名古屋季節だより

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727 「自然に滴り出て来る あらばしり 」

2016-02-15 08:14:01 | 日記

 教育界の様ざまな分野で、

 一人ひとりを大切にする教育が言われている、

 一人ひとりを大切にするとは、

 どのように理解されるのだろうか、

 この言葉は、

 キリスト教学校だけではなく、

 公立学校も教科指導において、

 学校生活全般においても、

 根底に置く教育姿勢として強く訴えられている、

 

 誰もがその通りと思う、

 一人ひとりに注意を向けるとなると、

 一人の教師にとって、

 その数は限られて来る、

 全ての教師が一人ひとりを大切にする姿勢を持つことにより、

 一人の者を多角的に見ることができるとも言う、

 それでも、

 直接関わる児童生徒学生の数は、

 少ない方が、

 一人により細やかに時間をかけることができる、

 

 学校を運営するにも、

 教師と校舎と施設と備品が当然のこととして必要となる、

 そのそれぞれが優れたものでありたいと願う、

 学校は私塾ではない、

 ある一定の規模を持ち、

 小さな社会として、

 外に開かれていなければならない、

 その学校が理想とする教育の規模があるはず、

 しかし、

 その学校の教育規模を見定めることは難しい、

 理事会ではなく、

 その決断は、

 その学校の教職員にかかっている、



 昨今、

 定員の割れた、

 私立小学校・中学校・高等学校・大学が出てきている、

 創立以来歴史を重ね、

 社会に有意な人たちを送り出してきた、

 その者は社会の底辺に生き、

 社会の一隅を照らす者であったかもしれない、

 いずれも、

 社会の中に会って、

 そこに住む者と共に生きる者であった、

 一人ひとりを大切にして生きて行く者として、

 巣立っていた、



 その者たちとは、

 現実がどれほど厳しく、

 絶望的であったとしても、

 その現実の先に希望を見出し生きる生き方を、

 選んだ者たちであった、



 今まさに、

 現実の厳しい状況の下、

 存続の危機に直面している学校がある、

 1世紀を経て地域にあって教育活動を紡いできながら、

 様ざまな学校改革を重ねても、

 結果が伴わないとしたならば、

 どうすればよいのか、

 学校責任者の苦悩は続く、



 残されたことは何か、



 自らが語ってきた言葉を思い起こし、

 その言葉を生きることが唯一残されていた、

 「詮方尽くれども、希望(のぞみ)を失わず」、

 文語聖書コリントⅡ4:8、

 この言葉の下に、

 私たちは集まり、

 祈り語り合いたいと思う、



 その日と時、

 詳細は追って伝えられてくる、







 別儀なれど、

 小さな酒造店は、

 大きな酒造会社に立ち行かず、

 歴史を重ねた老舗が店を閉めて行った、

 その中で、

 自身の手の掛けられる範囲の規模を定め、

 水と麹と酒蔵に聴きながら、

 酒造りを続け、

 過重な力を掛けることなく、

 自然の重みにより滴り落ちて来る新酒を待つ、

 それがこのあらばしり、

 銘は無いが、

 瓶に詰められた「新酒あらばしり」となった、



 富田の小さな酒蔵、

 鶴清酒造、

 それぞれ出ているが、

 最後の一本が、

 麹の声に聴きながら大切に育てた、

 乾坤一擲のもの、



      



      



 

  
 


 
 



 

 

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