東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

秋冬モードへ

2010-10-11 03:55:10 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010781 この春以来、暑くなって膠が使えなかったので、専ら土いじりをしていました。

溜まった木地を窯入れして素焼きするのもこれで3度目です。漸く秋らしくなってきたので、素焼きに色塗りしなければ、と思いつつ、掘ってきた土も手がかじかむ水温になる前にせっせと水簸しておきたいと、心戸惑う今日この頃です。

とにかくまずは、木地にやすりをかけなければ、、、。


今戸人形 「子抱き(小)」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-10-11 03:39:24 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010785 最後の今戸人形師と言われた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた土人形です。

戦前の有坂与太郎の著作では「子抱き(小)」と表記されている人形です。「子抱き(大)」とは型が異なります。

この型は明らかに京都・伏見人形からの型どりで、そのもととなったと思われる伝世の伏見人形がありますし、現在でも伏見人形の窯元「丹嘉」さんで作られています。

伏見の人形よりもふたまわり以上小さく、彫りも甘くなっていますが、今戸での土人形製作が、伏見人形からの型どりから発展しているという一例と見てよいかと思います。

春吉翁によるこの人形の配色ですが、着物の部分が青灰色といったらよいのか、微妙な色合いです。姉さん被りの部分のように単純に群青色に胡粉の白を混ぜた色ではありません。藍色が混ざっているのか、幾分黄色みや黒みを感じられる色だと思います。

今戸人形の典型的な配色というと、一般的に群青に朱(または丹)あるいは染料のスカーレットを主に塗られている、というイメージがありますが、これらは天保あたりからの色遣いだと考えられます。群青色が舶来の新色として入ってきたのが、その頃らしいのです。

春吉翁の養父である尾張屋兼吉翁(天保4年?~大正8年)が人形を製作された時代が群青の導入された以降の時代でしょう。しかし人形によっては、群青以外の青の発色で変化をつけることもあったのかもしれません。

春吉翁作のこの「子抱き(小)」の人形も着物部分に生の群青で塗られたものがあるのでしょうか?

以前、このブログの「今戸人形」のカテゴリーで「浅草と深草」(8月)という記事で、伏見人形と今戸人形の「子抱き」を並べた画像を貼りつけていますので、よかったらご覧ください。

 

 

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今戸人形 「子抱き(大)」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-10-11 02:23:56 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010782_2 最後の今戸人形師と言われた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた土人形です。今戸人形の中でもよく知られた型です。また春吉翁作の人形の中でも比較的大きな部類に入るものではないかと思います。

背面の帯部分に四角い枠の中に「尾兼」という印があり、型としては春吉翁の養父である尾張屋5代目・金澤兼吉翁(天保4年?~大正8年・76歳)が起した型なのだと思われます。

「子抱き(大)」という名称は、有坂与太郎による著作に表記されているとおりで、(大)に対し(小)とある人形はこの型とは別の形です。

赤子に乳を与えている構図の人形であることは共通しています。

土人形で似た構想のものは、他の地方にもあるようで、山姥と金時になっていたり、マリア様に見立ててあるものもあるようです。

この尾張屋さんの人形は純全たる風俗スケッチという感じです。お母さんは既婚だから眉を落としていて、ほほ笑んだ口には鉄漿(おはぐろ)の黒が覗いて見えます。

子守狐同様、このお人形もまた母性豊かな表情ですばらしいと思います。

戦前で途絶えてしまった人形ですが、戦後になって、途絶えてしまった今戸人形を惜しみ、当時の郷土人形の愛好家がそれまで人形製作をしていなかった白井孝一さんに人形作りをすすめたのを機に、現在に至っているのはみなさん御存じのとおりです。この「子抱き」(大)については当時の愛好家のおひとり、湯島で飾職をしていた袴田穣さんがご自分が大切にされていた今戸人形を戦時中湯島天神下にあった防空壕の中に油紙に包んでおいたものが湿気でやられて色がとれてしまったものを白井に提供された型どりを促したのがきっかけだそうです。現在ではそういった経緯が忘れ去られ、白井さんでは背面の「尾兼」の刻印を消して「今戸焼」という刻印を入れて作っていらっしゃいますが、本来尾張屋さんの人形の型であった事実を風化させたくありません。

 

 

 

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