陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

良い人? 悪い人??その3.

2008-03-19 22:45:33 | 
3.意志はわたしたちの自由になるものなのだろうか

志賀直哉の作品には、『范の犯罪』ばかりではない。
シェイクスピアの『ハムレット』に題材を取った『クローディアスの日記』では、ハムレットに王殺しの疑いをかけられた弟クローディアスが、「乃公(おれ)が何時貴様の父を毒殺した? 誰がそれを見た? 見た者は誰だ? 一人でもそういう人間があるか? 一体貴様の頭は何からそんな考を得た?」と即座に反発するが、やがて自分の気持ちを思い返すにつれ、誰よりもよくわかっているはずの自分の気持ちさえ不確かになってくる。
眼を開くと何時かランプは消えて闇の中で兄がうめいている。然しその時直ぐ魘されているのだなと心附いた。いやに凄い、首でも絞められるような声だ。自分も気味が悪くなった。自分は起してやろうと起きかえって夜着から半分体を出そうとした。その時どうしたのか不意に不思議な想像がふッと浮んだ。自分は驚いた。それは兄の夢の中でその咽を絞めているものは自分に相違ない、こういう想像であった。すると暗い中にまざまざと自分の恐ろしい形相が浮んで来た。自分には同時にその心持まで想い浮んだ。
(志賀直哉『クローディアスの日記』『清兵衛と瓢箪・網走まで』所収 新潮文庫)

『剃刀』となると、ほとんど動機がどこにあるか定めがたい。
床屋の芳三郎は剃刀の名人である。十年間、客の顔に傷をつけたことがないのが自慢である。その芳三郎が風邪を引いて寝込んでしまった。店で使っていた昔の朋輩は、店の金を持ち出したことが原因でクビにしたために、調子が悪くても自分が店に立たなくてはならない。芳三郎のささくれだった神経がどんどん追い込まれていくような細かな出来事が積み重なっていく。
 芳三郎は剃刀をもう一度キュンキュンやってまず咽(のど)から剃り始めたが、どうも思うように切れぬ。手も震える。それに寝ていてはそれほどでもなかったが、起きてこう俯向くとすぐ水洟が垂れて来る。時々剃る手を止めて拭くけれどもすぐまた鼻の先がムズムズして来ては滴りそうに溜まる。
 奥で赤児の啼く声がしたので、お梅は入って行った。
 切れない剃刀で剃られながらも若者は平気な顔をしている。痛くも痒くもないと云う風である。その無神経さが芳三郎には無闇と癪に触った。使いつけの切れる剃刀がないではなかったが彼はそれと変えようとはしなかった。どうせ何でもかまうものかという気である。それでも彼はいつかまた丁寧になった。少しでもざらつけば、どうしてもそこにこだわらずにはいられない。こだわればこだわるほど癇癪が起って来る。からだもだんだん疲れて来た。気も疲れて来た。熱も大分出て来たようである。(『剃刀』『清兵衛と瓢箪・網走まで』所収 新潮文庫)

このあとも芳三郎はどんどん追いつめられていく。そうして、ついに彼の剃刀を持つ手に力がこもるのである。

『范の犯罪』の范は、果たして妻を殺そうとして殺したのだろうか。もしそうだとしたら、その「動機」とは何なのか。あるいは『クローディアスの日記』では、シェイクスピアの『ハムレット』とはちがって、クローディアスは自分は無実であるという。にもかかわらず、無実なはずの自分のうちに殺意が起こった瞬間があったことを彼自身が知っている。『剃刀』となると、ほとんど「動機なき殺人」に近い。だが、主人公が殺人に向かって、逃れようもなく落ちていく。

このように志賀直哉の作品のいくつかは、いわゆる「動機」と呼ばれるものの曖昧さに焦点を当てたものである。
「動機」という。事件が起これば動機だが、つまり意志を決定する要因のことだ。
わたしたちは明確に、意志を持ってさまざまなことにあたるのだろうか。
その意志というのは、わたしたちの自由になるものなのだろうか。
意志を決定する要因というのは、このように、きわめて不確かで曖昧で、自分でも見定めがたいものではないのか。
わたしたちは、むしろ逃れようもなくその網の目にからめとられていくのではあるまいか。そうして、何かが起こってから初めて、出来事をさかのぼり、そのときの自分の心情を遡航的に組み立てていくのではあるまいか。

こう考えていくと、良い動機があった行為は良い行為、悪い動機があった行為は悪い行為、という分類事態がかなり疑わしいものに思えてくる。

こう考えると、「良い-悪い」がはっきりしている作品というのは、推理小説や時代劇のようなエンタテイメント色の強いものに限られてくるのだろうか?
ところがいわゆる文学作品のなかにもこうした性質のものはある。明日はそうしたものを見てみよう。

(この項つづく)

良い人? 悪い人?? その2.

