角火鉢と呼んだらよいのか、行火の鉢というべきか、、?口の外側一辺が27センチほどあります。
使用されて、かなり傷みもし、汚れていますが、今戸焼でいうところの「黒もの」の仕上げであることはわかります。
ただし、こういう瓦質のものは、今戸以外にも全国各地で作られていたかもしれず、今戸で焼かれたものであるとは断定できませんが、こうしたものが、今戸でも焼かれていたと考えてもよいのではないでしょうか?
少なくとも、昔の東京のお年寄りに見せれば、今戸焼と呼ぶものの範疇には入るものでしょう。これ自体は群馬県内の民家から出たものだと聞いています。
思い出すのは樋口一葉 作 「大つごもり」(明治27年)の上巻のはじめに出てくる、おじさんの家の様子を描写したところです。
「何お峰が来たかと安兵衛が起き上れば、女房は内職のした仕立物に餘念なかりし手をやめて、まあ々是れは珍しいと手を取らぬはかりに喜ばれ、見れば六畳一間に一間の戸棚只一つ、箪笥長持ちはもとより有るべき家ならねど、見し長火鉢のかげも無く、今戸焼の四角なるを同じ形の箱に入れて、これがそも々此の家の道具らしき物、聞けば米櫃も無きよし、さりとては悲しき成りゆき、」とあり、「今戸焼の四角なる」ものを長火鉢の代用にしているというのは、こうした形状のものではないかと想像しているのですがどうでしょうか?
灰をならした上に五徳を置いて使っているのでしょう。そのためには、深さが足りないような気もするのですが、もっと深い造りのものもあったのかどうか、、。
あくまで想像の域でしかありませんが、そういう使い方ができなくはないかと思っています。
裏底には「消し壺」や「土風炉」同様、半球型の足がついています。