陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

「事実」とはなんだろうか その3.

2006-06-09 22:36:17 | 
3.ノンフィクション・ノヴェル

ノンフィクション・ノヴェルの嚆矢となった『冷血』は、まず冒頭に作者の謝辞が掲げられている。そこでカポーティは協力してくれたさまざまな人々に感謝しながら、「本書の中の材料で私自身の観察によらないものはすべて、公の記録から取ったか、もしくは、直接関係した人々とのインタヴュー、むしろ相当長い期間にわたって行われた無数のインタヴューの結果から生まれたものである」として、この作品が作者のフィクションではないことを明らかにしている。

『冷血』が扱うのは、1959年11月15-16日、アメリカ中西部カンザス州ホルカムという田舎町で起きた一家四人の惨殺事件である。

カポーティは二ヶ月後、『ニューヨーク・タイムズ』紙上で事件のことを知り、調査を開始する。探偵を雇い、ありとあらゆる人に面会した。特に、ふたりの犯人が逮捕されてからは、処刑直前の彼らを独房に訪ねて面談を重ね、さらに処刑にも立ち会う。そうして、六千ページにも及ぶ資料を収集したのである。
その綿密な調査記録をもとに、カポーティは「ルポルタージュ」「ドキュメンタリー」ではなく、自分の作品を「ノンフィクション・ノヴェル」と呼ぶものに仕上げたのである。

新潮文庫版『冷血』の巻末解説には、瀧口直太郎によって「ノンフィクション・ノヴェル」の特徴が三点にまとめられている。

「1.作者は作品の中に登場すべきでない。」

実際にこの作品の中には、インタヴューという形式をうかがわせる部分があっても、それは実に控えめで、あたかも自然に語ったかのような印象を受ける。たとえばこのような部分。

「ときたま、ぼくは一日に六十マイルも運転することがあります」彼はある知人にいった。「そのため、ものを書く時間があまり残らないんですよ。日曜だけは別ですがね。さて、十一月十五日のあの日曜日ですが、ぼくはここの部屋にすわって、新聞に眼を通していたんです。

おそらくこの「知人」というのが、インタヴューにあたったカポーティ自身のことであろう。だが、「私」という一人称を登場させないことによって、客観性をより高めているのである。

「2.選択によって作者の見解を示す。」

六千ページという膨大な資料を、343ページの作品にまとめあげるにあたって、資料は入念に取捨選択された。その選択は、すべてカポーティによって解釈され、分類され、取捨選択に付せられたのである。

「3.創作的処理を必要とする。」
それは、たとえばこのような部分に見て取ることができる。

 リヴァー・ヴァレー農場の主人ハーバート・ウィリアム・クラターは四十八歳だったが、生命保険にはいるため最近健康診断をもらった結果、自分がすばらしく健康なのを知った。縁なしの眼鏡をかけ、五フィート十インチをちょっと切れるくらいの、普通の身長にすぎなかったが、男の中の男といった風采をしていた。肩幅は広く、髪の毛は黒ずんだ色を保ち、顎の角張った、自信に満ちた顔は、健康色にあふれた若さを失わず、真っ白な歯は、まだクルミを平気で噛み砕くほど強かった。

これが「創作的処理」と言えるのは、実際にはカポーティはこのクラターには会ったことがなく、というのも、クラターは被害者であって、その生前の様子をカポーティが知っているはずはないからなのである。
おそらくインタヴューや写真によって、カポーティは生きたクラター像を思い描き、それを作家的手腕でもって描写した。それが上記のような記述となってあらわれている。

さらに、事件が起こるまで、この事件の登場人物が、あたかも小説の登場人物のように、事件が起こっていく時間軸に沿って配置され、紹介されていく。そのことによって、倒叙ミステリを読むように、どのように事件が起こっていくのだろう、というサスペンスを持って、読者は作品を読み進めていくことになる。

つまり、文体においても、構造においても、小説とは区別のつけようがないものなのである。

事件は起こった。
事件について語る人々も現実に存在する。
こうした事実にもとづいて創作的に処理された作品は、「事実」と呼ぶべきなのだろうか、それとも「ノンフィクション・ノヴェル」という種類のノヴェル、すなわち「小説」と理解すべきなのだろうか。

(この項つづく)

「事実」とはなんだろうか その2.

