陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

金魚的日常番外編 ――キンギョが病気になった!――その2.

2006-06-03 22:37:55 | weblog
この文章を書くために、ためしに「金魚、塩水浴」で検索してみると、グーグルでは11,300件がヒットする。考えてみればものすごい数ではあるまいか。キンギョはともかく、「塩水浴」など、病気のキンギョを抱えたキンギョ飼い以外には、何の役にも立たない情報である。
さらに塩水浴よりいっそうマイナーな「ココア浴」で検索しても、1,330件もヒットするのである。おそらくこの記事をお読みの方のなかにも、「ココア浴」なるものを初めて目にされた方も少なくないのではないか。
そうです。あの、数年前、体に良い、と某番組で紹介され、店頭から姿を消した、あの、牛乳で作るココア、そのココア(もちろん牛乳も砂糖も加えていない、純生ココアの粉末)をキンギョの水槽に投入するという治療法なのである。
さらには「金魚、病気」というさらに一般的な検索子を使ってみると、驚くなかれ、579,000件がヒットするのである。ためしに「レッド・ツェッペリン」だけで検索してもヒット数は551,000件で、「キンギョ、病気」に負けているのである。がんばれ、ツェップ!

それはともかく、googleの検索から明らかになることは

1.日本ではキンギョの飼育を行っている人が相当数存在する。
2.病気のキンギョを飼育した経験を持つキンギョ飼いが相当数存在する。
3.病気を経験したキンギョ飼いたちは、仲間意識と連帯の気持ちにあふれ、知識と経験の共有に余念がない。

ということであろう。

実際、どのサイトにも塩の濃度から、はかり方、水槽の推量にいたるまで、微に入り細をうがつ説明がある。だが、問題は、それぞれが微妙にちがうのである。塩水浴よりも薬浴をすすめる人もいれば、薬浴はキンギョに負担がかかる、という人もいる。塩水浴の根拠も、浸透圧に求める人もいれば、殺菌に求める人も、キンギョの代謝能力を高めることに求める人もいる。あるいはイソジン浴を勧める人、ココア欲を勧める人、それぞれに説得力を持ち、自説を展開している。

あれこれサイトを見れば見るほど、あなたは混乱し、迷いは深くなる。

キンギョの病気のノウハウを持たないあなたは、ここで途方に暮れる。
けれども、そのときは腹を決めるのである。
その根拠はなんでもいい、そのサイトに載っているキンギョの症状と、あなたのキンギョの症状が近いような気がする、でもいいし、サイトの書き手の説得力ある書きぶりが信頼がおける、でもいい、掲示板に書き込んだら、親切に教えてくれた、でもいいし、単にサイトのレイアウトが好みだった、でもいい、とにかくひとつのやりかたに絞る。あそこのやりかたをちょっと、こちらのやり方をちょっと、ということは、つまりは、塩水浴とココア浴、どちらも効果がありそうだから、両方入れてみよう、ということをしかねないことになるのである。実はココアにほんの少量、塩を入れるとおいしかったりするのだが、それはキンギョの治療とは何の関係もないのである。

3.わたしはキンギョ医者だ(実践)

かくしていかに知識がなかろうが、ノウハウに欠けていようが、ここに無試験でひとりのキンギョ医者が誕生した。あなたは患者(患魚)の前に立つのである。

ここで、あなたは深呼吸する。
自分は医者としてはまったくのヤブかもしれないが、その結果、患魚を死なせてしまうかもしれないが、このキンギョは放っておくと死んでしまうことには代わりはないのだ。うまくいけばめっけもの。そのぐらいのものなのである。
……ああ、自分の患者が人間でなくて、ほんとうに良かった。

病気の名前は間違っていようがどうであろうが、とにかく確定した。
名前がつく。これは実に素晴らしい。
「カラムナリス菌によるエラ病」と名前をつけるだけで、自分が相手にしようとしているものの正体がつかめたわけである。たとえ「カラムナリス菌」がいったいなんであるか、皆目見当がつかなかったとしても、対処のしようが限定されてくる。

そうして、信頼できそうなサイトをみつけ、それに従って治療方針は立てた。
それが効力を発揮するかどうかはまったく定かではないけれど、キンギョの生死は医師としてのあなたの手腕とコミットメントにかかっている。
あなたは新しい段階に踏み出した。

いまやICUとなった水槽を、朝に夕にのぞく日々となる。
いつの間にか、元気にスイスイ泳ぐようになっていればいい。
けれども、そううまくいくときばかりではないのだ。

徐々に元気がなくなる。
塩の、薬の、あるいはココアの甲斐もなく、隅の方でじっとしていたはずのキンギョが、着底し、そのうち、身を保っていられなくなる。水流に身をたゆたわせ、横になってしまう。ときおりあなたの姿を見つけて、なんとか体を起こし、泳ごうとするが、また横になってしまう。やがて体が曲がり、水面近くに横になってしまう。死んだのだろうか。そう思って近づくと、やはりえらをひくひく動かしている。

ことここに至れば、にわかキンギョ医者として、もはやなすすべはない。
キンギョの姿は、自分の無力さの証左のようだ。キンギョに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分がもっと早く気がついてやれば。塩水浴ではなく薬浴を試していれば(あるいはその逆も)。自分はただの素人なのだ、医者の真似などできるわけがない。だが、そうした思いも、所詮は自己憐憫に過ぎず、キンギョの様子は明日をも知れぬものになっている。

あなたはふと考える。キンギョも苦しいのかもしれない。いっそ、楽にしてやったほうがよいのではあるまいか。事実、アメリカのキンギョサイトのなかには、松かさ病になったら、あなたのすべきことは、キンギョを"chop"、すなわちぶったぎって、速やかにラクにしてやることである、と書いてあるところを見たことさえある。

この緩慢な死への道は、意外に長く続く。一週間ほど、あなたはこうした状態のキンギョを見続けることになるかもしれない。

温度の管理も、水質の管理も、もうできることはした。もはや、してやれることもない。
それでも、横になっている場所が見るたびに変わっている。そっと寄ってみると、エラを動かしたり、目玉を動かしたりする。

あなたは胸の内でそっとつぶやく。
がんばれ。
がんばってどうしろと自分が言っているのかも定かではないけれど、限りなく死に近いところにいるのかもしれないけれど、最後までつきあってやろう、とあなたは考える。

そうしてある日、水槽をのぞくと、物体となったキンギョが横たわっている。
これまでのキンギョとは明らかにちがう。命を失った「物」になった元キンギョは、一目でわかる。

あなたはキンギョ飼いとして、最後の勤めをする。

(明日で最終回)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