陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

意見なんて言えるわけがない

2006-06-20 22:43:19 | weblog
高校生の頃、歩道橋の上でいきなりマイクをつきつけられたことがある。カメラを持った人と、マイクを持った人、それにマイクの機材を抱えた人の三人に取り囲まれて、ぎょっとした。

「あなた、高校生だよね、○○についてなんだけどォ、どう思う?」

わたしはその○○という単語をまったく知らなかったためにちゃんと聞き取ることすらできなかったのだけれど、顔の前にマイクを突き出されたうえに、そんななれなれしい口ぶりをされて、そっちのほうに大変頭に来たのだった。
おそらく「わたしがどうしてそういうことに答えなきゃならないんですか」とかなんとか、そんなふうなことを答えたのだと思う。
加えて、自分が不快である、という意思表示をするために、連中をぎろっとにらもうとしたのだけれど、もう三人組はつぎの目標を見つけて走り出し、わたしは眼光を鋭くさせたまま(笑)、そこに取り残されたのだった。

そのときはっきりと覚えているのは、少し離れたところにいた制服姿の女の子が、同じようにマイクをつきつけられて、「それって××じゃないですか~」と答えていたことだ。どうしてそんなふうにいきなり聞かれて、たちどころに答えることができるのだろうか。
聞く-答えるというのは、最低限の信頼関係のないところでは、そんなことしちゃいけないんじゃないだろうか。
わたしが気むずかしいのかもしれない。もっと単純に考えてもいいのかもしれない。それでも、アンケートと称して、さまざまなことを聞いてきたり、あるいは逆に、聞かれたらなんでも答えてしまう人を目の当たりにしたりして、なんだかなぁ、とちょっと考えてしまうのだ。

「○△の事件に対してどう思うか」という質問もよくあるのだけれど、当事者でもない、詳しい事情を知っているわけでもない、表面に現れたことの概略すらも知らないところで、どうして意見が言えるだろう。
さらには「死刑制度についてどう思うか」とか、「憲法改正についてどう考えるか」とかといった、自分の側にある程度の意見をつくるには、最低限の勉強が必要で、しかもそれを簡単に「賛成」だの「反対」だのと言えないはずのことがらでも、平気で聞いてくる人もいる。それを聞いて、いったいどうしようというんだろう、といつもわたしは考えてしまう。
加えて、自分が意見を言ったところで、それがどうなっていくのだろう。
新聞の投書欄にしてもそうなのだけれど、そこへ投書する人は、いったい誰に対して、どういう効果をねらって書いているのかよくわからないことが少なくない。
「電車の中での化粧は見苦しい」と投書したところで、それを読んで、ああ、わたしは化粧なんて見苦しいことをしていたのね、と思う人が出てくるはずがないし、まして文の最後に「心を飾る人になってほしい」なんてことが書いてあったら、「けっ」というリアクション以外、期待することはむずかしいのではあるまいか。

意見を作ることは、簡単ではない。
さまざまな要素が入り交じったことを、単純化して答えを出すことは、少なくとも多くの要素を切り捨てているのだということを知っておいた方がいい。

簡単に聞かない。
簡単に答えない。

少なくとも、わたしはそういう人の話が聞きたい。

明日には「チャールズ」アップしますね。
ということで、それじゃまた。

シャーリー・ジャクスン 「チャールズ」その3.

2006-06-19 21:24:05 | 翻訳
 三週目から四週目のあいだのチャールズには、ある種の改善が見られたようだった。三週目の木曜日の昼ごはんの食卓で、ローリーはぶすっとした顔で報告した。
「チャールズは今日、とってもお利口さんだったから、先生にリンゴをもらったんだ」
「なんですって?」わたしが驚くと、夫も疑わしげな声で重ねた。「あのチャールズが?」
「うん、チャールズ。クレヨンをみんなに配って、それから本を集めたんだ。だから先生も、よくお手伝いできたわね、って」
「いったい何があったのかしら」とても信じられない話だ。
「チャールズは先生のお手伝いをしたんだよ、それだけ」ローリーはそう言って、肩をすくめてみせた。

「あのチャールズがほんとにお手伝いなんてしたのかしら?」
その晩、わたしは夫に聞いてみた。「そんなことが起こるなんてありうるの?」
「まぁ様子を見ることだな」夫は皮肉っぽく言った。「なにしろあのチャールズを相手にしてるんだ。たぶんいまごろ何かの策でも練ってるんだろうよ」

ところが夫はまちがっていたらしい。一週間以上、チャールズは先生のお手伝いを続けたのだ。毎日みんなにものを配り、また集めて回った。もうお残りになる子もいなくなったのだ。
「PTAの集まりが、また来週あるの」ある夜、夫にそう告げた。「そこでチャールズのお母さんを見つけてやるつもり」
「チャールズがどうしちゃったのか聞いといてくれよ。気になってしょうがない」
「わたしだって気になってるのよ」

 その週の金曜日には、事態は元通りになった。
「今日、チャールズがどうしたか知ってる?」ローリーは昼食の席で言い出したのだが、その声はかすかに畏敬の念に打たれたような響きがあった。「チャールズはね、女の子にあることばを言え、って言ったんだ。で、その子がそれを言っちゃったもんだから、先生はその子の口を石けんで洗って、チャールズは大笑いしてたんだよ」
「なにを言わせたんだ?」父親がついうっかりたずねた。
「大きな声じゃ言えないから、こっそり教えてあげる。すっごく悪いことばだからね」

ローリーは椅子からおりて、父親のところまで回った。首を傾ける父親の耳元に、それはそれはうれしそうな顔のローリーがささやいた。父親の目が丸くなる。
「チャールズはそれを女の子に言え、って言ったのかい?」恐れ入った、とでも言いたげな声で父親はたずねた。
「その子は二回も言ったんだよ。チャールズが二回言えって言ったから」
「チャールズはどうなったんだ」
「どうもしない。クレヨンを配ってた」

