陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「チャールズ」その3.

2006-06-19 21:24:05 | 翻訳
 三週目から四週目のあいだのチャールズには、ある種の改善が見られたようだった。三週目の木曜日の昼ごはんの食卓で、ローリーはぶすっとした顔で報告した。
「チャールズは今日、とってもお利口さんだったから、先生にリンゴをもらったんだ」
「なんですって?」わたしが驚くと、夫も疑わしげな声で重ねた。「あのチャールズが?」
「うん、チャールズ。クレヨンをみんなに配って、それから本を集めたんだ。だから先生も、よくお手伝いできたわね、って」
「いったい何があったのかしら」とても信じられない話だ。
「チャールズは先生のお手伝いをしたんだよ、それだけ」ローリーはそう言って、肩をすくめてみせた。

「あのチャールズがほんとにお手伝いなんてしたのかしら?」
その晩、わたしは夫に聞いてみた。「そんなことが起こるなんてありうるの?」
「まぁ様子を見ることだな」夫は皮肉っぽく言った。「なにしろあのチャールズを相手にしてるんだ。たぶんいまごろ何かの策でも練ってるんだろうよ」

ところが夫はまちがっていたらしい。一週間以上、チャールズは先生のお手伝いを続けたのだ。毎日みんなにものを配り、また集めて回った。もうお残りになる子もいなくなったのだ。
「PTAの集まりが、また来週あるの」ある夜、夫にそう告げた。「そこでチャールズのお母さんを見つけてやるつもり」
「チャールズがどうしちゃったのか聞いといてくれよ。気になってしょうがない」
「わたしだって気になってるのよ」

 その週の金曜日には、事態は元通りになった。
「今日、チャールズがどうしたか知ってる?」ローリーは昼食の席で言い出したのだが、その声はかすかに畏敬の念に打たれたような響きがあった。「チャールズはね、女の子にあることばを言え、って言ったんだ。で、その子がそれを言っちゃったもんだから、先生はその子の口を石けんで洗って、チャールズは大笑いしてたんだよ」
「なにを言わせたんだ?」父親がついうっかりたずねた。
「大きな声じゃ言えないから、こっそり教えてあげる。すっごく悪いことばだからね」

ローリーは椅子からおりて、父親のところまで回った。首を傾ける父親の耳元に、それはそれはうれしそうな顔のローリーがささやいた。父親の目が丸くなる。
「チャールズはそれを女の子に言え、って言ったのかい?」恐れ入った、とでも言いたげな声で父親はたずねた。
「その子は二回も言ったんだよ。チャールズが二回言えって言ったから」
「チャールズはどうなったんだ」
「どうもしない。クレヨンを配ってた」

月曜日の午前中になると、チャールズは女の子を捨てて、そのまがまがしいことばを自分で三、四回も口にし、そのたびに石けんで口を洗われた。チョークも投げた。
夕方、PTAの会合に出かけようとしているわたしに、夫は玄関まで見送りに来た。
「会合が終わったら、家にお茶を飲みに来るよう誘ってくれよ。ひと目、チャールズの母君にお目にかかりたいから」
「会合に来てればいいんだけど」わたしは祈るように言った。
「来るにきまってるさ。チャーリーの母親抜きにどうやってPTAが開けるって言うんだい?」

会合の席でわたしは腰かけてそわそわと、母親らしいゆったりと落ち着いた顔をひとつひとつあらためて、チャールズの秘密を隠し持つ母親を見定めようとした。げっそりとやつれたような顔など見あたらない。会合の中で立ち上がって、息子のやったことを謝ろうとする母親もいない。だれもチャールズの名にふれさえもしないのだ。

会合が終わると、わたしはローリーのクラスの先生を確かめて探しだした。ローリーの先生は紅茶とチョコレートケーキをのせたお盆を持っている。わたしは紅茶とマシュマロ・ケーキをのせたお盆を持っていた。わたしたちはにっこり笑って互いを注意深く水面下で観察しあった。

「先生にはぜひお目にかかりたいと思っておりました」わたしは言った。「ローリーの母です」
「幼稚園ではローリーのことをたいそう興味深いお子さんだと考えております」と先生は言った。
「あの子もほんとうに幼稚園が大好きみたいです。いつも園のことばかり言ってるんです」
「入園して一、二週は、対応にいささか苦慮したこともございました」と先生の口調は妙にしかつめらしい。「でも、いまではちゃんとお手伝いしてくれています。ええ、もちろん、たまには失敗することもありますが」
「ローリーは、ほんとうならとっても順応性のある子なんです。今回は、チャールズくんの影響もあったのではないでしょうか」
「チャールズ?」
「ええ」わたしは笑った。「おそらく先生もチャールズがいるクラスなんて、さぞかし手を焼かれていらっしゃるでしょうね」
「チャールズですって?」先生は言った。「園にはチャールズという子はひとりもおりませんが」


The End


(※近日中に推敲してサイトにアップしますのでお楽しみに。