今日は趣向を変えて「無人島に持っていく一冊」とします。
その一冊は私的には「The Book」(「聖書」)でも「The Book of Stone」でもありません。
先日のブログ「かたち」の時に「かたち創造の百科事典」を「無人島に持っていきたい本」というべき存在です、と書きました。その本は「かたち」に関する話題豊富な本ですので、今の私は、その本を「無人島に持っていく一冊」とします。
無人島ではサバイバルの為に本を読んでいるような余裕はないのかも知れませんが、時間が有り余るような状況では、知的好奇心を満たす為にその本は役に立つと思います。無人島という閉鎖空間で世界のあらゆる「かたち」をじっくり時間をかけて楽しむ事ができると思います。
実は数年前に同じ丸善から「かたちの事典」という「かたち創造の百科事典」と良く似た本も出ています。私は両方持っています。「無人島に持っていく2冊」になると面白くないので、以前の私は「かたちの事典」を選んだと思いますが、今は「かたち創造の百科事典」の一冊を選びます。
「無人島に持っていく一冊」という選択はよくある思考シミュレーションです。Webの世界でもよく話題になっています。それらの集計結果を見ると上位に辞書が入ってきます。事典はひとつのテーマに絞り込まれていますが、辞書はもっと広く、それは言葉の宝庫ですから、必然的にそうなるのだろうと思います。
学生時代に飲み屋で同じような議論をした事を思い出しました。そこでひとりの友人が言った言葉を思い出します。その友人は「それはやっぱり辞書だよ。辞書があれば、深遠な哲学書から官能小説まで、どんな書物でも自分で書けるんだから。」
私はその友人のイマジネーションと創造性に感心したものですが、その友人のその後は知りません。
それから、数年前に「宇宙の調和」(ヨハネス・ケプラー)の邦訳が出版されたのですが、その本の新聞書評で作家の三田誠広さんが「無人島にもっていくただ一冊の本に、わたしはこれを選びたい。」と書いておりました。昼間にその本を読み、夜の星空を見ながら宇宙の音楽を聴く、というような事が書いてありました。
「宇宙の調和」(1619年)は「宇宙の神秘」(1595年)から始まったヨハネス・ケプラーの宇宙観の集大成的な書物です。五つのプラトン立体による惑星モデルから調和音を奏でながら太陽の周りを運動しているという天体の音楽理論へと発展・統合した歴史的名著です。
確かに、その本は分厚く読み応えがあります。私もその本を買いましたが、未だに真剣にそれを読む気になっていません。もし無人島に行くような事になったら、私も「宇宙の調和」を選んでしまうかも知れません。
そういえば、買っても、まともに読んでいない本はたくさんあります。録画しても見ていない番組もたくさんあります。
時間をもっと有効に使わなければならない、と思ってしまいました。