月曜日の午前中になると、チャールズは女の子を捨てて、そのまがまがしいことばを自分で三、四回も口にし、そのたびに石けんで口を洗われた。チョークも投げた。
夕方、PTAの会合に出かけようとしているわたしに、夫は玄関まで見送りに来た。
「会合が終わったら、家にお茶を飲みに来るよう誘ってくれよ。ひと目、チャールズの母君にお目にかかりたいから」
「会合に来てればいいんだけど」わたしは祈るように言った。
「来るにきまってるさ。チャーリーの母親抜きにどうやってPTAが開けるって言うんだい?」

会合の席でわたしは腰かけてそわそわと、母親らしいゆったりと落ち着いた顔をひとつひとつあらためて、チャールズの秘密を隠し持つ母親を見定めようとした。げっそりとやつれたような顔など見あたらない。会合の中で立ち上がって、息子のやったことを謝ろうとする母親もいない。だれもチャールズの名にふれさえもしないのだ。

会合が終わると、わたしはローリーのクラスの先生を確かめて探しだした。ローリーの先生は紅茶とチョコレートケーキをのせたお盆を持っている。わたしは紅茶とマシュマロ・ケーキをのせたお盆を持っていた。わたしたちはにっこり笑って互いを注意深く水面下で観察しあった。

「先生にはぜひお目にかかりたいと思っておりました」わたしは言った。「ローリーの母です」
「幼稚園ではローリーのことをたいそう興味深いお子さんだと考えております」と先生は言った。
「あの子もほんとうに幼稚園が大好きみたいです。いつも園のことばかり言ってるんです」
「入園して一、二週は、対応にいささか苦慮したこともございました」と先生の口調は妙にしかつめらしい。「でも、いまではちゃんとお手伝いしてくれています。ええ、もちろん、たまには失敗することもありますが」
「ローリーは、ほんとうならとっても順応性のある子なんです。今回は、チャールズくんの影響もあったのではないでしょうか」
「チャールズ?」
「ええ」わたしは笑った。「おそらく先生もチャールズがいるクラスなんて、さぞかし手を焼かれていらっしゃるでしょうね」
「チャールズですって?」先生は言った。「園にはチャールズという子はひとりもおりませんが」


The End


(※近日中に推敲してサイトにアップしますのでお楽しみに。

シャーリー・ジャクスン 「チャールズ」その2.

2006-06-18 21:04:02 | 翻訳
チャールズ その2.

月曜日、ローリーはいつもより遅く、ニュースを詰め込んで戻ってきた。「チャールズがねぇぇ」坂をのぼる途中から声を張り上げている。わたしはやきもきしながら玄関の外の階段まで出て待った。「チャールズったらねぇぇ」ローリーはわめくきながら坂をのぼってくる。「チャールズがまた悪いことしたんだよぉ」
近くまで来るとすぐ「さぁ、お家に入って」と声をかけた。「お昼の用意ができてるわよ」

「チャールズったら、なにしたと思う?」わたしのあとについて玄関に入りながら聞いてくる。「チャールズがね、校舎のなかであんまりわめくもんだから、小学校のほうから一年生の子が来て、幼稚園の先生に、静かにさせてください、って言ったの。だからチャールズはお残りになったんだ。で、ぼくらみんな、チャールズを見張るために、一緒に残ってたんだよ」
「チャールズはどうしてた?」
「すわってただけ」ローリーはそう言うと、食卓の椅子によじのぼった。「よぉ、おやじ、なんだかモップみたいなツラしてるぜ」
「チャールズったら、今日、居残りさせられたんですって」わたしは夫に伝えた。「みんな一緒にいたんですって」
「チャールズってのはどんな子なんだい?」夫がローリーに聞いた。
「ぼくよりデカいんだ。長靴、はいてきたこともないし、上着も着てきたことがない」

 その夜は最初の父母会があったのだけれど、赤ん坊が風邪を引いていたために、わたしは参加することができなかった。チャールズの母親には、何をおいても会っておきたかったのだけれど。

 火曜日になると、ローリーは急にこんなことを言い出した。
「先生には友だちがいてね、その人が今日、幼稚園に来たんだ」
「チャールズのお母さん?」夫とわたしが同時にそう聞いた。
「ぜーんぜんちがう」ローリーは鼻で笑った。「来たのは男の人で、ぼくらに体操を教えに来たんだ。つま先に指をつけなきゃなんなかった」椅子からおりると、身を折ってつま先にさわった。「ほら、こんなふうに」

 まじめくさった顔で椅子にすわりなおすと、フォークを取り上げる。「チャールズは体操もやらなかったんだ」
「あら、それは良かったわね」わたしは心からそう言った。「チャールズは体操をしたくなかったんでしょうよ」
「ぜーんぜんちがう。チャールズがすんげえ生意気だったから、先生の友だちは体操をやらせなかったんだ」
「また生意気だったわけね」
「先生の友だちを蹴っとばしたんだ。その人が、さっきぼくがやったみたいに、つま先に指がつくまで体を曲げてごらん、って言ったら、チャールズが蹴った」
「幼稚園じゃチャールズをどうするつもりなんだろう」父親が聞いた。
ローリーはおとなっぽい仕草で肩をすくめてみせた。「チャールズは追い出されるんじゃないかな」

 水曜日と木曜日もかくのごとく続いた。チャールズはお話の時間のあいだじゅう奇声を発し、男の子のみぞおちに一発くらわせて泣かした。金曜日にはまた居残りの憂き目に遭い、ほかの子供たちも同じように残った。

 幼稚園が始まって三週間もすると、チャールズはわが家の名物になっていた。午後いっぱい泣きわめき続ける赤ん坊は、チャールズになったし、泥を満載したおもちゃのトラックを引いて台所を歩き回るローリーもチャールズということになった。夫でさえも、電話のコードに肘を取られて、電話機を引きずり落とし、テーブルに置いてあった灰皿と花瓶をひっくり返したときに、開口一番「これじゃまるでチャールズだな」と言ったのだった。

(この項続く)

シャーリー・ジャクスン 「チャールズ」その1.

