そこに映像がなかったら、わたしたちは対象に感情移入することができない。現代はそんなメディア世界なのであり、そんな身体にわたしたちはなってしまっている。湾岸戦争においてもっともインパクトがあった映像は(異論もあるだろうが)油まみれの水鳥。どうやら戦争とは関係のない画像だったらしいが、あの水鳥を戦争被害者の《記号》として今でも思い出す。
わたしたちは“ミャンマー”についてどれだけのことを知っているだろう。
「ビルマの竪琴」
「アウン・サン・スーチー」
「ラングーン(現ヤンゴン)事件」
……少なくともわたしのなかで、これらの単語は有機的に結びついてはいない。ビルマからミャンマーへの呼称変更がどんな意味をもっているかも知らず(この作品はあくまで「ビルマVJ」であって「ミャンマーVJ」では決してない)、軍独裁とはいえ、その独裁者の顔がまったく見えてこないことに疑問ももっていなかった。なにしろ、感情移入する映像がほとんど存在しないのだ。
VJ、と呼ばれるビデオジャーナリストたちが、命をかけて撮影し、国境をこえて持ち出した映像素材によってこのドキュメンタリーは成立している。
国家警察による弾圧、市民の相互監視、ほぼ完全な情報遮断……軍事政権の高圧ぶりは、市民のおびえたような表情でうかがわれる。
経済的失政がつづいても、なぜ政権が覆らないのか。圧政が徹底していることの他に、土地が肥沃なものだから、貧しいながらも何とか国民が食えてしまうことが背景にあるのかもしれない。
その意味で、3年前に起こった「燃料の急騰」によって国民的ストライキが自然発生した理屈も理解できる。国民があまりに困窮したときに、僧侶たちによる抗議行動が自動的に起動するというシステムには感じ入った。王蟲ですか。
VJたちの勇気と犠牲をむだにしないためにも、ジョーカー的存在になりえているので抹殺することもできず、自由に発言されたら軍政がもたないので国外追放もできないアウン・サン・スーチーのことを、わたしたちは注視しなければならない。ビルマの苦境を端的にしめす、彼女は記号となる映像なのだ。
自国のジャーナリスト(長井健司氏)が射殺され、いまもビルマ難民の受け入れを渋っている日本人として、それは最低限のマナーというものではないか。
いや、過去形なんかで話してはいけないのですが、この国様相がいつまでも漠として見えてこないもんで、それこそ対岸の火事と考えておりました。
でも、こうやって、命を賭して報道を全うしようとする人がいる!ということに、哀しくもあり、救われた気もしました。
まずわれわれに課せられたのは知ることでしょうね。
作品だし、こんなことも知らなかったのかとわたしたちを
責める作品でもありましたね。
日本人の怠慢を思い知らされました。
せめて移民を受け入れる度量を見せることができればいいのに、
常に第三国だからなあ……。
相手に届けることでようやく機能する、
だから命をかけて映像を海外へ持ち出す、という意味では
映画ってものの暗喩のようでした。
そこに観客がいなければ映画は無だと。