ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

妄想誘発装置

2021-06-18 11:13:56 | 日記・エッセイ・コラム

ひとつ前のブログ「急流に流れ落ちる滝のような滝石」は、このようなマイナーなブログでも久しぶりに反響が大きかったように思えます。

中でも、特に印象深かったのは、ブログを通じてメール交換が始まったHさんからの「登り龍」説です。その素晴らしい見立てには感動しましたので、長文ながら原文のまま紹介したいと思います。

「ちなみに私は、白波の波頭激しく巻き起こし海を割って、

今まさに龍が天に昇って行った景色と見ました。

日本絵画史上最大の40mを誇る日本画、横山大観の「生生流転」は、

天から雨が降り注ぎ、山から里へ川として流れ下り、やがて大海にそそぎ、

大海から竜巻となって再び天に帰る「水の一生」と、それを龍になぞらえ、また、

水、龍、にとどまらない世の大きな巡りを描いたものです。

 その壮大な「生生流転」の水の一生の最後、龍となり天に昇った、その龍の尾と、

水しぶきが、今日のブログの石の紋様に見えました。

 私の場合、この石は盛大に「昇る」「上昇」シーンで、上部中央に点々と水しぶきの

散ったところが、なんとも言えない「萌えポイント」でした。」

どうでしょうか?

Hさんは糸魚川の海岸で紋様石だけを20年以上拾い集めているそうですが、紋様石愛好家が増えて欲しいと願っておられます。石を眺めながら、各人それぞれの鑑賞の趣向を語らうことができたなら、より一層、石の味わい深さと、楽しみの奥行きが増すことでしょう。と説かれておりました。

私は共感しました。

同じ石の紋様でも、ある人には山並みに、ある人には滝石に、そしてある人には登り龍に、さらに水の波は雲海にも見立てられます。重要なのは石の方ではなく、鑑賞する側のイマジネーションにあるのです。

そういう意味では、石は妄想誘発装置のようなものです。そのように思ってしまいました。

 

 

 

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