2006-06-17 21:03:38 | 翻訳
今日からシャーリー・ジャクスンの短編「チャールズ」を訳していきます。
「くじ」のジャクスンとはひとあじちがうこの短編、お楽しみください。
短いので、三日くらいで終わると思います。

原文はこちらで。
http://www.speakuponline.it/archivio/01-2004/shortstory.asp

* * *

チャールズ
by シャーリー・ジャクスン



息子のローリーは、幼稚園が始まったその日、胸当てつきのコーデュロイのオーバーオールをきらって、ベルト付きのブルージーンズに初めて足を通した。登園第一日目、ローリーが隣の年上の女の子と出かけていくのを見ていたわたしは、自分の半生が終わってしまったことを、はっきりと理解した。かわいい声の保育園のおちびちゃんは、長ズボンをはいて、角のところで立ち止まってこちらを振り返ってバイバイと手を振ることも忘れた、いばりくさった男に取って代わったのである。

家に帰ってきたときもそんな具合で、表のドアを乱暴に開けると帽子を床に放りだし、突如粗暴化した声音で「ここにはだれもいねえのかよ」とわめいた。昼ご飯を食べるときにも、父親に向かって横着な態度で物を言い、まだ赤ちゃんの妹のミルクをこぼすと、いきなり、みだりに神様の名前を口にしちゃいけないって先生がいった、と言い出した。

「今日、幼稚園はどうだった?」わたしはつとめてさりげなく聞いてみた。
「ふつう」
「何を教わったんだい?」夫がたずねた。
ローリーはそっけなく父親を見返すとこう答えた。「なーんも」
「なにも、よ」わたしは訂正した。「なにも習わなかった、って言うの」
「だけど、先生にぶたれたやつがいた」そう言いながら、ローリーはバターをぬったパンにかぶりつく。「生意気だったんだ」口いっぱいに頬張ったまま、そうつけ足した。
「その子は何をしたの?」わたしがたずねた。「それ、だれなの?」
ローリーは考えていた。「チャールズ、とかいうやつ。生意気だったんだ。だから先生はおしりをぶって、教室の隅に立たせた。そいつすんげえ生意気なの」
「その子、いったい何をしたっていうの?」もういちどわたしは聞いたのだけれど、ローリーは椅子からするりと降りてしまい、クッキーを一枚取ると、父親が「おい、ちょっと待てよ、ぼうず」と言うのも無視して行ってしまった。

翌日のお昼には、食卓に着くが早いか、ローリーは話しはじめた。「あのね、チャールズったら今日も悪かったんだ」ニヤリと歯をむき出すと、続けた。「今日は先生をぶん殴ったよ」
「あらあら……」神様の名前を口にしないよう気をつけながら、わたしは言った。「それじゃまたおしりをぶたれたんでしょうね」
「あったりまえじゃん」ローリーは答えると「上見て」と父親に向かって言った。
「なんだい?」父親は言うとおりにする。
「じゃ、下見て」ローリーは言った。「じゃこんどはぼくの親指、見て。へっへー、おバカさーん」そういうと、バカ笑いを始めた。
「どうしてチャールズは先生を殴るような真似をしたの?」あわててわたしが口を挟む。
「だって先生が赤いクレヨンを使いなさい、って、赤で塗らせようとしたんだ。チャールズは緑で塗りたかったのに。だから先生のおしりをぶん殴って、先生もひっぱたいて、だれもチャールズと遊んじゃ駄目ですよ、って言ったんだよ。だけど、みんな遊んだけどね」

 三日目――第一水曜日だった――、チャールズは女の子の額にシーソーをはねかえらせてぶつけ、血が出るほどのケガをさせたので、先生は休憩時間、外に遊びに行かせなかった。木曜日、チャールズはお話の時間のあいだずっと、教室の隅に立たされていた。床を踏みならすのを止めなかったからだ。金曜日、チャールズはチョークを投げた罰として、黒板を使わせてもらえなかった。

 土曜日になって、わたしは夫に言った。「幼稚園ってローリーにはちょっと向いてないのかもしれないわね? このごろあらっぽくなったし、言葉遣いもめちゃくちゃになってきたでしょ、なんだかチャールズって子の悪い影響を受けてるんじゃないかしら」
「大丈夫さ」わたしを安心させるように夫が答えた。
「世間じゃどこまでいってもチャールズみたいなやつからは逃れられないもんなんだよ。あとになって出くわすより、いっそいまのほうがいいかもしれん」

(この項つづく)

サイト更新しました

2006-06-16 21:45:14 | weblog
先日までここで七回に渡って連載していた「「事実」とはなんだろうか」を加筆・修正したのち、サイトにアップしました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

ブログに書いていたころにはどうしてもうまくつながらなかった「歴史小説」の章を一章、書き足しています。この部分は、以前に書いた「物語をモノガタってみる」と重なり合う点も多いのですが、まぁ力点が多少違うから、いいかな、と思って。

