陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

あなたを何と呼びましょう?

2006-06-22 22:22:42 | weblog
いまの小学校は、男の子も女の子も等しく「名字+さん」づけで呼ぶらしい。だから、子供が家に帰って「~さん」と話しているので、親はてっきり女の子だと思っていたら、男の子で驚いた、などという話を、しばらくまえからずいぶん聞いた。これもいわゆる「ジェンダーフリー」なのだそうだけれど、男の子を「君」づけで呼ぶことに何の問題があるのか、わたしにはよくわからない。

もちろん、人に対する呼びかけというのは、両者が置かれた関係に拘束されるのは言うまでもないのだけれど、逆に、その人との関わりを決めてしまう場合もある。

たとえば、英会話スクールなどに行くと、非常に多くの場合、講師が
"Hi, I'm John. What's your name?"
といきなり自己紹介してくるので、こちらも
"My name is Kinnosuke Natsume."
とでも答えようものなら、その瞬間から「John-金之助」と呼び合う関係になる。
それは、先生-生徒の関係ではなく、ひとりの人間対ひとりの人間という関係を求めている、という側面ばかりでなく、一気に距離を縮めたい、という思惑もあるのだ。

以前、アメリカにいるときに病院に行ったことがあるのだが、診察を受ける前に、やはり同じように
"Hi, I'm John."
と自己紹介され、それからカルテを見て、わたしの名前を確認すると
"* * , what's the matter?"(* *、どうしたの?)
とやおら聞かれたのには、ちょっと面食らった。
相手と対等の立場に立ちたい、相手との距離を縮めたい、と思ったときに、ファーストネームで呼びかけることは、アメリカ人にとっての一番手っ取り早い方法なのかもしれない。

逆に、日本人がどうしても"Mr."や"Mrs."をつけて呼びたがるのを、英会話教室の講師が訂正する場面もよく目にした。
手紙の書き出しで、"Dear Mr.Pitt"と書いてきた生徒に対し、「これではあなたが友だちになりたくないみたいだ」と言うのも聞いたことがある。ただしその相手は映画スターで、その生徒はファンレターの添削を頼んでいたのだけれど。「友だちになりたくないみたい」と言われた生徒の方も、ずいぶんとまどったことだろう。

ただし、ここでわざわざ「アメリカ人」と断ったのは、ほかのヨーロッパ人まで等しくそういえるのかどうかよくわからなかったからだ。
生徒のことを同じようにファーストネームで呼ぶイギリス人講師は、それでも、生徒が年配であった場合は、Mr.や Madame の敬称に、姓の方で呼んでいたし、彼は「アメリカ人のフランクさっていうのは、イギリス人でもちょっと、って思うもの」と言っていた。
あるいは、わたしが教わったアイルランド人は、生徒はすべて敬称付きの名字で呼んでいた。それが高校生のわたしに対しても、だ。

結局は、その人の考え方しだい、というところなのかもしれない。

ただ、英語の場合は、ファーストネームで呼ぶか、ファミリーネームで呼ぶか、はたまた愛称で呼ぶか、ぐらいしかないのが厄介なところでもある。
敬称なしのファミリーネームとなると、ニュアンスはまったく変わってくる。
エド・マクベインの87分署シリーズでも出てくるのだけれど、容疑者の取り調べの最中に、最初はファーストネームで親しげに呼びかけ、途中から敬称抜きのファミリーネームに切り換える、それは一種の威嚇になっていくのだ。威嚇、あるいは叱責、親が子に「ジミー・ブラウン、いったいそれはどういうこと」と、フルネームで呼んだりするのも、根本にあるのは同じ思想だろう。

日本語の場合、夏目様、夏目先生、夏目さん、夏目君、なっちゃん、金之助さん、金之助君、金さん、金ちゃん、金どん、金、まだまだいくらでもヴァリエーションが広がりそうだけれど、相手との関係、場、心的距離感、といったさまざまな場面に応じて、いろんな呼びかけが可能だ。ある場では「先生」と呼び、別の場では「夏目さん」と呼ぶような場合も少なくない。

以前、自分より年上の人に教える機会があって、そのときはちょっとこまった。
わたしはどうも運動もしないクセに、そういうところだけ体育会気質というか、年長者に対しては、敬語とまではいかないにしても、丁寧語でしゃべってしまうところがある。学生時代、浪人していて、同じ学年でも自分より年長の人がいたのだけれど、どうしても丁寧語しか使えなかったぐらいなのだ。
名字プラスさんづけで、敬語でしゃべってしまうと、実際教えてるんだか、教えてないんだか、さらに間違った部分の指摘など、何を言っているのか自分でもよくわからなくなってくるのだ(これはほんとです、一度ためしにやってみてください)。

そんなに疲れることは、しばらくはちょっと勘弁してほしいのだけれど、いまのところ、敬意と、親しみのこもった呼びかけというのは、どんなふうにしていったらいいかなぁ、もうちょっと個性的な呼びかけをしてみたいなぁ、などということを考えたりもしている。