2008-03-18 22:23:22 | 
2.動機ってなんだろう

昨日見た『魔女の宅急便』には、主人公が一般的には好ましくない行動を取ったとしても、「そういうことをするのも仕方がない」とわたしたちが思えるような情況が書き込んであれば、わたしたちはそれをあまり問題行動とはとらえないことがわかった。その「仕方がない」に説得されなければ、主人公の問題行動は、わたしたちのなかに「引っかかり」として残っていく。

確かに『坊ちゃん』で、坊ちゃんと山嵐が野だいこや赤シャツを殴ったりタマゴをぶつけたりするのも、暴力沙汰にはちがいない。見方を変えれば、学内政治に破れた山嵐が、坊ちゃんを巻きこんで腹いせをしたことにもなる。

それでもわたしたちはその暴力沙汰を不問にする。不問にするどころか、いやらしい政治を打つ彼らをやっつけることによっておおいに溜飲を下げるのである。

主人公がそういう行動をとった動機にわたしたちが納得できると、わたしたちは一般的には「良くない」とされる行動であっても、不快感を覚えない。さらに、それがふだんのわたしたちならとれない行動であれば、なおさら、すかっとしたりするのである。

つまり、「動機」ということが問題になってくる。

ところがこの「動機」。いったいどこからどこまでをいうのだろうか。志賀直哉の短編『范の犯罪』を読むと、実に判然としなくなってくるのである。

『范の犯罪』では、出来事が終わったところから物語が始まる。

范は「支那人」の奇術師である。舞台でナイフ投げの実演中、投げたナイフが妻の頸動脈を切断してしまい、妻はその場で死亡した。そうして、その裁判のプロセスが小説として描かれていくのだ。

裁判の焦点は、これが「故意の業か、過ちの出来事か」が焦点になる。
さまざまな証人が呼ばれる。范を良く知っているはずの座長や助手にも、それが事故であったか、故意であったかがわからないのである。

いよいよそこで范が呼ばれる。
そこで意外な事実が明らかになるのである。

范は、妻の従兄弟にあたる人物の薦めで、妻と結婚した。そうして、結婚後八ヶ月目に赤ん坊が生まれた。赤ん坊は范ではなく、その従兄弟との間にできた子供だった。だが、まもなく赤ん坊も窒息死してしまう。乳房で息を止められたのである。妻は「過ちだった」という。
「妻はその関係に就いてお前に打ち明けたか?」
「打ち明けません。私も訊こうとはしませんでした。そしてその赤児の死が総ての償いのようにも思われたので、私は自身出来るだけ寛大にならなければならぬと思っていました」
「ところが寛大になれなかったというのか」
「そうです。赤児の死だけでは償いきれない感情が残りました。離れて考える時には割に寛大でいられるのです・ところが、妻が眼の前に出て来る。何かする。そのからだを見ていると、急に圧(おさ)えきれない不快を感ずるのです」

ところが離婚はできなかった。妻が、離婚されれば自分は死ぬ、と言ったからである。
「妻はお前に対して別に同情もしていなかったのか?」
「同情していたとは考えられません。――妻にとって同棲している事は非常に苦痛でなければならぬと思うのです。しかしその苦痛を堪え忍ぶ我慢強さはとても男では考えられないほどでした。妻は私の生活が段々と壊されて行くのを残酷な眼つきでただ見ていました。私が自分を救おう――自分の本統の生活に入ろうともがき苦しんでいるのを、押し合うような少しも隙を見せない心持で、しかも冷然と側(わき)から眺めているのです」

裁判長は范に「妻を殺そうと考えた事はなかったか?」と聞く。

「…(略)…殺した結果がどうなろうとそれは今の問題ではない。牢屋へ入れられるかも知れない。しかも牢屋の生活は今の生活よりどの位いいか知れはしない。その時はその時だ。その時に起ることはその時にどうにでも破ってしまえばいいのだ。破っても、破っても、破り切れないかも知れない。しかし死ぬまで破ろうとすればそれが俺の本統の生活というものになるのだ…(略)…」

こんなことを寝もやらず考えていた翌日、その事件が起こってしまった。ところがさらに范は言う。「こういう事を考えたという事と、実際殺してやろうと思う事との間にはまだ大きな堀が残っていたのです」