このところ軽めのネタでつないでいたので、久しぶりにヘヴィなものを書いたら、疲れました(笑)。

しばらくはまた軽めなものでいきたいと思っています(笑)。
ということで、それじゃ、また。
サイトの方も、お暇なときにでも読んでみてください。

いまさら書くようなことでもないのだけれど

2006-06-15 22:33:38 | weblog
このブログのタイトルは「陰陽師的日常」という。
これだけだと、陰陽道(おおっと「陰陽道」で一発変換できてびっくり。「おんみょうじ」を変換しようとすると、どうしても「音名字」となってしまい、ATOKの辞書登録が面倒くさいわたしは、何を隠そう自分のハンドルネームを「いんようし」から変換させているのだ。みなさん、どうしていらっしゃいます?)を学んでいる人の日記かな、という感じもするのだが思うのだが、そうではない。

まずハンドルネームに関しては、メールをくださる方の一種のFAQともなっているので、説明しておきます。
そもそも「教えてgoo」というサイトに登録したときに、「ニックネーム」を決めなければならなくて、あたりを見まわして、自分の着ていたTシャツの胸元に目が留まった。そのときに着ていたのが、映画〈ゴーストバスターズ2〉のロゴTシャツだったのである。(※参考画像)http://dvd.cside1.com/jaktdoml/ghos2482.jpg
正確を期すならば、この絵は「マシュマロマン」だったわけで、名乗るならそっちを名乗っても良かったのだけれど、まぁ、映画の最後でどろどろに溶けてしまうマシュマロマンよりは、インチキ臭いビームを出してやっつけるほうがいいかな、と、適当にでっちあげたのである。マシュマロの綴りが "L"がひとつだったかふたつだったか "MA-"のあとに"R"が入るんだったか、よくわからなくなったから、というのも、理由としてはあるかもしれない。
ともかく、パソコンに突如出現したエラー表示の意味を検索していたら、たまたまたどりついたそのサイトがおもしろくて、つい、回答したくなって登録した名前を、かれこれ三年も使っていることになる(最近はあまりやってないけど)。そのTシャツは襟元がよれて、すっかり部屋着になってしまった。

その昔、よく使っていたハンドルは漢字名で、なんとなくそちらの方が好みだったこともあるけれど、「陰陽師」というのはその「ニックネーム」の和訳でもあり、同時に頂き物でもあって、大切に思っていたわけなのだ。で、ブログを始めるに当たって、これをタイトルにしてみた。

「日常」というのは、毎日書くぞ、という決心のあらわれであって(笑)、当初から日記を書くつもりはなかった。たまに穴埋めとして、身辺雑記的なことを書くことがあっても、基本的に、日記はやめておこう、と思った。
翻訳の勉強をしたい、と思っていても、なかなか続かないし、読者がいれば張り合いもある。あとは、本を読んで、ああでもない、こうでもない、と考えたことを「エッセイ」のように書いていけないだろうか、たとえば青山南のように。そんなふうに思ったのである。

ブログの原稿もずいぶん溜まった頃、読みやすいように、と、サイトのひな型を作ってくださった方もあった。そこから、現在の、サイトにまずアップして、そこから手を入れて完成に漕ぎつけて、サイトのほうで一括して読めるようにする、という形式が、そうやってできていった。

もちろんこのやり方だと、どうしてもブログのほうはα版みたいなものになっていく。そういうものを公開することに意味があるのか、という疑問はもちろんあるのだけれど、β版だけをアップしていこうとすると、そんなものはいつまでたっても書けっこないのである(笑)。これは、基本的に大変ものぐさなわたしの性質に由来するものとも言えるが。
だからどうか、そんな下書きみたいなものは読みたくない、と思われた方は、サイトのほうへお越しください。

サイトのほうもそれなりに原稿が溜まってきて、そうでなくても種々雑多なことを書いているあれこれがずいぶん雑然としてしまって、整理が必要なんだけれど、まぁぼちぼちとやっていこうかと思っている。あと、英語のテキストの訳が知りたくて、検索でこのブログに来た人は、ブログのほうは言葉の詰めも甘いし、誤訳はそのままにしてあるので、サイトのほうを参考にした方がいいかな、とも思うけれど、多くは見るだけ見て、礼のひとつも言わない不心得者なので、いちいちそんなことは教えてやらないのだ(笑)。
でも、「複数の学生が同じ間違いを犯していて、それをたどったらそちらのサイトに行き着いた。誤った知識を垂れ流すのはやめてほしい」という学校の先生から抗議のメールがそのうち来るかもしれない、と密かに怯えてもいるのである。

さて、FAQにも答えた。ということで、今日はこれにて。
昨日まで連載していた「「事実」とはなんだろうか」一章分加筆して、明日か、明後日くらいにはアップする予定です。

また遊びに来てください。それじゃ、また。

「事実」とは何だろうか その7.

2006-06-14 21:47:57 | 
7.物語・事実・真実

物語とは何だろうか。

物語とは、「はじめ」と「終わり」で区切られた出来事である。
わたしたちは出来事を、ひとかたまりの「出来事」として認識する。
連続のひとつながりのあれやこれやに「はじめ」と「終わり」という切れ目を入れて取り出すのである。そうしてたいがいこの「はじめ」と「終わり」は「原因」と「結果」として認識されている。

つまり、わたしたちが「出来事」を「出来事」として認識するやりかたは、「物語として認識する」ということなのである。(※参照「物語をモノガタってみる」

「事実」とはなんだろう。
ここでは「実際に起こったことがら」ぐらいに理解することにしよう。
「実際に起こったことがら」を言葉にする人は、その出来事を「はじめ」と「終わり」、言い換えれば「原因」と「結果」を自分の判断で定めて、「出来事」と認識し言葉にする。
ここで「実際に起こったことがら」は物語となる。

