東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

お竹如来

2010-10-08 23:09:06 | ご近所

2007_0101_000000p1010758 赤羽西6丁目にある「善徳寺」さん。赤羽といっても板橋区との区境まであと数十メートルというところです。

このお寺はかなりの古刹だそうで、創建は享徳2年(1453)もともと現在の皇居の吹上御所の辺りにあったものが徳川家康の江戸入城により場外の平川口へ、ついで日本橋馬喰町へ、その後浅草松葉町(現・松が谷)へ移転。関東大震災の被災により、ここへ移られたそうです。

ここの境内の一角に「お竹如来」様がお祀りされています。

「慶長の末期、武州比企郡の一行者が奥州湯殿山に参詣して「生身の大日如来を拝したい」と祈願したところ、その満願の日に枕元に如来様が現れ、「わが姿を拝したくば、江戸大伝馬町佐久間方の女中お竹を拝すべし」とのお告げがあったので行者は喜び勇んで江戸に出て行った。」

「このお竹というのは江戸大伝馬町の資産家佐久間家の女中で、非常に慈悲深い人だった。人出入りの多い大家だけに台所をあずかるお竹は流しの端に麻の袋を吊るしておいて、その端に溜まった飯粒や野菜の屑を一切とっておいて夜遅くこっそり煮て食べて、自分の食べる分は貧しい人々に恵んでいた。その事を知った主人が隙間から覗いてみたら、そのお竹の体に後光がさしていた。 

お竹は常に悩める人の相談相手となり、多くの人に仏の道を説き、慈悲の行に終始して多くの人を助けていたが 、延宝8年5月19日臨終に当たり、「われこそ大日如来なり」と告げられたので、時の人は大日如来の化身であった言い、臨終と共に昇天されたのであると語り伝えられている。」

「お竹如来の名は日本全土にひろまり、悩み事のある人が願かけをすれば、必ず恵みをたれると言われ、また人を求める人が願をかければ、よき人を世話されるとの言い伝えから今でも縁組、求人などの願かけの人があとを絶ちません。」

以上は善徳寺さんのご由緒書から引用させていただきました。

このお竹さん、江戸の流行神として有名だったようです。拳遊びが流行した頃の錦絵で、新宿正受院の奪衣婆と日本橋翁稲荷のお爺さんとこのお竹さんの3人で拳を打っている図を見たことがありますし、歌舞伎の「八百屋お七」の演目によく出てきます。昔観た河竹黙阿弥の「吉様参る」にも出てきて、悪人に縛りあげられて折檻される場面があったように憶えています。

若い頃、羽黒山に登った時、博物館にここのお寺の木像「お竹大日如来像」が出開帳されているのにびっくりしたこともありました。地元に住んでいながら、「灯台もと暗しとはこのこと」と思ったものです。

話は脱線しますが、昔、九官鳥だったか、おうむだったか、決まって「オタケサン」と言ったように思うのですが、これも「お竹如来様」から来ているのでしょうか

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