)

2010年09月25日 | 旅行など
 実は、信州「美ヶ原」に行けば、きっとすばらしい写真が撮れるはずだと、以前から思い込んでいました。
「美ヶ原」には以前にも訪れていたのですが、写真を撮り始めてからと言うことでは、今回が初めてでした。

 我が女房殿が、お友達との「鎌倉・藤沢への旅行」が、この21日から23日まで予定されていました。
私も、我が同士をお誘いして、シニア3人組で、カメラや撮影機材を積み込んで「美ヶ原」へ出発しました。

 21日、「上信越道・姥捨SA」で、「ソースカツどん」の昼食、おいしくて元気もりもりとなりました。
「松本IC]で下りて、無事「美ヶ原」に到着できました。

 標高2000mの高原は「秋の気配」いっぱいでした。






 広大な高原の牧場には、ゆったりと馬や牛たちがたむろしていました。




 「美しの塔と電波塔」を見て、確かに「美ヶ原」に来たんだなあと実感しました。




 レンズも広角から望遠まで、すべて準備していたのですが、一番軽くて機動性に富む広角レンズばかりでの撮影でした。
結果として、やたらと「お空」ばかり撮ってしまいました。そんな簡単に素敵な写真が撮れるわけがないですよね。

参詣の旅

2010年07月16日 | 旅行など
 私たち夫婦と兄貴夫婦で、いつかは、いつかはと思いながらも実現していなかった「参詣への小さな旅」をすることができました。

 10日土曜日、磐越道から東北自動車道を乗り継いで栃木県の「古峰神社(ふるみね)」参詣でした。家内と運転を交代しながら、余裕を持って午前中には到着できました。

 兄貴夫婦は、先祖代々この神社へのお参りを続けてきていたものですから、責任を果たせてほっとしていました。
私たち夫婦も「お祓い」をしていただきました。きっといいことがあることでしょう。

 日本はもとより世界の各地で、聖地への巡礼などが盛んですが、心の平和や達成感が満たされるなどとてもいいことのように思われます。
   
                
         
               
 その夜は「鬼怒川温泉」泊で、ゆったりとした時間をすごしました。

 さて、翌日11日は日曜日でした。
日本の世界遺産のひとつ「日光の社寺」を訪ねました。何度も訪れている「日光東照宮」ですが、最近見てきたばかりの「韓国の寺や王宮殿」などとも比較できたり、なかなか興味深く見学できました。
                 
        
      
                  

 日本では、特別な人を神様にしたり、神社の門に「仁王様」を置いたり、なんと言うべきでしょうか。
類まれな民族なのかも知れませんね。
意外と世界に誇ってもいいことのようにも思われますが、いかがなものでしょうか。

大野亀から「願」へ

2010年06月21日 | 旅行など
 私たち「秋葉写真クラブ」の面々は「大野亀」での撮影を満喫しました。
その後、バスで少し移動して、「願(ねがい)」と言う小さな小さな漁港に到着。

 ほとんど人影がないのですが、それでも土地の女性が気さくに会話に応じてくれました。 
 
           
        
                    
        
 
 そこを通り過ぎて、「二つ亀」方面に、かなりの距離、海岸を歩きました。
やがて、そこには「賽の河原」が現れました。
佐渡は流人の島でもありました。先立った人たちの供養と悲しみ救済のためでしょうか、小さな小さな「地蔵菩薩」が数限りなくありました。
     
             
                      

 再びバスに戻り、「鷲崎藻浦」の民宿「栄国屋」に到着、そして雨も降り出しました。
このことで、「夕日と朝日」はきっぱりとあきらめました。

 そうなると皆さん、楽しく飲む以外にすることもないわけです。
ところが、民宿の女将さんが大奮闘して私たちの期待に応えてくれたのです。
出るわ出るわ、鯛の生き作りのお刺身に始まり、次から次へと食べきれないほどのご馳走でした。

 その夜、みなさんは白河夜船、そのころ「イカ釣り船の漁火」が見事だった、と言うことでした。

トビシマカンゾウ

2010年06月17日 | 旅行など
 6月15日(火)、新潟西港を9時半「おけさ丸」は静かに岸壁を離れました。
私たち「秋葉写真クラブ」13名が乗り込んでいました。
佐渡は外海府「大野亀」の「トビシマカンゾウ」の撮影をメインとした一泊の撮影旅行です。

 小学校の子供たちの、佐渡への修学旅行と一緒になりました。
カッパエビセン目当てのカモメたちの伴走と子供たちの歓声で、賑やかとなりました。

 親日本海フェリーの大きな船体を見ながら進みます。
何年か前、このフェリーで「車チャレンジャー」とともに北海道に渡り、北上を続け「利尻・礼文島」にも上陸して、走り回ってきたことが思い出されます。
       

