その11.
嘲罵を浴びせると、蒼白の厳しい顔をにやりとさせ、ヴェランダの階段を駆け下りていった。怒りのために肋骨にふれるほど激しく動悸を打つ心臓を抱え、ミスター・ウォーバートンは疲れ果てて椅子に沈みこんだ。体中が汗疹でもできたかのように疼く。おぞましいその瞬間、泣きたいような気がした。だが、すぐにボーイ長がヴェランダにいることに気がついて、反射的に自制心を取り戻した。ボーイは進み出て、グラスにウィスキー・ソーダを注いだ。
物も言わず、ミスター・ウォーバートンはグラスを取り上げると、ぐっと飲み干した。
「何か話でもあるのかい?」ミスター・ウォーバートンはそう尋ねると、引きつった唇で何とか笑顔を作ろうとした。
「旦那様、クーパー旦那様は悪いお方です。アバスはお暇をいただきたいと申しております」
「少し待ってくれ。クアラ・ソロールに手紙を書いて、ミスター・クーパーをどこかよそに移してもらうから」
「クーパー旦那様はマレー人とはうまくいきません」
「ひとりにしてくれないか」
ボーイは黙って下がった。あとにはミスター・ウォーバートンが屈託した思いを抱えたままひとり残された。クアラ・ソロールのクラブの情景が目に浮かぶ。人々がスポーツウェアのまま、窓辺のテーブルを囲んでいる。夜になったので、ゴルフやテニスをやめて集まってきたのだ。ウィスキーやジン・パヒットを飲みながら、マリンエバートでの皇太子と彼の有名な話に笑い転げている。彼は恥ずかしさと惨めさに炙られるように感じた。俗物! みんな、自分のことを俗物だと思っている。私はいつだって、気のいい連中だと思ってきたし、たとえ低い地位の相手であっても、何の分け隔てもせず、紳士的にふるまってきたはずだ。いまは彼らが憎かった。だが彼らに対する憎悪も、クーパーに向けたそれに比べるとものの数ではない。殴り合いにでもなれば、クーパーは私を完膚無きまでに打ちのめすだろう。屈辱の涙が、赤くふっくらとした頬を伝った。二時間あまりも、あとからあとからたばこをふかしながら坐っていた。死んでしまいたかった。
とうとうボーイがもどってきて、夕食のお時間ですがお召し替えをなさいますか、と尋ねた。もちろんだとも! 夕食のときはかならず着替えるのだ。けだるそうに椅子から立ち上がると、礼装用のシャツと高いカラーに着替えた。美しく飾られた食卓に着いて、いつもどおり、ふたりのボーイの給仕を受け、他のふたりが大きなうちわであおいでくれる。二百メートルほど離れたバンガローでは、クーパーが薄汚い食事を、腰布と短い上着だけの格好で取っているのだろう。裸足のまま、おそらく食べながら、探偵小説でも読んでいるにちがいない。食事が終わるとミスター・ウォーバートンは机に向かって手紙を書いた。サルタンは留守だったが、代理に宛てて、親展扱いとした。クーパー君の仕事ぶりにはまったく問題はないのですが、私は彼とやっていくことに困難を感じております。お互いのあいだにひどく緊張が高まっており、クーパー君をどこか別の局に転任させていただければ感謝の念にたえません。
翌朝、特別便として手紙を送った。その返事は二週間後、月ごとの郵便物と一緒に届いた。私信の扱いで、内容は以下の通りだった。
手紙はミスター・ウォーバートンから落ちた。行間を読むのはたやすいことだった。ディック・テンプル、二十年来の知己であるディック・テンプルが、地方有数の旧家の出である彼までもが、自分のことを俗物と見なし、だからこそ彼の要求を呑む余裕などないというのだ。ミスター・ウォーバートンは、急に人生に対して何の希望も持てなくなってしまった。彼の属する世界は、すでに過去のものになってしまっており、未来は卑しい世代の手に渡ってしまった。クーパーがその典型であり、だからこそクーパーを心の底から憎んだ。グラスを満たそうと手を伸ばすと、それを見てボーイ長がそばに寄ってきた。