この「大きな堀」というのは、わたしたちにもよくわかる感覚ではなかろうか。日常、ひっぱたいてやりたい、ぶん殴ってやりたい、怒鳴りつけてやりたい、という気持ちになることがあっても、それを実行に移すには「大きな堀」がある。胸の内で怒鳴りつけることと、実際にそういうことをするのは、決して単なる延長上にはないのである。

そう考えると、范の行為は過失なのか、故意なのか、いよいよ判断をつけられなくなってくる。范自身が過失か故意かわからない、と証言する。そうして、その言葉には嘘はないだろうと思われるのだ。

動機、というのは、いったいどういうことなのだろう。
わたしたちの感情は、まさにこの范のように、常に揺れ動いているのではあるまいか。
自分の感情に正直であろうとすればするほど、自分自身にもわからなくなっていく。
むしろ、動機というのは、わたしたちが自分の行動を、まず自分自身に納得させようとする「物語」であると考えた方がよさそうだ。

この「動機」の話は明日ももう少し。

(この項つづく)

良い人? 悪い人??

2008-03-17 22:19:22 | 
その1.「良い」主人公の許しがたい行為

ミステリや時代小説などが顕著だろうが、そうでない作品でも、わたしたちはたいていのとき本を読みながら、半ば無意識のうちに「良い人」「悪い人」と分類している。

たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』などはその典型で、見事なまでに「良い者」「悪者」がはっきり分かれており、わたしたちは主人公の「坊ちゃん」に寄り添って作品の世界に入っていく。

ところが主人公は必ずしも「良い者」ばかりではない。
たとえば森鴎外の『舞姫』など、恋人のエリスを捨てて、日本に帰国してしまう主人公の太田豊太郎は、わたしたちの感情移入を拒むような人物である。だが、一方で、彼はあきらかにそう設定されているのだ。自分の恋愛感情ではなく、日本のために自分の修めた学問を役立てる道を選択した人間、世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできない人間として、作者によって造型された登場人物なのである。
本の主人公のなかには、ごくまれに、こうした「嫌われ者」もいるのだ。

だが、たいていはわたしたちは主人公によりそって読み進む。途中、失敗しても、悪いことをしても、ときに『アンナ・カレーニナ』のように不倫したり、『罪と罰』のラスコリニコフのように人を殺したりしたとしても、彼女や彼を嫌いになることはない。なぜそういうことをしてしまったのか、これからどうなっていくのか、そういう気持ちが生まれるのは、嫌いにならないからこそだろう。第一、嫌いになってしまうと、あんな長い小説は先を読み進めない。

ところが、その登場人物の行動が、どうにもひっかかってしまうことがある。喉にかかった小骨のように、その行動が納得できない。一部、納得ができなくても、納得のいく成り行きが用意されているのだろうと期待して読み進む。それでも結局納得がいかないことがあるのだ。

今日、書くのはそんな物語の話である。

こんなことをする人間がいたら、あなたはどう思うだろう。
A子はB子さんから、C君に手紙を渡してほしいと頼まれる。どうやらラブレターらしく、中身が気になってしょうがないA子は、こっそり開封して読んでしまう。ところが吹いてきた風に飛ばされて、手紙はどこかに行ってしまった。困った彼女は、記憶を頼りに書き直し、そのことは伏せてC君に届ける。

実はこれは角野栄子の『魔女の宅急便』に出てくるエピソードなのである。この「A子」にあたるのが主人公のキキ。わたしはその昔、たぶん、二十代になったばかりのころに読んだのだと思うのだけれど、ともかくこの箇所を読んだとき、ひどくいやな気分になった。ほかの部分などまるで記憶になく、『魔女の宅急便』というと、この場面をもとに、いやな本として記憶に残ったのである。

預かった手紙を盗み読みするなんて、とんでもないことじゃないか。
確かにそれを書いたのは、主人公のキキと同じ十三歳の女の子で、内容も、ラブレターといってもごくごく他愛のないものだ。それでも、だれの心のなかにも、他人の立ち入ることを許さない場所があるはずだ。何が書いてあるか、ではないのだ。人はある程度の年代になったら、そういう場所を必要とする。おそらく十三歳前後というのは、そうした世界に入っていく年代なのだろう。人には見せたくない場所、ふれられたくない場所、そういう場所を内に抱えることによって、おそらく人はひとりの人間になっていくのだ。そうして、相手の内にあるそういう場所を、自分のそれと同じように大切にし、尊重しながら関わっていくというのが、人と人とのつきあいの基本であるようにわたしは思った。それが信頼ということなのではないか、と。

