陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

金魚的日常番外編 ――キンギョが病気になった!――その3.

2006-06-04 21:34:02 | weblog
4.喪の儀式

あなたはキンギョの亡骸を前にして考える。死体の始末に頭を悩ませる推理作家のごとく、やはり亡骸の処分は悩ましい問題である。

以前、アメリカのドラマを見ていて、死んだキンギョを水槽の水ごとトイレに流して「バイバ~イ」と言っているシーンがでてきて驚いたことがある。もちろんドラマで現実とはちがうとはいえ、ストーリーとは直接関係ない場面であっただけに、アメリカの多くの家庭ではこういうものなのかもしれないと印象に残ったのだった。

大きさの問題もある。一般に、わたしたちは、ある程度大きい生き物の方が感情移入しやすいものだ。キンギョにしても、体長3cmのキンギョと、体長20cmのキンギョでは、喪失感もちがう。実際、体長20cmとなると、共に過ごした期間も長く、たとえ顔を合わせても鳴きもしなければ、芸も見せてくれないキンギョであっても、それなりに情も移っている。いくらアメリカ人といえども、20cmを超えるキンギョは、トイレに流しはしないのではあるまいか。

あるいは、あなたが庭付きの家に住んでいるか、集合住宅に住んでいるか、ということも、考慮すべき大きな要素となる。庭さえあれば、片隅に深めの穴を掘って、そこに埋葬してやることも簡単だけれど、集合住宅の上の方に住んでいれば、そのようなことができる土地も所有していない。そうなると、遺体の処分は、他人の土地(多くは公園など)への非合法な埋葬か、ゴミとして出すか、あるいは自宅でなんとか焼却してやるか、はたまたアメリカ人のようにトイレへ流すしかない。

あなたは家にあったマッチ箱を空にし、腹を上にして浮いている、かつてはキンギョだったものをそっと掬って、ティッシュにくるみ、マッチ箱の棺に入れてやる。そうして、子供が家に帰った時間をねらって、スコップを持って公園に行き、隅に立っているサルスベリの木の根元に深い穴を掘って埋めてやるのだ。キンギョと過ごした日々を思い出しながら。

「短いあいだだったけれど、キミと一緒に暮らすことができて、楽しかったよ。ウチに来てくれて、どうもありがとう」
あなたの喪の作業は、土を元に戻して完了する。
サルスベリが咲いたとき、あなたはここにキンギョを埋めたことを思い出すだろう。
そうして、サルスベリが咲くたびに、台所の棚に臨時のICUをつくって、毎日のぞいていたことや、徐々に動きを失っていくキンギョを看取った日々のことを思い出すだろう。


そのうち、あなたは職場の同僚がソワソワしているのに気がつく。
「どうしたの?」と聞いてみると、同僚は、子供がキンギョ掬いでもらってきたキンギョが、元気がないのだ、という。死なせたら子供がかわいそうで、いろいろ調べてるんだけど……。
あなたは突如、専門家口調でこう話し出す。
「ああ、それはね、掬ってきたキンギョって、最初はそんなふうになりやすいの。エアレーションはどうしてる?」



付け足し:少しは役に立つことも……。

わたしがキンギョが病気になると参考にさせていただいているのは、かんたんな金魚の飼い方というサイトです。

あとは、偏屈の洞窟の「金魚・淡水魚の飼育」では、延々とキンギョの水カビ病と闘っていらっしゃる、不屈のサイトと言えるでしょう。病気になって苦労するようになってくると、ああ、ここにわたしよりもっと苦労している人がいるんだとうれしくなる、という効果もあったりします。

(この項終わり)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