便所の明かりは家中で一番「暗い」ものだった。「豆電球」で5㍗ほどではなかったか。手洗いは、大分後に1960年に近づいて水道となったが、それ以前は庭に向かっての戸をあけたところに「手水鉢」が置いてあって、その都度、戸を開けてしていた。この戸の鍵はついていたが、一々開け閉めは面倒くさく、鍵は「開け放し」の場合があって、「泥棒らしきの」が入ったこともある。「らしきもの」と言ったのは、物音に家人が気付いて、こちらから咳払い等をして「退散させた」こともあるからである。
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