 2時間ちょっとの船旅ですから、まもなく「小佐渡」を見ながら両津湾に入っていきます。小佐渡の上空の雲、どうもお天気は下り坂のようです。               

 両津に上陸して、すぐに「いかだんご」なる昼食をとり、チャーターしてある中型観光バスで出発しました。
コースは「内海府海岸」経由で「弾崎」を通り「大野亀」でした。

 目の前に広がり、咲き乱れる「カンゾウの花」と「大野亀の景観」に、みなさん一目散にポイントへ、夢中になって撮り始めました。

           
                        


             
        
 写真でも、お分かりのように、だんだんと曇り状態となってきました。しかも、猛烈に蒸し暑くなってきました。
                        

ソウルから新潟へ

2010年06月03日 | 旅行など
 政権交代という歴史的な出来事でしたのに、早くも総理交代とは、ちょっとですね。
でも、よい方向への出発となった政権交代であった、そのように思っているのですがね。

 さて、韓国滞在最後の日となりました。5月22日のことでした。
今日は、2ヵ所の世界遺産を見学します。

 まず、最初は「宗廟・チョンミョ」でした。
歴代の朝鮮王朝の王や王妃が祀られている廟です。この前の広場では、現在でも儒学にもとずく祭礼が執り行われているそうです。時代絵巻が再現されるわけです。
       
            

 次に訪れたのは「昌徳宮・チャンドッグン」でした。
ソウル市内には五つもの宮殿があるそうですが、この宮殿は実際の「政務や王族の住まい」として長く使われていたそうです。
写真は、政務などの中心として使われた「仁政院・インジョンジョン」です。中には「玉座」などもありました。
     
 非常に多くの建造物があるのですが、北のほうに広大な庭園「秘園」がりました。
その中を案内していただいた素敵な「日本語ガイド」さんです。ユーモアを交えての説明は、とてもわかりやすく楽しいものでした。
下の写真は学問所・図書館だったそうです。
             
       

 朝鮮王朝では、国の基本を仏教から儒学に切り替えてきていました。
しかし、歩道にまで「仏具など」を並べて売っていました。
       

 今日のお昼ご飯は「プテチゲと乾麺」でした。
実は、私たちの三食の食事は、いつも毎日、写真に見られる4点の副菜に白飯でした。
その日により、スープがついたり、焼肉がついたりでした。今日は、ごらんのように「韓国ラーメン」が付きました。
とにかく「白菜キムチと大根キムチ」は必ずついて、お代わり自由でした。
すでに、私の体はキムチに染まってしまっていました。記念写真をカメラマンが撮るときには「キムチー」でしたから。さすがに、いささかとなりましたね。
    
 
 この後、キムチ専門店に寄って、お土産に「キムチ」を買った人も多いようでした。

 いよいよ「仁川空港」を18時ころ飛び立ちました。順調に飛行が続き、2時間後には新潟空港に無事着陸できました。いやー、ほっとしました。

 韓国の歴史や事情を、ほんの垣間見ただけですが、「言うに言われぬことなど」もひしひしと感じてくることができました。
日本食の「おさしみ」で、ばっちり日本人であると痛感いたしました。

 雑駁な旅行記ではありましたが、500枚を超える写真を整理しながら、韓国の旅を復習できたのはよかったと思っています。   みなさん、お付き合いいただき、感謝!です。

ソウルにて

2010年06月02日 | 旅行など
 さて21日の後半の紹介です。
 「ソウル」の「三清洞・サムチョンドン」「梨泰院・イテウオン」「南大門市場・ナムデムン」などの賑やかな通りを散策。
夕食後は「ソウルの夜景」、夜の「明洞・ミョンドン」を楽しみました。
最後は、夜の10時過ぎでしたが、「眠らないソウル」という感じでした。
  
          
   
            
     
                  
    
 明日は、いよいよ韓国旅行も、最後の日となります。今しばらくのお付き合いをお願いしますね。

ソウルへ

2010年06月02日 | 旅行など
 世の中、とても騒がしくなっています。でも、片目を開けて「旅の顛末紹介」を続けますね。

 さて今日は5月21日の話になります。
ホテルでの朝です。さわやかに、うつくしいご婦人の姿を写させていただきました。
          

 今日は、ここ慶州から高速道を北上、一気に「ソウル」を目指しました。ソウル近郊で交通渋滞に入りましたが、なんとかクリアー。
 
 到着したのは、朝鮮王朝第4代の王「世宗大王」の「英陵」でした。
ハングル文字を作り、天体観測器具や日時計・水時計なども作り、政治、経済、社会、文化の全般にわたって偉大な業績をあげた、まさに大王でした。
          