ラブレターというのは、世界のなかでたったひとりだけ、自分の秘められた場所に迎え入れようとするものだ。そこに関係のない人間が踏み込むようなことをしてはいけない。もし仮に、まだそういうことがよくわからなくてしてしまった行為であっても、主人公は自分の行為をもっともっと恥じ入らなければならないのではあるまいか。そう感じたわたしには「読んでしまったおかげで、結果的に人を結びつけることができた」という筋書きは、到底、承服できるものではなかったのである。

ところがこの本は人気がある。宮崎駿夫の映画にもなった。映画の中でこのエピソードがどう処理されているのかは知らないのだけれど、自分以外の人は、こうした違和感は覚えなかったのだろうか。

ということで、ここではこの章を読み直してみよう。

まず、手紙の依頼主が現れる場面。
女の子はうなずいて、黒い目をきらりと光らせると、わざとらしくゆっくりとまばたきをしました。キキに見せびらかすように念をいれてすましているふうにも、見えました。
「とどけていただきたいの、だけど……ちょっと秘密なの」
「秘密?」
キキはまゆをよせてききかえしました。
(略)
「贈りものをとどけてほしいのよ、アイ君にね。きょうは彼のおたんじょう日なのよ。十四歳になったの。いいでしょ」
 女の子は、彼のたんじょう日を自分でつくったみたいにじまんしていいました。
(いいでしょ、って……なにがさ)
 キキはいらいらして口の中でつぶやきました。
(角野栄子『魔女の宅急便』福音館)

この章は全体の真ん中より少しあとに当たる。つまりここまで主人公によりそって見てきた読者は、すでにキキとはずいぶん親しくなっているわけである。そうしてこのキキの目を通して、この依頼主を見ることになる。キキの反感をかき立てるような依頼主。読者は彼女を好きにはなれない。わたしはすっかりこの依頼主のことなど忘れてしまっていた。
「すてきな贈りものなんだから、自分でわたせば? なんでもないじゃない」
キキは追いかけるようにいいました。
「だってあたし、はずかしいんですもの」
 女の子はまたゆっくりとまばたきしました。それははずかしいのがとてもいい気持とでもいっているふうでした。キキは、この自分と同じ歳の女の子が、ずっとおとなに見えて、ふいに胸をおされたようなショックを感じていました。
「はずかしいだなんて、へんね」
キキはまた、いいました。
「あら、あなた、そういう気持、まだわからないの?」
 女の子はうっすらほほえんで、キキをあわれんでいるみたいです。

いよいよこの依頼主はいやな女の子に思われてくる。
男の子にあげる詩なんて、いったいどんなことが書いてあるのでしょう。あの人はあんなにきれいだったしおとなっぽいから、きっとすごいことが書いてあるにちがいありません。キキはいろいろ想像して、胸がどきどきしてしまうのです。見てはいけないと思えば思うほど、封筒はポケットからとびだし、どんどん大きくなって、目の前いっぱいにひろがっていきます。

なるほど、ここまできたら、読んでしまう、という心情もわからなくはない、という書き方になっている。キキがそういう行動を取ってしまうのも、仕方がない、のかもしれない。
そうして、先にも書いたように、キキは手紙を開封してその詩を読み、しかもなくしてしまうのである。
だが、それを知った依頼主はどうするだろう。
「あたし、わるいことしちゃったのよ」
 キキは目をふせて、女の子の詩をみてしまったこと、その紙を飛ばしてしまって、かわりに落ち葉に詩をうつしてアイ君にとどけたことを、ぜんぶ話しました。
「まあ」
 女の子はちょっとがっかりした声をあげました。
「ごめんなさい。でも詩はね、ちゃんと思いだして書いたつもりよ。あなたがお店にきたとき、あたしと同じ年なのにあんまりきれいだったし、それになんでも知ってるみたいだし……そんな女の子って、どんなこと書くのか知りたくって……がまんできなかったの。ゆるしてね」
「まあ、あなたもそう思ったの。あたしもよ」
 女の子はいいました。
「(略)ここにたのみにきたら、年もおなじくらいなのにあなたがとてもおとなっぽくきれいに見えたんですもの。とたんにどうしたわけか負けられないっていう気持になっちゃって、ごめんなさい。……魔女さんとあたし、おたがいに似ているみたい。気があいそうね」

え? それでほんとうにいいの? という気に、いま読み直してもやはりそう思ってしまう。つまり、かつてのわたしの感じた違和感というのは、責められてしかるべきふるまいが不問にされたことからくるものだったのかもしれない。

だが、端でわたしが違和感を覚えようがどうだろうが、この依頼主、詩を読まれて、なくされても、彼女がキキのことを「友だちになれそう」と思うのであれば、それはそれでいいと思うしかあるまい。
やっぱりあれから十年以上がたって読み返してみても、微妙な違和感は変わらないのだが、ともかく明日はもう少しちがう作品を見てみよう。