「君はそこにいたのか」
ボーイは手紙を拾い上げた。なるほど、だからそこで待っていたのか。
「クーパー旦那様はよそに行かれますか?」
「いいや」
「何かよくないことが起こるかもしれません」
しばらくの間、疲れ切った彼の頭には、その言葉は意味を結ばなかった。だが、それも一瞬のことだった。彼は居ずまいをただしてボーイを見つめた。緊張が走った。
「それはどういうことだね?」
「クーパー旦那様はアバスにたいしてひどいことをなさいます」
ミスター・ウォーバートンは肩をすくめた。クーパーのような人間に、召使いの扱いがどうしてわかる? ミスター・ウォーバートンにはそんな手合いならよく知っていた。召使いにたいして、あるときはいやになれなれしかったかと思うと、つぎのときには、ぶしつけで、無思慮なふるまいをするのだ。
「アバスを家に帰してやってよろしい」
「クーパーだんなさまは、アバスが逃げ出さないように、給金を取り上げてしまわれました。もう三ヶ月もはらっていただいておりません。辛抱するよう言って聞かせたのですが、アバスも腹に据えかねております。もう道理など聞く耳をもちません。もしクーパー様がこんなひどい仕打ちを続けられるのでしたら、よくないことが起こるかもしれませんのです」
「いいことを教えてくれた」
(この項つづく)
嘲罵を浴びせると、蒼白の厳しい顔をにやりとさせ、ヴェランダの階段を駆け下りていった。怒りのために肋骨にふれるほど激しく動悸を打つ心臓を抱え、ミスター・ウォーバートンは疲れ果てて椅子に沈みこんだ。体中が汗疹でもできたかのように疼く。おぞましいその瞬間、泣きたいような気がした。だが、すぐにボーイ長がヴェランダにいることに気がついて、反射的に自制心を取り戻した。ボーイは進み出て、グラスにウィスキー・ソーダを注いだ。
物も言わず、ミスター・ウォーバートンはグラスを取り上げると、ぐっと飲み干した。
「何か話でもあるのかい?」ミスター・ウォーバートンはそう尋ねると、引きつった唇で何とか笑顔を作ろうとした。
「旦那様、クーパー旦那様は悪いお方です。アバスはお暇をいただきたいと申しております」
「少し待ってくれ。クアラ・ソロールに手紙を書いて、ミスター・クーパーをどこかよそに移してもらうから」
「クーパー旦那様はマレー人とはうまくいきません」
「ひとりにしてくれないか」
ボーイは黙って下がった。あとにはミスター・ウォーバートンが屈託した思いを抱えたままひとり残された。クアラ・ソロールのクラブの情景が目に浮かぶ。人々がスポーツウェアのまま、窓辺のテーブルを囲んでいる。夜になったので、ゴルフやテニスをやめて集まってきたのだ。ウィスキーやジン・パヒットを飲みながら、マリンエバートでの皇太子と彼の有名な話に笑い転げている。彼は恥ずかしさと惨めさに炙られるように感じた。俗物! みんな、自分のことを俗物だと思っている。私はいつだって、気のいい連中だと思ってきたし、たとえ低い地位の相手であっても、何の分け隔てもせず、紳士的にふるまってきたはずだ。いまは彼らが憎かった。だが彼らに対する憎悪も、クーパーに向けたそれに比べるとものの数ではない。殴り合いにでもなれば、クーパーは私を完膚無きまでに打ちのめすだろう。屈辱の涙が、赤くふっくらとした頬を伝った。二時間あまりも、あとからあとからたばこをふかしながら坐っていた。死んでしまいたかった。
