話が前後して申し訳ない。
多良見町→深江町→熊本と来て、再び話は多良見町に戻る。
町内散策の折りに色々な場所を撮影して回っているのだが、それが何なのか分かるものが少なく、調べてみた結果コレだったなんてのがほとんどだ。
今回紹介する「島の神(であろう)大神宮」もその1つだ。
多良見町の図書館近くにうっそうとした森がある。
その森の中にこの大神宮が祀られていた。
神額には「大神宮」の文字しか刻まれていない。
一方、調査のために借りた「多良見町郷土誌」には大神宮の文字は出て来ない。
しかし、掲載された白黒の写真を見る限り、この「島の神」の事を言っているのだろうと思う。(括弧書きの「であろう」は確信がないため。)
「島の神(木床)
元釜島が大村湾に面する5、6mの岸上に『島の神』の境内があり、石造り神殿に『とき明和元年』(1764年)とだけ刻まれている。ここは昔はこの島(地続きの丘)の南手に住む蔭山氏が一手で祭っていたのを今は全体の祭りとされたという。
境内の石灯ろ竿石(?)には安永五年(1776年)六月吉祥日の年号があり、蔭山氏の隆盛時代を物語っているが、蔭山氏の先祖は昔は当地方では富豪家で上方詣り(伊勢大神宮参拝をいった)を宝暦年間に三度もしたと伝えている。」
この後ろにも解説文は続くが、島の神とは何ら関係がない。
解説文も何を説明したいのかよく分からない。
私の浅学故に分からないのであろうが、多分これ以上掘っても何も出て来ないと思う。
多良見町→深江町→熊本と来て、再び話は多良見町に戻る。
町内散策の折りに色々な場所を撮影して回っているのだが、それが何なのか分かるものが少なく、調べてみた結果コレだったなんてのがほとんどだ。
今回紹介する「島の神(であろう)大神宮」もその1つだ。
多良見町の図書館近くにうっそうとした森がある。
その森の中にこの大神宮が祀られていた。
神額には「大神宮」の文字しか刻まれていない。
一方、調査のために借りた「多良見町郷土誌」には大神宮の文字は出て来ない。
しかし、掲載された白黒の写真を見る限り、この「島の神」の事を言っているのだろうと思う。(括弧書きの「であろう」は確信がないため。)
「島の神(木床)
元釜島が大村湾に面する5、6mの岸上に『島の神』の境内があり、石造り神殿に『とき明和元年』(1764年)とだけ刻まれている。ここは昔はこの島(地続きの丘)の南手に住む蔭山氏が一手で祭っていたのを今は全体の祭りとされたという。
境内の石灯ろ竿石(?)には安永五年(1776年)六月吉祥日の年号があり、蔭山氏の隆盛時代を物語っているが、蔭山氏の先祖は昔は当地方では富豪家で上方詣り(伊勢大神宮参拝をいった)を宝暦年間に三度もしたと伝えている。」
この後ろにも解説文は続くが、島の神とは何ら関係がない。
解説文も何を説明したいのかよく分からない。
私の浅学故に分からないのであろうが、多分これ以上掘っても何も出て来ないと思う。