2006-06-08 22:10:34 | 
2.「事実」はだれが判定する?

とりあえずこの文章を読んでみてください。

 ズックの革鞄二つを振分けにし、毛繻子の蝙蝠傘をぶら下げて、二十八歳の夏目金之助が下りの汽車で神戸駅に着いたのは、明治二十八年四月八日の午後五時ごろであった。

 四国へ渡る汽船は、この時間もうないので、はじめから今夜は神戸の宿に泊って、明朝一番の船に乗るつもりでいる。

 すると、線路をへだてた向かいのプラットフォームに、ただならぬ人だかりがしている。どうも旅行客ばかりではないようだ。それでしばらくそっちへ眼をやっていると、やがてその人混みがどっと崩れて、それを追いのけ追いのけ、巡査の一団がやって来た。

 巡査ばかりではない。そのまんなかに、編み笠をかぶった赤衣の男をとりかこんでいる。どうやら手錠をはめられた囚人らしい。

「ありゃ何かね」
と、夏目金之助は、ちょうどそこを通りかかった駅員にきいた。

「あれは……あいつにちがいない」
 駅員も好奇心にみちた眼でみやって、
「こないだ下関で李鴻章をピストルで撃ちよったやつがありましたやろ」
といった。

「あの犯人がけさ早く船でここの港に着いて、神戸署で休憩したあと、これから東京ゆきの汽車に乗せられるんですわ」

「東京へ」

「いえ、東京は通過するだけで、そのまま北海道の監獄へ送られるとか、そんな話ききましたが」

「ははあ」

 その男のことは、金之助も新聞で読んで知っている。

 去年からの戦争の勝敗がこの二月に明らかになって、三月十九日清国の講和全権李鴻章一行が下関にやってきて、日本側の全権伊藤博文、外務大臣陸奥宗光と談判にはいった。ところが三月二十四日、会場となった春帆楼から、支那風の輿に載って旅宿に帰る途中の李鴻章に、群衆にまぎれてれて接近し、ピストルで狙撃した男がある。

 汚れたアツシを着、縞綿ネルの股引に紺足袋、草履ばきという若い男であった。弾は李鴻章の顔面に命中し、いちじは談判のなりゆきもあやぶまれる騒ぎになった。…(略)…

 たしかに上州出身の壮士気取りの小山六之助という男で、明治二年生まれというから自分より二つ年下になるが、若気の至りにしても軽率なやつだ。

 夏目金之助はそんなことを考えながら、神戸駅を出た。ひとまず知り合いに紹介された宿屋にゆくつもりだが、護送される若い囚人のことなどより、もう彼の心は、あした渡る四国の松山への希望と不安と好奇心でいっぱいであった。彼はそこの中学の英語教師として赴任するのであった。

 神戸駅ですれちがって、帝大出の夏目金之助は西へ、無期徒刑の小山六之助は東へ。

 漱石年表によると、彼が松山の外港三津浜に着いたのは、四月九日午後一時過ぎとある。

「ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ」



さて、以上の引用文から、事実とフィクションを選り分けてみてください。

引用は山田風太郎『明治バベルの塔』所収の短編『牢屋の坊ちゃん』の冒頭部分である。そうして引用最後の「」でくくってある部分は、原文に引用された夏目漱石の『坊っちゃん』の一部である。

まず最初の一文
「ズックの革鞄二つを振分けにし、毛繻子の蝙蝠傘をぶら下げて、二十八歳の夏目金之助が下りの汽車で神戸駅に着いたのは、明治二十八年四月八日の午後五時ごろであった。」
これはどうだろう。

あとの方に出てくる「漱石年表によると……」という記述を信じるならば、「明治二十八年四月八日の午後五時ごろ」「神戸駅に」「二十八歳の夏目金之助が下りの汽車で」「着いた」、これはとりあえず「事実」と言っていいだろう。では振り分けにした「ズックの革鞄」「毛繻子の蝙蝠傘」はどうだろうか? これは、当時の風俗を考えると、十分その可能性はあるけれど、ほんとうにそのときの金之助がそういう格好をしていたのだろうか。これは「事実」かもしれないし、「事実でない」かもしれない。わたしたちに判定はできない。

