西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

鵜匠・山下純司さんに学ぶ

2007-05-14 | 訪問場所・調査地
岐阜の鵜匠・山下純司さん宅に出かけて色々話を聞いたり観察したりしたことは、一応書いた。しかし、「そこからこぼれ落ちている話」が沢山あったのでいくつかメモしておく。(1)博物館風の小屋に親父さんが作ったという鵜舟等の模型があった。過去二時代のもので、少しづつ違っていた。現在は、鵜舟に三人乗船だが、模型を見ると4人になっている。山下さんは、本当は4人が合理的、「中乗りさん」を二人にしていて、一人の体調が悪ければ、現在のように三人で出来る。(2)上流に舟を運ぶのに昔は、帆かけ舟にする、岸辺を人力で舟に綱をつけて引っ張る等があった。遊覧舟でひときわ豪華な舟模型があるが、これは伊藤博文が観覧した時のものだと言う。(現在の舟で「トイレ船」があったのには驚いた。水洗完備で明るい感じであった。女性の便器が少ない感じだった。)(4)庭で「遊んでいた」鵜は全部で25羽、そのうち調子が良いもの10羽ないし12羽を毎日鵜飼に連れて行く。本当に優秀なのは2,3羽、後はそこそこ。老いぼれて25歳のが「最長老」、余所ではそれ以前に「処分」しているが、自分(山下さん)は、働いてきた彼らをここで死なしてやろう、と考えている。年取った鵜も皆の「模範」の面もあり、自分は、何か悩むときには彼らに「相談」すると言う。(5)鵜が死ぬ1週間ほど前になると食べなくなって、死期を知る。自分もああいうように静かに「死ぬんだな」と自覚して死にたい気持ちになったのも鵜の死に方をみたからだ。(6)鵜25羽全ての性格、体調を掴むまで一人前ではない。息子も自分の死んだ後に息子自身で掴むことになるだろう。自分もそうだった。(7)親父さんには、死ぬまで反発していたが、いざなくなると、何度も何度も手を握った。亡くなってから本当のことを教わった気分、模型を残してくれたお陰で、皆に開放する気になったし、感謝している。(8)庭の池の周りに一面「どくだみ」草が生えているのを指して「何を植えても鵜が食いちぎった。どくだみは、臭いが嫌なのか食いちぎらず、共生している。もうすぐ「どくだみ」の白い花が咲く頃、鵜の毛も真っ黒になって、対比が美しい。これも自然とそうなったのだ。(9)この庭に昔「造り酒屋」があった、水が良かったからだ。で、隣りに大きな旅籠があって、尾張徳川家が鵜飼を見に来たときに泊まって、ここの酒を飲んだと言う。(10)喫茶店の端の席から金華山の方を見ると、頂上のお城が良く見える。岐阜城グッド・ヴュー・ポイントだ。・・・

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