さらにそれを記述しようとするとき、もう一段階、虚構化の手続きを経なければならない。
たとえ、それはどれだけ「事実ありのまま」と体験した「わたし」が思ったとしても、二重の段階での虚構化が加えられているのだ。

では、それをなぜわたしたちは小説を読んで、「これは事実にちがいない」と思ったり「事実のはずがない」と思ったりするのだろうか。
「事実」と小説の関係について、石原千秋は『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)のなかでこうまとめている。

リアリズム小説とは、出来事がいかにも現実に起きたように書いてある小説で、目に見えるものだけを「客観的」な「事実」として書く技法によって成り立っている。しかしその実、リアリズム小説は目に見えないもの、すなわち登場人物の「気持ち」を読み取ることを重視した小説でもあるのだ。なぜそうなるのか、説明すればこうなる。

 リアリズム小説の書く「事実」はたしかに「事実」である。しかし、「事実」が人生にとってどういう意味を持つのかは人の「気持ち」が決めることだ(ここで言う「気持ち」とは、少し高級な言い方をすれば「内面」であり、もっと高級な言い方をすれば「自我」である)。「事実」が人生にとって持つ意味こそが「真実」と呼ばれるものである。人間を外側から見たように書くその技法とは裏腹に、目に見えない「気持ち」にこそ「真実」が宿っていると考えるのが、リアリズム小説なのである。ここに、受験小説で「気持ち」ばかりが問われる理由がある。

これは、わたしたちが現実に自分が見聞きしている「事実」を、出来事とする認識のやりかたでもある。
わたしたちは自分が見聞きしたことを、原因と結果を持つ物語として認識する。そうすることで、なにをしようとしているかというと、そこに「目には見えない真実」を見いだそうとしているのである。そうして、その「真実」とは、自分が決めることなのだ。

「人間、所詮、金だ」という人にとっての「真実」とは、「所詮、金」ということである。その人は、自分の「真実」を補強するために、自分の見聞きしたことに「原因」と「結果」という切れ目を入れて、「出来事」として取り出す。

「わたしは小さい頃の不幸な体験によって、人生を大きく狂わされてしまった」という「真実」を持つ人は、それを補強するために、自分の過去に起こったことに「原因」と「結果」という切れ目を入れて、「出来事」として取り出す。

「あの人は自分にとってかけがえのない人だ」という「真実」を持つ人は、その人のかけがえのなさを、自分の過去に起こったことに「原因」と「結果」という切れ目を入れて、「出来事」として取り出す。

本を読んだときも同じようにそのなかに「真実」を見つけようとする。そうして、その「真実」が「現実にあったこと」「小説の外でも真実であること」としたい、という欲望を持つ。
だからこそ、小説を読んだあとに、ああ、あの人はまるで『坊っちゃん』に出てくる「野だいこ」だ、と人に当てはめてみたり、ああ、この情況はまるでハムレットみたいだ、と情況をなぞらえてみたり、あるいは森鴎外を『舞姫』の太田豊太郎と同一視して「あいつは文豪とかいうけど、とんでもないやつだ」と思ったりするのだ。

よく「真実はひとつ」という言い方がある。
だからこそ、逆に『藪の中』のような小説が、小説として成立するのだ。
けれども「真実」が、人の数だけあったら?

だから、わたしたちは話をし、本を読む。自分にとっての「真実」が人にとっての「真実」だと確認したい。あるいは、人の話を聞いて、自分の「真実」の中にある穴を埋めたい。

同じ出来事に直面しても、人はまったく異なる「出来事」としてさまざまなことを書き残す。
山田風太郎の『同日同刻 ――太平洋戦争の一日と終戦の十五日』(文春文庫)を見ると、そのことがよくわかる。

山田は前書きでこのように記す。

私は当時の敵味方の指導者、将軍、兵、民衆の姿を、真実ないし真実と思われる記録だけをもって再現して見たい。しかも、同日、できれば同刻の出来事を対照することによって、戦争の悲劇、運命の怖ろしさ、人間の愚かしさはいっそう明らかに浮かび上がるのではないだろうか。

こうして、さまざまな人の、さまざまな「昭和十六年十二月八日」と、「昭和二十年八月一日-十五日」が描かれていく。
これは、山田風太郎の手による「はじめ」と「終わり」を持つ物語である。
けれども、同時に、わたしたちは、どんな歴史年表を見るより、このさまざまな人によるさまざまな言葉の中に、「歴史の真実」を見る。

わたしたちは「出来事」を物語として理解する。
あの人はどんな人か、あるいは自分はどんな人間か、というのも、物語として理解する。
そうして、この物語にもとづき、虚構化というプロセスを経た小説を、やはり物語として理解するのだ。

この物語は自分ひとりにしか意味がないものではないことを確かめるために、わたしたちは人に保証を求める。「これ、本当でしょう? 事実でしょう?」そうやって、確認しながら、再度、自分の物語を紡いでいくのだ。

『ユリシーズ』について書いていたとき、詩人のエズラ・パウンドは「われわれは言葉に支配されている。法律は言葉で書かれている。そして文学はこれらの言葉を生きた正確なものにしておく唯一の手段である」と断言した。(ジョージ・スタイナー『言語と沈黙』からの孫引き)

「真実」は、いつでも「わたしの真実」だ。
そうして、「わたしの真実」は、「わたし」を物語る。

(この項終わり)

「事実」とは何だろうか その6.

