今日、メールで金沢の友人M君から、横浜にいたO君が郷里に戻ったとの連絡があった。良かったと思う。O君とは、金沢大学付属高校同期、大学は一緒に京大に進学、彼は文学部、私は工学部、大学院は私はそのまま進む「安易な」選択、彼はアメリカのウイスコンシン大に進んだ。卒業後、横浜国大に就職、65歳までそこにいて、この3月に定年退職、4月から同期のI君が学長をしている金沢の私学に再就職した。彼がお母さんの住む家を新たに造る時に私に相談、私は、奈良女の教え子で一級建築士で金沢に旦那の職場の関係で住んでいたKさんを紹介、出来上がって私も一度訪問したが、O君もお母さんも喜んでいた。私がO君にメイルを送ると、すぐに返事があり、金沢に帰って食べるものが美味しいと言う。そうだろうな、と思う。新鮮な海の幸などは横浜と違っているだろう。また、金沢の美味しい料亭へも行っているような書きぶりだ。考えてみると、O君も私も18歳まで金沢にいたわけで、そんな年齢で良い料亭に出入り出来る訳がない。今こそ、同期でずっと金沢に住んでいた友人の情報であちこちに行ける余裕があるに違いない。10月に高校の60周年同窓会で金沢に行くが、私もぼちぼち金沢文化の真髄に触れるべき年齢を楽しみたいと思う。O君、M君、I君宜しくね。
家政学会のシンポジュウム(5月12日)でお茶の水女子大学の発達心理学の先生が、子育てに関連して、子どものいる夫婦の年齢別愛情感度のデーターを日本だけでなく韓国や西欧のデーターと共に示され興味を引いた。質問は「結婚当時の配偶者に対する愛情感度を100として現在はどの程度か」というものである。日本の男性は、20歳代の結婚当時を100として、30歳代、40歳代、50歳代と年齢が上がっても下がらず、かえって若干高く出ている。ところが日本女性の場合は、結婚時点が最高値100で、徐々に下がり50歳代で88位ではなかったか。記憶で、この記事を書いているので、少し不正確、ただオーダーは合っていると思う。対するに韓国や西欧は男女とも各年齢層とも100を越えている。別のデーターで日本男性の育児を含む家事分担は9%で最低クラス、最高のオランダの50%(男女半々)とえらい違いだ。お茶の水女子大学の先生は、こういうところに日本女性の愛情感度が下がる原因があるのでは、と仮説的に言われた。この話を家に帰ってから家内にしたら、でも離婚率は西欧が高く、日本は未だ低いほうではないか、と言われた。そこで、それらを矛盾なく説明する仮説は、日本人女性は「我慢強い」、西欧女性は「一寸愛情が冷めるとさっさと離婚する」ということにならないか。とにかく、日本男性の家事負担率はもう少し上げれるし、上げたほうが良いと思う。
岐阜の鵜匠・山下純司さん宅に出かけて色々話を聞いたり観察したりしたことは、一応書いた。しかし、「そこからこぼれ落ちている話」が沢山あったのでいくつかメモしておく。(1)博物館風の小屋に親父さんが作ったという鵜舟等の模型があった。過去二時代のもので、少しづつ違っていた。現在は、鵜舟に三人乗船だが、模型を見ると4人になっている。山下さんは、本当は4人が合理的、「中乗りさん」を二人にしていて、一人の体調が悪ければ、現在のように三人で出来る。(2)上流に舟を運ぶのに昔は、帆かけ舟にする、岸辺を人力で舟に綱をつけて引っ張る等があった。遊覧舟でひときわ豪華な舟模型があるが、これは伊藤博文が観覧した時のものだと言う。(現在の舟で「トイレ船」があったのには驚いた。水洗完備で明るい感じであった。女性の便器が少ない感じだった。)(4)庭で「遊んでいた」鵜は全部で25羽、そのうち調子が良いもの10羽ないし12羽を毎日鵜飼に連れて行く。本当に優秀なのは2,3羽、後はそこそこ。老いぼれて25歳のが「最長老」、余所ではそれ以前に「処分」しているが、自分(山下さん)は、働いてきた彼らをここで死なしてやろう、と考えている。年取った鵜も皆の「模範」の面もあり、自分は、何か悩むときには彼らに「相談」すると言う。(5)鵜が死ぬ1週間ほど前になると食べなくなって、死期を知る。自分もああいうように静かに「死ぬんだな」と自覚して死にたい気持ちになったのも鵜の死に方をみたからだ。(6)鵜25羽全ての性格、体調を掴むまで一人前ではない。息子も自分の死んだ後に息子自身で掴むことになるだろう。自分もそうだった。(7)親父さんには、死ぬまで反発していたが、いざなくなると、何度も何度も手を握った。亡くなってから本当のことを教わった気分、模型を残してくれたお陰で、皆に開放する気になったし、感謝している。(8)庭の池の周りに一面「どくだみ」草が生えているのを指して「何を植えても鵜が食いちぎった。どくだみは、臭いが嫌なのか食いちぎらず、共生している。もうすぐ「どくだみ」の白い花が咲く頃、鵜の毛も真っ黒になって、対比が美しい。これも自然とそうなったのだ。(9)この庭に昔「造り酒屋」があった、水が良かったからだ。で、隣りに大きな旅籠があって、尾張徳川家が鵜飼を見に来たときに泊まって、ここの酒を飲んだと言う。(10)喫茶店の端の席から金華山の方を見ると、頂上のお城が良く見える。岐阜城グッド・ヴュー・ポイントだ。・・・