(この項つづく)

サイト更新しました

2008-03-16 22:16:20 | weblog
更新情報書きました。
翻訳のあとがきも少し書き直しました。 
またお暇なときにでものぞいてみてください。

 http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

明日からまた新しいことをやっていきます。

なんだかすっかり暖かくなりましたね。
春になると、やっぱり何かうれしくなります。

ということで、それじゃまた。

サイト更新しました

2008-03-15 22:24:06 | weblog
先日までここで連載していたサマセット・モームの短編「出張駐在官事務所」を「奥地駐在所」と改題、手を入れてサイトにアップしました。

  http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

ミスター・ウォーバートンはいったいどういう役職にあったのか、イギリスのマレー統治を調べたんですが、おそらく「イギリス北ボルネオ会社」だったのだろうと思います。この「レジデント」には、本によってもさまざまな呼び名が与えられているのですが、ここでは「駐在理事官」「理事官」の訳語を当てています。
でも、ミスター・ウォーバートンは「民間人」なので、「支配人」という訳語の方が適切なのかもしれませんが、「支配人」というと、少し語感がずれてしまうように思えたので、ここでは「駐在官」を当てました。

おもしろい短編をわたしのつたない訳がそこなっていなければ良いのですが。

"What's new"はまた明日書きます。
またそのときにでものぞきに来てみてください。

ということで、それじゃ、また。

塩の話

2008-03-14 22:31:56 | weblog
なんとなく尻切れトンボで終わった感じもする昨日のログではあるが、ともかく東インド会社という一企業が、一時期ではあるが、インドという国を統治していたことがわかってもらえただろうか。

ともかく、イギリスにとってインドは格好の就職先だった。貧乏貴族にとっては没落を防止する最後の砦として、一方、総督はじめ高位高官のほとんどは貴族で占められていたものの、実質的にインド統治にあたった官僚や軍の将校は圧倒的に中流階級が多かったのだが、彼らにとってはイギリス本国では得られない活躍の場が与えられたのである。

だが、統治されたインドの側はどうだったのだろう。
ここでは東インド会社がインド国民に課した税には、こんなものがあったということを紹介しておきたい。

イギリスは巨大で人口もまた膨大なインドを支配しづけるために、富裕な王族や地主の支持が必要だった。そのために彼らには課税しなかった。だが、インドの多くの国民は、まったく貨幣を持っていない。課税の対象になるような商品も持ってなかった。そこで昔からある塩税に目をつけたのである。

そもそも塩税を考案したのは中国で、紀元前七世紀には塩の生産地に課税していたらしい。以来、さまざまな国で塩税は賦課されたのだが、悪名高いのは革命前のフランスである。当時のフランス国民は王から毎週塩を購入しなければならず、そうしなければ鞭で打たれるか、牢獄に入れられるかしたのである。これがフランス革命の原因のひとつともなったと言われている。

では、インドではどうだったのだろう。
あまり知られていないのだが、英国支配の時代に塩税と関連して、中部インドを横断して数千キロにも渡る巨大な壁が造られた。これは中国の万里の長城のスケールに相当する。ただし、インドの壁は侵入者を防ぐためではなく、安い塩を中に入れないためのものである。この壁に囲まれた地域のなかで、植民地の支配者たちは、塩という何気ないが生活に不可欠なミネラルをインドの人々が使用することに対して課税したのである。……(略)……
約一週間の労働に相当する割合の塩を毎月ごとに徴収したため、塩の密輸が行われるのは必定だった。それを防ぐために壁が作られたのである。
(マーティン・コーエン『倫理問題101問』榑沼範久訳 ちくま学芸文庫)

ガンジーの非暴力的な抵抗として名高いのが「塩の行進」である。ガンジー指導の下、人々は海まで行進して、海水から塩をつくった。生きるために必要な塩を、そうやって自らの手で作りだしたのである。

インドの独立にも、塩は大きな役割を果たしていたのである。

たぶん明日にはモームの翻訳もアップできると思います。

東インド会社に就職するには

2008-03-13 22:32:36 | weblog
サマセット・モームの "The Outstation" の訳語を探すために、いくつかイギリスの植民地統治についての本を読んだのだが、おもしろいことがわかった。まあ、こんな話は興味がない、という人は、スルーしてくださいな。

イギリス東インド会社というのは、確かに会社なのである。正式名称は "Honourable East India Company" 「誉れ高き東インド会社」というゴージャスな名前である。ただこの "Honourable" は植民地などの行政官に対してもつけられる敬称なので、実際には特に意味はない。

