陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ 買い物ブギ その1.

2005-09-26 21:37:19 | weblog
買い物ブギ その1.

―だってわたしたちは物質的な世界に生きているのだから(マドンナ)―

 知人何人かで話をしていたとき、こういった女性がいた。
「百均に行くとね、いつも使うのは千円までって決めてるんだけど、それでも、わー、十個もものが買えるんだって思うと、うれしくなってくるの」

 巷に百均がどっとあふれだしたころに聞いた話だから、すでにもう五年ぐらい前になると思うのだけれど、これを聞いてなるほどなぁと思ったことがいまだに忘れられない。

 この言葉は買い物という行為の楽しみが、「ほしいものを手に入れる」ということではないことをよく表している。
 売り場であれかこれか迷い、選択し、それを持っていってレジでお金を払う。その一連のプロセスが楽しいのだ。選ばれたものは、もちろん「百円でこんな(いい)ものが手に入った」という意味づけもされるのだろうけれど、それ自身の価値など、多くは二義的なものだ。結局は、実際には必要のないものを、「あれかこれか」と選択することが楽しいのだろう。

 一方、食料品や洗剤や石けんなどの日用品を買うことは、まったく楽しいことではない。そこには選択の余地がきわめて限られているし、必ず何かを買わなければならない。
 肉にしようか、魚にしようか、大根にするかキャベツにするか、ティッシュペーパーはネピアがいいか、クリネックスにするか、はたまたスコッティにしようか、迷ったところで知れている。所詮は生活に必要なものを買わなければならない、一種の「買い出し」にほかならない。

 わたしにとって、百均はあくまでも焼けこげてしまった菜箸とか、シンクを洗うタワシを買い替えに行く場所、スーパーよりもちょっと安い日用品を買いに行く場所で、たとえ千円が百円でも当面必要のないものを買う気にはならないのだが、百均がはやるのも、ちょっと小洒落た雑貨屋がはやるのも、あるいは郊外のホームセンターや大規模なショッピングモールが、一家総出ででかける休みの日の娯楽となりうるのも、「買い出し」ではなく、「さしあたって必要のないものを、選択し、いかに自分に必要と意味づけることができるかを考えて楽しむ」という意味で、娯楽であり、アソビなのだろうと思う。

 わたしが心躍らせる買い物というと、それはもちろん本を買うことであり、CDを買うことであり、画材を含む文房具を買うことだ。そういう店に行けば、足を踏み入れただけでワクワクしてしまうし、そこの品揃えが自分の好みに近ければ、もう嬉しくてたまらくなって、自然と顔がほころんでしまう(その昔、アメリカの本屋に入ると、店にいる人が、書店員といわず、ほかの客といわず、みんなわたしに笑いかけてくれるのが不思議でしょうがなかった。いったいなんでだろう、と思っていたら、一緒に行った子が「それはアナタがニコニコしてるからよ」と教えてくれた。アメリカ人というのは、笑いかけられたら、笑い返してくれるfriendlyな人々なのだという。わたしはただ本屋に好きな本がたくさんあったのがうれしくて相好を崩していただけなのに……。おそらく日本でも同じ顔をしているにちがいないのだが、笑い返してもらった経験はないなぁ…。えっ?気持ちワルイって? 誰? そんなこと言うのは)。

 必ずしも買わなくてもいい。本は見つけたときに買わないと、あっという間に店頭から消えてしまう今日この頃なので、ほとんどの場合、買ってしまうのだけれど、それ以外のものは、あー、これいいな、ほしいな、と思っても、だいたい一ヶ月くらいは冷却期間を置くことにしている。ほとんど毎週のように見に行き(笑)、まだほしいか自問自答しながら、覚悟を決めて買う。この期間は何とも言えず、楽しい。そうやって手に入れたものは、心ゆくまで味わい尽くしたくなる。こういう買い物は、やはり至福のひとときだ。

 学生の頃だ。当時つきあっていた彼氏と本屋で待ち合わせをしていた。待ち合わせの時間には昔から妙に神経質だったわたしは、本屋ということもあって、少し早めに出かけていった。ふと書棚を見ると、ずっと探していた本があった。古本屋を相当探さなければ見つからないのではないか、と思っていた、売れ筋でもなければ新しくもない本である。いまのようにWeb上の古書サイトを検索して本を探す、などということが考えられなかったころの話である。わたしは「これは、買わなければ!」と思った。安くはない本だったが、幸い、余分にお金も持っていた(だってデートだったんだもん)。そうして、急いでレジに向かい、お金を払うと「これは、読まなければ!」と一目散に走って帰っていった。
 
 寮の自室で一心不乱に読んでいたところ、ドアをノックする音がする。もうじゃまくさいなー、と思って出てみると、上級生が「電話だよ、アンタ、呼んでも全然下りて来ないから、いないのかと思った」と言う。中断させられた不機嫌もあらわに「何の用?」と出たところ、相手は待ち合わせた当の相手だった……。

 いや、その彼氏とどうなったかは、ご想像にお任せします(それ以前にも一度、美術展に一緒に行って、置き去りにして帰ってしまったことがある。わたしは美術展に行くと、順路通りに行かず、行ったり来たり戻ったり、中を縦横無尽に歩き回る癖があるので、人と一緒に行くと必ず別行動になってしまうのだ。そこで見たもので頭がいっぱいになってしまうと、忘れてひとりで帰って来ちゃったりするんですね、これが…)。

(さて、買い物をめぐる話は、明日も続きます)

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