少しあとの「去年からの戦争…」以下の文章はどうだろう。
これはわたしたちは「下関条約」として知っている日清戦争の講和条約のことだ。
この狙撃事件は「歴史的事実」として、歴史の本には記述されている。
実際に、その小山六之助は三月二十四日、李鴻章を狙撃し、無期徒刑囚として網走刑務所に送られた。

ならばその彼が四月八日午後五時ごろ、神戸から汽車に乗ったのだろうか。

これは何とも言えないが、資料が残っているかもしれないし、そこで「事実」かフィクションかの判断がつく。

では、夏目金之助は、小山六之助と神戸駅ですれちがったのだろうか。すれちがわなかったのだろうか。これを「事実」であるか、「事実でない」か、わたしたちは確定することができない。後の漱石はこのことを記していないために、そのような「事実」はなかったのかもしれない。あるいは、あったけれど、漱石はそのことを忘れてしまった、あるいは人だかりの原因を知らないままだったので、特に記憶にもとどめなかった可能性は誰にも否定できないのではあるまいか。

では、最後に風太郎が引用している『坊っちゃん』の記述。
これはフィクションの一節である。けれども、「事実」ではないのだろうか。後に漱石となる夏目金之助が実際に見た光景の描写ではないのだろうか。実際に見た光景ならば、「事実」ではないのだろうか。

ここで明らかになったことをまとめてみよう。

・ある出来事が「特定の出来事」となるためには、まず第一に、それを目撃-体験する人がいなければならない。

・その出来事は、目撃-体験された人によって、語られる(そうしてその語りを記述する人がいる)か、記述されなければならない。

・さらに、その「語り」や「記述」は第三者によって「事実」である、と判定されなければならない。

この三つの段階を経なければ、「事実」としてあとに残っていかないのだ。
ならば、この三つの段階を経て、晴れて「歴史的事実」として認定されたことがらのみを扱った記述と、事実と虚構をおりまぜた「歴史小説」は、どこまでちがっているのだろう。
明日はそのことを見てみよう。

(もしかしたら、ちがうことを書いているかもしれませんが)

(この項続く)

「事実」とはなんだろうか

2006-06-07 22:00:05 | 
1.実話か虚構(フィクション)か

ずいぶん前の話だけれど、『一杯のかけそば』という話がたいそう話題になったことがある。なんであんなものが、と思っているうちに、それが「創作」だとわかり、この間まで「感動した」「わたしも泣きました」と言っていた人が、手のひらをひっくり返したように批判を始め、作者の私生活まであれこれと暴かれたのではなかったか。
ともかく批判していた人の中には「実話だと思っていたのに裏切られた」という反応が少なくなかったような気がする。

似たような話は外国にもあって、これも知っている人も多いと思うけれど、ジャン・ジオノの短編小説『木を植えた男』、これも日本では実話として受け取られたようだ。
ためしにアマゾンで検索してみると、読者レビューが載っている。「事実ではなくても」といった、なんとなく微妙な発言がいくつかあった。

『アメリカ短編小説傑作選』の2000年版の編者ギャリソン・キロワーはこんなことを言っている。

 人は物語が現実的であってほしいと思う。ソローが言ったように、リアリティこそわれわれが切望するものなのである。もし人に物語を聞かせて、相手がそれを気に入れば、彼らは物語のスタイルに世辞など言わず、「それ本当?」と言う。それが作家にとって、あなたは真実を書いていますよという最高の賛辞である。単に感情を表現するためだけに物語を利用しても、人は気に入ってくれない。

わたしたちはなぜ「これは本当にあったことだろうか」と考えてしまうのだろうか。
『一杯のかけそば』にしても、『木を植えた男』にしても、「裏切られた」と感じてしまうのは、「事実だと思ったのに、フィクションだった」と知ったからだ。

このことは、わたしたちにふたつのことを教えてくれる。
1.わたしたちは、「事実」と「フィクション」を対立するものととらえている。
2.わたしたちは、「事実」の方が「フィクション」より価値があると考えている。

