陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 その6.

2008-03-01 22:43:24 | 翻訳
その6.

 この支局での仕事をどのように切り回したらよいのか、ミスター・ウォーバートンはよくわかっていたので、それから数日間というもの、部下の挙動には猜疑に満ちた目を向けていた。彼が骨身を惜しまない、仕事のできる人物であることはすぐに見て取れた。唯一の欠点は、現地人に対してそっけないことだった。

「マレー人というものは、恥ずかしがり屋で感じやすいのだよ」ミスター・ウォーバートンは言った。「君もそのうちわかるだろうが、日頃からなるべく丁重に、辛抱強く、理解のあるところを見せてやったらいい。そうすれば君ももっとうまくいくだろう」

 クーパーは短い、勘に障る笑い声をあげた。

「ぼくはバルバドス生まれですし、戦争中はアフリカにいたんです。黒人についてなら知らないことなんてありません」

「そういうことを私は知らない」ミスター・ウォーバートンは苦々しい声で答えた。「だが私は黒人のことを言っているのではないのだよ。私たちが相手にしているのはマレー人なのだ」

「やつら、黒んぼじゃないんですか?」

「君は何一つわかってないね」ミスター・ウォーバートンはそう言った。

 それ以上何も言おうとしなかった。

 クーパーが到着してから最初の日曜日、ミスター・ウォーバートンは彼を食事に招待した。万事かしこまったもので、その前の日にも職場で顔を合わせ、仕事が終わると六時から「砦」のヴェランダでジン・ビターを一緒に飲んだのに、バンガローにあらたまった招待状をボーイに届けさせたのだった。クーパーは、心ならずも正装で出向いていった。ミスター・ウォーバートンは自分の希望が尊重されたことには満足したが、青年の服が仕立てが悪い上に、シャツも体に合ってないのを見て取ると、軽蔑の念を覚えた。にもかかわらず、その夜のミスター・ウォーバートンは、ご機嫌だったのである。

「ところで」握手しながら言った。「君のボーイに誰かいないか、うちのボーイ頭に聞いてみたんだ。甥を紹介されたよ。だから私も会ってみたんだが、賢そうでやる気のある青年だった。君も会ってみるかね?」

「そうしましょう」

「そこに待たせてあるんだ」

 ミスター・ウォーバートンは自分のボーイに、甥を呼びにやらせた。すぐに背の高い、華奢な体つき、二十歳ぐらいの青年がやってきた。大きな黒い目で、整った横顔をしている。腰布を巻き、短い白い上着と、房のついていない濃い紫色のヴェルヴェットのトルコ帽をかぶっているその姿は、なかなか垢抜けていた。名前を聞かれて、アバスと答える。ミスター・ウォーバートンは、よしよし、とうなずいて、流暢で自然なマレー語で話しかけているうちに、その物腰は次第にやさしくなっていた。白人に相対するときは、皮肉たっぷりになりがちな彼も、マレー人に対しては、気さくで優しいところをたくみにとりまぜていく。まさに彼はサルタンと言えよう。自分自身の威厳は保ったまま、同時に原住民をくつろがせる術を、知悉していたのだった。

「彼をどう思う?」ミスター・ウォーバートンはクーパーの方に顔を向けて聞いた。

「いいんじゃないですか。ほかの連中にくらべて、とりたてて性悪ってわけでもなさそうだ」

 ミスター・ウォーバートンは青年に、君に決めたよ、と伝えて下がらせた。

「彼のようなボーイが見つかって、君も運が良かったよ」クーパーに向かって言った。「たいそう良い家柄なんだ。百年ほど前に、マラッカからやってきた一族らしいんだが」

「靴を磨いたり、酒が飲みたくなったら持ってきてくれるようなボーイが、貴族の血筋だろうがどうだろうが、どうだっていいんです。ぼくの言うことをさっさとやってくれりゃそれで十分なんだから」

 ミスター・ウォーバートンは口をぎゅっとすぼめたが、何も言わなかった。

 ふたりは食事をとる部屋に入っていった。料理はすばらしく、ワインも良いものだった。その効果はすぐにあらわれ、ふたりの間からとげとげしさが消えたばかりでなく、友好的にさえなっていったのである。ミスター・ウォーバートンは良い食事を楽しみにしていたのだが、日曜の夜は、ふだんよりもなお質をあげるのが習慣だったのだ。どうやらクーパーに対して不公平だったようだ、と思い始めていた。確かにこの男は紳士ではないが、それは仕方のないことでもある。よく知るようになれば、非常にいい人間であることに気がつくかもしれない。問題があるとすれば、おそらくは、礼儀に欠けることだろう。確かに仕事の面ではよくやっているし、やることも早い、きわめて熱心だし、疎漏なく務めている。デザートのころには、ミスター・ウォーバートンは、人間というものに皆等しく愛情を抱きたくなるような気分になっていた。

「今夜は君がここへ来て最初の日曜日だ。だから、特別なポートワインを進呈しよう。もうあと二ダースしか残っていないから、特別のとき専用というわけなんだ」

 ボーイに持ってくるように言うと、まもなくボトルが運ばれてきた。ミスター・ウォーバートンはボーイが栓をあけるのをじっと見守っている。

「このポートワインはね、古い友人であるチャールズ・ホリントンがくれたものなんだ。彼のところで四十年、それから私のところでさらに何年も寝かしている。ホリントンはイギリスでも最高のワイン貯蔵室を持っていることで有名だったのだ」

「ワイン商か何かですか?」

「そうではない」ミスター・ウォーバートンは微笑んだ。「私が言っているのはカースルレーのホリントン卿のことなんだよ。卿はイギリスで一番裕福な貴族だろうね。私もずいぶん古くから友だちづきあいをさせてもらっているが。イートンで卿の弟と一緒だったんだ」

(この項つづく)