 次に訪れたのは、朝鮮王朝を支えた「高級官僚たち」が住んでいた「北村・ブクチョン」でした。後ほど訪れる「王宮」にも近い高台に、高級住宅が立ち並んでいました。
また、韓国の「伝統住宅の瓦屋根」の家並みも見ることができました。
    
         
                 

 「ソウル」には高層マンションガ林立していました。地震のない韓国では高層ビルをたてることが容易にできるのだそうです。
しかし、高級官僚(ヤンバン)などの住まいは、別格なものでした。

慶州へ

2010年05月31日 | 旅行など
 韓国での二日目の午後、さらに南下して歴史の街・新羅時代の王都「慶州(キョンジュ)」に入りました。

 広大な敷地に「古墳公園」があり、緑に覆われたたくさんの古墳群がありました。
ここでは「天馬塚・チョンマチョン(世界遺産)」が有名で、内部の見学ができました。
写真の古墳は天馬塚ではありませんが、徳の高い人がなくなったときには、民衆が石を運んで積み上げたそうです。徳の高い人ほど大きな古墳になったとか。
          

 続いて世界遺産「石窟院・ソックラム」でした。
バスの駐車場から、かなり歩かされました。しかし、新緑の林間の道はさわやかでした。
また、明日(5月21日)は「国の記念日・仏教の日?)」とかで、いたるところに「ちょうちん」が下げられていました。
      
 後ほど訪れる「佛国寺」の奥になる石窟院は、すでに「仏の国」なのだそうです。
石窟院の内部には、金色に輝く、とても大きな石仏坐像が鎮座していました。思わず手を合わせていました。 
     

 バスでちょっと道を引き返し、世界遺産「佛国寺・プルグクサ」に到着。
新羅時代の創建で、仏教文化が花開いたまさにその中心となった寺院でした。
   
         
             
                       

 さすがにくたびれました。この後、いわゆる「窯元」などを無理に見学させられました。青磁の器など、結構お土産に買う人がいるのですから、たいしたものです。

 この夜は「慶州コーロンホテル」で、ぐっすりとやすみました。
何しろ、明日は一気に「ソウル」近郊まで北上します。国の記念日でもあり、高速道の渋滞が心配されます。

韓国安東観光

2010年05月27日 | 旅行など
 私たちの「韓国の旅」のつづきです。

 初日「水原華城」を見学した後、ちょっと南下して「トダムサンポン」の名勝を見て、リゾート地のホテル「大明リゾート丹陽」に落ち着きました。

 私たちの旅は、さいわいお天気に恵まれたようです。
「仁川空港」到着前は雨だったそうです。そして旅の最後の日、空港に向かっているうちに雨が降り出しました。
その間ずっと「よいお天気」でした。しかし、スカッと晴れ上がるということはなく、いつも霧状態というか、湿気が多く空気の透明度はよくありませんでした。

 さあ、今日(5月20日)の午前中は、さらにちょっと南へ移動しました。
「安東河回(ハレ)村」の見学です。
ここは、韓国の「国家重要民族資料」として保存されている地区です。
まあ、日本で言えば「白川郷」のようなものでしょうか。

 まずは、村の入り口です。村のお守り群なのでしょうか。
  

      

         
           

     
 


 さて、この表札、読めないのが残念ですが、なんとあの「リュ シオン」さんの実家なのだそうですよ。
ここ「ハレ村」は、村内は「豊川さん、柳さん」の同姓の人たちが600年来生活しているそうです。
朝鮮時代には、多くの学者や政治家など著名な方を多く送り出していることで有名だそうです。「リュ シオン」さんもその一人でしょうか。
          

      

 

 ぐるりと川(洛東江)に囲まれた地形が「河回(ハレ)村」の名の由来になっています。そして今日に至るまで、その文化(風流・詩会、舟遊び、花火など)を大切に保存されているそうです。
藁葺屋根、瓦葺の屋根が美しく交じり合っていました。
土塀には、なんともいえない風情を感じたのは、私だけでしょうか。
いまでは、それぞれの住宅は「民宿」としても活用されているのだそうです。

 私たちは、午後には「天馬塚」「石窟庵」「佛国寺」と韓国世界遺産見学となりました。
いやはや、大変な強行軍でしたよ。   次回をお楽しみにね!