2006-06-13 22:16:03 | 
6.「事実」から隔てられる文章、「事実」に基づく虚構

わたしたちは、見たり、聞いたり、体験したり、その体験を通じて考えたことや感じたことをだれかに聞いてほしくて、それを言葉にし、話したり、書いたりする。

話すときでも、「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」のすべてを言葉にするわけではない。無意識のうちに言わずにすますこともあるし、自分でも気がつかないうちにあることがらを隠すこともある。意識的に、隠してしまうこともある。

さらに、それを文章にしようとしたら、もう一段階のプロセスがある。
「書き言葉」は「話し言葉」とはちがう。一定の「文体」というものを持つ。
だからこそ、文体のストックのなかった明治時代に、二葉亭四迷を初め、多くの作家たちが文体を作り出すための、「産みの苦しみ」を経験したのである(自然主義文学もその過程のなかから生まれた)。

つまり、文章は、先行する文章の模倣しかできないのだ。

ためしにわたしたちが小学校に入って「作文」の授業で書くことを学び始めたときのことを思い出してほしい。句読点の位置を初め、語尾の統一や、あるいは感情のあらわしかた、「きょう、わたしががっこうへいったときに…」といった、行動や経験の扱い方、おびただしい約束事を教わったことを。
文章というのは、そうした約束事の組み合わせで成り立っているのだ。
それが「先行する文章の模倣」であるということだ。

文章は二重の意味で「事実」から隔てられている、きわめて人工的なものなのである。


ところで、コミュニケーションを行うときのわたしたちは、無意識のうちに暗黙のルールに従っている。「このコミュニケーションは、わたしたちにとって意味がある」というルールだ。そうして、意味を持つように、お互いに協力しあっている。
「昨日のサッカー、残念だったね」とあなたが言うと、相手が「その話はしたくない」と答えるようなときですら、あなたは「あなたはわたしのコミュニケーション行為を妨害した」と腹を立てるかわりに、(ああ、この人は、負けたのが悔しくてしょうがないんだな)と判断して、話題を変えるだろう。このように、相手がこのルールに従うことを拒んでいるという明白な確証が得られない限り、わたしたちは、相手もルールに従って、同じゲームをしているのだ、と、判断するようにできている。相手の話は「聞くだけの価値がある」と判断するのだ。

本を読むときも同じである。
わたしたちは「この本は読む価値がある」というルールに従って読んでいる。

本のタイトルも、このルールを補強してくれるものだ。『ローマ帝国衰亡史』というタイトルは、おそらくローマ帝国の最盛期からはじまって、週末にいたることが記されているのだろう、と思うし、『時間の比較社会学』は、おそらくさまざまな社会が、それぞれに「時間」をどんなふうにとらえているかが記されているのだろう、と思う。

ところが小説の場合、何にこの「価値」を求めていったら良いのだろうか。
夏目漱石、トルストイ、ドストエフスキー、フォークナー、いわゆる「文豪」の作品なら「間違いはない」。
けれども、フィリップ・ロスの『ポートノイの不満』はどう考えたらいいんだろう?
カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス 5』は?

このとき、「実際にあったこと」「事実に基づいた」という惹句は、まったくのフィクションには持ち得ない魅力になっていく。

けれども、その反面、「事実にもとづかない」フィクションというのも存在しないのである。

カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』はこんな書き出しで始まる。

 ここにあることは、まあ、大体そのとおり起こった。とにかく戦争の部分はかなりのところまで事実である。当時知りあいだった男のひとりは、自分のものではないティーポットを持っていたかどで実際に銃殺されている。またひとりは、戦争が終ったら殺し屋を雇って怨みのある連中をみんな消してやると実際にいきまいた。その他もろもろ。ここではすべて仮名を用いた。(伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫)

「わたし」が捕虜としてドレスデンに抑留されたこと、そこで連合国による1945年の大空襲に出くわしたこと。そうしてこのような文に続いていく。

 人はふりかえってはいけないとされている。わたしも、二度とふりかえらないつもりだ。
 とにかく、わたしはこの戦争小説を書きあげた。つぎは楽しい小説を書こう。
 これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ。なぜなら作者は塩の柱なのだから。それは、こう始まる――

聞きたまえ――
ビリー・ピルグリムは時間のなかに解き放たれた。

そしてこう終わる――

プーティーウィッ?

このビリー・ピルグリムが巡礼するのは時間、つまり彼は時間旅行者なのだ。

たとえそれがSFの枠組みを用いていようが、あらゆる作品は人間の行動を描いている。現実の人間の行動を模倣している。その意味で、たとえ「ビリー・ピルグリムという時間旅行者」が虚構の産物でも、『スローターハウス5』は「事実に基づく」作品なのである。

(この項つづく:明日最終回、かもしれない)

「事実」とは何だろうか その5.

2006-06-12 22:23:48 | 
5.私小説の元祖を読んでみる

後藤明生の『小説――いかに読み、いかに書くか』(講談社現代新書)では、一章を割いて「事実かフィクションか」というタイトルで、田山花袋の『蒲団』が、従来考えられていたように、必ずしも「事実の告白」ではなかったことが論考されている。

これまで日本の自然主義文学=私小説は、田山花袋の『蒲団』をもって始まると考えられてきた。私小説とは、ここでは「作者=主人公であり、作品は作者の経験のありのままの告白である」ような文学であるとおおざっぱにとらえることにする。

まず、『風俗小説論』のなかで、中村光夫は田山花袋が『蒲団』を書くに至った背景事情を述べた『東京の三十年』から引用しながら、その作品の背景にあった花袋の思想をあきらかにしている。

