ひとつ前のブログ「急流に流れ落ちる滝のような滝石」は、このようなマイナーなブログでも久しぶりに反響が大きかったように思えます。
中でも、特に印象深かったのは、ブログを通じてメール交換が始まったHさんからの「登り龍」説です。その素晴らしい見立てには感動しましたので、長文ながら原文のまま紹介したいと思います。
「ちなみに私は、白波の波頭激しく巻き起こし海を割って、
今まさに龍が天に昇って行った景色と見ました。
日本絵画史上最大の40mを誇る日本画、横山大観の「生生流転」は、
天から雨が降り注ぎ、山から里へ川として流れ下り、やがて大海にそそぎ、
大海から竜巻となって再び天に帰る「水の一生」と、それを龍になぞらえ、また、
水、龍、にとどまらない世の大きな巡りを描いたものです。
その壮大な「生生流転」の水の一生の最後、龍となり天に昇った、その龍の尾と、
水しぶきが、今日のブログの石の紋様に見えました。
私の場合、この石は盛大に「昇る」「上昇」シーンで、上部中央に点々と水しぶきの
散ったところが、なんとも言えない「萌えポイント」でした。」
どうでしょうか?
Hさんは糸魚川の海岸で紋様石だけを20年以上拾い集めているそうですが、紋様石愛好家が増えて欲しいと願っておられます。石を眺めながら、各人それぞれの鑑賞の趣向を語らうことができたなら、より一層、石の味わい深さと、楽しみの奥行きが増すことでしょう。と説かれておりました。
私は共感しました。
同じ石の紋様でも、ある人には山並みに、ある人には滝石に、そしてある人には登り龍に、さらに水の波は雲海にも見立てられます。重要なのは石の方ではなく、鑑賞する側のイマジネーションにあるのです。
そういう意味では、石は妄想誘発装置のようなものです。そのように思ってしまいました。