事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ダ・ヴィンチ・コード」 The Da Vinci Code

2007-12-29 | 洋画

Code04 ダン・ブラウン原作 ロン・ハワード監督 トム・ハンクス主演

 翻訳ミステリが売れない時代に原作の売り上げが単行本と文庫をあわせて一千万部とは。カンヌ映画祭で初上映されたとき、観客が“失笑”したときいてわたしはむしろ確信した。こりゃあ大ヒットするぞと。結果は予想以上の大入り。だから劇場がもっと空いてから観ようと思っていたのに、まわりの事務職員たちが「観たか?観たか!」とやけに挑発するので仕方なく出かける。

 なるほど、これは他人に「どうだった?」と確かめたくなる映画だ。ロン・ハワードとトム・ハンクスが組んで面白くないわけがないのだが、キリスト者ではないわたしにはいまひとつオチの衝撃が……

アメリ」以来ごひいきのオドレイ・トトゥがものすごく綺麗になっていたのでうれしい。もっとも、彼女が美しくないとカトリック信者はもっと激怒することでしょうが(あ、ちょっとネタバレ)。
 ところで、ルーブル美術館のトイレって、やっぱりあんなにしょぼいんですかね?             

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「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J.D.サリンジャー著 村上春樹訳

2007-12-29 | 本と雑誌

Catcherin 「だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」

 野崎孝が訳した版は学生時代に読んだ。社会に、そして自分自身に傷つき、折り合いをつけられずにいるホールデン・コールフィールドが、唯一心を許しあえる幼い妹に語った(だからこそ本音の)願いが、ライ麦畑の捕まえ手になって自分のような子どもを救ってやりたいことだと告白する部分には、本気で感動した。

 以後、サリンジャーの全集を図書館から借りだし、同じように死者の存在にからめとられるグラス家の物語に耽溺したりした。若いうちにサリンジャーを読み通しておいたことは幸いだったが、中年になって読み返して、はたしてどう感じるだろう……

01  村上春樹が「ライ麦畑~」を訳す、この強力なアイデアがまさか実現するとは。村上にとっては、なかなかにリスクの大きい仕事だったはず(同時に、楽しい作業でもあったようだが)。大人への通過儀礼とまで称される古典は、もはやどう訳しても批判が浴びせられることは確実。現実に「オレのライ麦畑とは違う!」という声が方々からあがっているし。白水社にしても、どこにも文庫化権を売り渡さず、大事に累計250万部を売ってきたベストセラーのイメージダウンは避けたいところだったろうに。

 読み返して、いやはやホールデン・コールフィールドがこんなに情けない野郎だったかと面食らったが、しかし彼のやり場のない痛みこそ、“もうあの頃にはもどりたくない”とまで思わせる十代の哀しさそのものだと再び思い知った。予想以上に左翼的な作品であることも再確認。さすが、全米で悪書扱いをうけただけのことはある。古典の名に恥じない、ひりつく大傑作。

※隠遁生活の長くなったサリンジャーは、契約を楯にとって村上の解説の掲載まで拒否している。変わらねーなージジイ(笑)。

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探偵物語(‘79 日本テレビ)

2007-12-29 | テレビ番組

Yusaku 松田優作 成田三樹夫主演 村川透他演出

 現在四十才以上の男性は、例外なくルパンのものまねで「ふぅじこちゃ~ん」とつぶやいたことがあるし、ライターの火力を最大にして私立探偵工藤俊作を気どったことがあるはずだ。それほどにこのドラマでの松田優作は衝撃的。毎週火曜九時は、酒も飲まずに「ベスパに乗ってへらず口を叩くお調子者の探偵」の物語に熱中した。

 ロフトに住み、卑しい街を生きる孤高の騎士という設定は、エリオット・グールドがフィリップ・マーロウを演じた「ロング・グッドバイ」そのまんま。

 優作本人は不本意だろうが、のちの「家族ゲーム」や「それから」などの世評高い傑作よりも、徹底して軽い「大都会PARTⅡ」とこの作品の方が歴史に残るのではないだろうか。後半になるほど優作のアドリブは炸裂し、共演者たちが肩をふるわせて笑いをこらえるシーン続出。酒田出身の成田三樹夫が粘着質に「工藤ちゃぁぁん」と因縁をつけるおなじみのセリフもうれしい。

 夏休みに集中してDVDで堪能。三十年近く前の作品なので、中島ゆたか、永島瑛子、緑魔子、亜湖などの女優陣が若くてびっくり。もっとも、倍賞美津子のキャピキャピした二十代の女性弁護士って設定は、当時から無理があったなあ。

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いちまる。

2007-12-29 | 情宣「さかた」裏版

Gakkoujimu クミアイ情宣シリーズ。同時に「こんなものいらない」シリーズでもある。「学校事務」誌に原稿依頼があったときに、迷わずこのネタを送った。要するに自信作(笑)。発行は2002年10月1日でした。

こんなものいらない~業界隠語篇

①と書いて“いちまる”。(1)と書いて“いちかっこ”。こう読むのが山形県だけということはみなさんもうご存知のことだろう。スタンダードはもちろんそれぞれ“まるいち”“かっこいち”。山形から出て初めてこの事実に驚愕する県人は多く、他県から山形県の教員になった人はもっと驚いている。このめずらしい『読み方が違う』という方言の発祥には諸説あるが、山形師範学校の指導による、との説が有力。卒業生たちが教師として県内に散らばり、児童生徒に伝えていった結果だと。存続云々でもめていることなど信じられない山形大学教育学部の影響力。

