5月29日にアップした「南蛮船来航の地」と違い、今回は長崎県の指定を受けた「史跡 南蛮船来航の地」です。
基本情報は前回アップしたのと変わりません。
1562年に有馬義直が開港し、キリシタン布教の根拠地・西洋文化の窓口として栄えました。
1582年、開港から20年後のこの年に最後の南蛮船が入港しました。
そして、ルイス・フロイスが京都から届いた“本能寺の変”をヨーロッパへ発信したのもこの地です。
その後は日本史の通り、1587年に豊臣秀吉が伴天連追放令を発し、キリスト教が弾圧されて行くのです。
時代の移り変わり、栄枯盛衰を目の当たりにした貴重な場所です。
基本情報は前回アップしたのと変わりません。
1562年に有馬義直が開港し、キリシタン布教の根拠地・西洋文化の窓口として栄えました。
1582年、開港から20年後のこの年に最後の南蛮船が入港しました。
そして、ルイス・フロイスが京都から届いた“本能寺の変”をヨーロッパへ発信したのもこの地です。
その後は日本史の通り、1587年に豊臣秀吉が伴天連追放令を発し、キリスト教が弾圧されて行くのです。
時代の移り変わり、栄枯盛衰を目の当たりにした貴重な場所です。