本を読むときも、人の話を聞くときも、わたしたちはこの話には読む、あるいは聞く価値があると思って読んだり、耳を傾けたりする。

フィクションは読まない、という人は、おそらくここで振り分けているのだ。
「事実」を扱わないものは読む価値はない、という。

フィクションは読まないけれど、歴史小説や自伝・評伝は読む、という人は、登場人物が「実在」したか「虚構」であるか、という観点から振り分けている。

小説は読むけれど、SFやファンタジーのような「荒唐無稽なもの」は読まない、という人は、「現実に起こりうる」か「現時点では、実際には起こりえない」という観点から振り分けている。

あるいは、作品を読んだ。大変おもしろかった。そういうとき、フィクションとわかっていても、これは事実ではないか、作者の実体験が反映されているのではないか、と考える。

どこまでいっても「事実」かそうでないか、という価値判断はついてまわる。

なら、「事実」というのはなんだろう。
それを考えてみましょう、というのが、このコラムの趣旨である。
しばらくおつきあいください。

(この項つづく)

サイト更新しました

2006-06-06 22:36:30 | weblog
先日までここで連載していた「金魚的日常番外編~キンギョが病気になった!」をアップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

このところしばらく軽めのネタでつないできたので、明日からすこし重めの連載を始める予定です。そうは言ってもわたしの話なので……。

とりあえず、何が出るか、まぁ大きく期待しないで、また遊びにいらしてくださいね。
それじゃまた。

仮説を立ててみた

2006-06-05 22:28:47 | weblog
実は、わたしが密かに確立をもくろむ理論がある。
今日は、サイトの更新もできなかったことだし、つなぎとして、その理論(現段階は仮説)を発表しよう。

同じものを食べている両者は似てくる。

ということである(いてっ、何か飛んできた)。
いやいや、怒ったりせずに、ちょっとわたしの話を聞いてほしい。

ときどき電車やエレベーターのなかで、年配のご夫婦を見ていると思うのだが、ものすごく似ているケースが多い。雰囲気が近い、というより、とにかくそっくりなのである。

その点、年齢が若くなると、いくら一緒にいてもちっとも似ていない。確か志賀直哉の『網走まで』ではなかったかと思うが、両親と子供の三人連れを見ていると、父親と子供は似ている、母親と子供も似ている、なのに両親はちっとも似ていないので驚く、といった内容の記述があったように記憶しているが、血のつながりがない場合、十年、二十年程度ではだめなのだ。

一緒にいると似てくるんだろうか。

もうひとつ、わたしには疑問があった。
映画やアメリカドラマで見る日系アメリカ人というのは、両親ともに日系であっても、日本に在住している日本人とは顔がずいぶんちがう。
これはなぜなんだろう。
ハワイ在住の日系人も、混血でなくても、どこかちがう感じがする。

わたしは以来、さまざまな場面において、観察を繰り返し、検討を重ねてきた(含嘘)。

そこで、あるとき以下のような文献を読んだのである。
中島らもがどこかで書いていたのだが(典拠となるべき本は発見されなかった)、かつて中島らもが家で飼っていたウサギに、エサとしてドッグフードを与えていたのだそうだ。すると、性格の荒い、毛もごわごわしたウサギになった、とあった。

ここでわたしは一種の仮説を立てた。

これはイヌ化したウサギとは言えまいか。
つまり、ドッグフードを食べることによって、ウサギはイヌに似てきたのである。

アメリカにいる日系人の顔が日本人とちがうのは、アメリカ型の食事を取っているせいではあるまいか。

年配の夫婦が似ているのは、同じ食事を取っているせいではあるまいか。

さらに、わたしの推測を裏付けるサイトも発見した。
昨日もちょっと紹介した caveさんの「偏屈の洞窟」のキンギョを、ちょっと見ていただきたい。
http://www.j-cave.com/aquarium/kingyo/kin18.html

