2月に南風が押し寄せる、
春一番とは少し違う暖かな風が吹く、
22度、
気候天候には驚かされる、
梅田、
蟷螂のような観覧車が、
黒紅色をして空を衝く、
一駅地下鉄に乗り、
淀屋橋下車、
少し歩くと、
堂島と土佐堀川に出る、
さまざまな歴史を見てきた界隈、
所用で通ると、
夕暮れの川にさざ波が立ち、
残照を残す、
一瞬、
音の消えたような空間が広がる、
異国に居るような瞬間、
話を終え、
大阪駅に戻る、
附けたり、
キリスト教保育連盟「ともに育つ」3月号
「違いを認めることから」
スウェーデンに1年間留学していた時、
何に対しても自分の考え方が問われる経験をしました。
その問いは自分自身の在りようまでも問うものでした。
他国で生活することとは、
文化・伝統・宗教と様々な違いを体験し、
その違いを認めることから互いの理解が生まれることを経験することでした。
誰もが日本を出て留学体験するわけではありませんが、
世界はあらゆる面において急速に同次元で事が起こり、
グローバル化しています。
この世界をこれから生きていく子どもたちに、
私たちは何を身に付けさせようとしているのでしょうか。
生活の違いへの理解は、
高齢化社会、
バリアーフリー、
ユニバーサルデザインなど日常生活においても経験することができます。
違いを認め、
その違いを受け入れようとすることから互いの理解が少しずつ生まれてくるという考え方を、
日常生活の中で感性の育とうとする時に育みたいものです。
子どもたちは親や教師の言葉や行動を見て育っていきます。
親や教師が日常の姿勢として、
違いを認め、
その違いを理解しようと努めているかが、
これからを生きる子どもたちの考え方に大きな影響を与えていきます。
違いが受け入れられる環境を生活の中で作り出すことを考えていきたいものです。
聖書に「一つの体と多くの部分(コリント一12:12―26)」という話が載っています。