西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

神棚

2005-11-13 | 金沢の思い出
四畳半の茶の間の水屋の上に神棚が乗っていた。毎朝、水をかえ灯明をつけるのは祖父・由森の役だった。祖父が私が中学生の時に亡くなってからは高校を卒業するまでは私の役となった。別に八畳間には、仏壇があった。毎日、この世話をするのは、祖母や妹であった。神棚と仏壇の二つがあっても、何も違和感を感ぜずに過ごした。後に大学に入って色々と勉強して、一寸変なことを理解するようになった。
子どものころ、氏神は、大櫻にある「諏訪神社」である。正月に、家族で初詣に行った。祖父は「信心深い」方で、正月には「諏訪神社」に皆で行く前に、早起きして鶴来の「白山媛神社」に初詣に出かけていた。毎朝、神棚にまいる時は、先ず家の神棚を正面にしてかしわ手を打った後、「白山媛神社」の方向に向いても「かしわ手」を打っていた。後に「神道」を信ずるわけではないが、家を新築した時、神棚用の「棚」をつくった。「へ~西村さんでも・・」とある人に言われたので「一つの習俗です」と答えた。(写真はインターネット検索引用・イメージ)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