中央にいる30cmを超えるキンギョ、キンギョというより、コイそっくりではあるまいか。
この時期、caveさんはコイのエサを与えていらっしゃったのだ。

そうしてその子供たちにしても。
http://www.j-cave.com/aquarium/kingyo/kin31.html

はっきり言って、ウチのキンギョとは全然顔がちがう。

ただ、最近ではコイのエサからキンギョ用に変えられたらしい。
http://www.j-cave.com/aquarium/kingyo/kin46.html
このページにその記述がある。
そうなると、キンギョの顔も変化していくのだろうか。

わたしの仮説を裏付けるためにも、このcaveさんのサイトはこれからも目が離せないのである。

明日にはサイト更新する予定です。
キンギョネタはもういい、とお考えの方は、つぎの新しい連載にご期待ください。
それじゃまた。

金魚的日常番外編 ――キンギョが病気になった!――その3.

2006-06-04 21:34:02 | weblog
4.喪の儀式

あなたはキンギョの亡骸を前にして考える。死体の始末に頭を悩ませる推理作家のごとく、やはり亡骸の処分は悩ましい問題である。

以前、アメリカのドラマを見ていて、死んだキンギョを水槽の水ごとトイレに流して「バイバ~イ」と言っているシーンがでてきて驚いたことがある。もちろんドラマで現実とはちがうとはいえ、ストーリーとは直接関係ない場面であっただけに、アメリカの多くの家庭ではこういうものなのかもしれないと印象に残ったのだった。

大きさの問題もある。一般に、わたしたちは、ある程度大きい生き物の方が感情移入しやすいものだ。キンギョにしても、体長3cmのキンギョと、体長20cmのキンギョでは、喪失感もちがう。実際、体長20cmとなると、共に過ごした期間も長く、たとえ顔を合わせても鳴きもしなければ、芸も見せてくれないキンギョであっても、それなりに情も移っている。いくらアメリカ人といえども、20cmを超えるキンギョは、トイレに流しはしないのではあるまいか。

あるいは、あなたが庭付きの家に住んでいるか、集合住宅に住んでいるか、ということも、考慮すべき大きな要素となる。庭さえあれば、片隅に深めの穴を掘って、そこに埋葬してやることも簡単だけれど、集合住宅の上の方に住んでいれば、そのようなことができる土地も所有していない。そうなると、遺体の処分は、他人の土地(多くは公園など)への非合法な埋葬か、ゴミとして出すか、あるいは自宅でなんとか焼却してやるか、はたまたアメリカ人のようにトイレへ流すしかない。

あなたは家にあったマッチ箱を空にし、腹を上にして浮いている、かつてはキンギョだったものをそっと掬って、ティッシュにくるみ、マッチ箱の棺に入れてやる。そうして、子供が家に帰った時間をねらって、スコップを持って公園に行き、隅に立っているサルスベリの木の根元に深い穴を掘って埋めてやるのだ。キンギョと過ごした日々を思い出しながら。

「短いあいだだったけれど、キミと一緒に暮らすことができて、楽しかったよ。ウチに来てくれて、どうもありがとう」
あなたの喪の作業は、土を元に戻して完了する。
サルスベリが咲いたとき、あなたはここにキンギョを埋めたことを思い出すだろう。
そうして、サルスベリが咲くたびに、台所の棚に臨時のICUをつくって、毎日のぞいていたことや、徐々に動きを失っていくキンギョを看取った日々のことを思い出すだろう。


そのうち、あなたは職場の同僚がソワソワしているのに気がつく。
「どうしたの?」と聞いてみると、同僚は、子供がキンギョ掬いでもらってきたキンギョが、元気がないのだ、という。死なせたら子供がかわいそうで、いろいろ調べてるんだけど……。
あなたは突如、専門家口調でこう話し出す。
「ああ、それはね、掬ってきたキンギョって、最初はそんなふうになりやすいの。エアレーションはどうしてる?」



付け足し:少しは役に立つことも……。

わたしがキンギョが病気になると参考にさせていただいているのは、かんたんな金魚の飼い方というサイトです。

あとは、偏屈の洞窟の「金魚・淡水魚の飼育」では、延々とキンギョの水カビ病と闘っていらっしゃる、不屈のサイトと言えるでしょう。病気になって苦労するようになってくると、ああ、ここにわたしよりもっと苦労している人がいるんだとうれしくなる、という効果もあったりします。

(この項終わり)

金魚的日常番外編 ――キンギョが病気になった!――その2.

