西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

家族での夏の国内旅行

2010-08-01 | 奈良の思い出(助教授時代)
私が奈良女子大学で助教授だったのは32歳から44歳までで、娘は5歳から17歳だった。西暦で言うと1974年から1986年までである。まあ娘は、幼稚園児から高校生までである。中心は、小学生、中学生と言ってよい。

その間、私は大学の教育、管理のことをやりながら研究では「学位論文」に取り組んでいた。妻は、仕事を「間歇的」にしていた。そのため家族三人が一緒にいるのは夕食時位だが、それもしばしば二人となっていた。

人間は、関係ーつながりの生き物で、一緒の行動をしていないと徐々に疎遠になってしまう。そこで、娘の成長に合わせて、せめて夏休みには家族三人で家族旅行をしようと決めた。

順不同で次のような所に行った。合わせて、私の、その場所を選んだ当時の気持ちの一端も記しておきたい。

(1)京都丹後の伊根町・・・伊根町は「町」と言っても性格は漁村である。私は当時も今も農山漁村のありかたに関心をもっており、伊根町は、その調査原点の一つだった。海辺にずらりと並ぶ舟屋の風景が圧巻だった。それをみせたいな、と思ったのと近くの浜辺で海水浴をしたいとおもったのである。

(2)伊勢鳥羽の水族館など・・・御木本真珠の島にも行った。近鉄沿線で行きやすかったこともある。

(3)広島など・・・中国道、山陽道である。姫路城、岡山城を見てから広島に行った。美術館を見、原爆ドームにも行って娘に原爆のことを話した。

(4)大山など・・・山陰道にも行こうと思った。大山中腹の神社まで歩いて登って、そこでスケッチをした。

(5)東京NHK、いわさきちひろ美術館・・・東京も見せる要があると思った。私は子どもの頃にアナウンサーになりたいこともあった。娘は当時、絵画に興味をしめしていた。それらの組み合わせである。

(6)箱根・・・これも関東である。圧倒的自然である。富士山も見えた。

(7)能登・・・私の郷里は石川県(金沢市)である。妹家族は金沢に住み、娘が二人いる。私たちの娘とほぼ同じ年頃だ。いい従姉妹関係も大事と思った。

その他、私の郷里・金沢、妻の郷里・名古屋には何かと行った。

家族三人の旅行の仕上げは、国内旅行ではないが、娘が中二の時のイギリス・ロンドン10ヶ月の旅であろう。私が文部省の在外研究員になったからである。

それ以後、娘とは一緒に旅行していない。彼女が「家族旅行」の時代から「友達旅行」の時代に移行したからである。

今後、私達にとっては「孫達との旅行」がありうるかな、と思う昨今である。でも一緒に行ってくれるか心配だ。行くなら計画はある。皆さん、如何ですか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