この東インド会社というのは、ロンドンの「冒険商人」の組織する純民間会社である。ところがこの民間会社、インドにあっては政府として機能するのである。
東インド会社は商社でありながらインドに領地を得たことによって、領地の統治者=政府となった。われわれにはなかなか理解しにくいが、約二〇〇〇人の株主がいて、その株式が証券取引所で毎日取り引きされる会社が、イギリス議会の監督の下に一八五八年までインドを支配していたのである。その政府は税金を徴収し、戦争をし、藩王(※インド各地の小王国の君主)、近隣諸国とさまざまな外交交渉をし、条約を締結した。
(浜渦哲雄『英国紳士の植民地統治 インド高等文官への道』中公新書)

もちろん最初から一会社がインドを支配してやろうというもくろみがあったわけではないらしい。同じく浜渦の『大英帝国インド総督列伝』(中央公論新社)によると、、ポルトガルやオランダ、フランスの東インド会社と抗争を重ねたり、地域の支配者同士の戦争に介入したりしているうちに領土の保有者となっていったのだという。

もちろんイギリス本国では一会社によるインド統治に反対する意見は絶えず出され続けた。だがが、当時の東インド会社の書記官=ライター(海外勤務社員)になることは国会議員になるのと同じくらいの値打ちがあったために、直接統治にすると、与党が人事権を悪用し、政治的腐敗を招く怖れがあった。その結果、政治とは直接関係のない株主が運営する会社にインドを統治させ、政府が会社に規制を加えるという形態ができあがったのだという。「会社の幹部社員であったJ.S.ミルは会社がインドを統治する方が政府による統治よりも安上がりである、と議会で証言している」とあるが、それにしても一企業が一国の徴税権や司法権を握るというのもすごい話である。

モームの短編にも出てくるが、確かに植民地というのは、本国で行く当てを失ったイギリス貴族を没落から救う職を用意してくれる場所だったらしい。あなたがイギリスの貧乏貴族の三、四男で、なんとか起死回生をかけて浮かび上がるチャンスをねらうなら、インドの高等文官、あるいは軍の将校は、願ってもないポジションだったといえるだろう。

とくに初期の頃は社員が一方で自分で商売をすることも認められており、賄賂をとる機会も少なくなかったらしい。イギリス政府はこの会社の統治機構を確立・整備するために、インド総督を任命する。この総督の俸給は、もちろん東インド会社が払うのである。こうやって総督が任命され、商務と公務は分化され、一方で腐敗した行政の浄化が試みられた。この「腐敗した行政の浄化」というのは、歴代総督の重要な課題であったらしく、『総督列伝』のなかでも何度も見かける。ということは、やはりなかなかうまくいかなかったのだろう。

事実、インド成金は羨望の的だったが、インドで十年以上勤務し、なおかつ「成金」として帰国することは容易なことではなかったらしい。同書によると、一七〇〇年から七五年に採用された社員六四五人のうち、五七%にあたる三六八人がインドで死亡している。「帰国途上での志望者、精神錯乱者などをいれると損耗率はもっと高くなるだろう」と恐ろしいことがサラリと書いてあって、モームの短編を改めて思い出すのである。

当初はこの社員、理事の推薦によって採用されていたらしい。だがやはりその採用権は理事の「役得」となり、公然と売買されるようになっていく。やがて会社の業務が多様化・複雑化するにつれて、社員を養成する機関が求められるようになった。当時、その要請に応える大学がなかったために、東インド会社は、自前の社員養成大学を、一八〇二年にまずカルカッタに設立する。これはイギリスから送られてきた研修生を三年間教育する機関だったのだが、これはやがて語学学校に格下げされ、理事会が学生を推薦し、直接監督できるよう、イギリス本国に大学を設立することになる。一八〇六年にこの大学が設立されてからは、東インド会社に就職するためには、この大学に入学しなければならないことになったのである。

学生は理事の推薦を受けた者しか入学できなかった。そのため縁故関係が幅をきかし、二代、三代に渡ってインドに勤務するインド関係者が約半分を占めた。それ以外は貴族・地主(の二、三男)が約四分の一、聖職者が十分の一、といった具合である。

この大学の授業料は、一八五〇年代の普通の男子の年収が六〇ポンド以下だった時代に、年一〇〇ポンド、一方、教授の年俸は五〇〇ポンドだった。あの『人口論』を表したマルサスもこの「イースト・インディア・カレッジ」で政治経済学の教鞭を執っている。ともかく同じ大学で机を並べて勉強していた者が、卒業後、ごっそりインドに行って、高等文官になったのである。