2006-06-03 22:37:55 | weblog
この文章を書くために、ためしに「金魚、塩水浴」で検索してみると、グーグルでは11,300件がヒットする。考えてみればものすごい数ではあるまいか。キンギョはともかく、「塩水浴」など、病気のキンギョを抱えたキンギョ飼い以外には、何の役にも立たない情報である。
さらに塩水浴よりいっそうマイナーな「ココア浴」で検索しても、1,330件もヒットするのである。おそらくこの記事をお読みの方のなかにも、「ココア浴」なるものを初めて目にされた方も少なくないのではないか。
そうです。あの、数年前、体に良い、と某番組で紹介され、店頭から姿を消した、あの、牛乳で作るココア、そのココア(もちろん牛乳も砂糖も加えていない、純生ココアの粉末)をキンギョの水槽に投入するという治療法なのである。
さらには「金魚、病気」というさらに一般的な検索子を使ってみると、驚くなかれ、579,000件がヒットするのである。ためしに「レッド・ツェッペリン」だけで検索してもヒット数は551,000件で、「キンギョ、病気」に負けているのである。がんばれ、ツェップ!

それはともかく、googleの検索から明らかになることは

1.日本ではキンギョの飼育を行っている人が相当数存在する。
2.病気のキンギョを飼育した経験を持つキンギョ飼いが相当数存在する。
3.病気を経験したキンギョ飼いたちは、仲間意識と連帯の気持ちにあふれ、知識と経験の共有に余念がない。

ということであろう。

実際、どのサイトにも塩の濃度から、はかり方、水槽の推量にいたるまで、微に入り細をうがつ説明がある。だが、問題は、それぞれが微妙にちがうのである。塩水浴よりも薬浴をすすめる人もいれば、薬浴はキンギョに負担がかかる、という人もいる。塩水浴の根拠も、浸透圧に求める人もいれば、殺菌に求める人も、キンギョの代謝能力を高めることに求める人もいる。あるいはイソジン浴を勧める人、ココア欲を勧める人、それぞれに説得力を持ち、自説を展開している。

あれこれサイトを見れば見るほど、あなたは混乱し、迷いは深くなる。

キンギョの病気のノウハウを持たないあなたは、ここで途方に暮れる。
けれども、そのときは腹を決めるのである。
その根拠はなんでもいい、そのサイトに載っているキンギョの症状と、あなたのキンギョの症状が近いような気がする、でもいいし、サイトの書き手の説得力ある書きぶりが信頼がおける、でもいい、掲示板に書き込んだら、親切に教えてくれた、でもいいし、単にサイトのレイアウトが好みだった、でもいい、とにかくひとつのやりかたに絞る。あそこのやりかたをちょっと、こちらのやり方をちょっと、ということは、つまりは、塩水浴とココア浴、どちらも効果がありそうだから、両方入れてみよう、ということをしかねないことになるのである。実はココアにほんの少量、塩を入れるとおいしかったりするのだが、それはキンギョの治療とは何の関係もないのである。

3.わたしはキンギョ医者だ(実践)

かくしていかに知識がなかろうが、ノウハウに欠けていようが、ここに無試験でひとりのキンギョ医者が誕生した。あなたは患者(患魚)の前に立つのである。

ここで、あなたは深呼吸する。
自分は医者としてはまったくのヤブかもしれないが、その結果、患魚を死なせてしまうかもしれないが、このキンギョは放っておくと死んでしまうことには代わりはないのだ。うまくいけばめっけもの。そのぐらいのものなのである。
……ああ、自分の患者が人間でなくて、ほんとうに良かった。

病気の名前は間違っていようがどうであろうが、とにかく確定した。
名前がつく。これは実に素晴らしい。
「カラムナリス菌によるエラ病」と名前をつけるだけで、自分が相手にしようとしているものの正体がつかめたわけである。たとえ「カラムナリス菌」がいったいなんであるか、皆目見当がつかなかったとしても、対処のしようが限定されてくる。