 この読み方がいけない、と言っているわけではない。読み方が他とは違う、とわたしたちが意識できているのかどうか。今回はそんなお話。

Scrazy  その業界でしか通じない(あるいは通じないことになっている)ことばが存在する。隠語、とか符丁とよばれるもの。
 芸能界を例にとると分かりやすいかもしれない。テレビの黎明期、もとから隠語を数多く使うことで知られていたジャズ・ミュージシャンや映画人が大挙してテレビ局に出入りするようになり、おかげで芸能界は隠語のるつぼとなった。典型的なのがことばのひっくり返し。食事のことをシーメ、女性のことをナオン、などと呼んでいた。「昨日はナオンとシーメしちゃってさー」こんな感じ。

※シーメ。
非成長産業として成熟期に入ったテレビ業界で、こんな隠語を使う人間はすでに軽蔑の対象になっている。業界人ぶりたいヤツ、というわけだ。でも、かの有名な24時間あいさつが「おはようございまーす」なのは健在らしい。

※あと目立つのが短縮系。合唱コンクールが【合コン】になるのは楽しそうでいいが、前任校で全校マラソンを【全マラ】と略していたのにはまいった。体育主任に頼むからやめてくれ、と懇願したっけ。彼女は意味がわかっていなかったが。

 意地悪な見方をするようだが、ここから透けて見えるのは、隠語を使うことでお互いの仲間意識を確認しあいたい欲求。そしてそこから派生したエリート意識、あるいはコンプレックスだ。

 学校はどうだろう。
 男女別(児童生徒・職員)に名簿をつくったり、お互いを「~先生」と呼び合うといった特殊な村社会を形成し、徹底した前例踏襲主義に固執するこの業界に隠語が存在しないわけが……あ、ありました。しかもウチの学校に。

Sentinel 曰く『立哨指導』。
どうして単純に交通安全指導じゃだめなのか。あいさつも含めた生徒指導もあるからってか?
そもそも立哨って何だろう。ウチにある古い広辞苑には載ってないし(これはさすがに意外だった)、ATOKでは変換さえしない。インターネットでやっと見つける。

【立哨】……歩哨などが、その位置を動かずに警戒にあたること。
ちなみに
【歩哨】……軍隊で、警戒、監視などの任務につく兵士。哨兵。sentinel。

どうやら教職員は日々命がけの業務についているようだ。
誤解されると困るのだが、前に書いたように、あからさまな軍隊用語だからおかしいと言っているのではない。ほとんど死語となっていることばを、去年もそうだったから、という理由だけで使い続けた結果、すでに一般には通じない隠語化してしまっているじゃないか、と感じるわけ。そのことに、意識的でいるかどうかなのだ。

 もっとも、こんな隠語系をどこよりも使っているのは実は組合の方かもしれない。新採、と無意識に口にするけれど、こんなことばも実は一般には存在しないし、36(サブロク)協定だの名目賃金だのは組合の役員だって(実は私も含めて)よくわからないかも。だいたいこの間まで婦人部なる部があったのはどこの組合だ(笑)。  

隠語を使うことで、一種のコミュニティをつくり、敷居を高くして外部の人間を排除している場面はないだろうか。みなさんの学校にそんな言葉はないか、一度さがしてみてください。

※置賜の事例はすごい。指導部の名前を、学習指導部が「きらきら学び合い部」生徒指導部が「生き生きスマイル部」保体部が「のびのび元気部」と変更された学校があるのだ。職員会議では「では次にきらきら学び合い部から提案します」とかやってるんだろうか。思い切ったなあ。

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「ローレライ」('05 東宝)

2007-12-29 | 邦画

Lorelei 一本の映画を観たあとに、その映画について語り合うシチュエーションといえば、

・いっしょに観ていたデートのお相手とコーヒーを飲みながら
・趣味の合う友人と電話で
・職場の給湯室で同僚と
・教室でバカ騒ぎ「観たかあの映画!」

こんなパターンだろうか。ところがネットの普及がこの世界を爆発的に拡大させてしまった。2ちゃんねるなどのチャットサイトや無数のブログで、日夜「あの映画のここが好き」とか「気づいたかあの場面には○○がっ!」的な書き込みがなされている。宣伝方法のなかで最強とされる口コミ(くちこみ)がパワーアップしたわけだから、映画の業界にとってはありがたい話。しかしやはりここにもダークサイドが。というのも、これらのサイトは匿名性が担保されているため、その映画(に限らない)を持ちあげているうちはいいけれど、一旦けなすとなるとこれがもう……。去年(’04)のワースト映画と評判の「デビルマン」など、おかげで「そんなにひどいんなら」とかえって観客が増えたぐらい。嫌な客たちである。

 この「ローレライ」も毀誉褒貶が激しい一本。「日本にもついに本格的な潜水艦映画が」と激賞する向きもあれば「だせー特撮!ドラマもさーすがフジテレビ製作!」と嫌みを炸裂させている連中も多い。

Yakusho  卑怯な言い方になるけれど、これはどちらも当たっているんだと思う。「ガメラ」などの特撮で着々と実績を積み上げてきた監督デビューの樋口真嗣は、だからこそCGを売り物にするような特撮大作にはすまいと心に決めたのだろう。原作ではもっとアクロバティックな場面が多かったのにバッサリ切っているし。余計だった戦後史の部分のカットも正解。

役者陣では、紋切り型の演技しかできない俳優も目立つけれど(特に鶴見辰吾のやる気のなさはどうしたことだ)、汗くさそうな潜水艦のなかでもひときわ脂ぎっている(笑)役所広司はやはり名優。潜望鏡をのぞくとき、ピュッと帽子のひさしを後ろにまわす動作のタイミングなど、演出の力とセンスだなあ。

これで監督としての力量はわかった。樋口よ、だから今度は思いきり特撮大作を撮ってくれないか。「ガメラ4」とは言わないからさあ……ってオレこそがいちばん嫌なタイプの観客だったか!

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