陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

良い人? 悪い人??その6.

2008-03-24 22:34:30 | 
その6.カッコに入れたりはずしたり

本を読むわたしたちは、働き者だ。ページをめくり、活字を追いながら、たえずこの人はどんな人だろう、と考えている。その行動を頭の中で組み立てながら、これはどういうことだろう、と動機を推測し、これからどうなっていくのだろう、と先を予想する。

わたしたちは予期しない登場人物の行動にとまどうことはあっても、これには理由があるはずだ、と結論を先送りし、納得できない行動があったにしても、そのうち納得できる説明があるにちがいない、と考えて、早急に断罪することはない。

ところが説明も何もない、いきなり放りだされてしまうようなとき、違和感は違和感のまま残っていく。
アーネスト・ヘミングウェイの「白い象のような山並み」などはその好例だろう。
「まあ」男が言った。「いやだったら無理をすることはないんだ。君が望んでもないのにそうしろって言ってるわけじゃない。だけど、ごく簡単なことなんだ」
「で、あなたはそうしてほしいのよね?」
「そうするのがいちばんいいんじゃないか。でも、きみがほんとうはそうしたくないんなら、やってほしくない」
「もしわたしがそれをやったらあなたは幸せになるし、なにもかも前みたいになるし、そうしてわたしのことは、好きでいてくれる?」
「いまだって好きさ。君だってぼくが君のことを愛してることはわかってるだろ?」

登場人物の背景も、関係もわからない。ただわかるのは、この若い女性が現在妊娠していて、おそらくは近いうちに堕胎手術を受けるだろうということだけだ。
わたしたちの日常をそのまま切り取ったような繰り返しの多い会話は、むしろ静かな調子で続く。

ところが「堕胎」という出来事を扱っているために、
 この二人の会話の調子が異様である。女が沈黙の苦痛に耐えかねて話題をつくり、男がその話題を破壊してゆく。男はそうした空虚な話題を突きぬけて迫らねばならぬ「問題」があり、女は可能なかぎりその問題を遠ざけねばならない。この気分のくい違った会話は……〔褐色で乾ききっている〕自然の背景と適合して、肉欲の清算であり同時に愛の破滅でもある「堕胎」にむけて着実に進むのである。そして愛の破滅を知った女のヒステリックな絶望の喘ぎとあきらめが、男の異様に執拗なセルフィッシュネスと共に強烈にもりあがってくる。
(瀧川元男『アーネスト・ヘミングウェイ再考』 南雲堂)

という読まれ方をされることもある。だが、この短編のどこに「異常性の地獄」や「肉欲の清算」があるのか。「堕胎」という出来事に、引きずられているだけではないか。登場人物の思想や行動を、作品から切り離し、倫理観に照らし合わせて評価しているのではないか。

ミラン・クンデラはそんな見方を批判する。わたしたちが現実に交わす会話、ドラマや戯曲などでは決して再現されない、ありのままの会話、それをもとに、美しい旋律を造り上げていった、という。
ヘミングウェイは現実の対話の構造を把握したのみならず、それから出発して、『白い象のような山々』に見られるような、一つの形式、単純、透明、清澄な、美しい形式を創りだすことができた。
(ミラン・クンデラ『裏切られた遺言』西永良成訳 集英社)

クンデラはこの短編を「対話の旋律化」と呼ぶ。ピアノから始まり、「お願い、お願い…」でピークに達し、そこからピアニシモで収束するひとつの旋律だと。
この出来事の道徳的判断をカッコに入れることによって、美しい旋律に耳を傾けることができるのだ。


だが、作品によっては、カッコに入れた道徳的判断をはずすことを求められることもある。
自らもヴェトナムにおもむいた作家ティム・オブライエンは一貫してヴェトナムのことを書きつづける作家である。そのオブライエンの連作短編『本当の戦争の話をしよう』に所収されているごく短い短編は、こんな書き出しで始まる。
 九歳のときに、娘のキャスリーンが私に尋ねた。お父さんは人を殺したことがあるのかと。彼女はその戦争について知っていたし、私が兵隊であったことも知っていた。「お父さんって戦争の話ばっかり書いているじゃない」と娘は言った。「だから誰か殺したはずだって思うの」。私は困ってしまった。でも私はそうするのが正しいと思うことをやった。つまり、「まさか、殺してなんかいないよ」と言って、娘を膝の上にのせて、しばらく抱いていたのだ。私はまたいつか娘が同じ質問をしてくれたらいいなと思う。しかしここでは私は娘をきちんとした成人であると仮定して扱ってみたい。私は実際に起こったことを、あるいは私の記憶している起こったことを彼女にすっかり話してしまいたい。君が正しかったんだよ、と言おう。そう、それこそが私が戦争の話を書きつづけている理由なのだ。
(ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』村上春樹訳 文春文庫)

わたしたちは「人を殺すのは悪いことだ」と思っている。戦争中なら仕方がない、という考え方は理解はできても、わたしたちの道徳観は、どこまでいってもそれに否を言うだろう。だからこそ、「私」は「戦争の話を書きつづけている」のだという。
登場人物の思想や行動に対する倫理的な評価を、まずはカッコに入れなければきちんと読むことはできない。それでも、入れたカッコを、はずすことをオブライエンは求めているのではあるまいか。

カッコをはずすということを明日は最後に考えてみたい。