だがこのイースト・インディア・カレッジの閉鎖性がやがて問題になり、一八五三年からは公開試験が導入されるようになる。名門パブリックスクールや、大学の卒業生を対象とした公開試験によって、いっそう優秀な人材を求めたのである。

ところがこの公開試験、支配層から見て思いもかけない結果となった。中流下層階級の子弟が一〇%強を占めたのである。
試験科目は英語や古典、数学、英国史が中心で、一週間にわたる筆記試験は、細かい知識を要求するために、「ガリ勉」が高得点を修めた。その結果、貴族から見れば「泥の中からのはい上がり者」が公開試験に合格するようになったのである。

こうして、この公開試験に合格するための予備校まででき、受験戦争はいっそうの加熱を見せるようになる。

やがてインドの統治は東インド会社からイギリス政府に正式に移行してしまうのだが、この公開試験は、インドがイギリスから独立するまで続くのだが、インドにおける民族運動のたかまりとイギリスのインド統治の紆余曲折を受け、このインド高等文官公開試験もさまざまな変化の波にさらされることになるのだが、この話はこのくらいにしておこう。

青鬼の深謀遠慮

2008-03-12 22:36:58 | weblog
ところでわたしは昔から「泣いた赤鬼」がどうも好きになれないのだが、「泣いた赤鬼」の話はみなさん、ご存じですね?

やはりわたしが好きになれないのは、人間を前にひと芝居を打つという部分である。いくら「人間と友だちになるため」という目的があるにせよ、友だちになりたい相手をだますことには変わりはない。目的は手段を浄化などしないのである。人をだますことを奨励するような童話は、少なくとも子供に聞かせるにはあまり好ましくはないだろう。

だが、見方を変えれば、これは実に深謀遠慮の物語、といっていえないこともないだろう。

まず、わたしがよくわからないのは、人間と友だちになりたいという赤鬼の心情である。赤鬼にはすでに青鬼という心優しい友だちがいるのである。彼が何で人間と友だちになりたいと思ったのかよくわからないが、少なくともそれを聞いた青鬼は、寂しく感じたにちがいない。自分では十分ではないのか、と。

彼が後に去っていく伏線は、この段階ですでに青鬼の内には成立していたにちがいない。おそらく、青鬼は、赤鬼は自分より人間を求めているのだ、と判断したのである。

だが、どう見てもあまり物事を深く考えていそうにはない赤鬼はともかく、いろいろ思いをめぐらせる青鬼は、赤鬼と人間がいつまでもうまくいくはずがない、ということまで見越していたのかもしれない。
たとえ赤鬼と青鬼の芝居で、「ああ、この赤鬼さんは人間の味方なんだ」と思ったとしても、それがどれほど長続きするかどうか疑問である。
 日本の中世社会において、人間とはどのようなものと考えられていたかといえば、そこにはいろいろの定義が存在したことはいうまでもないが、その一つの有力な定義に、人間の形をしたものが人間であるという把握のしかたが存在したことは間違いない。
勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)

とあるように、「人間の形をしたものが人間である」という把握の仕方を人々がしていたとしたら、逆に「人間の形をしていないものは人間ではない」という認識もまた根強かったにちがいない。鬼なのである。一目で人間とはちがう。天変地異でもあれば、かならずや赤鬼に結びつけられるにちがいない。「我々とはちがう者」という目で見続けられるのである。赤鬼がまた排除され「人間と友だち」ではなくなる日が、かならず、近い将来めぐってくるにちがいない。

深謀遠慮の青鬼のことだから、ここまで見越していたと考えても不思議はない。
人間からふたたび排除された赤鬼は、かつてとはくらべものにならない寂しさの内にいるはずである、そこに青鬼が戻ってくる。もはや赤鬼は、二度と人間とは友だちになろうとは思わず、青鬼と末永く友情を築いていこうと考えるに違いない……。

青鬼は、実はそこまで考えて、人間の前で一芝居打った……というのはどうだろう。
まあ、これにしたって、あまり子供に聞かせたくなるような話ではないのだが。


(※"What's new" も書きました。またお暇なときにでものぞいてみてください。
最後の『親友交歓』についての部分はもう少し煮詰めた方がいいんですが、またそのうち手を入れるかもしれません。そのときはまたお知らせします。)

サイト更新しました

2008-03-11 22:33:52 | weblog
翻訳ではありません。
翻訳は、植民地の統治機構の役職関係の訳語を調べてみたいと思ってるので、もうちょっとあとになります。どうも「出張駐在官事務所」というのも、あまり正確ではないように思えて。中野好夫大先生の『奥地駐屯所』はさらに気にくわないし(笑)。『大英帝国インド総督列伝』に出てるかどうかもよくわかんないんですが、とにかくそこらへんを調べてみるつもりでいます。

