西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

奈良女子大1980年卒30周年同窓会での私の話

2010-08-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
昨日(8月22日)奈良ホテルで開かれた奈良女子大卒30周年同窓会(1980年卒生)に例年のように出かけた。今年は、どういう風の吹きまわしか分からないが私に壇上で話(「恩師お言葉」)をせよ、とのことで話をした。

メモを作って、一応それを頭に入れて後は自由に話をしたのだが、乾杯のあと席で周りの卒業生と歓談しつつ結構飲食もした後での登壇だったので、少し話が乱れたところもある。

そこで、メモを基に、話したことを思い起こしつつ、下記にブログ版テキストをつくってみた。
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(改訂ブログ版)
卒後30周年おめでとうございます!(2010年8月)西村一朗(家政学部、生活環境学部)

皆さん、奈良女子大学ご卒業30周年おめでとうございます。昔、言っていた「人生50年」を健康で見事クリアされ、『論語』にいう「天命を知る」世代に入られた訳ですね。

今日は、お招きにあずかり有難うございます。一言、話をさせていただきます。

私は、紹介されましたように家政学部に所属していました西村一朗です。昭和49年(1974年)32歳の時、助教授として赴任し、5年前の2005年63歳の定年まで31年間、奈良女子大に勤めました。

皆さんが卒業された30年前、1980年には私は38歳であり、教育のかたわら研究のまとめ(学位論文作成)のため日々呻吟していました。

その後、現在の皆さんの年齢(52、3歳)の頃に、どんなこと考えていたかと言うと、研究、教育の取り組みのほか「10年後には定年退官(当時は国家公務員で「退官」と言っていたが、最近は「退職」である)になる、つまり「会社人間から居住地人間」になるので、今から居住地人間作法を身につけていく必要がある」と、指摘していました。

それで、5年前に定年退職し、以後4年間ほど平安女学院大学に勤め、今は名目的客員教授ですが、実際は5年前から「職場人間から地域人間」に転換したと思っています。もう一つ、定年退職後の人生は余生ではなく本生、あるいは前史から本史へだと思うのです。(まあ、余生という言い方はよせ!ですね)

私は、現在、地域でボランティア的に色々なことをやっていますが、今日は、一つだけ「けいはんな市民雑学大学」の立ち上げ・運営をあげてみたいと思います。

「けいはんな地域」とは、「けいはんな学研都市地域」(けいはんなの8市町―京都の精華町、木津川市、京田辺市、大阪の四条畷市、交野市、枚方市そして奈良の奈良市、生駒市―にまたがる、人口23万人地域)なのですが、退職したのち、精華町に住んでいるので、在職中の研究関連で「けいはんなのまちづくりを考える会」に参加して一メンバーで活動していました。(「私の仕事館」存続シンポジュウムなどの取り組み)その中から派生した地域SNS(けいはんな)(mixiの地域版、現在会員300人余)を7人ほどで立ち上げ、それらの活動から「けいはんな市民雑学大学」が2年半ほど前(2008年3月)に立ちあがったのです。地域の市民を「市民教授」「市民学生」と考え、「まちづくり」に資すると共に「市民教養」を豊かにするために「市民雑学」の講座を月一回開いて30回近くになります。地域で11名の運営委員でボランティア的に運営し、現在私が代表をしています。(俗称「学長」と言っています)講座には、毎回30人から60人位の参加ですがピアノやヴァイオリンの演奏付き講座を2回開いた時には奈良女子大学の記念講堂や100年ピアノを使わせてもらい300人ほどの参加でした。奈良女子大関係の諸先生にも協力していただいています。他にこの地域にある諸大学や諸研究所のメンバーにも協力を求めていますが、基本は地域に住みあるいは働いている市民自身が「市民教授」となり「市民学生」となることです。
私自身は、この取り組みをも通じて「頭のつくりかえ、再開発の楽しみ」を味わっており、一つだけ言うとすれば「雑学は楽しい、それを追求していくと、これぞ学問、that’s学になるのではないか」、と思っています。
是非、ネットで「けいはんな市民雑学大学」で検索していただき、ホームページ等を覗いてください。また、可能ならば参加ください。「市民大学」あるいは「雑学大学」でネット検索すると沢山出てきますが、「市民雑学大学」で検索すると、今のところ「けいはんな市民雑学大学」がトップに出てきますよ。

今後、10年ほど経つと働いている皆さんは我々と同じ「地域人間」になる人が多いと思うので、ここでその時を目指す一つの提案をしておきたいと思います。今からウオーミングアップ、準備をされたらどうか、と思います。

奈良女子大学は、文学部、理学部そして家政学部(現在は生活環境学部)で出来ているので、卒業生の皆さん方も、そこに基礎をおく諸学校、諸塾などをあちこちで立ち上げたらどうかと思うのです。同窓会の佐保会が行っている「佐保塾」の地域版といってもいいかもしれません。卒業生には先生経験者も多いと思うので好都合かもしれません。例えば、文学部出身者は、「文化学校」を、理学部出身者は、「自然学校」を、家政学部出身者は、「生活学校」を地域、地域で盛り上げていったらどうでしょうか。そういう要求が地域に満ちているのでは、と思います。例えば、現在、私は地域の「健康調理教室」に行っていますが、それは基本的生活力をつけるためです。もちろん楽しみもあります。私は基本的生活力として「炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合い」の七つほどあげていますが、これが欠如すると将来「孤独死」の危険が迫ってくると思っています。だから高齢者、特に男性に基本的生活力を付ける要求が大きいとみています。3学部出身者共同で地域、地域の「市民雑学大学」開設という手もありますよ。「指導要領」や「シラバス」等の外的拘束に煩わされず自由に活動できますよ。場所として、既存の小中高校を活用する手もあるし、福祉系など他の施設を利用する手もあると思います。地域の高齢者も子どもも主婦も期待していると思います。私も期待しています。

最後に言いたいのは、「乾杯の音頭」の時、井上公正先生(私注:1921年お生まれ)が話された戦争体験のことです。年代、年齢により様々と思いますが、私は1945年当時、金沢に住んでおり4歳でした。終戦間際に、後で分かったのですが、富山方面の爆撃に飛んでいくB29編隊を恐る恐る見上げていました。幸い金沢は爆撃されませんでしたが、もし私が、原爆が投下された広島や長崎、「鉄の暴風」が吹き荒れていた沖縄、大空襲のあった東京、大阪、名古屋などに住んでいたら、今生きていないかもしれないのです。だから戦争は絶対してはいけないと思うのです。皆さんは戦後の生まれですが、ご両親などから聞かれたのでは、と思います。仮にご両親が戦争で亡くなっておられたら、皆さんも今いないのですよ。良く考え後の世代にも伝えていきたいものです。以上で私の話を終わります。どうも有難うございました。
(2010年8月22日)

もう少し詳しく「職場人間から地域人間へ」を知りたい方は、次のブログ参照:http://blog.goo.ne.jp/in0626/d/20100725
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同窓会の他の様子や感想は別件で・・・。

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