陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

乾いた九月 ウィリアム・フォークナー その8.

2005-09-10 22:08:59 | 翻訳
(承前)

 勢いのついた身体は、ほこりまみれの草をなぎ倒しながら転がり、溝の中へ投げ出された。まわりで砂ぼこりが舞い上がり、枯れた茎が細い、悪意の感じられる音をぱきぱきとたてるなか、息をつまらせてからえづきしながら横になっていた。二台目の車が通り過ぎ、その音も聞こえなくなる。立ち上がり、足を引きずりながら本道に出ると、手でほこりを払いながら、街のほうへ歩き出した。

月はずいぶん高くなって、砂ぼこりがただよう層を越え、澄んだ空にのぼっている。しばらくすると砂ぼこりの向こうに光る街の灯が見えてきた。足をひきずりながらなおも歩いた。そのうち車の音が聞こえてきて、背後の砂塵を照らすヘッドライトが次第に大きくなってきたので、道を離れて雑草のなかにうずくまって、車をやり過ごした。マクレンドンの車が後になっていた。そこに乗っていた人間は四人で、ブッチはもはやステップに立っていなかった。

 車は行った。土けむりが後ろ姿を飲み込んでしまう。テールランプもエンジンの音も消えた。車が巻き起こした土けむりもしばらく漂っていたが、じきに果てしない砂塵のなかに飲み込まれてしまった。理髪師は道の上によじのぼり、足をひきずりながら街へ歩いていく。

IV


 その週の土曜日の夕方、食事に出かけるために服を着替えようとしていた彼女は、自分の身体が熱になってしまったような気分に陥った。ホックを留めようにも手はぶるぶる震え、目は熱に浮かされたよう、髪を梳かしても、静電気を帯びてチリチリになり、櫛の下でパチパチいった。身繕いも整わないうちに仲間たちが呼びに来て、極薄の下着とストッキング、新品のドレスを身につけるのを、坐って見ていた。
「もう外に行けるくらい元気になったの」そういう仲間たちの目も、暗い輝きを帯びていた。「ショックから立ち直れるぐらい時間がたったら、何が起こったのか、聞かせてね。あいつがどんなことを言って、何をしたのか。なにもかもよ」

 木陰のほの暗い道を、みんなで広場のほうに向かって歩きながら、彼女はまるでこれから水中に潜りでもするかのように、深呼吸を始めた。すると震えはとまった。ひどく暑かったし、彼女を気遣ってもいたために、四人はゆっくりと歩いていた。けれども広場に近づくと、ふたたび身体は震えだし、頭を昂然と上げ、手で両脇をぎゅっとつかんで歩いた。ぶつぶついっている彼女に話しかける娘たちの声も熱を帯びてきて、その目はきらきらと輝いていた。
 
 娘たちは、真新しいドレスに身を包んでいまにも倒れそうな彼女を真ん中にして、広場に入っていった。いっそうひどくふるえだす。子供がアイスクリームを食べるとき、だんだん食べる速さを遅くしていくように、彼女の歩みもだんだんのろくなっていった。頭をぐっともたげて、やつれをくっきりと浮かび上がらせたような顔の中で目だけを輝かせながら、ホテルの前を通り過ぎる。歩道沿いの椅子に、上着を脱いで腰かけているセールスマンたちが、彼女をじろじろと見定めた。
「あれだ、あの女さ、真ん中の、ピンクの服だ」
「あの女がそうなのか。で、黒ん坊はどうなったんだ? 連中が……」
「もちろんさ、やつはぴんぴんしてるよ」
「ぴんぴんだって?」
「ああ、そうだ。やつはちょっと旅行に行ったんだよ」

それからドラッグ・ストアの前にさしかかる。入り口でたむろしていた若い男たちまでが帽子を心持ちあげて挨拶し、通り過ぎていく彼女の腰や脚を目で追った。

 四人はなおも歩き続けたが、すれちがう紳士たちは帽子をあげ、あたりの話し声は、敬意を表し、護ってやろうというかのように急に止んだ。
「見たでしょ?」仲間がいった。娘たちの声は長く余韻を残す、喜びのため息のようだった。「広場には黒ん坊なんていない。たったのひとりも」

(いよいよ明日は最終回)




おまけ
-----今日のできごと-------

実はdustの訳語がまだ決まっていません。
砂ぼこり、土煙、砂塵、いろんなふうに書いていますが、原文はすべてdustです。
dust,dust,dust、乾いた九月のジェファーソンは、口の中がざらざらしてくるぐらい、dustが降り積もり、大気を覆っています。こちらまで息がつまりそう。そんな空気をどうやって日本語に移したらいいんだろう。

***

今朝、見上げた空に鱗雲が浮かんでいました。
こんな九月の空、生まれてから何度見たことか。でも、そのたびに秋が来たんだ、ってはっとします。

そのあと、仕事を終えて帰ってきてから、非常階段のてっぺんで風に吹かれながら、遠い山の稜線の上、かすかに明るさの残る北西の空を眺めていました。

I wish I were a bird.