今日アップしたのは、その昔「自転車置き場と「正しい」論理」として書いた文章に、かなり加筆して、結論はまったくちがうものにして大幅に書き直したものです。
だけど、何かずれてるから、明日くらいにまた書き直すかもしれません。
だから、更新情報もまだ書いてないから、それと一緒にまた明日か明後日くらいに見に来てみてください。

ということで、それじゃ、また。

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サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 最終回

2008-03-09 21:31:17 | 翻訳
最終回

 スリッパをひっかけ、腰布とパジャマの上だけの姿で庭を駆け抜けて、クーパーのところに向かった。口を開けたままベッドに横になったクーパーの胸には短刀(クリース)が突き刺さっている。寝込みを襲われたのだ。ミスター・ウォーバートンはぎくりとした。この光景が思いがけないものだったからではなく、突然、天にも昇るほどの喜びが体を満たしたからだった。耐えがたい重荷を両肩からおろしたような気がした。

 クーパーの体はすっかり冷たくなっていた。ミスター・ウォーバートンは胸元からクリース抜こうとしたが、ものすごい力で突き立てられていたために、抜くのにさんざん手こずった。それからクリースを調べた。

 それには見覚えがあった。何週間か前に、商人が持ってきたのだが、クーパーの方がそれを買ったのだ。

「アバスはどこだ」厳しい声で聞いた。

「アバスは母方の兄の村にいます」

 現地の警察の警部がベッドのフットボードの脇に立っていた。

「ふたりほど連れて村へ行って、アバスを逮捕しろ」

 ミスター・ウォーバートンがその場でやらなければならないことはもうなかった。落ち着いた表情のまま、命令を下す。言葉はどれも簡単明瞭で、有無を言わせぬものだった。それから「砦」に戻った。髭をそり、入浴し、着替えをすませてダイニング・ルームに入っていく。皿の傍らにはタイムズが封をかけたまま、彼を待っていた。果物を手にとって食べ始める。ボーイ長がお茶を注ぎ、もうひとりが卵料理を持ってきた。ミスター・ウォーバートンは旺盛な食欲を感じた。ボーイ長はさがろうとしないでそこに控えていた。

「どうしたんだ?」ミスター・ウォーバートンは尋ねた。

「旦那様。甥っ子のアバスですが、昨夜は一晩中母方の兄の家におりましたそうです。証人もおりますです。伯父は村から一歩も出ていないと証言すると言っております」

 ミスター・ウォーバートンは険しい顔でそちらに向き直った。

「ミスター・クーパーを殺したのはアバスだ。私にはわかるしおまえだってそれを知っているはずだ。裁きを受けなくてはな」

「旦那様、やつを死刑になさるおつもりではないでしょうね?」

 ミスター・ウォーバートンは一瞬言いよどみ、そののち、声の調子は相変わらず厳しいままだったが、目の光は同じではない。ほんのちらっと光がかすめただけだったが、マレー人はすばやくそれを見て取り、諒解した、というしるしに自分もきらりと目を光らせた。

「確かに重大な挑発行為があってのことだからな。アバスも有期刑は覚悟しなくてはならんだろう」沈黙がおとずれ、そのあいだにミスター・ウォーバートンはマーマレードを取った。「刑期の一部を刑務所で務めたら、ボーイとしてこの家で働かせることも考えよう。刑期の一部を君が監督するようにはからってもいい。ミスター・クーパーの屋敷ではろくな習慣を身につけなかっただろうしな」

「旦那様、アバスには自首させた方がよろしゅうございますか」

「それが賢明だろう」

 ボーイは引き下がった。ミスター・ウォーバートンはタイムズを取ると、几帳面に封を切った。重い、がさがさと音を立てる新聞をめくっていくのが彼は何より好きなのである。すがすがしく涼しい朝の空気は心地よく、彼の目は親しみのこもったまなざしで庭全体を見渡した。胸の内にのしかかっていた大きな重荷が取り除かれたのだ。彼は誕生や死亡、結婚などの告知欄に目を移した。いつもここから読みはじめるのである。知人の名前に目が留まった。レディ・オームスカークにとうとうご子息が誕生したらしい。ほほう、ご後室さまもお喜びだろう! お祝い状を書いてつぎの便で送ることにしよう。

 アバスはいいボーイになるだろうな。

 まったくクーパーも馬鹿なやつだ。


The End