水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・126」

2007-12-10 12:16:31 | Weblog



  第十一章(1)
  無苦集滅道 

またまた仏教用語だ。
「苦集滅道」を「四諦」という。
四つを諦める、という意味じゃないぜ。
まぁ、それでも理屈は付けられるけどなぁ。
理屈なんて、どんな事でも付けられるもんだ。
何しろ、人に真理の判断能力は無い。
宗教は言いたい放題なのさ。

サンスクリット語の音読みを漢字に当てはめたのだ。
般若(パーニャ)とか波羅蜜多(パーラミタ)と同じだ。
だから漢字の意味は無い。
サティア(真実)を諦と当てはめた。
四つの真実(真理)という意味だ。
だが、真理ばかり多くてなぁ・・・
精神世界は真理や真実が好きだなぁ・・・。

まぁ、四諦にはいろいろな意味を込めてある。
真理を僅かな文字に託すんだもの、無理もあるさぁ。
というわけで、一応、無理を説明しないと先に進めない。
ゲンちゃんも多くの文字を書くのがメンドウだったのね。
つい、仏教用語を多用して心経を書き上げたのだ。

     
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・125」

2007-12-10 12:08:39 | Weblog



  第十章(13)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

「無明だから不安もあるよなぁ。
迷いも不都合もあるよなぁ。
だからといって、無明を無くそうとしなくていいぜ。
そんな事に人生を費やすと、人生が無駄になる。
オレもな、嘗て悟りを得ようと修行した。
そして、やっと、それらの努力は間違いだと気づいたのさ。

大切なのは、無明の中で生きる事なんだぜ。
それには無明にこだわらないことだ。
更に、無明を愉しむ事だ。
無明を愉しむとは、人生を愉しむ事だぜ。
愉しむってのは、一時一時を大切にするって事さ。
難しい事ぁ、無ぇだろ。
それが、無無明って事だ。

愉しめるなら、人生、何回やってもいいだろ。
それが、無老死尽って事だ。
何度生まれ変わって、無明の中で生きてもいい。
そう思えるようになるのが、智恵ってもんだぜ。
小難しい理屈じゃ無ぇんだよ」

     
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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