事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

ワイルダーならどうする? その6

2007-12-05 | 本と雑誌

Sunset_boulevard_1 その5はこちら

(Shall We ダンス?)
BW:大好きな映画だ。(熱っぽく)すばらしい映画。エレガントで、とてもよかった……あれは他の映画のまったく正反対をいっている。妻が夫に不審の念を抱く、探偵を雇い、自分でも夫のあとをつけ、夫がタンゴのレッスンを受けていることを知る。タンゴのレッスンだ!まるでイタリア映画のよう。ちょうどそれは……すばらしくおかしい。それに、主人公が男としてしだいに美しくなっていくそのプロセスがいい。ダンスもすごくうまかったじゃないか?潔癖なまでに清潔、でももちろんいい意味でね。ひとつのすばらしいアイデアを種にして花開いた佳品だ。

……ワイルダーの映画のことは、世界のどこよりも日本で評価されているという説もある。あれこそがハリウッド。ウエルメイドきわまりない映画。こんな観点で。しかし本人は否定するが、移民であることにより、アメリカ人よりもアメリカについてシニカルであったり、逆に過剰にアメリカナイズされている、といった面はやはりあったろう。コピーは本物よりも過剰になる特質はあるわけだから。

 徹底して練り上げられた脚本を味わうために「麗しのサブリナ」と「サンセット大通り」をビデオ屋から借りて観た。
 彼がシナリオの作法において語るように、もののみごとに第一幕で積み上げたものを終幕で精算するその手法に恐れ入った。サブリナで言えば、彼女がパリでお料理の勉強をするシーンだけで時の経過をあらわし、後に出てくる卵を割るシーンとつながり、そしてハンフリー・ボガートの社長室でスフレを作ろうとする哀しい場面を際だたせる。ため息が出るくらいうまい。

Poster010901  そしてきらめく名セリフの数々!「お熱いのがお好き」の有名なラストのセリフだけでなく、いったいどれだけの才能があればこんなセリフを書くことができるのか、と気が遠くなるくらいだ。ロックライターだったキャメロン・クロウや、脚本家だった三谷幸喜がワイルダーを尊敬してやまない気持ちがよくわかる。

そしてこれらを味わうには、ビデオで再見する他に、和田誠の「お楽しみはこれからだ」が最適。この「ワイルダーならどうする?」も、ブルーを基調にした彼の装幀だけで税別4,700円の価値はありました。名著。死ぬまでに、あと何度読み返すことができるだろう。

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ワイルダーならどうする? その5

2007-12-05 | 本と雑誌

Audreyhepburn006 その4はこちら

(オードリー・ヘップバーンとの別離)
BW:オードリー・ヘップバーンが特別だったのはいわゆる“きれい”な女優だったからではなく、輝かしい存在だったからだ。でも演技をしていないときは普通の女性にしか見えない。しかもスターであることに加え、彼女は高度な演技力をもった女優だった。彼女の死はたいへんなショックだった。

CC:連絡を取りあっていたのですか?

BW:始終電話で話をしていた。しょっちゅうだ。最後に言葉を交わしたとき、彼女はガンに冒されていることを知っていた。抱えられるようにして飛行機に乗り込み、死に場所と決めていたスイスに向かった。最後は着衣の中にしのばせたモルヒネを体内に注入しては苦痛に耐えていた。

CC:別れの言葉を交わしましたか?

BW:別れの言葉を交わした。(そこで口をつぐむワイルダー。ヘップバーンのプライバシーは堅く守られている)

(ジョン・ウェイン)
CC:ジョン・ウェインと組んでみたいと思われたことは?

