事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

My Tool 第1品 ステッドラー

2008-07-01 | 日記・エッセイ・コラム

 さて、今回から始まる新シリーズ「マイ・ツール」は、日々の生活でこいつだけは手放せない、というグッズを、特に文房具を中心にとりあげていこうという趣向。こだわりの数々が、時に納得でき、時に大笑いできるはず。

Sml_22622687_1文房具でこだわりがあるのは、ステッドラーの砂消し、ガンジーの爪切りみたいなケースに入っている修正テープ(製造中止になっても他社のテープを入れて使っている)、あと手帳はダイゴーE1102、4月始まりのにカバーをつけて使ってます。これはね、共済手帳を使っていた名残。最も似てるんですよ。どこに何を書くか決めている。不確実な予定はシャーペンで書き、決まったところでボールペンで書く。ボールペンは4色、同じ色じゃないと気になるので、一度に4、5本買う。行事は黒、仕事上の会議等は青、締め切りは赤、私事は緑。TDRのインパーク、映画をどこで何を見たか、すごーくにぎやか。手帳に依存、ないと大騒ぎ!します。ここ4年は5年日誌もあわせて使ってます。へんなこともいっぱい書いてあるけど、便利、チクルカード的に使えるし。几帳面だからではなく、ボケボケだから、メモ魔なのよねえ。

 ……ほら、もうわけわかんない。そこまでこだわるか。だいたいステッドラーはほとんどプロユースだから高価なんだよなあ。まあ、ペンシルケースにステッドラーブランドが入っているとかなりかっこいいけどね。

Hobonichi_2008spring_05  手帳に関してはみんなこだわりを持っていることと思う。わたしが使っていたのは高橋書店。他にも能率や博文館などがシェアを競い合っている。そこへ殴り込んできたのが糸井重里主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」が売り出した“ほぼ日手帳”。今までのものと何が違ったかというと、とにかく一日あたりの書き込みスペースを思いきり大きくとったこと。手帳が同時に日記となり、書き込むことすなわち娯楽、という方程式がここで確立したわけ。この手帳がバカ売れしたものだから、他社の手帳も次第に大型化し、“手帳は背広の胸ポケットに入れるメモ”という常識が崩れ、システム手帳の普及もあって“手帳はバッグに入れる備品”これが現代の常識となりつつあるのだとか。なるほどー。もっとも、わたしは今どきマイクロソフトのOffice Outlookでスケジュール管理をする時代遅れぶり。おかげで、パソコンのないところではすっかり無力化してしまうのである。情けない。

次号は携帯ソフト篇

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「嗤う伊右衛門」(’03 東宝)

2008-07-01 | 邦画

姑獲鳥の夏」に続いて京極夏彦原作。わたしはこの京極版四谷怪談が大好きだったのに、こちらも監督の蜷川幸雄との相性が悪かった気がする。大仰にして演劇的な(仕方ないけどね)演出にはちょっと辟易。大立ち回りのラストで、そこまで因果話にしなくても……とも思ったが、あれがなかったらミステリにすらなっていないものな。むずかしいものだ。

六平直政は宅悦をやるためにいるような役者だと思っていたけど、ちとやり過ぎ。

                                                                                               小雪はもちろん綺麗です☆☆☆

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「姑獲鳥の夏」(’04 ヘラルド)

2008-07-01 | 邦画

E0063609_1663456  輝ける京極夏彦のデビュー作。今や世間にあふれまくっているミステリ文学賞に応募されたのではなく、講談社への持ち込み原稿だったのは前にもふれたとおり。広告代理店から独立してデザイン事務所を設立し、しかしバブルがはじけて暇になったので「ノートにいたずら書きでもするような気持ちで」書かれたのが本作。いきなりこんなハイレベルな作品が持ち込まれて講談社もたまげたろうが、きちんとそれを読み込み、「もし売れなかったら個人で買い占めてもいい」とまで断言した当時の担当者(※)は、その後ミステリ界における講談社の地位を確固たるものにし、現在は重役です。いい話。

※その編集者、宇山日出臣は06年に亡くなってしまった。

「妊娠20ヶ月の妻を残して、密室から失踪した男を探して欲しい」という奇怪な依頼に始まる有名なストーリーを、原田知世、いしだあゆみなどが狂気を見せて実体化している。でも、京極の原作を実相寺(ウルトラセブンの監督です)昭雄に撮らせるという、一種の夢の企画であることが今回はマイナスにはたらいたのではないだろうか。お互いのくどいぐらいの個性が、効果を打ち消し合っているような……。

つづいては、「嗤う伊右衛門」を。

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