先日までここで連載していたサマセット・モームの短編「出張駐在官事務所」を「奥地駐在所」と改題、手を入れてサイトにアップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html
ミスター・ウォーバートンはいったいどういう役職にあったのか、イギリスのマレー統治を調べたんですが、おそらく「イギリス北ボルネオ会社」だったのだろうと思います。この「レジデント」には、本によってもさまざまな呼び名が与えられているのですが、ここでは「駐在理事官」「理事官」の訳語を当てています。
でも、ミスター・ウォーバートンは「民間人」なので、「支配人」という訳語の方が適切なのかもしれませんが、「支配人」というと、少し語感がずれてしまうように思えたので、ここでは「駐在官」を当てました。
おもしろい短編をわたしのつたない訳がそこなっていなければ良いのですが。
"What's new"はまた明日書きます。
またそのときにでものぞきに来てみてください。
ということで、それじゃ、また。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html
ミスター・ウォーバートンはいったいどういう役職にあったのか、イギリスのマレー統治を調べたんですが、おそらく「イギリス北ボルネオ会社」だったのだろうと思います。この「レジデント」には、本によってもさまざまな呼び名が与えられているのですが、ここでは「駐在理事官」「理事官」の訳語を当てています。
でも、ミスター・ウォーバートンは「民間人」なので、「支配人」という訳語の方が適切なのかもしれませんが、「支配人」というと、少し語感がずれてしまうように思えたので、ここでは「駐在官」を当てました。
おもしろい短編をわたしのつたない訳がそこなっていなければ良いのですが。
"What's new"はまた明日書きます。
またそのときにでものぞきに来てみてください。
ということで、それじゃ、また。
> ブッシュ大統領が「思い出のグリーングラス」の替え歌を歌った
わたしも「天声人語」で読んで、何とも言えない思いがしました。
まあ通常の記者会見なんかとはちがう夕食会の席上でのことだし、欧米ではユーモアのセンスが求められる資質のひとつではある。それにしても……、と、ふだん天声人語を書いている人と意見の一致を見ることの少ないわたしですが(笑)、3月19日付け朝刊に関しては、ほぼ同じ感想を持ちました。
> 明日絞首刑になる男が故郷を偲んで唄う歌。
わたしはこの歌のオリジナルの歌詞を知りませんでした。
書きこみを拝見して、検索で意味を知って、日本語の歌詞(確かこれは音楽の教科書に載っていたように思います)はその部分がすっぽり抜け落ちているのですね。
教えてくださって、ありがとうございました。そういう意味がこめられている歌とはまったく知らず、ただ「ふるさとは遠くにありて」という歌だと思っていました。
緑豊かな故郷の風景と、独房の灰色の壁が対置してあるんですね。
背景事情などはこれだけの歌詞からは一切わからないけれど、確かに死刑囚が思うのは故郷の家なのかもしれません。
そうして、よく「アウルクリーク」を思い出してくださいました。
ふつう、こういうパターンの話って、オチがわかってしまうと、もう読む気がしなくなってしまうものなんですが、この「アウルクリーク」は例外だと思うんです。これが一秒にも満たない時間の「出来事」であるとわかっても、ときどき読みたくなる。
この作品には、国籍とか、生まれた時代とかには関わりなく、人間が普遍的に持っている感情が描かれているように思うんです。
死んだ経験のある人はいないのですから、「その瞬間」がどういうものかはだれも知らない。それでも、この作品は、おそらくそうなんだろう、と思わせるものがある。帰っていくのは故郷であり、家なのだろう、そうしてそこは記憶にあるまぎれもない自分の家でありながら、同時にこの世のものとは思えぬほど、美しい場所なのだろう。
この歌がそうした歌詞を持っている。
そうやって、現にそういう思いを味わっている人もいる国の大統領が、そういう歌を替え歌にしちゃうんですね……。
そのことを知っていっそう、溜息をつきたい気持ちは深まります。
言葉の重さって、人によって同じではない。
ジョークだってときにはいいでしょう。わたしも冗談は好きです。
だけど、重く受け止めなきゃいけない言葉ってあるんだと思うんです。
重く受け止めなきゃいけない言葉は、重く、できるだけ重く読んでいきたいと思います。
教えてくださってどうもありがとうございました。
あと、書き込んでくださって。
今日もまた胸に痛みあり
死ぬならば、
ふるさとに行きて死なむと思ふ(石川啄木)
そちらのブログでいくつか懐かしい曲を聴かせていただきました。ありがとうございました。
「懐かしさ」というのは、「過去を思い出すから懐かしい」のではなく、あることをきっかけに「懐かしい」という気持ちにアクセスするチャンネルが開くのかなあ、と思った経験でした。
「アウルクリーク」を初めて読んだのは、中学二年のときで、図書館の踏み台に座って読んだこと、薄暗い書架の間のほこりくさい空気と、終業のチャイムが鳴る時間を気にしながら読んでいたときのことを、昨日のことのようにはっきりと覚えています。その意味で、わたしにとって「懐かしい」短編なんです。
本を読んだり、音楽を聴いたりって、そんな自分の懐かしさにアクセスできるチャンネルを見つける喜びもあるのかもしれませんね。
書き込みどうもありがとうございました。