陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

塩の話

2008-03-14 22:31:56 | weblog
なんとなく尻切れトンボで終わった感じもする昨日のログではあるが、ともかく東インド会社という一企業が、一時期ではあるが、インドという国を統治していたことがわかってもらえただろうか。

ともかく、イギリスにとってインドは格好の就職先だった。貧乏貴族にとっては没落を防止する最後の砦として、一方、総督はじめ高位高官のほとんどは貴族で占められていたものの、実質的にインド統治にあたった官僚や軍の将校は圧倒的に中流階級が多かったのだが、彼らにとってはイギリス本国では得られない活躍の場が与えられたのである。

だが、統治されたインドの側はどうだったのだろう。
ここでは東インド会社がインド国民に課した税には、こんなものがあったということを紹介しておきたい。

イギリスは巨大で人口もまた膨大なインドを支配しづけるために、富裕な王族や地主の支持が必要だった。そのために彼らには課税しなかった。だが、インドの多くの国民は、まったく貨幣を持っていない。課税の対象になるような商品も持ってなかった。そこで昔からある塩税に目をつけたのである。

そもそも塩税を考案したのは中国で、紀元前七世紀には塩の生産地に課税していたらしい。以来、さまざまな国で塩税は賦課されたのだが、悪名高いのは革命前のフランスである。当時のフランス国民は王から毎週塩を購入しなければならず、そうしなければ鞭で打たれるか、牢獄に入れられるかしたのである。これがフランス革命の原因のひとつともなったと言われている。

では、インドではどうだったのだろう。
あまり知られていないのだが、英国支配の時代に塩税と関連して、中部インドを横断して数千キロにも渡る巨大な壁が造られた。これは中国の万里の長城のスケールに相当する。ただし、インドの壁は侵入者を防ぐためではなく、安い塩を中に入れないためのものである。この壁に囲まれた地域のなかで、植民地の支配者たちは、塩という何気ないが生活に不可欠なミネラルをインドの人々が使用することに対して課税したのである。……(略)……
約一週間の労働に相当する割合の塩を毎月ごとに徴収したため、塩の密輸が行われるのは必定だった。それを防ぐために壁が作られたのである。
(マーティン・コーエン『倫理問題101問』榑沼範久訳 ちくま学芸文庫)

ガンジーの非暴力的な抵抗として名高いのが「塩の行進」である。ガンジー指導の下、人々は海まで行進して、海水から塩をつくった。生きるために必要な塩を、そうやって自らの手で作りだしたのである。

インドの独立にも、塩は大きな役割を果たしていたのである。

たぶん明日にはモームの翻訳もアップできると思います。