そうして、信頼できそうなサイトをみつけ、それに従って治療方針は立てた。
それが効力を発揮するかどうかはまったく定かではないけれど、キンギョの生死は医師としてのあなたの手腕とコミットメントにかかっている。
あなたは新しい段階に踏み出した。

いまやICUとなった水槽を、朝に夕にのぞく日々となる。
いつの間にか、元気にスイスイ泳ぐようになっていればいい。
けれども、そううまくいくときばかりではないのだ。

徐々に元気がなくなる。
塩の、薬の、あるいはココアの甲斐もなく、隅の方でじっとしていたはずのキンギョが、着底し、そのうち、身を保っていられなくなる。水流に身をたゆたわせ、横になってしまう。ときおりあなたの姿を見つけて、なんとか体を起こし、泳ごうとするが、また横になってしまう。やがて体が曲がり、水面近くに横になってしまう。死んだのだろうか。そう思って近づくと、やはりえらをひくひく動かしている。

ことここに至れば、にわかキンギョ医者として、もはやなすすべはない。
キンギョの姿は、自分の無力さの証左のようだ。キンギョに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分がもっと早く気がついてやれば。塩水浴ではなく薬浴を試していれば(あるいはその逆も)。自分はただの素人なのだ、医者の真似などできるわけがない。だが、そうした思いも、所詮は自己憐憫に過ぎず、キンギョの様子は明日をも知れぬものになっている。

あなたはふと考える。キンギョも苦しいのかもしれない。いっそ、楽にしてやったほうがよいのではあるまいか。事実、アメリカのキンギョサイトのなかには、松かさ病になったら、あなたのすべきことは、キンギョを"chop"、すなわちぶったぎって、速やかにラクにしてやることである、と書いてあるところを見たことさえある。

この緩慢な死への道は、意外に長く続く。一週間ほど、あなたはこうした状態のキンギョを見続けることになるかもしれない。

温度の管理も、水質の管理も、もうできることはした。もはや、してやれることもない。
それでも、横になっている場所が見るたびに変わっている。そっと寄ってみると、エラを動かしたり、目玉を動かしたりする。

あなたは胸の内でそっとつぶやく。
がんばれ。
がんばってどうしろと自分が言っているのかも定かではないけれど、限りなく死に近いところにいるのかもしれないけれど、最後までつきあってやろう、とあなたは考える。

そうしてある日、水槽をのぞくと、物体となったキンギョが横たわっている。
これまでのキンギョとは明らかにちがう。命を失った「物」になった元キンギョは、一目でわかる。

あなたはキンギョ飼いとして、最後の勤めをする。

(明日で最終回)

金魚的日常番外編 ――キンギョが病気になった!――

2006-06-02 22:31:47 | weblog
ほかの魚を飼ったことがないので単純に比較はできないのだけれど、金魚は病気になりやすい。「キンギョ飼い」になることを運命づけられた人の圧倒的多数は、以下の三段階を必ず経験することになるだろう。これは、金魚の病気に役に立つ情報を伝えることを目的とした文章ではない。あくまで、「キンギョの病気」という厄介な事態に何度も巻き込まれたその道の先達のひとりとして、この災厄がふりかかってきた同士に対して、「キミだけじゃないんだよ」という、何の役にも立たない激励を送ることを目的とする文章なのである。

1.これは病気ではない(否認)

まず、時間が有り余っているキンギョ飼い、あるいは営利目的、もしくはキンギョを「さん」づけで呼ぶ根っからのキンギョ愛好家ではないあなたは、若干の挙動不審のキンギョが目に留まったしても、まずこう考えるだろう。
「なんでもないよ、たぶん」

キンギョが一匹、ほかから離れてじっとしていたとしても、きっとこいつは孤独な気分を味わいたいのだろう、とか、内省するには、群れから離れる必要があるからな、とか、そろそろこの水槽にも飽きてきて、どこかに出かける計画を温めているのだろう、とか、あるいは憂鬱にとりつかれているのかもしれない、とかと、さまざまな可能性に思いを巡らせてみるのだが、実はそれも、不快な想像をなんとしても避けるためなのである。

