西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

岐阜の長良川で鵜飼い初日を見ました

2007-05-11 | 訪問場所・調査地
今日は、長良川の鵜飼いの初日(解禁日)である。家政学会のエクスカーションで岐阜・長良川の「鵜飼い」に舟に乗って見学に行った。生まれて60数年、初めての経験である。鵜匠は現在6人いてみな、宮内庁式部職鵜匠で、聞くとどうも「特別職」で年収2千万円位と言う。男児の世襲となっている。今日から10月15日まで157日間ほど働く。原則休まずだが、中秋の名月は明るいので「休み」、後は水位が高かったり風が強かったりの時は「休み」らしい。鵜飼いの説明を聞いて「なあるほど」と思ったことも多い。(1)鵜飼いは1300年の歴史がある。即ち平城京より前からある伝統行事である。(2)時の権力者の庇護の下で保護されてきた。金華山の頂上の岐阜城は元々は織田信長の築城(現在のは復元)だが、信長も鵜匠を取り立てたようだ。(3)明治以降は明治23年に宮内省管轄となって現在に至っている。(4)鵜は海鵜を使っている。川鵜に比べて体も大きく、鮎を沢山飲み込めるからだ。(5)海鵜は海岸地方より購入、今は茨城県産が多いと言う。(6)鵜匠は独特の格好だが、松明の火の粉がかからないとか、水がかからないとかのため肌を覆う長袖である。(7)鵜の首が長いので、そこに鮎を飲み込ませて貯めようというのが人間の思惑、ために首と体の間を紐で適当に結んで、飲み込む鮎が鵜の胃の方に行かないようにしている。小さい魚は胃に行って食事となる。(8)鵜の食事は、鵜飼い行事が終わる21時過ぎに日1回だけだ。ために腹がすいて頑張るわけだ。(続く)