今度の第59回家政学会大会では、初めて「統一テーマ」として「安全・安心と生活の豊かさ」がついた。田村照子学会長と小川宣子中部支部長等との相談の結果である。
で、初日(11日)に政治学(政治史学?)の御厨 貴さん(東大教授、1951年生)に、安全・安心という概念が社会的に現れるのは、どういう背景で何時ごろか、という講演をしてもらった。戦後史で言うと、1956年頃の水俣病公式発見の時も社会的に問題になったが、チッソの操業停止、漁獲禁止とはならなかった。企業優先の高度成長路線になりつつあったためである。他に四日市も公害都市として有名になったが、現在は、過去にそういうことがあったことを出来るだけふれないように四日市当局もつとめている位だ。何と行っても、1995年の阪神・淡路大震災とオウム真理教のサリン事件で、一気に国民の安全・安心が皆の意識に定着してきている。その後も食品の安全、原子力発電、マンション、エレベーター、鉄道、ジェットコースター等々の安全問題がひっきりなしに起こっている。圧倒的に「官」に情報と規制力があるとは言え、市民・住民がシステムとしてチェックできる体制が望まれるとのことだ。
安全は、対象の客観的事実に関する事象、安心は、対象を受ける主体の意識という仕分けをされた。
最後に、少し安全・安心・豊かさ問題とづれるが、大きな問題として憲法改正論議があるが、実は9条問題等の陰に隠れている問題として、国民の最小単位をどう捉えるかで、自民党は「伝統的に家族」、民主党は「夫婦」に置いているようだが、これがやがて問題になるだろうと述べられたが、「個人」というのは考えられないのだろうか。誰もが結婚して子どもをつくるという時代ではないし、個人の「自立と連携」に対して、国家や行政がどうサポートするかが、21世紀の課題なのではないか。
御厨 貴さん登場の私のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/2dab142d9978f6173d44b2ff988b4555
(写真は、御厨さん)
で、初日(11日)に政治学(政治史学?)の御厨 貴さん(東大教授、1951年生)に、安全・安心という概念が社会的に現れるのは、どういう背景で何時ごろか、という講演をしてもらった。戦後史で言うと、1956年頃の水俣病公式発見の時も社会的に問題になったが、チッソの操業停止、漁獲禁止とはならなかった。企業優先の高度成長路線になりつつあったためである。他に四日市も公害都市として有名になったが、現在は、過去にそういうことがあったことを出来るだけふれないように四日市当局もつとめている位だ。何と行っても、1995年の阪神・淡路大震災とオウム真理教のサリン事件で、一気に国民の安全・安心が皆の意識に定着してきている。その後も食品の安全、原子力発電、マンション、エレベーター、鉄道、ジェットコースター等々の安全問題がひっきりなしに起こっている。圧倒的に「官」に情報と規制力があるとは言え、市民・住民がシステムとしてチェックできる体制が望まれるとのことだ。
安全は、対象の客観的事実に関する事象、安心は、対象を受ける主体の意識という仕分けをされた。
最後に、少し安全・安心・豊かさ問題とづれるが、大きな問題として憲法改正論議があるが、実は9条問題等の陰に隠れている問題として、国民の最小単位をどう捉えるかで、自民党は「伝統的に家族」、民主党は「夫婦」に置いているようだが、これがやがて問題になるだろうと述べられたが、「個人」というのは考えられないのだろうか。誰もが結婚して子どもをつくるという時代ではないし、個人の「自立と連携」に対して、国家や行政がどうサポートするかが、21世紀の課題なのではないか。
御厨 貴さん登場の私のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/2dab142d9978f6173d44b2ff988b4555
(写真は、御厨さん)