「丁度其の頃私の頭と体とを深く動かしていたのは、ゲルハルト・ハウプトマンの "Einsame Menschen" であった。フォケラァトの孤独は私の孤独のような気がしていた。それに、家庭に対しても、事業に対しても、今までの型を破壊して、何か新しい路を開かなければならなかった。幸いにして私は外国――殊に欧州の新思想を歪みなりにも多い読書から得ていた。…私も苦しい道を歩きたいと思った。世間に対して戦うと共に自己に対しても勇敢に戦おうと思った。かくして置いたもの、壅蔽して置いたもの、それを打ち明けては自己の精神も破壊されるかと思はれるやうなもの、さういふものをも開いて出して見ようと思った」(「東京の三十年」)
…中略…
「蒲団」を読んで見ても、また右に引いた彼の言葉からも、まず明かなのは、花袋が感動し、模倣したのは、戯曲にかかれたヨハンネスであり、この戯曲を書いたハウプトマンではない、ということです。
「フォケラァトの孤独は私の孤独のような気がしていた」というところから、花袋はこの作中人物を操る作者の手付には眼をとめず、いきなりヨハンネスを実演してしまったのです。その実演がそのまま芝居になると思いこんでしまったのです。

 作者みずから作中人物と化して躍ることで、小説をつくりあげ、併せてそこに作品の真実性の保証をみることに、花袋から田中英光まで一貫した、我国の私小説の背景をなす思想があると思われます。

確かに主人公の年齢、家族構成、勤め先など、発表当時の花袋と重なる部分も多い。
現実に、花袋は岡田ミチヨという内弟子を取っていた、ということもある。
そうして、当時の多くの人々は、作者=主人公時雄と理解し、花袋の勇気ある告白に喝采を送ったのである。

中村は外国文学を誤って理解し、「事実」を「告白」しさえすれば小説になるという「私小説」の源流となった、と批判するのである。

けれども、後藤は『蒲団』の以下のような特徴を指摘する。

(1)新旧世代の分離、断絶を捉えた小説である。
(2)これは、そういう時代背景の上に巧みに仕組まれた三角関係の小説である。
(3)ハウプトマンの『寂しき人々』を、なかなかうまく下敷きにして、「近代化の曙期」明治時代の日本に当てはめた小説である。
(4)中村(※光夫)説では、作者=ヨハンネス(『寂しき人々』)=竹中時雄であり、したがって作者と作中人物との距離が皆無であり、作品全体が作者の「主観的感慨の吐露」ないし、モノローグに終始している、というが、必ずしもそうではない。
(5)この小説における「自然主義」は、二つの意味に解釈できる。一つは、叙事、叙景が、人間の内部(意識)とまったく無関係におこなわれる、という意味での自然描写、および人事の記述である。
(6)もう一つは、「人間獣」のホンネという意味での「自然」である。ただし、このホンネは必ずしも経験された「事実」とは限らない。いわば「可能性」としてのホンネである。したがたがってこれは、素材そのものが事実か否かとは無関係に、「私小説」とはいえない。

とくに、三角関係、つまり、作中の芳子には「同志社大学神学部の学生」である田中秀夫という恋人が、作品の中には登場する。だがしかし、この「田中秀夫」がモデルとなったような実在の人間がいたかどうか、これまで問題となってこなかったことを後藤は指摘するのである。

花袋は「かくして置いたもの、壅蔽して置いたもの、それを打ち明けては自己の精神も破壊されるかと思はれるやうなもの、さういふものをも開いて出して見よう」と言って、『蒲団』を著した。
けれども、この「かくして置いたもの、壅蔽して置いたもの」が、そのまま花袋の「事実」であったとはいえないのだ。

後藤の主張は、「『蒲団』は必ずしも経験された事実そのままに描いたものではない」ということである。

『蒲団』にはこのような部分がある。

 中根坂を上って、士官学校の裏門から佐内坂の上まで来た頃は、日はもうとっぷりと暮れた。白地の浴衣がぞろぞろと通る。煙草屋の前に若い細君が出ている。氷屋の暖簾が涼しそうに夕風に靡く。時雄はこの夏の夜景を朧げに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭をついたり、職工体の男に、「酔漢奴! しっかり歩け!」と罵られたりした。急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞としていた。大きい古い欅の樹と松の樹とが蔽い冠さって、左の隅に珊瑚樹の大きいのが繁っていた。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如その珊瑚樹の蔭に身を躱して、その根本の地上に身を横えた。興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬の念に駆られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。

 初めて恋するような熱烈な情は無論なかった。盲目にその運命に従うと謂うよりは、寧ろ冷かにその運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とが絡り合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。

 悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥に秘んでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落、この自然の底に蟠れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚い情ないものはない。
 汪然として涙は時雄の鬚面を伝った。

中村光夫はこの場面をこのように指摘する。

 おそらく『蒲団』のなかの一番見事な描写は、愛弟子の恋人の情況を知つた時雄が泥酔して芳子の仮寓を訪ねるあたりですが、その途中の神社で泥まみれに寝転んで泣く場面にたつた一行、「汪然として涙は時雄の鬚面を伝つた。」といふ、作者が主人公の滑稽をいしきしかけたかと思はれるやうな章句があります。
 しかしこの元来他人の登場しない独白小説で、「髭面を伝ふ涙」は作者自身の笑ひすらよびさまさず、逆にこの言葉の象徴する時雄の甘えた自意識は、そのまま誰の手も触れられずに終わります。
 この主人公が実生活に演じた事件の滑稽さがまつたく作者の眼を逃れて、喜劇の材料が無理押しに悲劇的独白で表現されたところに、我国の私小説が誕生したのです。

だが、もういちど『蒲団』を読み返してみると、「実生活に演じた事件の滑稽さがまつたく作者の眼を逃れて」いるとまで言い切れるのだろうか。

現実に花袋がこのように泥酔して愛弟子の仮寓を訪ねたかどうかはここではひとまず置く。
わたしが指摘したいのは、たとえば「電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭をついたり、職工体の男に、「酔漢奴! しっかり歩け!」と罵られたり」している主人公を見ている外部の視点がなければ、このような描写はできない。
あるいは「汪然として涙は時雄の鬚面を伝った。」の一文にしても、「髭面」という一語によって、そこはかとないおかしみを感じてしまう。