韓国世界遺産・水原華城

2010年05月24日 | 旅行など
 家内とそのお友達、そして私の3人は「韓国周遊と6大世界遺産」に出かけてきました。
出発は5月19日新潟空港から「コリアンエアーKE764便」、午前9時30分に予定通りに飛び立ちました。
3泊4日の旅です。総勢22名と添乗員の団体でした。

 空港を出発してほどなく下界を見下ろすと、雲の間からどうも見たことのある地形が見えました。
奥のほうの陸地と手前の海の境に、そう「角田山、弥彦山、国上山」と一列でした。
水平飛行状態になると、まもなく機内食の昼食になりました。
    

 12時前には「仁川国際空港」に到着。まさに、名に恥じない大きな空港でした。
大型のバスと女性の現地ガイド「ソンさん」の出迎えを受けました。

 ご主人の転勤で東京大阪での生活体験のあるガイドさんの日本語は、とてもうまくユーモアを交えての説明はわかりやすいものでした。
あちこちでの工事が目に付きます。韓国の活気のようなものを感じながら、高速道を走りました。

 まず、訪れた第一の世界遺産は「水原華城(スウォンファソン)」でした。
ここは朝鮮王朝・22代王「正祖」が「その父の無念の死」の冥福を祈るために築城したといわれています。1796年に完工されています。
韓国ドラマ(NHK/BS2日曜日21時から)の「イ・サン」の主人公「セソン」なわけです。

 城には4つの門があり、これは「蒼竜門」です。
   
 広大な城内は、このような城壁で囲まれていました。
       
 城内の建物に描かれている模様や、その屋根の形と鮮やかな色彩は、いかにも朝鮮という感じでした。
    
          
 「東北角楼」ですが、いくつもの見張台や秘密の門などもあり、興味を引かれました。
   
 城内を流れる川の水門「華虹門」です。
        
 多くの子供たちが先生に引率されて、見学している様子が印象的でした。
文化遺産をとても大切にしているのでしょうね。

東京駅

2010年04月08日 | 旅行など
このたびの旅行も三日目(4月2日)となりました。
この日は、低気圧通過と言うことで、特に昨夜から午前中にかけて、強風が予想されていました。

 私と家内は、最後の東京を「はとバス」であちこちを撮りまくる予定でしたが、取りやめました。
「サピアタワー27階」の「ホテル・メトロポリタンのレストランTENQUU」でゆったりとすごしました。

 下の写真が「サピアタワー」で27階以上がホテルです。
レストランの窓越しに、下を見ると「東京駅」のプラットホームや改修中の駅舎の様子がよくわかります。「丸ビルと新丸ビル」も見えます。
      


 お昼近くになってから、ホテルをチェックアウトして、丸の内にある「丸善」で、何冊もの「写真集など」を立ち読みしました。

 風の心配もない様なので、ウォーキングをかね「和田倉門」から皇居に入り「二重橋」まで往復しました。



 ここでも多くの写真を撮ったりしていましたが、16:12東京発「とき333」の時刻も近くなりました。
いつまた上京の機会があるでしょうか。東京駅まで歩いて、予定通りの「新幹線とき」に乗り込むことができました。

 今回の「東京での旅日記」も終わりです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

旧岩崎邸

2010年04月07日 | 旅行など
「不忍池」を通り、ちょっと歩くと「旧岩崎邸」がありました。

 三菱創設者・岩崎家本邸である。江戸期に越後高田藩、明治初期には旧舞鶴藩の屋敷であったそうです。
明治29年に「ジョサイア・コンドル(英)」の設計により木造洋館ができました。

  正面玄関側は堂々の風格です。
  

      裏側のベランダには列柱が立ち並んでいます。
      

 洋館は迎賓の用をなし、その裏側生活の場であった和館がスムーズにつながっていました。
 
  
 私たちは、和室の一室で「抹茶ぜんざい」をいただきながら、モダンな芝生の庭と樹木を鑑賞できました。
 
      
        
    
 帰り際、庭の片隅に「クリスマスローズ」が咲いていました。
かつて、ここに越後高田藩邸があったり、いままた新潟市秋葉区特産「クリスマスローズ」が咲いていたり、ちょっぴり複雑な思いをしました。
 「上野公園」へととって帰り、急いでホテルに戻ったのでした。 


不忍池

2010年04月07日 | 旅行など
 その日の午後(4月1日)は「不忍池」に下りてみました。
弁天堂を通り、「不忍池」と「ボート池」の間の桜並木を歩きました。
           
      
   
                

 ボート池には「バン」や「カモメ、鴨」など多くの水鳥が、人のボート遊びに混じって泳いでいました。
           
       
                  

 桜並木を過ぎて、その先ちょっとのところに、今の大河ドラマ「竜馬伝」に出てくる「岩崎弥太郎」にかかわる「旧岩崎邸」がありました。