陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ 買い物ブギ その2.

2005-09-27 21:37:55 | weblog
買い物ブギ その2.
2.服を買う

 買い物というと、婦女子として生まれたからには「服を買う」という重大な問題と向き合わないですますわけにはいかない。

 えらく大仰な言い方をしてしまうのは、わたしは未だにこの問題と、虚心坦懐に向き合うことができないからなのだ。

 この点に関しては、ジョイス・メイナードがわたしの気持ちを代弁してくれている。

 どうして人間はちゃんと服を着てないとしっくりした感じになれないのだろう。ひどい時には日に六度も服を変え、部屋中ぬぎすてた服でちらかして、手をかえ品をかえやってみて、どうやらやっと自分の姿に満足する。ところが、それから二時間ほど経って、窓ガラスに映った自分の姿を見ると、四苦八苦して作りあげた自分のイメージが消えてしまっているのに気づくのだ。また着替えなければならなくなる。わたしは気にしないですむような顔がほしいのだ。……なにも美人になりたいなんていうのではない。十人並みであればいい。絶えず気にかけてなくてもいい、見た目に感じのいい顔がほしいのだ。

 こんな話をすると典型的なノイローゼではないかと思われるに違いない。でも、これはだれだって考えていることなのだから、“異常”だときめつけるわけにはいかないだろう。もともとわたしたちの社会の生活様式が、美容ということを重視させるようにしてきたのだ。服装デザイナー、ヘアドレッサー、デパートの仕入れ担当者、雑誌編集者、こういう人たちはみんな、はっきりとは意識していないにしても、わたしたち女性が自分たちの自然の姿こそいちばん“好ましい”のだろ思うようになる日が突然やってきて、ついにファッションの横暴な支配から逃れることになるのではないかと恐れているのだ。たえず新製品を作り出して、わたしたちがその日に到達するのに手を貸しながら、彼らはこれまでその日がくるのを少しずつ先へさきへとのばしてきた。ファッションがこんなに早く変わっていくのだから、流行に遅れないようにしてるだけでも難しい。ただじっとしてるだけというわけにはいかないのだ。いつだってつぎつぎに新しいすてきなモデルが現れてきて、前のファッションはたちまちすたれてしまう。……

わたしたちのこの不安定な状態こそ、美容産業が当てにもしまた助長しているものなのだ。わたしたちはいつまでもあと一歩というところで抜け出すことのできない地獄の辺土に生きているようなものなのだ。化粧品やドレスを買うのも、ヘアカットやダイエットをするのも、どれもこれもそれでわたしたちがなにか安心できる気持になって、鏡を見てニッコリすることができるようになりはすまいかと思うからなのだ。(『19歳にとって人生とは』枡田啓介訳 ハヤカワ文庫)


 高校から私服となったわたしは、中学の重たいジャンパースカートと別れたその瞬間から、この「地獄の辺土」をさまよう羽目に陥った。

 とにかく何を着るか決めなくてはならない。折しも当時はバブルまっただ中、DCブランドの全盛期で、バーゲンともなると丸井のまわりで徹夜する人間があふれるような時代、ユニクロもなければGAPもない時代だった。

 とはいえそこは高校生である。服を買うためにバイトさせてほしい、なんて口にでもしようものなら、廊下に正座して、三日三晩説教を食らう覚悟が必要(しかもそれで許可がでるわけではない)な家に育ったわたしは、圧倒的に限られた予算内でなんとか算段するか、母親がイトーヨーカ堂で買ってくる服で我慢するかしかないのだった。

 毎日『オリーブ』(これは雑誌の名前です、念のため)を眺めては、延々と歩き回って、少しでもそれに近いもの、それふうに見えるものを探す。一枚のシャツを買うために、いったいどれほどの苦労をしたことだろう。

 ただ、そういうことをしていても、ちっとも楽しくはなかった。まがいものはまがいものだし、どうしても落ち着かない。我慢ならずにちがう服に変え、「日に六度服も服を変え」ながら、なんと自分はバカなことをして時間を無駄にしているのだろう、とイライラしたし、歩き回ったあげく、うまくバーゲンに間に合って、なんとか予算とデザインの折り合いがつくシャツを買えたとしても、その時間にできたほかのこと、映画を観たって良かったし、絵を描いたって良かったし、もちろん本を読んだってよかったのだ、なのにわたしときたら、何をしていたんだろう……、と思うと、自己嫌悪が募ってどうしようもない気分になるのが常だった。

 そうしてある日、一切のことから下りることに決めたのだ。
「いちぬけた」のである。

 まず、服の全体の枚数を決めた。持つのは必要最小限でいいじゃないか。シャツは長袖半袖三枚ずつ、ジーンズ一本、スカートはプリーツとタータンチェックのラップスカート、トレーナーを二枚、セーターを二枚、カーディガン、ベスト、あとはジャケットとコート。
 そのかわり、ある程度値は張っても、自分の気に入ったものを買う(これは親に頭を下げて買ってもらう)。そのために購入計画書(ブランドと予算も明記の上)を作成し、親に費用を負担してもらう、というスタイルを作っていったのである。

 いまだにわたしはこの規則(内容は多少変わってきているが)を遵守している(もちろんいまは自分の懐を痛めているわけだが)。ギンガムチェックのシャツの袖口がすりきれてきたら、またギンガムチェックのシャツを買ってくる。赤がモスグリーンになったり、チェックの目が細かくなったり粗くなったりすることはあっても、同じ店で、同じものを買う。
 しかも、たいそう物持ちのいいわたしの服は、なかなか痛まないのである。毎日洗濯したとしても、シャツなんてたいがい五年はすり切れたりしない。ということは、五年は同じ服を着ているし、世代交代したとしても、他人にはわからないぐらいの変化でしかない。

 着るものに関しては、間違いなく相当な変人の道を歩んでいることは、自分でもわかっている。

 ときに、こんなに頑なな態度ではなく、どうしてもっと自由に洋服を買ったり選んだりを楽しむことができないのだろう、と思うと悲しくもなる。
 ただ、いったん考え始めると、またふたたび地獄の辺土に逆戻りしそうで、それが怖いのである。

 いまではわたしもコートは二枚持っている。だが、その一枚、グローバーオールのダッフルコートを買ったのは、88年の冬だ。なんとわたしは15年以上着ていることになる。
 
 数年前のこと、トッグルの麻ひもがよれてぼろぼろになったので(それ以前には、自分で繕っていたのだが、それもきかないくらいよれてしまったのだ)買った店に持っていって、修繕ができるかどうか尋ねた。すると店の人に「ウチもここでグローバーオール扱い出して長いですけど、そういうご要望出されたのは、お客様が初めてです」とえらく感激の面もちで言われ、無事、修繕してもらえたのだった(以来、毎年バーゲンの通知が届くのだけれど、以来そこにはいっていない)。
 日々の手入れさえきちんとしておけば、型が崩れることもないし、染みもついてない。最近では、もうひとつのコートを着ることの方が多くなっているのだけれど、なんとかわたしの下で成人させてやりたい気持ちでいっぱいだ。

 ただ、こういう生活をしていると、何を着ようか悩むことはないし(悩みようがない、とも言う)買い物にも悩まない。

 悩まない、ということは、選択から下りる、ということでもあるのだ。はたしてこれを「買い物」と呼ぶかどうかはどもかく。 

(明日で最終回。さて明日はいったい何を買うでしょう?)