とうとうボーイがもどってきて、夕食のお時間ですがお召し替えをなさいますか、と尋ねた。もちろんだとも! 夕食のときはかならず着替えるのだ。けだるそうに椅子から立ち上がると、礼装用のシャツと高いカラーに着替えた。美しく飾られた食卓に着いて、いつもどおり、ふたりのボーイの給仕を受け、他のふたりが大きなうちわであおいでくれる。二百メートルほど離れたバンガローでは、クーパーが薄汚い食事を、腰布と短い上着だけの格好で取っているのだろう。裸足のまま、おそらく食べながら、探偵小説でも読んでいるにちがいない。食事が終わるとミスター・ウォーバートンは机に向かって手紙を書いた。サルタンは留守だったが、代理に宛てて、親展扱いとした。クーパー君の仕事ぶりにはまったく問題はないのですが、私は彼とやっていくことに困難を感じております。お互いのあいだにひどく緊張が高まっており、クーパー君をどこか別の局に転任させていただければ感謝の念にたえません。
翌朝、特別便として手紙を送った。その返事は二週間後、月ごとの郵便物と一緒に届いた。私信の扱いで、内容は以下の通りだった。
親愛なるウォーバートン
公式の文書ではないほうが良かろうと思いますので、私信のかたちで返事をさせていただきます。もちろん強いて依頼があるようでしたら、サルタンにもこの事項を上呈させていただきますが、そうはなさらぬほうが賢明かと思っております。私もクーパー君が磨かれざる玉のような人物であることは存じておりますが、有能ではありますし、また戦時、たいそう辛酸も舐めたようで、彼にはあらゆるチャンスを与えられるべきかと思う次第です。誠に失礼ながら、貴下におかれましてはいささか人物の社会的地位を過度に重要視されるきらいがあるように思われます。時代が変わりつつあることをどうかお忘れになりませぬよう。紳士たることが望ましいのは言うまでもないことですが、有能かつ勤勉は、さらに重要な資質と言えましょう。なにとぞいま少しのご寛容をクーパー君に示されますよう、期待しております。
敬具
リチャード・テンプル
手紙はミスター・ウォーバートンから落ちた。行間を読むのはたやすいことだった。ディック・テンプル、二十年来の知己であるディック・テンプルが、地方有数の旧家の出である彼までもが、自分のことを俗物と見なし、だからこそ彼の要求を呑む余裕などないというのだ。ミスター・ウォーバートンは、急に人生に対して何の希望も持てなくなってしまった。彼の属する世界は、すでに過去のものになってしまっており、未来は卑しい世代の手に渡ってしまった。クーパーがその典型であり、だからこそクーパーを心の底から憎んだ。グラスを満たそうと手を伸ばすと、それを見てボーイ長がそばに寄ってきた。
「君はそこにいたのか」
ボーイは手紙を拾い上げた。なるほど、だからそこで待っていたのか。
「クーパー旦那様はよそに行かれますか?」
「いいや」
「何かよくないことが起こるかもしれません」
しばらくの間、疲れ切った彼の頭には、その言葉は意味を結ばなかった。だが、それも一瞬のことだった。彼は居ずまいをただしてボーイを見つめた。緊張が走った。
「それはどういうことだね?」
「クーパー旦那様はアバスにたいしてひどいことをなさいます」
ミスター・ウォーバートンは肩をすくめた。クーパーのような人間に、召使いの扱いがどうしてわかる? ミスター・ウォーバートンにはそんな手合いならよく知っていた。召使いにたいして、あるときはいやになれなれしかったかと思うと、つぎのときには、ぶしつけで、無思慮なふるまいをするのだ。
「アバスを家に帰してやってよろしい」
「クーパーだんなさまは、アバスが逃げ出さないように、給金を取り上げてしまわれました。もう三ヶ月もはらっていただいておりません。辛抱するよう言って聞かせたのですが、アバスも腹に据えかねております。もう道理など聞く耳をもちません。もしクーパー様がこんなひどい仕打ちを続けられるのでしたら、よくないことが起こるかもしれませんのです」
「いいことを教えてくれた」
(この項つづく)