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鉱物の部屋へのいざない

ユートピアとディストピア

2015-12-03 11:31:54 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「ユートピアとディストピア」です。「ユートピア(理想郷)とディストピア(逆ユートピア)」です。

小松の実家のポストに「広報こまつ」(12月号)が入っており、その中に小松市の「NEXT10年ビジョン」という小冊子が入っていて、それを興味深く見ました。そこには小松市が2011年に策定した「10年ビジョン」を発展させた「NEXT10年後のこまつ」がデザインされておりました。

私はSF好きでもありますので、この種の近未来ものには興味があります。それも出身地である小松の近未来像が描かれており、身近な故郷の未来像には興味津々で読み入ってしまいました。(そこには近未来的な小松空港や賑った小松駅の未来図や北陸新幹線が通る白山を望む美しい木場潟の絵等が載っておりました。)

この種の10年ビジョンを読むと、読んでいる内はワクワク感があるものの、読み終わると、素朴に「本当かいな?」という思いになってしまいます。

理想的な未来像なら誰でも描けます。それは頭の中で描くユートピアです。

ただ、現実はそれとは相当、隔たりがあるように思います。現実的にはそのようなユートピアとは反対のディストピアが待ち構えているような予感がします。

実際、小松駅周辺は整備されつつあるようですが、普段はひと気も疎らな状態です。三日市や八日市といった商店街も死に体状態と言っても過言ではありません。金沢に住んでいると、小松の寂れ方が際立っているように感じてしまいます。

お旅祭りやどんどん祭り、航空祭のようなイベント時には賑う小松もそれ以外の普段は非常に静かな田舎街になってしまいます。そこには日本全国の地方都市特有の問題があるようです。

私は映画監督テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」や「ゼロの未来」のようなSF映画が好きです。そこに描かれる未来像はディストピアであって、決して明るい未来ではありません。それなのにどうしようもない愛着があって、ディズニー映画「トゥモローランド」のようなユートピアとは別次元のカルト的な魅力があると思います。

「ユートピアとディストピア」という鏡面関係は自然界にある鉱物の双晶のように見えてしまいます。



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