西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

防空壕(ぼうくうごう)

2005-09-11 | 金沢の思い出
金沢の私の家の庭の隅に防空壕が掘られていた。B29の爆撃の時に逃げ込むのであろう。畳1畳分くらいの広さ、深さは1.5メートル位であったと思う。蓋は、木で出来ていた。私が4歳の時に戦争は終ったが、後から知ったのだが終わりの8月2日頃にアメリカ軍のB29編隊による富山爆撃があり、編隊は金沢上空を通過した。その時は私は防空壕に入らず、押入れの中に祖母と入って震えていた。
こんな風にしても、ちゃちな防空壕に入ってもB29の焼夷弾が落ちれば「一巻の終わり」ということは、戦後になってから良く分かった。日本人の多くは米軍、B29、焼夷弾の威力などについて殆ど知らなかったのである。

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