ここでわたしが指摘したいのは、「自分のことを自分で書くくらい間違いのないことはない。事実である以上、嘘があるわけはないという考え方です」と中村は言うのだけれど、「自分のことを自分で書く」時点で、すでに「他者の視点」は入ってきてしまう、ということなのである。

少なくとも、文章は、話し言葉とはちがう。
「あのね、つまりね、え、と、だからね」
書き言葉をどれだけ話し言葉に近づけようとしても、そこで完全な再現をすることはできない。

さらに、出来事を「言葉」にして再現しようと思えば、話し言葉を書き言葉に変換するより、さらに編集されることが必要なのである。

ためしに自分の感情を書いてみよう。
胸がもやもやする。この状態に、まず「もやもや」という言葉をあてはめる。
この「もやもや」はどこからくるのだろう。いったいなぜなんだろう。記憶をひもとく。この胸の内にある感情が「不安」なのだ、ということにたどりつくまで、わたしたちは自分がこれまでに見たり聞いたり体験したりしたことを頭の中で再現しなければならない。自分以外の登場人物がいれば、その人間の行動の背景を推理することもやってみる。そうか。こういうことがあったから、自分はあの人からこんなふうに思われているのではないか、と思って、いまこんなふうに気持ちが「もやもや」しているのだ、ああ、わたしは不安なのだ。そうしたのちに、初めて「わたしは不安だ」という文章が書ける。

こう考えると、「事実」というのがどこまで「事実」であるといえるのか、いよいよわからなくなってくるのだ。

「作者に起こったありのまま」を「告白」したはずの私小説でさえ、情景描写があり、他者の眼が導入されている。そんなものは、本来の「私」の経験ではありえない。一種の「虚構化」がおこなわれているのだ。そうして、この「虚構化」は、書くこと本来が不可避的に持っていることなのではないのだろうか。

(この項つづく)

「事実」とはなんだろうか その4.

2006-06-10 22:10:48 | 
4.私小説は「事実」の小説か?

昨日簡単にみてきたトルーマン・カポーティの『冷血』のおもしろさは、

1.実際に起こった事件をもとにしていること
2.それを巧みな手際で処理されていること

この二点にまとめることができる。
とくにこの「実際に起こった事件」にもとづいている、という保証は、普通のフィクションには持ち得ない魅力である。

けれども、たいていのフィクションは、実際に起こったできごとをもとにしている、とも言えるのである。山田風太郎が『牢屋の坊ちゃん』のなかで引用した漱石の『坊ちゃん』の部分、あれはおそらく漱石が目撃し、記憶に留めたできごとだろう。

けれども、わたしたちはその部分を「事実に基づく」とはあまり考えない。おそらく漱石が現実に経験した出来事の少なからぬものが、『坊ちゃん』初め多くの作品に挿入され、あるいは描写されているはずだ。けれどもわたしたちは『道草』などの一部の例外を除いては、その作品を「漱石が遭遇した出来事」あるいは「事実」を描いた作品とは見なさない。それはなぜだろうか?

『それから』に書かれたことに有り得べからざることはない。出てくる人も皆人間である。しかし何処かつくられた感じがする。之を譬えるに自分は運河を持って来たい。運河も自然の法則に従っている。しかし人間の作ったものだ。何処から何処まで人間の考でつくられている。作者は『それから』を書く時、すべて書くことを意識していたにちがいない。……余りに用意がゆきとどいている結果、何処となく作ったものと云う感じを与える。之は『それから』に於ける技巧上の唯一の不注意と思う。
(武者小路実篤『「それから」に就て』)

武者小路実篤は、漱石の作品は「作ったもの」を感じさせる、すなわち「事実」が「虚構化」されている、と指摘する。さらにそれを「不注意」と言っているのだ。
ここにあるのは明らかに、「事実」を「虚構」の上に置こうとする考え方である。

わたしがこの武者小路の一文を知ったのは、中村光夫『明治・大正・昭和』(岩波同時代ライブラリー)のなかでだった。ここで中村光夫は日本では小説はこのように読まれてきた、と指摘する。

たとえば武者小路さんの小説を読めば、武者さんが、ほんとにこういうことをしたんだなと思って読むし、志賀さんの小説を読めば、志賀直哉の生活はこうだったんだなと、そんなふうに考えて、そういうところに感動したり、反撥したりする。これが我国の私小説の鑑賞法であります。

これは考えてみますと、小説というものの定義に反する小説です。小説というものは、古今東西、いつ見ましても、ある仮構の物語を作者が書いて、したがってその中に描いている生活と作者自身の生活は別ものである、ということが暗々裡に前提とされているわけでありますけれども、そういう小説の前提をこわした小説、それが日本の私小説だということになります。

そうして、そこから中村の論は、私小説批判、具体的にはその「皮切り」である田山花袋の『蒲団』批判へと続いていく。

だがこの中村の論を押し進めていくと、小説は虚構を扱うものであったはずが、日本では自然主義文学などというものが起こったために、作家の「事実」を扱うものに変質していった、ということになる。

だが、『蒲団』は果たして「私をそのまま作品の前面に押し出して、私の考えたこと、したことを嘘を混えずに書」いたものだったのだろうか。

明日はこの、日本の私小説の元祖、田山花袋の『蒲団』を読んでみよう。
いや、バカにせずに一度読んでみてください。わたしも長いこと「けっ」と思ってたんだけど、実際に読んでみたら意外におもしろくてちょっと驚いた(期待せずに読んだら、という注釈がいるかもしれませんが)。

(この項つづく)