事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「魔王」伊坂幸太郎著 講談社刊

2007-12-31 | ミステリ

Maoh 「重力ピエロ」「アヒルと鴨のコインロッカー」などで軽快にとばす伊坂の新作がまさか“政治小説”だったとは。キーワードは「違和感」。ワイドショー化したマスコミ報道やネット情報に踊り、カリスマの匂いのする政治家があっという間に首相にのぼりつめる日本。そのことに違和感を抱いた兄弟はそれぞれに行動を起こす。しかし、究極の“魔王”となるのは……。

 おそらく右翼からも左翼からも(厳密には改憲派・護憲派。日本の場合これがねじれている。右翼が改憲で左翼が護憲。変な話でしょう?)批判されることを承知の上で伊坂は書いているのだと思う。しかも、違和感を抱き続ける冷静なある人物がラストで……あわわネタバレになっちゃうな。語り口がいつもの軽快な伊坂調であることで、むしろ日本の異常さがクリアに見えてくる。問題作、という表現がこれほどぴったりな作品も珍しい。ぜひ。

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「グラスホッパー」伊坂幸太郎著 角川書店刊

2007-12-31 | ミステリ

07303_gurasufopa  日本で「殺し屋」の物語を成立させるのは、かなり難しい。

 この国では、やくざ・暴力団などと賤称される組織暴力が、意外に一般人との距離が近いため、殺人を依頼する相手はどうしても身近なやくざということになろうし、義理人情や仁義といった建前がかろうじて生き残っているため、ドライに金銭を報酬として殺人を請け負う業種は、看板を掲げても(なわけないが)、復讐の対象になりやすいだろうから。ゴルゴ13がめったに日本を舞台に仕事をしないのはそのせいかも。

だから現実の殺し屋のパブリック・イメージは“シャブ漬けで、殺しの前夜には愛人の身体に溺れる鉄砲玉ヒットマン”……偏見にしてもすいません通俗で。

 伊坂が書きたかったのは、だから“どこでもない日本”における、おとぎ話としての殺し屋たちだろう。案山子がしゃべったり、ギャングがやけに陽気だったりする設定の延長線。そしてそれはかなり成功している。まるでローレンス・ブロックの殺し屋ケラーのシリーズみたい。みんなおしゃべりだし。それにしても“押し屋”と“自殺屋”という設定にはおそれいった。

 ちょっとしたひっかけがあるラストに疑問をもつ読者もいたようだが(ラストまで読んだら、P158~単行本で~を読み返すこと)、これは主人公がカメラに向かってウィンクするような、しゃれた映画的趣向とみた。血なまぐさい物語はこれで終わりですよ、って合図だと。今回もかなり読ませる。ぜひ。

続編!「マリアビートル」特集はこちら

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「アヒルと鴨のコインロッカー」伊坂幸太郎著 東京創元社刊

2007-12-31 | ミステリ

41gvo9iaxhl 絶好調伊坂幸太郎。相変わらず皮肉な口調と醒めた文体が効きまくっている。ただし、ミステリとしてみれば穴だらけ。メイントリックに途中で気づいてしまう読者も多いだろうし(わたしはP186で気づきました。早いんだか遅いんだか)、そのことで興ざめ、とする偏狭なミステリおたくもいるだろう。わたしにしたって、悲劇を予感させる展開に、“もうひとりの”主人公に向かって「とりあえずお前は早く警察に行け!」と突っ込みながら読んでました。本屋を襲うシーンは、まるで【村上春樹が描く、ある有名なシャーロック・ホームズの短篇】だし。ミステリの老舗、東京創元社の新叢書第1弾である以上、こんな仕掛けは絶対条件だったか。

でも、【仙台を舞台にした青春小説】として読めば、これはやはり出色の出来。下手くそにしか歌うことの出来ないディランの「風に吹かれて」のエピソードなど、うなるほどうまい。今回は、伊坂が初めて訪れた外国ブータン、そしてそこから必然的に導き出される鳥葬が基調音として流れていて、それらすべてが、哀切で、しかも甘美なラストに収束する。感動のヒントは、題名の中にまるごと仕込まれている。飯を抜いても、ぜひご一読を。

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「重力ピエロ」 伊坂幸太郎著 新潮社刊

2007-12-31 | ミステリ

Apierrot 半分しか血のつながりがない「私」と、弟の「春」。春は、私の母親がレイプされたときに身ごもった子である。ある日、出生前診断などの遺伝子技術を扱う私の勤め先が、何者かに放火される。町のあちこちに描かれた落書き消しを専門に請け負っている春は、現場近くに、スプレーによるグラフィティアートが残されていることに気づく。連続放火事件と謎の落書き、レイプという憎むべき犯罪を肯定しなければ自分が存在しない、という矛盾を抱えた春の危うさは、やがて交錯し…。

前作「ラッシュライフ」と「オーデュボンの祈り」(絶版)をそろえて一気に読み進めるべきだ。登場人物が相互乗り入れを行っていて、特別出演みたいでこれがなかなか楽しい。特に探偵兼泥棒兼カウンセラーである黒澤の再登場はうれしかった。

 この作家の特徴は、とにかく大量の警句(ワイズ・クラック)を仕込んでいることで、日本の作家には珍しくいい感じ。例えば、癌に倒れた父親を兄弟が見舞うシーン。

「推理小説を買ってこいだとか、地図を買ってこいだとか、父さんが言うからね。歴史の参考書まで買ってきた」
「そんなの、何に使うんだよ」
「小説に嘘が書いていないか、チェックするんだ」父が笑う。癌のせいでもないだろうが、歯が先細っているように見えた。
「小説を読むのは、でたらめを楽しむためじゃないか」

……このあと、父親は作中でもっとも泣かせるセリフ「(兄弟)二人で遊んできたのか?」をつぶやく。兄弟の物語に弱いわたしは、はやウルウルである。

ただ、ミステリとしてはどうだろう。暗号解読はいかにもとってつけたみたいだし(そのことで兄はあることに気づくのだが)、おまけに肝心の動機が……この動機だからこそ感動できる、それはわかるんだが。「氷点」じゃないんだからさ(笑)。

 ミステリとしては不満の残る出来だけれど、家族小説、そして仙台という街の物語としてなら、これは素晴らしく気持ちのいい作品。でたらめを、ぜひ楽しんでほしい。

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