事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「マリアビートル」 伊坂幸太郎著 角川書店

2010-10-02 | ミステリ

201003000213  え、もう新作が完成したの?まだ「バイバイ・ブラックバード」も読んでいないのに。しかしあの殺し屋たちのおしゃべり合戦「グラスホッパー」(角川文庫)の続編とくれば最優先で読まなければ。

 傑作であるにしても重い作品が続いたことで、伊坂幸太郎を手にとるのはちょっとしんどい面もあった。“面白く書くことを遠慮している”って感じ。でも今回は違いますよ。なにしろ登場人物のひとりである中学生がひたすら邪悪なので、その邪悪さをカバーする意味もあってか殺し屋たちの善良さ(笑)が光り輝いています。

 舞台は東北新幹線。東京駅から盛岡駅までの二時間半に限定されていて、この密室感がまず最高。上野で下車するはずだった殺し屋が、盛岡まで延々とおりられずにいく過程が笑わせてくれます。その間、なぜかその新幹線がやたらに空いていて、殺し屋業界の方々がやけに乗車しているという謎がミステリとして効いている。しかもみんな殺しまくり。

 

「暴走機関車」(黒澤明が脚本を書いていて、彼自身は映画化することができませんでした)「リスボン特急」といった昔の映画へのリスペクトがあり(それぞれちゃんと言及されています)、なにより、殺し屋のひとりが「きかんしゃトーマス」にひたすら拘泥するあたりが泣かせる。蜜柑&檸檬という二人組の殺し屋の片割れがそれで、作中の人物にトーマスのキャラをあてはめる技が、最後の最後に……

 読んでなくても全然かまいませんが(わたしもストーリーはほとんど忘れてましたから)「グラスホッパー」を先に読むと面白さ倍増かも。

あの作品の主役が中学生に「なぜ人を殺してはいけないか」(殺し屋の物語なのに)を語る部分の重みがいいし、「押し屋」(横断歩道などで単に“押す”だけで殺人を完遂します)が、今回は実に“いい殺人”をかましてくれます。特に、前作のラストについてちゃんと解説するパートもあるのでしみじみ。

 撒き餌のような形で伏線をはり、最後にちゃんとその伏線を機能させるのが伊坂の常套手段。その撒き餌が実は撒きビシだったりするようなテクニックもあっておみごと。

弱っちいルックスで、常に不運に泣いてしまうてんとう虫(マリアビートル)という殺し屋が、追いつめられると“飛ぶ”あたりで女性ファンは狂喜かも。映画化するとすれば、

てんとう虫→加瀬亮

蜜柑&檸檬→伊勢谷友介&岡田准一

木村親子→役所広司、柄本明、キムラ緑子

でお願いします。

……そうはいかなかったけれども「AX(アックス)」につづく

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「ビルマVJ 消された革命」 BURMA VJ

2010-10-02 | 国際・政治

Burmavj02  そこに映像がなかったら、わたしたちは対象に感情移入することができない。現代はそんなメディア世界なのであり、そんな身体にわたしたちはなってしまっている。湾岸戦争においてもっともインパクトがあった映像は(異論もあるだろうが)油まみれの水鳥。どうやら戦争とは関係のない画像だったらしいが、あの水鳥を戦争被害者の《記号》として今でも思い出す。

 わたしたちは“ミャンマー”についてどれだけのことを知っているだろう。

「ビルマの竪琴」

「アウン・サン・スーチー」

「ラングーン(現ヤンゴン)事件」

……少なくともわたしのなかで、これらの単語は有機的に結びついてはいない。ビルマからミャンマーへの呼称変更がどんな意味をもっているかも知らず(この作品はあくまで「ビルマVJ」であって「ミャンマーVJ」では決してない)、軍独裁とはいえ、その独裁者の顔がまったく見えてこないことに疑問ももっていなかった。なにしろ、感情移入する映像がほとんど存在しないのだ。

 VJ、と呼ばれるビデオジャーナリストたちが、命をかけて撮影し、国境をこえて持ち出した映像素材によってこのドキュメンタリーは成立している。

国家警察による弾圧、市民の相互監視、ほぼ完全な情報遮断……軍事政権の高圧ぶりは、市民のおびえたような表情でうかがわれる。

経済的失政がつづいても、なぜ政権が覆らないのか。圧政が徹底していることの他に、土地が肥沃なものだから、貧しいながらも何とか国民が食えてしまうことが背景にあるのかもしれない。

その意味で、3年前に起こった「燃料の急騰」によって国民的ストライキが自然発生した理屈も理解できる。国民があまりに困窮したときに、僧侶たちによる抗議行動が自動的に起動するというシステムには感じ入った。王蟲ですか。

VJたちの勇気と犠牲をむだにしないためにも、ジョーカー的存在になりえているので抹殺することもできず、自由に発言されたら軍政がもたないので国外追放もできないアウン・サン・スーチーのことを、わたしたちは注視しなければならない。ビルマの苦境を端的にしめす、彼女は記号となる映像なのだ。

自国のジャーナリスト(長井健司氏)が射殺され、いまもビルマ難民の受け入れを渋っている日本人として、それは最低限のマナーというものではないか。

Burmavj01_2

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