「なんでもない」というのは、ほかでもない、あなた自身に言い聞かせているのだ。気にするほどのことはない、明日になれば、群れに戻って、元気に泳ぎ始めるさ。それが証拠に着底(※キンギョが水槽の底におなかをつけた状態。たいてい、病気が進行すると、体を支えるのがしんどくなるのか、キンギョはぺたーっと底のじゃりにお腹をつけた状態になる)していないじゃないか。心配する必要なんてない、だいたいこのクソ忙しいときに、キンギョが病気になるわけがないじゃないか……たぶん。

そう、この「たぶん」、英語で言えば "maybe"、ここに実はあなたの不安な気持ちが篭もっているのだ。

2.これは病気だ(受容)

翌朝、あなたは水槽をのぞいてみる。元気に泳いでいる群れとは別に、すみにじっとしている一匹。
ああ、やっぱり。深いため息が出る。
だが、ここであなたはここで決意を固める。
この瞬間にキンギョは晴れて「病気のキンギョ」になるのである。つまり、キンギョが病気の状態に移行するのは、あなたがキンギョの治療を引き受けることを決意したからなのである。そうでなければ、キンギョは「病気」の状態を経ず、数日のうちに腹を上にして水面に浮くことになるだろう。

ここで役割が分担される。
キンギョは病魚の役割を引き受け、あなたはここでキンギョの医者兼看護士兼薬剤師の役割を引き受けることになる。

かくして医者の第一歩は、観察である。
キンギョは、ちょっと胸がもたれたようで、とか、腹のあたりがカユイ、とか、背びれがキモチワルイとか、最近便秘気味で、なんていうことは決して言ってくれない。仕方がないので、問診なしであなたはキンギョの様子を観察する。目は大丈夫か。ウロコははげてないか。血が滲んだような箇所はないか。尾びれや背びれの縁が溶けたようになってはいないか。白点はないか。

あなたが新米のキンギョ飼いであれば、パソコンは非常にありがたい味方になってくれる。
病気、キンギョ、と検索すれば、たいがい山のように有益なサイトがヒットするからである。たまに「金魚的日常」のように、夏目漱石のことは書いてあっても、どうやって松かさ病を治療したかはちっともわからないサイトがヒットすることもあるが、多くは大変実践的で、役に立つ。

あるいはすでに何度かキンギョの病気に遭遇していれば、あなたはすでに体験的治療手段を持っていることだろう。
というのもその水槽の状態によって、病気というのは一定の傾向を持つのである。従って、多くの「キンギョ医者」たちは、自分の好みの治療法を確立している。しかも市販の薬はたいてい一度購入すれば十年ぐらい持ちそうな量の瓶に入っているものなのである。

人間の薬なら、薬のほかに用意するものといえば、コップに汲んだ水ぐらいですむのだが、相手がすでに水の中に住んでいるキンギョとなると、そうはいかない。薬や塩をそのまま水槽にドボドボと入れるわけにはいかないのである。

(明日につづく)

サイト更新しました

2006-06-01 21:59:54 | weblog
先日まで連載していました「わたしが出会ったミュージシャンたち」を加筆修正してサイトにアップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

冒頭に引いたのは、本の『プー横町にたった家』ではなく、ロギンス&メッシーナの〈プー横町の家〉の1フレーズです。

わたしが買った当時でさえ、かなり前のアルバムだった〈Sittin' In〉を、 この一曲が聞きたいがために中古屋を探し回って買ったのでした。
うーん、微妙に内容とは、ずれてるかもしれません。
ただ、ジョニ・ミッチェルを聴いていたころ、一緒に聴いていたから、つい思い出しちゃった。
ジョニ・ミッチェルの〈A Case of You〉は、〈Blue〉というアルバムに入っています。このアルバムがまたいいアルバムなんです。
ふだんあんまり聴かないけれど、たまに無性に聴きたくなる。ジョニ・ミッチェル、ステキです。

ということで、週明けぐらいから新しい連載を始めたいと思っています。
わたし、週末は忙しいので、ちょっと新しいことを始めるのにはつらいかな、なんて思ってます。
それでもつなぎの記事は考えてあるので、またのぞきに来てみてください。
それじゃ、また。