BW:ない。私の映画に馬は出てこない。馬は苦手だ

(ウディ・アレン)
CC:ウディ・アレンの「アニー・ホール」についてはどうお考えですか?画期的なロマンティック・コメディだと私は思っていますが。

BW:私も大好きだ。じつにパーソナルで、とてもいい。私はウディ・アレンの大ファンだ。とくに彼が絶好調のときのはね。

CC:全然古びない、すばらしい映画です。

BW:そう。でも彼が作っているのは映画じゃない。エピソードを集めたものだ。なぜだか編集の仕方もよく知らないように見える。

02 (シックスティーズ)
CC:60年代について、あの十年間のもつ意味について、これまで多くのことが書かれてきました。あなたは60年代もコンスタントに映画をつくっておられます。あなたにとって60年代とは何だったのでしょう。

BW:あれが60年代とは気づきもしなかった

(ライ麦畑でつかまえて)
BW:すばらしい本だ。私も惚れこんで、すぐに映画化を考えた。そんなとき、一人の若者が私のエージェント、リーランド・ヘイワードのニューヨーク・オフィスにやってきてこう言った。「リーランド・ヘイワード氏に手を引くようにお伝え願いたい。あんな無神経な人間はいない」そう言い残して若者は立ち去った。私は会っていない。その男がJ.D.サリンジャーであり、手を引けと言ったのがライ麦畑でつかまえてだった。

その6につづく

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ワイルダーならどうする? その4

2007-12-05 | 本と雑誌

Waltermatthau その3はこちら

(「七年目の浮気」)
BW:ニューヨークに行き、主役にまさにうってつけの男優をテストすることになっていた。マリリン・モンローには会っていたけれど、テストには使えない。だからテストに出てもらった女優はそれだけのためで、映画には使われないことを知っていた。ジーナ・ローランズだ。それはともかく、テストした俳優はそれまでに見たことのないタイプで、唖然とするほどうまかった。私はすっかり興奮した。ところがもどってくると、会社(FOX)側はこう言った。「安全策をとろう。舞台と同じように、トム・イーウェルに主役をやらせよう」と。私がテストしたのはウォルター・マッソーだった。彼が出ていれば映画は一変していただろう。

(マリリン・モンローその2)
BW:アーサー・ミラーと婚約していた頃のモンローにこんな話がある。ある時ミラーが彼女に言った。「母親に会ってほしい。母も君に会いたがっている。ブロンクスのアパートを訪ね、夕食を一緒に食べよう。君のことをわかってくれるだろう」マリリンは「喜んで行かせてもらうわ」と言った。そこで二人はミラーの母親の住むアパートへ行った。それは小さなアパートで、居間とトイレのあいだにうすっぺらいドアが一枚かろうじてついているような粗末な作りだった。三人はすっかり打ち解け、とても楽しい時を過ごした。マリリンがトイレを借りたいと言って席を立った。トイレの壁が薄いので彼女はトイレの中の栓という栓をすべてひねって中の音が外にもれないようにした。またなごやかなお喋りとなり、キスをしてお別れとなった。翌日ミラーが母親に電話して「彼女のことをどう思った?」と尋ねた。母親は答えた。「とても感じのいいすばらしい子だわ。でもオシッコは馬並みね

Mm (シナリオの作法)
CC:シナリオ・ライティングに関してのあなたの発言をここでいくつか掘り起こし、改めてご意見をうかがいたいと思います。まず「観客は気まぐれだ。喉元に食らいつき、最後まではなすんじゃない」

BW:たしかに私の言葉だ。観客の喉元を締めあげる。鼓動が早くなる。それでも絶対に手は放さない。さらに圧力をかけ続ける。そして最後になって観客のあえぎもここまでというところで手を放す。そこで映画は終わり、観客の血液も循環を始める。

CC:「ストーリー・ポイントを隠すのが微妙かつエレガントであればあるほど、ライターとしての腕は高い」

BW:細心の注意を払わなくちゃいけないのは、重要なアクションとかダイアローグとかを気取られぬようにしこんでおくこと。そうすることによって観客は伏線をそれと気づかぬままに呑み込んでしまう。だからストーリーの組み立てはすこぶる重要。というのも第一幕で積み上げたものはすべて第三幕でもう一度よみがえるから。あらかじめやったことを第三幕、つまり終局できれいに精算しなければ、けっして成功はしない。

なんとまあしかしこの大嘘つきにして食えないジジイの金言の凄味たるや。

その5につづく。

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